《番外編》 はじめてのおつかいとは、大人の思惑しかないようです *
時系列的には、本編「嫌な予感ほどよく当たる」辺り
ディオがソアラと共に海を渡った後、本編五日前くらいのお話です
高度を落とした飛竜から、深月は迷わず飛び降りた。
「よっ……と!」
腕に小人を抱えているにも関わらず、危なっかしげもなく着地する。抱えていた姿を下ろしてやり、忘れてはいけないと言わんばかりに振り返った。
「配達に急いでるとこに無理言って乗せてくれて、ありがとうな! ダントのおっさんたち! 正直助かったよ!」
上空で待つ仲間達の元に戻っていく姿に向かって、深月は大きく手を振った。それには、ひらりと身を翻した飛竜の背に乗る山男も答えた。
「いいって事よ! 精々頑張れよ、ボウズ!」
「ボウズって言うなボウズって! オレはいつか必ずでっかい男になるんだからな!」
「がっはっは! 楽しみにしとるわ!」
「むっかー! 信じてねぇだろ、それ!」
思わず地団駄を踏んだ深月に、豪快な笑い声だけが空から落ちてくる。その背中を恨みがましく見上げていたら、呆れた声が背中から彼を呼んだ。
「おい小僧。遊んでないで行くぞ」
「小僧でもねぇぞ! おっさん!」
「わーったよ、うるせぇ奴だな」
即座に切り返すが、ゼフェルトは髭面の奥で面倒臭そうに眉を顰め、頭をかくだけだ。
丁度その時、熊のような大男を遠目で見かけた子供が、関所の向こうにある通りから慌てて逃げ出していた。ゼフェルトは、小さく肩を落とし、気持ちを改めるように関所の番兵に話しかけた。
深月は目敏くゼフェルトの変化を見て、ふむと呟きながら軽く唇を尖らせた。やがて、悪巧みしてにやっと笑う。
「なあな、ゼフェルト」
「……んだ? 改まって気色悪いな」
三人分の通行の許可を取ったゼフェルトは、あからさまに嫌そうにしていた。彼が目を向けた先には得意気な表情があり、嫌な予感を覚えたのは言うまでもない。
「ふふん、喜べゼフェルト! 子供に逃げられる子供好きの為に、このオレが変わりに甘えてやろうかと思ってな!」
「ハッ! まともに野宿も出来なくて、散っ々ヒトに世話かけっぱなし、迷惑かけっぱなしの奴が、今更何を言ってやがる」
「べ、つ、に! それくらいいーだろ? オレは甘えたい年頃なんだっ。なあ、おとーさん♪」
「なっ……!」
ゼフェルトは予測していなかったのだろう。山賊と見間違われる大男は、あんぐりと口を空いた。驚きのあまり自分がどんな顔をしているかも構わずに、元凶を見る事しか出来なかった。
対する深月は、想像以上の反応を得られて嬉しいのだろう。目が合うと同時に、にへらと笑った。
「ん? 何を驚いてるんだ? おとーさん♪ オレ、エクラクティスのおっさんが言ってたクッキー食いてぇな、あ?! ぃたい?!」
だがそんな深月の視界は次の瞬間、ゼフェルトの大きな手によって真っ暗になった。
「ははは! よーし、いいだろう。口の中がカラカラになるほど食わしてやるよ、可愛いクソガキめ。覚悟しろ?」
「ちょ、痛い痛い痛い痛い! もげるっ首がもげる! 悪かった! 悪かったから痛いってば、ゼフェルト!」
大男は手のひらの中で騒ぐ姿も構わずに、白い漆喰で塗られた壁に赤い屋根の家が建ち並ぶ、人に溢れた大通りを歩いていく。その騒ぎを聞き付けて、通りを行く人々がこぞって振り返り、憲兵へ通報されたのは余談だ。
そんな彼らの後ろを、いつものことだと静かに付いていくレプラホーンの姿があった事も、余談である。
* * *
「ちぇっ、大人気ないって思わねぇの?」
ぶつぶつと悪態をつきながら、深月は腕に抱えた紙袋から丸いクッキーを一つ、頬張ろうとして固まった。泣く子を号泣させるゼフェルトに、睨まれたせいだ。
「あ゛? 買ってもらって第一声に言う事がそれか?」
