穏やかなひと時は続かない .4 **
「んーじゃあ、取りあえず、おにーさんの別嬪さんは裏手に回ってもらっていいか? おにーさんたちは適当に座って」
エニスさんが去ってまだ背中が見える頃に、サミュエルさんは言った。
何やら、扉の内側の壁にずらりと並べられていた鍵の中から一つ取って、未だにエニスさんを睨んでいたアレイスターさんを、肩越しに振り返る。
「アレイスター、今日の内くらいなら使わせても大丈夫だよね」
尋ねられて、不機嫌そうな表情がこちらに向けられた。
「お前に一任する。……俺はこれから城に行って、一度隊長と合流してこよう」
「はいはーい、そうだと思った。いってらー」
「ああ」
低く唸った熊のような姿が、今度はこちらを見下ろした。
「ばたばたと忙しなくて申し訳ない。ディオ殿、ラズ殿は気にせず休んでくれ」
「あ。いえ、お構いなく。こちらこそ、お忙しいところご迷惑おかけします」
騎士の副団長なんて立場の人に、慇懃に会釈されて恐縮してしまう。
サミュエルさんはくつくつと笑った。
「……んとに、心配性なんだからなあ」
恐らく、エニスさんの為に一度、騎士団長を追いかけて城に向かうのだろう。
建物へと入っていくアレイスターさんとは入れ替わりに、サミュエルさんはするりと扉をくぐって、俺らを手招きした。
「取りあえず兵舎の裏の使ってない空き部屋で悪いけど、彼女は案内しておくよ。荷物はどうしよう?」
「あ……ありがとうございます。すぐに出ますのでお構いなく」
ちらりとエンマを見上げたら、問題ないって顔をされたから大丈夫だろう。
ついでにぽんっと思い浮かんだ顏に、思わず黙る。誰の顔が浮かんだかって、言うまでもない。リテッタの小言までもが聞こえた気がして、慌てて頭を振った。
「お世話になります」
「気にすんなー」
サミュエルさんがエンマの手綱を引きながら連れ立って裏手に回るのを見送って、俺らは大人しくおもてなしされる事にした。
部屋の中はしんと静まり返っている。
四方は石の壁で、天井と床だけが板張りのせいか、音が響く前にすっと音が消えて、なんだか不思議な感じだ。足音が、床板に吸い込まれているみたいに、こつっと鳴った余韻が消えるのだ。
多分、普段はここで話し合いやら何やらするんだろう。十人は楽に座れそうな、大きな円卓が部屋の大半を占めていて、円卓の向こうに裏口らしき扉と奥に続く通路があった。
視線をそのまま巡らせると、裏口の隣にミニキッチンがついている。
魔石のコンロの上で、片手鍋が火にかけられっぱなしだ。コトコトと小さな音を立てているが、放っておいていいのだろうか。
その隣の台には既に、ポットとマグカップまで用意されていた。もしかしてアレイスターさん自ら用意してくれたのだろうか。だとしたら、申し訳なくなってくる。
何にしても、飾り気のない部屋の中に生活感を見つけて、ホッとしてした。あまりにも殺風景でヒトの気配がしないから、本当にここに居ていいのかって思えてしまう。
しんっと静まる建物に居心地の悪さを感じていたせいで、通路の向こうの方から扉の開け閉めする音がした時には、思わずどきっとして飛び上がってしまった。ラズに苦笑されたのは余談だ。
恐らく通路の先が兵舎で、裏口が飛竜の為の建物に続いているのだろう。
「なんか、静かなもんだな」
「うん」
あんまりにも静かすぎて、ついどうでもいい事をラズに振ってしまう。あっさりめの返答に肩透かしを食らいながら、くつろぐってどうしたらいいんだろうかって困ってしまう。
仕方ないよね、知らないところに放り出されてしまうと、萎縮してしまうのって普通だと思うんだ。
間もなくサミュエルさんが、裏口の扉から戻って来て、立ち尽くしてる俺らを見て笑った。
「座ってよ」
「ありがとうございます」
流れる動作で、サミュエルさんは壁際のミニキッチンに立った。火にかけられたままだった片手鍋から、ポットにお湯を注いでいた。
お言葉に甘えて、俺らは座る。
