花の飴とラプソディスト .5 *
さわさわと、水のせせらぎのような鈴の音が鳴り響く。風がその歌を喜んだかのように、あるいは拒むように、強く建物の中を吹き抜けていった。
歌われるのは、口伝によって引き継がれてきた古の記憶。晴天の向こうにいる筈の先祖へと希う。
隣に立つ兄の、酷く懐かしいものでも見るような表情が、あまりにも知らないヒトのように見えてしまう。
「兄ちゃん」
それが面白くなくて、呼びかけた。だが、気が付いてもらえなくて、強く腕を引き再び呼ぶ。
「……あ。どうした、ラズ?」
「僕あれ、嫌い。つまんなーい」
不貞腐れた言葉しか出て来なかったのは、この場所以外のどこかに思い馳せているような姿がとにかく気に入らなかったせいだ。首を傾げられてしまい、また歌に気を取られている様子が腹立たしい。
いつだって周りに警戒した事のないその脇腹を殴りつけると、涙目が困ったように見返してきた。
「僕その辺で遊んでくるから、兄ちゃんここで聞いてていいよ」
「……ええ?」
怪訝そうな表情はほんのわずかな間だった。
「解った。あんま遠くに行くなよ?」
「うん」
こちらをひとりにするのは不安だが、どうしても引き留めたいかと言われるとそうでもない表情だった。今すぐ立ち去るには少々惜しいと思っているが故にだろう。
「もう少しここにいるけど、俺がここに居なかったら先に戻っていていいからな?」
そんな声に送られながら、ラズは丘を駆け下りた。
草花の香りがする青い風が吹き抜けていく。そこに微かに混ざている、甘ったるく感じる臭いが嫌で、眉を潜める。道行くヒトの姿も、路肩の階段に腰掛けてリュートを奏で詩吟する詩人も気に食わなかった。
イライラの原因でもあるその臭いを誤魔化そうとして、手にしていた花飴の花弁を引きちぎって口に放り込む。砂糖と花の蜜の甘さがふわりと口の中に広がり、お陰でどうにか溜飲も下った。
「兄ちゃんのばーか」
誰かに聞かせる訳でもなく呟いてみたら、無意識の内に頬を膨らませていた。
「ばーかばーか! ばかばかつまんない!」
気がつけば丘をすっかり下り、向こうに見えた先程の建物を睨む。
だがそれも長く続かないで、肩を落としていた。
ここでふて腐れていても、どうせ気がついてもらえる訳でもない。そんな遣る瀬無さに脱力したせいだ。
「あらあら? 大切な人にそんな言い方ばっかりしてたら、嫌われてしまうよ?」
唄うように告げられて、その姿を振り返る。
女性なのか男性なのか。声だけでは判断がつかなかった。
リュートを抱える姿は、先程から聞こえていた詩吟の主だと理解した。オーキッドグレイのウェーブのかかった豊かな髪は癖のままに下し、ちらりと尖がった耳と浅く日焼けた肌がダークエルフの血を引いているの者なのだと教えてくれる。目にかかった前髪の下で、興味津々なまなざしが面白そうに笑っていた。
「うるさいな。そっちに関係のない事でしょ」
「もちろんその通り。でもね、私の目の前で拗ねた子供がいるならば、笑顔にするのが私の宿命なのだよ」
膝を組んでリュートを抱える姿は、何かを決めたように手を打った。
「そうだ少年、その様子ならばどうせ時間はあるのでしょう? 少し私に付き合ってくれよ」
「なんで僕がそんな事しないといけないのさ」
「大好きな兄の気を引けるような贈り物を用意出来たら面白いって、君は思わないのかい? 私なら君の力になれるよ」
その一言は殺し文句だった。
苦い表情で睨み付けられても、彼女が笑顔を崩す事はない。さてどうする? と急かされて、悔しさを誤魔化そうとそっぽを向いた。
「……兄ちゃんを喜ばせる為なんだからね」
「あっはは、素直な子は大好きだよ。私はイリステラ。君は?」
リュートを背負い、立ち上がった姿はひょろりとして小柄だった。だが、いつも見上げている姿よりも頭一つ分ほど背が高い。
差し出された指の長い手を胡乱気に眺めて、それから笑顔の絶えない表情を伺って、諦めた様子で深く溜め息をついてしまう。差し出された手を、仕方なく握った。
「……僕はラズ。変な事するようだったら容赦しないからね」
「それは怖いな。私は野蛮な事は苦手なんだ」
「ウソつき」