「っ……ご馳走様ですありがとうございます、とても美味しそうな臭いがします不躾ですが一枚食べてもいいですか」
「ふんっ…………好きに食え。んとに、そう言うところは一応しっかりしてるよな、お前は」
「ふっふぁり? ほぉれふぁ?」
「時々行儀よくなるっつーか、なんつーか……って、言ってる側から食いながら喋るな! 食べこぼしが散るだろうが!」
「ぃぐっ?!」
がつっと鈍い音を響かせて、通りすがりに親父の鉄拳は落ちる。
「おら、お前もさっさと乗れ」
一足先に箱馬車に乗り込んだゼフェルトは、御者側の席に陣取って座ると顎をしゃくった。
あまりにも目立つ折檻の光景に通報された二人は、菓子の店に入って間もなく、城から遣わされた憲兵に尋問された。身分を明かし、騒いだことを謝罪し、本来の用件を告げたところで城に連れていかれる事となったのは、当然の流れと言えるだろう。
頭をさする深月も、仕方がなさそうに肩を竦めた。すぐ後ろに控えていたレプラホーンに目配せしてから、タラップに足をかける。小人が御者台に座ったのを確認し、クッキーの袋を丁寧に閉じてから、箱馬車に乗り込んだ。
その流れ動作で、深月は後ろ手に扉を閉めようとした。――――その時、閉じようとした扉は誰かが掴み止められて、その一瞬の隙にするりと乗り込んでくる。
「あ、ちょっと奥に詰めて?」
「ん? おう……へ?!」
言われるままに詰めてから、深月は隣に滑り込んで座った姿を振り返った。
驚いたのは彼だけでない。ゼフェルトさえも、何食わぬ顔で乗り込んできた姿に驚いて、危うく椅子から滑り落ちそうになっていた。
「ちょ、お?! ギルドマスター!?」
「へ?! なんで?! なんでおっさんがここにいるんだよ!」
すっとんきょうな声を上げた深月たちに構わず、彼らに雑用を申し付けた張本人のエクラクティスは素知らぬ顔だ。
「あ、ズッキーいいなあ。それ僕が頼んだクッキー? 一つ頂戴よ」
「いいけど……って、答えろよ!」
思わず突っ込んだ深月を、クッキーで顔を変形させたギルドマスターが見返す。ことりと首を傾げる様は、一体どうして冒険者達を取りまとめるギルドマスターに見えるだろうか。
すっかり飲み下してから、エクラクティスは何て事もないと言わんばかりに笑った。
「なんでって、まあ、あれだよ。クッキー分けて貰いに」
「あからさまに誤魔化すくらいならいっそ、心配で後をつけていたくらい言えよ!」
「んじゃあ、それでいいや」
「はああああ……もうやだこいつ」
項垂れた深月に、ゼフェルトだけが苦笑した。言うだけ無駄だと宥めたが、それがフォローにならない事ははっきりしている。
間もなく、彼らを乗せた馬車は緩やかに停車した。レプラホーンを伴った初老の御者が、恭しく扉を開ける。
「う、わあ…………すげぇ、城だ……」
嬉々として早速降りていったギルドマスターに続いて降りて、開口一番。深月は嘆息していた。今まで様々な町に足を運んだことは有れど、これほどの有権者が住まう場所に来たのは初めてだった。
赤い煉瓦は煤けて見えるものの、古ぼけてはいない。歴史の中で、きちんと管理されているのが解る。大の大人が六人係でも持ち上げられるか解らない程の大きさの、両開きの鉄柵の扉は、如何にもこの内にいる貴人を守っているようだ。
「直ぐに案内を呼んで参ります故、暫しお時間下さいませ」
「んーいいよ。執務室は解ってるから」
「畏れ入ります」
慣れたやり取りなのだろう。エクラクティスは軽く断ると、恭しく頭を下げられた。面食らって思わず会釈した深月を、周りが面白そうに見ていた事に彼は気がつかない。
御者が門に立つ見張りの兵に合図すると、直ぐに通用の小門が開けられた。