「俺、ワイバンの為のこういう場所って初めて見たんですけど、大人しく建物に入るものなんですね」
沈黙は気まずいから、空から見た時の景色を思い浮かべながら俺は尋ねた。
大きな建物と言っても、ワイバンみたいに個々の主張が強すぎる生き物を、何頭も並べる事が出来るのか? て、思って尋ねたら、サミュエルさんには小ばかに笑われてしまった。
「はは、まさかー。飛竜が大人しくしているのは、大体俺らが世話する時くらいで、大概は皆、そこらで勝手してるよ? ここの建物、七割は『あるだけ』だから」
「へ?」
「建物なんて、あいつらにとっちゃ、雨宿りのためと、せっせと自分らの面倒見て来る便利な小間使いがある場所、くらいにしか思っちゃねえさ」
なるほどと、同意していいのかも、ちょっと解らなかった。
「でも、竜はここ帝都の主流の産物の一つって、エニスさんはおっしゃってましたよ? って事は、少なくとも街の人にとっては栄職なのでは?」
「……いやね、あいつの考えを基準にされると、結構語弊があるんだけど。んーまあ、栄職……で、いいのか? 少なくとも花形は白騎士だし、そもそも俺みたいな斥候職の竜使いなんて、竜騎士のおまけだからなあ。栄職っていうのはなあー」
難しそうに眉を顰めて、首を傾げていたサミュエルさんの様子を見ている限り、エニスさんが言っていたみたいに、竜使いが『尊敬の対象!』って事ではないみたいだ。
俺まで物思いに耽っていると、サミュエルさんは言い難そうに「あー」 と頭をかいていた。
「まあ、普通の奴なら栄職って思うのかもなあ」
「サミュエルさんは違うって事ですか?」
思わず尋ねたら、振り返った表情ににやっと笑われて、ぞくりとした。一瞬で、嫌な予感が背中を撫でたせいだ。
「俺さ、これでも盗賊上がりな訳よ」
「え?」
「恥ずかしい事にさあ、今でこそは『最速の竜騎士』なん言われてるけど、アレイスターに取っちめられる前は『彗星の盗賊』って言われてたんだぜ? なんで生活の糧を得る為にやってただけなのに、こんな事になったんだろうなぁ。名前だけがやたら一人歩きして、ホント、恥ずかしいったらありゃしねえよ」
「ほ、ホントなんですか? え? 冗談ですよね?」
びっくりしてその表情を見上げたら、いたずらが成功した子供のように笑っていた。
「さーねえ。信じるものはなんとやら」
くっくっくと、喉を鳴らして歩いて行くサミュエルさんは、俺の反応が心底お気に召したようだった。
完全におちょくられていて悔しく思う反面、その態度が余計にサミュエルさんの言葉を肯定しているように思えた。……ここの街の竜騎士は、盗賊上がりでも、飛竜を乗りこなせれば何の問題もないって事なのだろうか。
ついつい眉間にしわを寄せて考え込んでいたら、通りすがりにぽんぽんと、なだめるような手が落ちてきて見上げた。
銀の盆に乗せたカップを綺麗に円卓に並べて、サミュエルさんはおどけて肩を竦めた。
あ、お茶の色とか香りがちょっと日本茶っぽい。
なんか嬉しいな。欲しいかも。
ラズは渋い顔していたけど、味も……凄く好みだ。うわ、いい。
「ま、この街で真っ当に生きにくい、はみ出し者が多いのが竜騎士だからな。関係者は少なからず変人が多いぞって話だ」
「……すごく納得しました。よく覚えておきます」
多分エニスさんも、漏れなくその中に入っているんだろう。
変人だから間違いない。異論は受け付けない。受け付けないとも。
右斜め前に座り込んで、早速肘をつきながら座って飄々と告げた。
「まあ、何にしてもおにーさんの不幸は、エニスと関わっちゃった事かな。あいつ戻ってきたら、早めにこの街出た方がいいよ」
いくらなんでもその言い方はあんまりじゃないかって、眉を顰めてしまった。
「……エニスさんが、反乱分子の一員かもしれないって、見られているからですか?」
「なんだ、知ってたのかよ。って、ああ、そういやアレイスターも馬鹿みたいにべらべら喋ってたし、流石に解るかあ」
