穏やかなひと時は続かない .3 **
姿を現したのは、エニスさんと同じに見える形の、胸当て肘当てなどを身に着けているヒューマンの男性だった。
軽装備故に、その体格の逞しさが際立っていて、ラグビー選手みたいだと感じた。軽装の防具よりも筋肉の鎧の方が強そうだ。刈り込んだ赤毛と浅く日焼けた肌が、厳つさを増していて少し近寄りがたい。
「え……あ、アレイスター殿?! どうして貴殿がここに?!」
きっと、彼女の上官か何かだろう。そんなところに辺りを付けていれば、驚きのあまりに尻餅までついていたエニスさんは、即座に立ち上がると騎士の礼を取っていた。
「エニス・レイバール、ただ今帰還いたしました! それで……」
「帰還いたしたじゃないだろう! この馬鹿者! お前リリア様をお守りしていたんじゃないのか!」
口を開いた彼女に、再び言葉での鉄拳を落とす。雷親父さながらだ。こっちの身まで縮んでくる。
案の定、びびったらしいエニスさんは肩を縮こまらせていた。
「いえ、その……昨日……」
「言い訳は見苦しいぞ、状況だけ教えてやる。ここにいつものように跳んで現れたリリア様を、本来お前がお連れするか、お出迎えしなければいけないところだというのは、理解しているのだろうな?」
じろりと髪と同じ色の瞳に睨まれて、エニスさんが解りやすくまた身をすくませる。
「も、もちろんですよ! ですが……」
「口を謹んで聞かないか、レイバール女史。お前はあいっ変わらず話が聞けないな?」
「っ……失礼いたしました」
しょんぼりといつぞや見かけたように肩を落としている姿に、雷親父だった厳つい表情も呆れた様子に溜め息を零す。
「リリア様は殿下が遣わした者たちに迎えられていた。つつがなく城に入られた様だから安心しろ」
雷親父の上官さんは、安心させるために教えてくれたのだろうが、エニスさんは「ええ?!」 なんて声を上げていた。
「既にお城に入られてしまったのですか?! ならすぐに……!」
「おい、聞けこの脳足りん。お前今、このあたりうろついて城の者に見つかってみろ。確実に任務放棄で牢屋に入れられるぞ」
「ええ?! 私が? 何故ですか?! 任務を放棄した覚えなんてありません!」
驚きのあまりに詰め寄るエニスさんを、迷惑そうに身を反らして見下ろしている姿がなんだかおかしい。
「……まあ、お前に限ってそれはない事は知っている。けど、状況が悪い。……城に宣戦布告の声明が届いた。街にはまだ知らせていないから、城の奴らは街に不安を感じさせずに型をつけるつもりなのだろう」
「っ……私が不穏分子って疑われているのですか?」
「我々は誰もそんな事思っていない。黙っていれば欠点のない、末姫様の優秀な護衛だ。だが、周りは少しでもいつもと違う動きがあれば疑いの目を向けてくる。そういうもんだ」
「そんな……」
きっぱりと言い切られて、あまりにショックなのだろう。
いやそもそも『黙っていれば』って、なかなかの暴言じゃないだろうか。このヒトが『アルマさん一筋』の『優秀な馬鹿』だって、言っているようなものじゃないか。
……俺も否定しない。
がっくりとうなだれている姿を見ても、もう同情しようとは思わなかった。ああ、断じて。
「……リリアンナ様に、少しでもお目通しさせて頂く事も出来ないのですか……」
「お前の事だから何を聞きたいのか大体想像つくが、それ以前に、街に入るのも止しておいた方がいいだろうな」
「ええ?!」
「当然だ。お前今自分が、王族警護の重責を放棄してここにいるって事、理解しているのか? きっとリリア様が何かの考えでお前を置いていった結果なのだろうから、ここは大人しく置いて行かれた街に戻っておけ」
淡々と状況を並べられて、おお、と感心してしまったのは仕方ない。状況とエニスさんの行動パターンから、ここまで理解してくれるものなんだなあ、なんて。
でも困ったな。
エニスさんが不名誉にも、帝都に入れないと言うのであれば、さ。ここまでいらない話を聞かされた分の金銭的な請求を、俺は一体どこにしたらいいと言うのだろうか。
あ。それと運送費。
どっちがおまけか解らなくなっている所がミソだ。笑える。