エクラクティスは勝手知ったる庭でも歩くかのように、堂々と建物に向かっていった。見張りに立つ者達も心得ているのだろう。きょろつく子供と熊のような大男、そして少しばかり貧相な小人を連れたギルドマスターに、快く扉を開いていた。
珍妙な一行を、エントランスホールが迎える。
「映画のセットかよ……」
ぽつ、と呟いた深月を咎める者はいない。エントランスホールをぐるりと巡る階段に、一足先に向かっていく背中を、遅れを取った深月は慌てて追った。
街並みと同じような、白い漆喰の壁の廊下を彼らは抜ける。寒さを断つための板張りが、彼らの足音と共にきしんだ。小振りのシャンデリアが暖かみのある光を落とし、落ち着いた雰囲気の中に品を醸し出している。
やがて、廊下の最奥にある扉の前で、ギルドマスターは足を止めた。
「……なんか、思ってたよりヒトいないのな」
「こら、黙っておけ」
未だに物珍しそうにきょろきょろと辺りを伺っていた深月を、ゼフェルトは今度こそ窘めた。この時ばかりは文句を言う事無く、深月も黙る。
静かになった様子を脇目にしつつ、エクラクティスは戸を軽く叩いた。
「ラハト君、エクラクティスだけどー」
「って、おい! 友達の家かよここは!」
「まあ、似たようなものかな?」
「アホか!」
思わず突っ込んだ深月の声に、中の話し声も止んだ。
「――――ははっ。どうぞ」
すぐに、内開きの扉がゆっくりと開けられる。長身のエルフが、扉の影からヒトの良さそうな笑みを浮かべていた。
「あ……騒がしくして、ごめんなさい」
「畏まらなくて大丈夫だよ。どうぞ」
その友好的な雰囲気に、無意識の内に身体を強張らせていた深月も、どうにか頷き返した。
彼らが招かれるままに入っていくと、エクラクティスよりも年若く見える部屋の主が、正面の執務机の上で腕を組んでいた。ひとりひとりと目が合うと、微笑みが深くなる。
「やあ、我が城へ遥々ようこそ。エクラクティス、久しいね。それから冒険者の皆さんもいらっしゃい。良ければ座ってよ、旅の話でも聞かせて欲しいなぁ」
指し示されたソファには目もくれず、エクラクティスは早急に告げた。
「まどろっこしい挨拶は面倒だから用件を言うよ。ソアラ君は北の大陸の命と源流の巫女のところに、無事に行けたみたいだよ」
「ああ、それね。聞いてるよ」
ラハトが身体を起こした。ぎっと、椅子が軋む。
どこか得意気な表情に、エクラクティスは詰まらなそうに肩を竦めた。
「相変わらず耳が早いねー」
「ふふ。スクロイが調べてくれるからね、私としては大いに助かってるよ」
これにはエクラクティスも大いに驚いた。だが、直ぐに合点がいったようで大きく頷く。
「成る程ねぇ。実は彼、もう二人くらい分身がいるんじゃないかな」
「ああ、そうか! それは有り得そうだな」
「ねぇよ馬鹿」
くすくすと城主共々笑っていたら、不機嫌そうな声がぴしゃりと遮った。城主の右手にあった扉が、乱雑に開けられたのだ。そこに、話題にされていた黒髪黒目の男が、不敬もお構いなしに睨んでいた。
その姿に、深月だけが驚いた。
「なっ……ディオ?!」
思わず出た名前に部屋の主はくすりと笑い、エクラクティスは「うわあ、本当にそっくり」 と呑気に宣う。
面白おかしく話題にされていた男は、ちらりと深月を一瞥した後、あからさまに舌打ちして、扉の向こうに戻ろうとした。
「こらこら、スクロイ。お客様の前で失礼だろう?」
だが、部屋の主がそれを良しとしなかった。
スクロイにしてみれば、引き留められた事すら煩わしいのだろう。わざとらしく肩を竦めた。
「客? 何処にそんなの居るんだ? 茶飲み話なら他所でやれ」
「なら、茶請けに君が集めた、ソアラ周辺に関係ある話でもしてもらおうかな」
「いいね、それ。是非聞かせて欲しいなぁ」
只でさえ苦かった表情に、さらに苛立ちは増したようだ。腹立たしそうに髪を書き上げた後に、部屋の入り口でにやついていたエルフを睨み付けた。