嫌だねえ、これだから機密ってもんを解ってない間抜けは、ってサミュエルさんは嫌味なのか明け透けにぼやく。
だから思わず口にしてしまった。
「あ、いや、そもそもエニスさんが、あらかた教えてくれましたので」
途端、サミュエルさんの表情はより一層険しくなった。
「……あいつ、相変わらずだなあ」
呆れたように椅子の背もたれに身体を預けて、宙を見上げてからからと笑う様子から、察するまでもない。
「一般人に情報駄々漏れの軍人とか、恥で死ねばいいと思わない? 守るべき対象を危険に巻き込むなよって、おにーさんそれ、言われたときに平手打ちしてもよかったもんよ?」
へらっと笑ってとんでもない事を言い出した姿に、戸惑わない訳がない。
「え、いや、その……平手打ちはちょっと。それに、巻き込まれた事には……今更自己責任もあるので、なんとも言えないです」
生憎、女性に手は上げられないし、そもそも多分、平手張った時点で、俺が返り討ちに遭うと思う。
エニスさん自身はあんなだけど、一応王女様の側に就くくらいだから、当たり前に優秀なんだろうって、俺でも解る。そんなヒトに反撃なんてされたら一溜りもない事は明白だ。
しどろもどろに返した俺の言葉がまずかったのだろうか。
サミュエルさんにじっと見つめられて、なんだかいたたまれない。
「あの?」
「いや、おにーさん驚くくらい受け身なんだなあって思ってね。しょっちゅう良い様に使われてるクチでしょ?」
「う……!」
危うく、何度目となく口にしていたお茶を吹き出すところだった。
「さっきもあっさり、俺に飛竜預けちゃうし。俺が出したお茶普通に飲むし」
「いや、でもそれは……!」
「確かにこりゃ、いいカモだわ。俺なら絶対、身ぐるみ全部剥がす勢いで使い倒すな。はは!」
ずばずばと、サミュエルさんのいろんなモノが刺さったような気がしてならない。あからさまに表情が強張って、うなだれそうになる俺を、サミュエルさんは面白そうに笑うばっかりだ。ストレートジャブがすがすがしいけど、かなり痛い。
俺の横では、「ほら、やっぱり」 って言わんばかりに、冷ややかに俺を見上げているラズの視線まで、ぐさぐさ刺さっている気がしてならない。
え、なにこれ。なんで俺、ここで四面楚歌みたいに晒されてるの?
「あーあ。おにーさんみたいな、頭の中きらきらしてるお人よし見ると、なんか腹立つわー。ちょっと泥水啜ってみない?」
そして、さらっと黒い笑顔でなんか言われた!
「ちょ、勘弁してくださいよ……!」
「あっはは! 冗談だって。そんな青い顏しなさんな。おにーさんの飛竜はちゃんと、裏の竜部屋にいるって」
反射で飛び上がりそうになった結果、円卓の天板で膝をぶつけた俺に、サミュエルさんはどっと笑い転げた。
でも、さっきの笑顔が怖い。今でこそは、くつくつと腹を抱えるけれど、泥水云々の時にこっちを見据えた目が真剣だった。おっかない。
「くっ、ふふ! ああ、面白いなあ! おにーさん。ま、何にしても、部外者は部外者面して、知らん顔してるのが一番賢いって事だねー」
「それは、解っているんですけどね……」
からかわれた事も大真面目な注意も、改めて言われなくても、頭ではもちろんよく解っている。解ってはいるのだけど…………。
よもや初対面のヒトに、ここまで笑われないといけないのかと面白くなくて、つい不貞腐れてしまった。
カップを両手で握り、お茶の水面に溜め息をこぼした俺の姿を、サミュエルさんはやはり、じっと見つめている。
「あー……」
困ったというか、面倒くさそうに頭をかいた姿は、何を思ったのだろう。
「おにーさん、痛い目みないと解らない上に、全部状況が見えてからでないと、何がより良い判断か解らないクチか……」
サミュエルさんは初めて揶揄うような表情を消すと、やれやれと深く溜め息をこぼしていた。ぎくりと身が竦んだのは、気のせいじゃない。
ちらりと円卓の向こう側を伺うと、ものすごく可哀想なものでも見る目をされた。
やめて、その顔! 居たたまれないから!