『あ、今の場所に戻って! え? 通りすぎたのはそっちのくせに、お金取るの?』って言われるタクシー運転手の気持ちが、今なんとなく解った。
ぼんやりと空を見上げると、綿菓子みたいな雲がぷかぷか浮いていて美味しそうだ。ついでに、ぽかぽか陽気に吊られて眠い。
――――だけど、うん。
俺の現実逃避も空しく、それで終わる訳がなかった。
「……いいえ。それは出来ません、アレイスター殿」
うつむいていたエニスさんは、決意を固めたように顔を上げると、真っすぐにまた雷親父を見据えていた。
「私はまず、ここまで運んでくれた彼らに謝礼をせねばなりませんので、これから自宅に戻ります。それから、まだ護衛の任務の途中ですので城に行きます」
「お前なあ! ヒトの話、聞いていたか?」
「聞いていました。聞いていましたが、聞きかねます」
エニスさんの答えに抗議の声が上がっているが、知った事はないと続けて話される。
「ディオ殿。申し訳ないのですが、ディオ殿たちはこちらでお待ち頂いていいですか? 我が家は街でも外れにありますので、すぐ戻って参りますので……」
「え? ええと……」
本当はすぐにでもお城に行きたいのですがね、と。呟かれて、この短時間で知った、エニスさんの残念美人の忠犬っぷりに、つい苦笑させられた。
一気に捲し立てられて、かなり戸惑う。
ラズを伺えば、納得はしていなさそうだった。でも仕方がないかと言わんばかりにエンマの背中から降りた。ならばもう、聞くまでもない。
「はい、良いですよ。……ただ、街に戻る事でエニスさんが牢屋入りって事だけは、なって欲しくないんですけど……」
「ありがとうございます! 大丈夫、そんなこと意地でもしませんから! どうしてもそうなりそうな時は、お金だけでも届けますからご安心ください!」
「いや……それもちょっと……」
「レイバール女史……」
嬉しそうにエニスさんが笑ってくれたのは別にいい。だけど、その後ろで俺と同じように心底呆れた様子で『アレイスターさん』が溜め息をついて空を仰いでいたのを、俺はしっかりと見てしまった。
いや、ねえ? 金だけは届けるからって、前向きなのか後ろ向きなのか……強いて言うなら後ろ向きにポジティブなエニスさんが残念でならない。
「何が起こっても知らないからな」
「大丈夫ですよ、アレイスター殿! このエニス・レイバール。誓って牢屋に入るようなヘマはせず、誤解をきちんと解いてまいります!」
「………………心配しているのはそっちじゃねえ」
俺もそう思う。
苦労性のアレイスターさんは同志だな、なんて。暢気にも思った。伝わらないって辛いよな。凄く解る。
困っている俺らの事なんて知った事じゃないエニスさんは、ニコニコしながら首を傾げた。もう用がないなら行ってきますね、なんて言っているエニスさんの腕を、アレイスターさんは頭が痛そうにしながらも、まだしっかりと捕まえていた。
うん、離したら走り去るって事がよく解っているのだろう。溜め息をこぼした彼の気持ちは、本当によく解る。
その時だ。部屋の奥から眠たそうな声が上がった。
「ちょ、アレイスター……。声でっかいんだけど……ふぁわ」
朱色の髪をライオン張りに爆発させ、よれよれのシャツとズボン姿のヒューマンの男は、あくびを隠そうともせずに目をこすっていた。ぼりぼりと傍目を気にせず腹をかく様はおっさん臭いけど、多分年は俺よりも少し年上くらいだろうか。
頭一つくらい高い姿は細身だけれども、彼もきっと騎士なのだろう。シャツから腕はしっかりと筋肉がついている。
……くそっ。細マッチョ滅びろ。
アレイスターさんは、苦笑してその姿を振り返った。
「ああ、わりいな。サミュエル」
「そう思うなら気ぃ使ってよ」
くあっとまた欠伸をする様子は、陽だまりでまどろむライオンみたいだ。立派なたてがみのせいでそう見えた訳じゃない。一応。
そして、気味が悪く思った。エニスさんが、彼を凝視したまま静かになったせいだ。嵐の前触れか何かだろうか。
予感はすぐに確信になる。
「さ……」
「あれ、エニス? 君なんでここに?」
「サミュエル殿っ! 戻っていたのですね!」