「セレネ! ぼさっとしてねぇで茶を用意させろ」
「ええ? ……全く、ヒト使い荒いよねぇ君ってやつは」
「黙って行け」
「はいはい。僕にお茶入れさせるなんて、高くつくよ?」
いつもならば受け流される軽口すらも、今は火に油らしい。
「無駄口叩いてる暇があるなら動け。給金削るぞ」
「うわー横暴だぁ」
悲観を装って出ていった姿を、スクロイは見送らなかった。
「さて。お茶が入るまでご自由に寛いでどうぞ? お客様」
有無を言わせない迫力を伴って、スクロイはソファを勧めた。エクラクティスは面白そうに座り、その勢いに押されて深月も続く。ゼフェルトとその影に隠れていたレプラホーンは、座った二人の後ろに迷わず立った。
スクロイが立ちっぱなしを選んだ姿たちに、不服そうに片眉を吊り上げたのも一瞬だ。この場をさっさと終わらせたいと言わんばかりに、対面にどっかりと座った。そんな彼に、ラハトだけが慣れたものだと苦笑する。
「……スクロイ、それはお客様への態度じゃないよ」
「あ? 田舎から出てきたような底辺に、一体何を求めてんだ?」
「はは、私の教育が疑われるだろう?」
「てめえが言うか」
「勿論。それに君が底辺ならばさ、城の外はもう、どうしようもないくらいのド底辺だよね? 土地の管理者である私はどうも、この地を治める資格がないみたいだなあ」
「…………チッ」
やりゃあいいんだろ、と自棄気味にぼやいた姿は、一度目を伏せると改めて身体を起こして背筋を伸ばした。それだけで、不遜に見えた雰囲気ががらりと変わる。
「始めから『それ』をやってくれると嬉しいんだけど」
「申し訳ありません、業務外でしたので。報告を行ってもよろしいですか」
「やれやれ、仕方ないね」
ラハトが先を促せば、スクロイはそれを受けて口を開いた。
「ではまずは、茶が入るまでに一つ小話でも。ソアラを囲おうとしていた動きは、光と豊穣の巫女の力に信仰的な価値を見出だした者が、住人の不安を煽る事で囲い込み、捕らえようとしたという話が有力でした。しかし調べてみたところ実際はその反対で、ソアラをこの地から引き離す為の方便の可能性が出てきました」
「あれ? そうなんだ? でも、遅かれ早かれソアラは巡礼で外の大陸を目指したよ?」
一息に告げられた言葉に、ラハトは疑問を返す。他が静かに先を待っていると、スクロイは一つ瞬きした。
同時に控えめに扉が叩かれ、返答も待たずに扉は開けられた。盆に乗せた茶器一式を器用に片手で運ぶセレネが、スクロイの様子に片眉を吊り上げて微かに笑った。
「遅かれ早かれ、ではなく、直ぐにでもソアラ達にこの島を出て欲しかった。だとしたら?」
「スクロイ、出し惜しみは止してくれよ」
セレネによって並べられていく茶器は気にしなかったラハトも、回りくどいスクロイに痺れを切らした。急かされて、話を切り換えるようにスクロイは一間を置いた。
「では、この城に帰属しているソアラは、この地にいる限り、我々の一声でどうにでもなる庇護下にある事は理解していますね?」
これにはエクラクティスが同意した。
「そうだねー。だからこそソアラ君達は、巫女でありながら冒険者としても活動出来ている訳だし?」
「この島にて活動している限り、この城の存在がソアラの背後にある事になります。故に、ある程度の者ならば牽制する事も出来ましょう。しかし、外海ならどうでしょう」
「外海?」
誰となく訪ねた疑問に、スクロイが三度頷く。
「命と源流の巫女様の所に駆け込んだのは、ある意味正しかったという訳です。彼女もまた、あの一帯の海を取り仕切る権力者ですから。結果的に、後ろ盾はあっても特定の土地を持たない巫女に、他の者が手が出しづらくなりました」
「権力者かー。なるほどねぇ」
