拝啓、鉄格子の間より .5 *
息を潜めるように見送って、その姿が見えなくなった途端、ほっと肩をなで下ろした。でも同時に、同じように立ち尽くしていた甲冑姿が気になって、ちらりとそちらを伺った。
俯くせいで、俺から表情は伺えない。
励ますべきなのか、それともこんなところに来る羽目になった事に対して文句を言うべきなのか、それすらもよく解らない。俺がどんなに言葉を探したところで、どんな言葉も彼女の心にまで届かない気がした。
エニスさんが取り落とした剣が、カシャンと軽い音を立てていた。その場で迷子の子供の様に座り込んだ姿を、ホントにどうしたらいいのだろう。
散々恐怖を突きつけられた筈だというのに、目の前で落ち込まれると、さっきまで確かな目的を持って会話していた彼女の事が、心配で気になってしまう。
「エニスさん」
呼び掛けて、黙る。
しっかりしろ、とは言えなかった。元気だして、も、何か違う。
伺うような情けない俺の声は、やはりと言うか、恐らくと言うか届いていない。言いたいことも解らずに、ただひたすらに漠然とした焦燥感に駆られてしまうのは、おかしな話だろうか。
続きを躊躇って、何を見る訳でもなく辺りに目を向けていたら、視界の端っこで黒い鎧が思い切ったように立ち上がった。
「――――ディオ殿」
「っ、あ、はい!」
微かな声に驚かされた。
こちらを振り返ったエニスさんが、今にも泣きだすんじゃないかって思えて怯む。
俺の内心を察したのだろうか。顔をくしゃくしゃにしながら無理に笑おうとするから、余計に痛々しく見えた。
「あの男が言った事は、真実なのでしょうか?」
「それは――――――」
泣くのは勘弁してくれ。俺にはその涙を乾かす方法も解らないのだから。そう思って身構えながら、問われても、答えが出るわけがない。
もしかしたら本当は、俺から単に同意か否定が欲しくて、エニスさんは尋ねて来ているのかもしれない。でもそれは、この街の事は部外者と言っても過言ではない俺が是非を主張したところで、どちらも薄っぺらいものにしかならないと思う。
だったら、俺は俺の意見を言うしかないだろう。
「俺には、どれが真実なのか解らない。でも、少なくとも、この場所を管理していたおっさんの反応を見る限り、あいつが言った事は嘘じゃないんじゃないかって思うよ」
「そう、ですよね……」
エニスさんは何を考えているのだろう。俺の言葉にすっかり目を伏せてしまった姿からは、次の彼女の反応がさっぱり予測出来ない。
やがて、何か決意を固めたような表情が、俺をまっすぐに見て来た。
「ディオ殿、ごめんなさい。私は貴方に謝っても許されない事をしました」
きょとんとしている俺の目の前で彼女は両膝をつき、胸の前で手を組んだ。流石の彼女も、膝を折ってしまえば俺よりも目線が低いんだなあって、場違いにもそんな事を思う。
何が始まるんだって戸惑う俺に、エニスさんはとつとつと語る。
「本当は一番に謝罪するべきでした。謝罪して、貴方の身の保証を立てて、何の憂いもなく、この地を後にしていただけるように体裁を整えるべきでした。なのに、私は……私は、自分の事ばかりで、守るべき文民で有る筈の貴方を、このような場所に連れて来てしまいました」
ああ、その事か、って。すっかり忘れてしまっていた事に、自分で自分に呆れてしまった。
俺の沈黙を、彼女はどう思ったのだろう。
「……なんでこんな事になったのか、聞いてもいいでしょうか」
語りたいなら、好きに話せばいい。そんな思いから尋ねたら、エニスさんは神妙に頷いた。
「はい。……貴方方と別れた後、自宅に向かった私は、張っていた城の者に見つかってしまいました」
「職務を放棄したから?」
「そうです。でも、そこで私は…………私は自分の為に、城にもう一度入る為に、咄嗟に貴方の存在を利用しました。今この城を脅かしている因子のひとりかもしれない人物を連れて来ていて、登城の支度を整えるまでの間、竜騎士の兵舎に預かって貰っている。だから少し、調べて欲しい、と」
「それで、俺はここに?」
「はい。でも、少し調べれば貴方が違う事はすぐに明らかになりますので、私の早とちりで片付けて頂くはずでした。でも……」
自分の早とちりさを自覚した上で、それすらも使おうとするエニスさんが怖い。王族に仕えるヒトって、強かというかなんというか、俺には想像できないくらいに、思惑やら陰謀やらが渦巻いているような気がしてならなかった。
俺が内心で身震いしている事も知らずに、ごめんなさい、と、エニスさんはまた口にした。
言われてやっと、そうか、と納得する。エニスさんにとって、これは謝罪であり懺悔なのか、と。同時に困る。
「私の見込みが甘かったせいで、貴方を巻き込み、牢に入れてしまいました。貴方がどれほど怖い思いをしたのか、謝ったところで払拭されるものではないと解っています。ごめんなさい。私に出来る償いで有れば、如何様にも――――」
「エニスさん、解りました。謝罪は受け取ります」
キリがない。そう感じた俺は、黙らせるように返していた。
ぱっとこちらを見上げた表情は、唇は引き結んでいながらも、目だけは期待したわんこのように見えた。
思わず苦笑してしまう。計算高いよ、このヒト。マジで。どうしようもないなって、乾いた笑いが零れてしまう。
だったら、これくらいの文句は言ってもいいだろう。
「ちょっと、色々、怖かったですけど、俺は今更気にしていませんから。怪我も、一応はしていませんし。怖かったですけどね? ただ、その……俺、早くラズ達のところに戻りたいんです。強いて言うなら、代金払ってさえもらえれば、言われなくてもさっさとこんな場所おさらばするのになあ、なんて」
頬を掻いてその苦笑を誤魔化そうとしたけど、エニスさんはかあっと頬を赤らめて項垂れた。
「必ず――――――」
だがそれも一瞬だった。不意に、ハッとしたようにエニスさんは後ろを伺うと、早口で捲し立てた。
「ディオ殿、私の事は今更信じて欲しいとは言いません。しかし、お願いです。今だけされるままに、ついてきてください」
「え? それは」
今更構わないけどって、言い切らせてもらえなかった。エニスさんが飛びついて来たかと思うと、次の時には胴に腕を回されて、その場から飛び退いた。
それと同時だろうか。つい先ほどまで俺が立っていた場所に、黒い塊のような何かが落ちていた。それを、俺ごと身を捻って振り返ったエニスさんが、躊躇いもなく切り伏せる。
それだけでは仕留められなかったようで、俺を十分に離したと判断したエニスさんは手を放した。その事にすら俺が気が付かない間に、彼女は両手で剣を握りこみ、そいつを横一線で両断していた。
「ここは危険です。博士の管理がなくなった以上、何が動くか解りませんので」
剣に着いた、先程の黒い塊の体液か何かを振り払う姿に、俺はこくこくと頷く事しか出来なかった。
今になって、チルオールがさっさと失せろって言った意味が解った気がした。




