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飛竜と義弟の放浪記 -Kicked out of the House-  作者: ひつじ雲/草伽
五章 いつも通りの災難
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悪の聖姫 .1 **

 

 エニスさんの後について、見知らぬ場所の中を走る。さながら不思議の国に迷い混んだアリスの気分だ、って言ったら、何人が鼻で笑ってくれるだろうか?

 はは。なあーんて、冗談はさておき。


 ……はっきり言おう。ふたりのところに帰りたい。



 螺旋階段を登り、俺が入れられていた牢屋の側をつつがなく抜けた後、石畳に直接絨毯の引かれた通路に出た。真っ直ぐに伸びる深みのある青の絨毯と、赤茶色の人工大理石か何かの柱が、向こうの方までコントラストを作っている。

 壁そのものには飾り気がないものの、この場所が、それなりに身分のある人が通る場所なんじゃないかって事は簡単に想像ついた。


 あの得体の知れなかったものは、温室を出た時点で追ってこなかった。それ幸いと、俺とエニスさんは落ち着いて上階を目指す事が出来た。

 何でも、ここから出るのには上の転移陣を使わないといけないそうだ。


 だが、上に上がれば上がるほど、近衛兵なのか将校なのか解らないけれど、武装したヒトの往来が増えていった。言いとがめられるのが嫌な俺たちは、その都度道を譲るフリしてそっと柱の影に身を隠したり、少々迂回したりせざるを得なかった。


「すみません。本当はアレイスター殿にお願いする予定だったのですが……」


 言い淀む背中は、俺に言うのを遠慮しているみたいだった。

 わざと? わざとなの?


 いやいや。気になるだろうが。


「そういえば、随分このお城は賑やかなんですね」


 回りくどい言い方に面倒くささを感じながらそんなカマをかけてみたら、少し前を行くエニスさんがちらりとこちらを伺った。珍しく思ったのは、その表情が真剣だった事だ。


「……先程、チルオール……達が侵入、してましたね」

「ええ」


 一瞬言葉を詰まらせて、覚悟を決めたように彼女は続けた。


「城に侵入されている事そのものも由々しき事態なのですが、彼らが街にも攻撃を仕掛け始めていたんです」

「え?」


 言われてすぐに、理解が追いつかなかった。

 城より後に、街を襲うの? 城の方が陽動で、本命は街の破壊って事なのか? でもさ、あいつの言い分的には城がどうにかなればいいって言っていたような気がするんだけど……違う、のか?


「……すみません、エニスさん。順番がよく解らないです。城の警備が手薄になっていないのにあいつはここに乗り込んできて、グリフィンをまんまと回収したのに、改めて街を襲っているんですか?」

「順を追うならその通りです。なので城の方も、城に集めていた兵を急いで市街に向かわせているのですが、その対応に追われて指揮が統率されていないのです」

「それは……」


 だとしたら、きっとあちら側の目論見は大成功と言えるのではないだろうか。そいつらの最終目的が何にせよ、すっかり城の統率は乱されているのだから。



 それと同時に嫌でも気が付く。城でも街でも混乱が生じているのだとしたら、本当は、エニスさんは俺なんかに構っていられないんじゃないかって。そこを、贖罪の為だけに捻じ曲げているんじゃないかって。


「エニスさん。もしかして、俺……」


 多分、俺の言いたい事はなんとなく理解しているのだろう。ちらりとこちらを一瞥すると、何もないかのように、また前を睨む。


「ディオ殿、貴方が城の事で心配する必要も、この事で申し訳なくなる必要はありませ――――っ!?」



 不意に向こうから聞こえた声に、エニスさんは敏感に反応して足を止めた。手振りで俺を黙らせると、あっという間に手近の扉を薄く開けて、押し込むようにそこに放り込まれた。


「ぃ、ちょっ……?!」


 一瞬バランスを崩しそうになって、閉められる扉を恨めしく見た。こんな事してもエニスさんに届く訳じゃないのは解っているけど、そうせずには居られなかった。


 扉に寄って耳をそばだてると、次から次へと指示を出している男の声が聞こえた。

 身体が強張りかけて、ハッとする。扉付近に潜んでいたら見つかるかもしれない怖さに駈られて、慌てて身を起こして後退った。


 扉の向こうから、くぐもったエニスさんの声がする。俺の知っているエニスさんからは想像出来ない、きびきびとした硬質な声だった。それだけ彼女が相手との会話に緊張しているのだろう。

 自然と俺も、扉から距離を取った。扉に張り付いていたら、向こうに気取られる気がしてならなかったからだ。



 せめてこの緊張した気持ちを払拭しようと思って、自分を誤魔化すように振り返った。この場所を知る事に気を配れば、少なくとも扉の向こうが気になる事は無いから。


 真っ先に目に留まったのは、規則正しく並べられた長椅子。それから長い事使われ続けているのが伺える、一台で六本も蝋燭が立てられている枝のついた燭台の様子から、安易に教会か何かじゃないだろうかと当たりをつける。

 薄暗い中、視界の端に映った色鮮やかな光につられて正面を見上げると、ステンドグラスにはベールを纏う聖母と聖母に付き従うような妖精が、仲睦まじくこちらを見下ろし微笑んでいる。城内に造られた聖堂に、間違いなさそうだ。


 先に進むのを躊躇って足を引きずると、ざりっという音は妙に響いた。身廊を形作るように、長椅子と共に規則正しく並べられた太い蝋燭の火が、俺の動きに合わせて微かに揺れた。

 外に聞こえてない事を、祈るしかない。



 静けさに、耳鳴りがする。こんな時なのに、不意に叫んでわざと音を立てたくなって来るほどだ。

 前世では年末年始は神社でお参り(神道)、夏には諸説ある盆参りに参加して、秋にはハロウィン(ケルト)、冬にはクリスマス(キリスト)祝ってきた俺に、宗教なんて解らないけど、この場が神聖なんだって事は肌で解った。