「彼女達に目をつけてた権力者、ね。どこの誰なのか、それも解っているんだろう? スクロイ」
「…………まあ」
初めて歯切れを悪くしたスクロイに、ラハトは意外なものを見たと小首を傾げた。
「珍しいね。言いにくい相手なのかい?」
訪ねても、スクロイの眉間に刻まれた皺が和らぐ事はなかった。また、気だるそうにソファに沈み込んだ姿に、おや? と疑問の声がこぼれる。
察しが悪いと態度で告げていたスクロイも、やがて諦めて身体を起こし、膝の上で腕を組んだ。
「……ラハト、最近アルベルト王子から手紙を受け取っていたな」
「アルベルト? 帝都の、かい?」
何故、彼の名前がここで出るのだとラハトは不思議そうにし、周りは会話に追い付けずにただ静まる。唯一、エクラクティスは意外そうにひょいと肩を竦めた。
「受け取ったが、いつもの季節の挨拶と他愛のない話くらいだよ。ああ、王が体調崩されててんてこ舞いだって愚痴を溢していたね。君だって見ている筈だろう?」
「王の体調不良は嘘だ。崩御したという確認が取れた」
「は……?」
さらりと告げられた報告に、ラハトが言葉を失ったのも無理はない。思わず彼がギルドマスターを伺うと、唯一面白そうに笑っていた。
「うわあ、君の情報網どうなってるの? 化け物染みててびっくりするよ」
その反応が、正否を告げる。
ラハトが頭を抱えてしまったのも、無理はない。
「……スクロイ。私はその報告を聞いていないのだけど?」
「あそこの独尊王がくたばろうが、こちらには関係ないかと思ったからな。あと、聞かれなかった」
しれっと告げられて、ラハトは唇の端で苦笑した。
「…………とんでもない臣下を持って、私は嬉しいよ」
「過大なお褒めの言葉として有り難く承りましょう」
「開き直られると皮肉すら言ってて悲しくなってくるよ」
「それは恐縮至極」
「あっはは! ほんと、ラハト君の所は面白いヒトが多いよねぇ」
城主と臣下の会話にも関わらず、何処と無く緊張感のある会話を、エクラクティスは笑い飛ばした。途端、張り詰めていた糸が緩み、深月やゼフェルトはほっと息をついた。
「…………なあ、おっさん。独尊王ってなんだ?」
恐る恐る訪ねた深月に、エクラクティスは隠す事もないとさらりと答えた。
「ここレーセテイブ島の北に大陸があるんだけどね。そこの古くからある都の一つを納めていた王様の通り名だよ。唯我独尊、ヒューマンこそ至高ってね。先王である彼の場合、自分が治めるヒューマン達により豊かな暮らしをさせるために、他の種族に結構無茶苦茶やってたから。彼は中々恨まれているだろうねー。ああ、そう言えば君も誘われたんだったね、ラハト君」
「もう随分前の話さ。まあ……この地もそもそも、多民族が住む西から開拓に奔走したヒューマン達が根付いた街だからね。先王もシンパシーでも感じて、目にかけてくれていたってだけさ」
客人達の様子にラハトも己の佇まいを正して椅子に深く座り直すと、すっかり冷めてしまった紅茶で喉を湿らせた。
「……それで? 彼の地の王の崩御とソアラが、どうして関係ある?」
気を持ち直して尋ねたら、冒険者たちをちらりと伺った後、居ないものとしてスクロイは続けた。
「帝都の姫様――――大気と調律の巫女はそもそも、この地方に降り立つ神々を楽しませる為にいる、言わば楽祭の巫女だ。戦うための巫女じゃない。だから神の気まぐれみたいな感情を司る、光と豊穣の巫女の規格と比べりゃ話にならねぇ」
「そう、だね」
「願わくば、火の粉を払って欲しかったんだろ」
同意を躊躇ったラハトに追い打ちをかけるように、スクロイは鼻で笑った。
「けど、ソアラの力をアテに出来なくなった今、独尊王のツケだけ残されたアルベルト王子が出来る事なんて何もない、だろう。最悪、ツケの精算の為にあいつ、死ぬつもりなんじゃねぇの」
「なっ……?!」