サミュエルさん? がきょとんとしてその姿を見つけた途端、「ひゃっほーい」 って言わんばかりに色めき立ったエニスさんは、サミュエルさんに向かって嬉しそうに突進した。もちろん、アレイスターさんに腕を掴まれているから、途中でつんのめったのは言うまでもない。
……ていうか、もう、やめて。エニスさん、やめて。
俺の美人像をこれ以上壊さないで。悲しくって見ていられないよ。
「レイバール女史」
ごほんっと咳払いされて、エニスさんは漸くハッとしていた。
慌てて立ち直り、俺らを振り返る。
「紹介が遅れて申し訳ありません、ディオ殿。こちら、竜騎士団副団長のアレイスター殿と、最速の竜騎士の称号を持つサミュエル殿です」
「あ、はい……」
唐突に紹介されて、また戸惑う。それは向こうも同じ気持ちらしく、アレイスターさんはエニスさんをかなり怖い顔で見下ろしていた。
俺に怒っている訳じゃないって解っていても、かなり怖い。それ以上に、エニスさんが意に介していないせいで、余計にひやひやする。
「ええと、ディオと、弟のラズです。エニスさんをこちらまで運んで欲しいと頼まれました」
遅る遅る挨拶すると、アレイスターさんは怒気を緩めてくれた。
「ああ、うちの関係者が迷惑かけたな」
「いえ。ヒトを運ぶのが俺らの仕事ですから。……一応」
最後に余計な一言がついてしまったのは、もう大目に見てもらうしかない。俺は今、帰りたくて仕方ないのだから。
アレイスターさんの隣では、サミュエルさんがものすっごく苦い顔をしていた。
「エニス、毎度肩書きまで言うの、やめてくんない? 恥ずかしいから」
どうしたんだろうと思っていたら、肩書き暴露への苦情らしい。
対して、エニスさんは解りやすく憤慨した。
「何を言うんですか! 名誉ある名前じゃないですか!」
「そりゃね、『双頭』なんて称号持ってるあんたにしてみれば、肩書はみんな名誉あるように見えるんだろうけどさあ…………あー、まあ、もういいや。めんどくせぇ」
説得しようとする時間が不毛だと言わんばかりに頭をかきむしると、サミュエルさんはまた大あくびをして踵を返した。
「あ、ちょっとサミュエル殿! 逃げるのですかっ」
「そー。俺戦闘職じゃないから逃げる。というかエニス、さっさとお金払ってあげなよ」
サミュエルさんに指摘されて、エニスさんがあからさまにハッとしていたのは見なかった事にしよう。このヒト、この短時間の間に色々忘れすぎじゃないだろうか……?
不安が一気に増した俺らに、サミュエルさんは手招きした。
「おにーさん達おいでよ。お茶くらい出してやるからさ、そこのお転婆戻ってくるまでゆっくりしな」
……あーあ。お転婆って言っちゃったよ。
そして、咎めるように、アレイスターさんはその名を呼んだ。
「サミュエル」
「いーじゃん。どうせ、引き留めるだけ無駄だよアレイスター。だって、エニスだよ?」
ひょいっと肩を竦めた姿は、最強の一言でアレイスターさんを黙らせた。みるみる恐ろしい表情を浮かべたアレイスターさんを脇目に捉えながら、俺は丁寧にお礼を言った。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きますね」
心境的には、『まあいいや。どうにでもなれ』 だ。
アレイスターさんも頷いてくれたし、エニスさんは「彼らをよろしくお願いします」 って頭下げてくれているし、待っていて悪いようにはされないだろう。
俺が彼らの提案を受け入れた事で、エニスさんも心配事が減ったのだろう。
「ではディオ殿、ラズ殿。ご迷惑お掛けしましたが、一度私は失礼致しますね」
「いえ、エニスさんこそ気をつけてください」
「お心遣い感謝致します」
エニスさんは清々しい笑顔を引き締め、改まった様子で俺らに胸に拳を当てる騎士の礼をした。そして、溜め息を未だにこぼしながらも、漸くその手を離したアレイスターさんにも、深く頭を下げた。
「ああ。くれぐれも気をつけて行ってこい。俺らのところも、隊長が召集かけられているんだからな」
「はい。理解しております。それでは」
そうしているところだけを見れば、非の打ち所のない立派な騎士様に見えるんだけどなぁ。
きびきびとした様子で去っていく背中が、本当に残念でならなかった。