 こうこうと空気の抜ける音はまるで、聖堂が息を潜めているみたいだ。

 静かに眠りにつく、巨大な生き物の喉の中を歩いているかに錯覚する。そいつが目を覚ましたら、俺はひとたまりもなく飲み込まれてしまうのだろう。

 だからだろうか。


「どうして……」


 頭上やこの場所の雰囲気にばかり気を取られていたせいで、そこにいたヒトの姿に気がつかなかった。


「どうして、貴方がここにいるのです……?」


 囁くような問いは、この静けさの中ではよく聞こえてしまう。

 気が付けば、微かに唸っていた風も止んだ。


 聖母の膝元、祭壇の前にて蹲っていた総レースの白いベールが不意に動いたかと思うと、その整った眉を不快に寄せている姿があった。

 祭服って言うんだろうか。装飾の少ない濃紺のローブを纏う姿は、初めてあの草原で出会った時と比べて、ずっと大人びて見えた。


「……アルマさん」


 その問いは、俺だって聞きたいやつだ。……って、思っても、そんな事言える訳がないけどな。


 ただ、俺に呼ばれた事までも不快なのだろう。きゅっと唇を引き結んで表情を今度こそ消し去った彼女の様子に、傷つかない訳がない。

 あの時見た笑顔は、あの時広場で楽しそうに歌っていた姿は、今のアルマさんからは全く想像できない。


 ……多分、もう、遅いのだろう。あの時みたいに、俺の情けない恰好に笑ったり、彼女の紡ぐ歌を人に混ざって囃し立てたりする事は出来ないのだろう。


 いつの間にか、こんなにも距離が離れてしまったんだ、と。否応なしに思い知る。



 俺が言葉を失っていたら、彼女はキッと俺を睨んだ。


「ここをどこだと思っていらっしゃるんですか。ここは神聖な祈祷の場。貴方のようなものが立ち入っていい場所ではないのですよ」


 返す言葉に迷って、でも黙っているのはより下策に思えたから、素直に思い浮かんだ事を口にした。


「勝手に立ち入ってしまって申し訳ない、アルマさん。でも」

「貴方をここに招き入れようと手を引いたのは崩都(ほうと)の一派ですか? なるほど、確かに油断いたしました。全く、私も貴方には随分と騙されていたものですね」

「ちょ、ちょっと待って! それはアルマさんの勘違いだよ!」


 多分、彼女は俺のどんな言葉も聞きたくないのだろう。釈明はさせて貰えず、斜め上の疑惑を吹っかけられたのには正直焦った。


 俺の否定を彼女はどう受け取ったのだろう。仕方がなさそうに、ひょいと肩を落としすだけだった。そして、俺とはもう話したくないと言わんばかりに背を向けられる。


「待ちません。まあ、でも、そもそもどちらでも構いません。貴方がどのような目的でいらしているのかは知りませんが、何をされようとも、私は引きませんから。さっさと失せてくださいませ」


 取りつく島はなさそうだった。置いてきぼりにされてしまったような寂しさに、また、俺がこれ以上口を挟んだところで何も変わらない事に、なんとも言えなくなってしまう。もどかしい気持ちのせいで、ずっと理不尽を堪えていた癇癪が口から飛び出してしまいそうだった。


 彼女の言葉を何とか飲み込もうと反芻していたら、無意識のうちに呟いてしまっていた。


「……目的、か」


 崩都の一派の目的は、エニスさんの言い方的には、この城がやらかした事に対する報復だろうって言える。けど俺がここに来た目的なんて、はっきり言って一つしかない。


「俺の目的は、ただ、頼まれたから連れて来ただけだよ。貴女の側に行きたいって言ったヒトを、さ」


 誰を、とは言わなかった。連れて来たのが誰かなんて、アルマさんならよく知っているだろうから。

 でも俺の予想に反して、彼女は驚いた様子で振り返って、やがて苦虫を噛み潰したように表情を歪めていた。


「……余計な事を」

「うん?」


 囁かれた言葉は、上手く聞き取れなかった。それが、余計に彼女の腹を立てさせてしまったらしい。


「目障りですって言っているのが、解らないのですか」

「うん、それはまあ……」


 でも、なんでだろう。

 さっきからずっと、アルマさんの言葉が、不思議と本気で言っているように聞こえなかった。アルマさんにとって、俺が聞き分けのない邪魔なやつにしか見えないのだと思っていたけれど、何というか、それだけじゃない気がした。


 確かにそもそも、俺が招かれざる客であることは認めているようなものだ。ここは彼女の城でもあるから、不審者として捕える事は、彼女のたった一言で事足りる筈だ。

 でも不思議なのは、だというのに、どっか行けって口頭の注意だけで追い払おうだなんて随分と寛容なんだなあって思う。



 結局、何が不思議に感じさせているのかが解らなくて、思わず首を傾げた。そんな俺に、アルマさんはぎりっと歯を食い縛っていた。


「貴方のせいで、予定が狂いっぱなしです」

「でも、アルマさん。君は――――」


 だから、扉の向こう側の、背後の騒ぎに気が付かなかったのだろう。

 不意の事だった。



「――――で、殿下! お待ちください!」



 エニスさんの慌てた様子の声が、扉を隔てる事無くストレートに聞こえて驚いた。

 扉が開けられたのが先なのか、それともエニスさんの静止が先なのか。そんな事を考えるよりも先に、扉は勢いよく放たれていた。


 威圧感たっぷりにそこに仁王立つ姿に、ひゅっと喉が鳴った。

 

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