淡々と考察を並べられて、誰もが絶句した。
「なんでそんな大事な事、君は言わないんだい!」
中でも珍しく声を上げたラハトに、スクロイは至って冷めきった目を向けた。
「言ってどうなる? 助けを求められた訳でもなく、ましてやツケの精算である戦いはもう、水面下で始まっているも同然なんだ。ソアラに影響ないと解った以上、恩着せがましく俺らが噛む必要もないだろう」
「君って奴は……! そう単純な話でもないだろう?!」
「動かなければ実害はない。アルベルト王子に勝算がない以上、我々が手を出すだけ損だと計算が出た。この地の利益を守る為に最善尽くせと俺に言ったのは、ラハト、お前自身だろう? わざわざこんな席が設けられなければ、俺も話すつもりは微塵もなかった」
客前だろうが容赦のない切り返しに、部屋の空気は戦慄する。この時ばかりはいつも賑やかしく茶々を入れるセレネさえも、鳴りを潜めていた。
先に折れて肩を竦めたのは、やはりラハトだった。
「…………はあ、解った。向こうから何かしらの助けを求められるようならば、最短で動けるようにしておいてくれ。いや、助けを求められなくてももう、言われたらすぐに応えてやれるようにして。損失は気にしなくていい。命令だ」
疲れた様子の城主に、ひょいとスクロイは肩を竦めた。
「仰せの通りに」
「出来れば、もっと些細なことでも報告を上げてくれ。頼むから。君なら取捨選択すべきものが、解るだろう?」
「した結果だ」
「君は淡白過ぎるよ……」
「そもそも手配済みだ」
「……私は弟子にバカにされてるのかな」
「まさか。あんたを煩わせるネタではないと思っただけだ」
ラハトはどっと疲れを感じたのだろう。きりきりと眉間を揉みながら、執務の椅子にしなだれた。
すっかり言葉を失ったラハトを気の毒に思いながらも、珍しく大人しかった深月は、そっと隣を伺った。
「……なあおっさん。その巫女さんってさ、それだけ追われてたのにどうやって外海に出たんだ……?」
「ズッキー、そろそろ旅慣れて来てる頃の冒険者なんだから、移動手段なら解るでしょ?」
促されて、しばし深月は口をつぐんだ。
「海路が絶たれてるから……空、路? でも、それってもしかして……」
「その、もしかしての通りだよ? それがどうかした?」
あっさりとギルドマスターに同意を返されて、普段窘められるばかりの深月ですら息を飲んだ。
「ディオ達は、無事なのか? 巫女さん運んだなら、ヤバいんじゃねぇの?」
上げた疑問に、エクラクティスは場違いに微笑んだ。
「どうだろう、そうかもねぇ。でも、どうして?」
エクラクティスの笑みも解らず、深月は怪訝そうにする。
「だってあいつは、只の商人に過ぎないだろ?」
「まあ……でもズッキー? 彼の場合、隣に居るのが居るのだから、心配ないと思うよ」
「それでも、戦いの主砲を運んでくるような奴を、対抗してる奴が見逃すのかよ! オレなら……厄介な相手はそちらから潰すぞ」
「常套手段だもの。ズッキーも解って来てるじゃない」
「じゃあ!」
我慢ならないと、非難するように深月は声を上げた。
「それだけ先の事が解ってるあんたたちなら、巻き込まれただけのあいつがどんな目に合うかも想像ついているんだろ?!」
「……さあな」
「っ……そう、かよ」
「ズッキー、落ち着いて?」
「これが、落ち着いていられるかよ!」
あしらわれて、じっとしていられなかった。
早急に立ち上がった深月は、唯一ラハトに軽く頭を下げると入り口に踵を返した。
「待てよクソガキ。てめえに出来ることなんて、何もねぇよ」
「……ディオと同じ顔で言われると、結構ムカつくわ。でもやっぱ、あんたは別人だ」
「待って、お兄さん」
「断る。胸くそ悪い。失礼する」
やんわりと立ち塞がろうとしたセレネをいなし、深月は乱雑に扉を開いた。その後ろを慌てたレプラホーンと、部屋の主に一瞥くれたセレネが追う。