「ま、しょーじき言って、おにーさんが聞いたところで、何の役にも立たない話だけどね。折角だから、聞いて後悔するといいと思うよ。どーせ、エニスがもう巻き込んでいるんだ。自分がどんな目に遭っているか、知っておいた方がいいでしょ?」
心底残念そうな表情のまま、割りと言葉選びが酷いサミュエルさんは、椅子に胡座をかいた。俺の返答はこの際無視のようだ。
拒否権なさ過ぎてつらいっす。
「他の街の事はシラねーけどさ、この街は色んな生き物を食いつぶして成り立っている訳よ」
「食いつぶす、ですか?」
もうこの際だ。開き直って、聞けるだけの情報聞いてしまえ。
「そそ。この街はさ、飛竜だろうがなんだろうが、使える生き物は何だって使役して、ヒトの生活を豊かにしてきた街なんだよ」
「え? でもそれは、どこの街だって同じなのでは?」
「んーにゃ。多分、おにーさんが思ってるのとは違うのよ」
唇をへの字に歪ませた姿に、俺も自然と黙った。
「飛竜もさ、この街に住む奴らにとっての認識は、機動力と力のある乗り物くらいにしか思われていないんよ。家畜の扱いはもっと酷くて、好き勝手に改良を繰り返ししているしね」
遠くを睨み付けている姿は、多分、街のほうを睨んでいるんだろう。自然にあるものを好き勝手にしやがって、っていう、怒りみたいなものを感じた。
でも、ただ、俺はあんまりそれが『よくないこと』って思えなかった。家畜も作物も、より健康で、より収穫量が得られるように改良するなんてよくある話だ。創意工夫しなければ、ふとした瞬間に食べ物がなくなってしまう訳だしな。
俺の記憶の彼方にある、村暮らしの時もそれならやっていた。……まあ、効果があったかどうかは微妙だけど。
多分、賛同しかねているのが顔に出ていたんだと思う。サミュエルさんには、苦笑された。
「あんまさ、これ言うと怒られるから言いたかないけどね、この街はさ、街のヒトが穏やかに暮らすためなら、ヒトだって使うんだよ」
「ヒトを、使う……ですか?」
「そそ。例えばエニスだけどね。あいつ、黒騎士なんだわ」
「ん? あ、はい」
黒騎士? そういえば、エニスさんの鎧黒かったな。だから黒騎士って事かな。
そういやさっき白騎士だの竜騎士だのって言っていたから、多分、隊の種類が違うんだろう。
「例えば街の花形である白騎士団、普段から街のヒトたちと交流したり、警備したりして、街のヒトたちの生活に安心を与えている。俺ら竜騎士は逆に、街のヒトとはほとんど縁がなくて、むしろ近隣の街に出向いたりして外とのつながりを結ぶ」
「はい」
白騎士は街中でパトロールするお巡りさんで、サミュエルさんは竜の力を使って近郊の街で窃盗していたから、竜騎士の副団長に取っちめられたんですね、解ります。……なんて軽口、挟める雰囲気じゃない。
「黒騎士は、執行部隊。帝都の中心である城の為にあって、城に害なるものは、街に住むヒトであろうとも、容赦なく斬って捨てる非情の集団なのさ」
「え……?」
「だからね、例えば街で子供がパンを盗んだら、聡して子供を保護するのが白騎士で、斬って店の利益を守るのが黒騎士って言えば、おにーさんには解りやすいかな? 実際、白騎士と黒騎士が剣を交えるなんて話はよくあるし」
「そんな、事を……?」
勿論、黒騎士が積極的に血生臭くある事で、白騎士を街のヒトたちの安心に仕立てているって事はあるんだと思う。でも……。
でも、あのエニスさんに限って、非情……? 確かに忠犬っぽい感じするし、お城の為なら――――っていうか、アルマさんの為なら割となんでもするって事は既に経験している。
「でも、心当たりは十分あるでしょ? 特に、ここまで来る破目になった、おにーさん達はさ」
全くもってその通りなのだけど、『非情』と『エニスさん』が上手く同席してくれなくて困る。
サミュエルさんの言った言葉は解ったけど、解らない。
余りにも衝撃的過ぎて、俺は思わず言葉を失った。その様子に、サミュエルさんはただ、仕方がなさそうに肩を竦めていた。
その時だ。
話が一区切りするのをまるで待っていたかのように、裏口の扉は控えめにノックされた。