「ねーね。お兄さんさ、待ってってば」
肩を怒らせて元来た廊下を急いでいた深月は、振り切るつもりで背後の呼び掛けは受け流した。しかし、どれ程競歩で急いでも全く距離の離れない姿に辟易する。
「スクロイの事で不快にさせた事は、僕が代わりに謝るよ」
付かず離れずやってくる声に、深月はエントランスで足を止めると睨み見た。
「何で、あんたが謝る? 関係ないだろ」
「ないねぇ。でも、あのふたりの事だからね」
煙に撒く答えに、深月の表情はますます険しくなった。それを感じて、セレネも言葉を変える。
「お兄さん、ディオちゃんの友達なんでしょう?」
「ディオちゃんって……」
尋ねかけて、黙る。宥めるようなセレネの表情に、毒気を抜かれたせいだ。
「僕も彼は心配だよ。でもね、僕たちは街と個人を天秤には乗せていけないんだ。だから…………」
「んなの……解ってる。そりゃ、街を預かる事がどれくらい大変なのかなんて知らねぇけど、さ。でも、腹が立った」
「うん。ごめんね」
「別にいいさ。だから、オレをけしかけたんだろ」
面白くなさそうに呟いた深月に、セレネは喉の奥で笑った。
「流石、エクラクティスが大事にしてるだけあったかー」
「それも気に食わないけどさ。これだけははっきりあんたに言えるよ。舐めんな」
バタバタという重たげな足音を聞き付けて、深月は元来た方に目を向けた。熊に見間違う大男は、厳つい容姿に似合わず、気遣うような様子さえある。
そんな彼に気がついて、深月の表情もやっと和らいだ。
「じゃ、あの曲者揃いによろしく」
「あっはは! うん。君は君の心のままに、好きにやるといいよ」
「そのつもりさ」
そんな深月に吊られて、セレネもまた笑ってしまった。
* * *
「ゼフェルト」
「……わーったよ」
エクラクティスは振り返ると、がしがしと頭をかいた大男は仕方がなさそうに彼らを追った。
一瞬、部屋の中が静まる。
「君の情報網はなかなかだけど、流石に今のは不味かったねぇスクロイ。最も、君の事だからわざとなんだろうけど」
あっけらかんと笑うエクラクティスに、スクロイは舌打ちした。
「タヌキジジィめ。てめえもあいつを追いかけろよ」
「嫌だなぁ。僕はまだ、年寄り呼ばわりされるような歳ではないよ?」
「…………はあ。若いのは見た目だけなのは事実だろ」
「酷いなぁ」
くすくすと笑う姿は、スクロイの暴言を全く気にしていないのだろう。諦めた様子のスクロイを、面白そうに眺めていた。
だが不意にからかうような笑みを消すと、猫が鼠をいたぶるように目を細めた。
「まあでもね、心配だからって他人をけしかけるなら、もう少しスマートにした方が君の為だと思うよ。いくら君が優秀でも、看過して上げられない事もあるからね」
ヒヤリと部屋の空気が冷えたのは気のせいではない。スクロイは乾いた唇を舐めてから、慎重に口を開いた。
「……肝に命じておくさ」
「ふふ。貸しにしてあげる」
にっこりと屈託なく笑ったエクラクティスは、お邪魔しましたと城主に告げた。
じっと静かに彼らを伺っていたラハトは、そんなエクラクティスに、罰が悪そうに眉をしかめた。席を立った背中を、恨めしそうに見つめていた。
やがて部屋の中からすっかり人気がはけて、ようやくラハトは息をついた。
「参ったね。演技するにも、あれは相手が悪すぎる。ちょっと欲張ってしまったかな?」
参ったと言いつつも、いたずらした子供のようにくすりと笑った城主に、スクロイは半眼になった。
「……やり過ぎたとは思ってねぇだろ」
「ははっ、そうだね。でも、まだ若い冒険者君には悪いことしてしまったなぁ」
「それも。全く気にしてねぇクセによく言う」
暗殺者にお茶を入れさせるスクロイ(笑)
今度こそ戻ります