さも可笑しいと言わんばかりに笑う姿にどうしても嫌味を言ってやりたくて、呟いた言葉にイリステラはまた笑っていた。
「さあてラズ! まずは美味いものでも紹介しようか!」
「う? えぁっ?!」
早速力強く手を引いて駆けだした姿に振り回されて、ラズは危うく転びそうになった。
いつも繋がれる手とは違う、滑らかで柔らかい相手の手の感触に戸惑いを隠せない。あるいはぐいぐいと乱雑に引っ張られる事に慣れていないせいで、追いつく事に必死だった。
店舗が並ぶ大通りから噴水の広場に出た。
広場はすでに賑わっている。不規則に噴き上げて落ちる水の音に、方々から調律の違う詩吟の声が聞こえてきた。
笑い声が上がったのは、おどけた道化が派手に転んで見せたからだ。道化を囲む子供たちは、楽しそうに手を叩く。
賑やかさに驚いたのか、感心したのか、あるいは呆れたのか。何とも形容し難い溜め息がこぼれてしまう。あまりの賑やかさに目を白黒させてきょろつくラズに、イリステラはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「おおっと、こっちだった」
「うわっ」
イリステラは人混みの中で、急に進行方向を変えた。そのまま街を貫く反対側の大通りには向かわず、その脇にある露店がひしめく細い道へと飛び込んだ。
人の通りが更に増し、簡素な天幕がずらりと並んでいた。ふっと景色が暗くなる。天幕の鮮やかな布が、ずっと向こうまで続いているせいだ。
目が慣れてしまえば、うっすらと天幕の色と同じ光が透かされている。
イリステラは露店と露店の真ん中にだけ出来た、ヒトの流れの隙間を縫うように進んでいった。
その足取りはとても慣れていて、遅れを取るラズは何度も流れに拐われそうになっていた。その度に、柔らかく引っ張られて彼女の側に連れ戻される。
一体どこまで連れていくつもりなのか。ラズがにわかに辟易しだした頃に、イリステラは足を止めた。
最初に足を止めたのは、やはり小さな露店だ。
店の前で足を止めた彼女たちを、目付きの悪い男が店の中から睨み付ける。見るものが見れば、来るところを間違えているとしか思えなかった事だろう。
客と店主の間には、クロスのかかったカウンターが一つだけ。商品は何もなく、ただ店主の座る椅子の側には何に使うのか解らない、箱状の道具がところ狭しと置かれている。
「街でよく見かける花飴もう食べているようだが、ここのはどうだろう? これほど大輪の花飴は、ここ以外では見かけられないよ。その場で作ってくれるから、味も一級品さ。なあ、店主?」
イリステラの言葉に、大柄の店主の男はにやりと笑った。
「何だ、知っているのなら面白くねぇなあ」
「そりゃね。貴方の事は有名だよ? 店主」
同じように、イリステラも笑う。
「もちろん貴方のやり方が気に入らないって相手を、その凶悪な顔で黙らせて追い返しているなんて、誓って言いふらしたりはしないとも。そうでなければ、こんな素敵なものを『私が』口に出来る機会が減ってしまうからね」
「ケッ。解ってるじゃねぇか、詩人さんよ」
店主が唇の端だけで笑った事で、その凶悪な顔が更に増す。だが会話はそれっきりだった。
店主は箱の一つから、乳白色の粘土のような塊を取り出した。椅子の片脇にあった作業台の明かりをつける。すぐに真っ赤な光を灯したらそれは、テーブルを隔てていても熱気が届いた。
店主が身体全体でその塊に体重をかけていくと、ゆっくりと形を変えていった。
ぐいぐいとその塊を引き延ばし、折り重ね、また引き延ばしていく度に、乳白色だった柔らかい塊に空気が含まれていき、やがて真っ白に変わった。そこに朱色の食紅をたらし、また丁寧に混ぜ伸ばす。
淡い桃色に変わったところで店主はこねる事を止めて、小さくちぎっては丁寧に丸めていった。丸めた欠片を、今度は一つづつ潰し、潰したものを丁寧に貼り合わせていく。一つ、二つと重ねていくと、まだ開いてない花のつぼみが店主の手元で出来上がった。
「わ……」
気が付くと、店主の手さばきに見惚れていたラズは、店主がその場で丸めてくれた暖かいものを口に押し込められた事で、漸く口が空いていた事に気が付く。
「飴だっ」
思わず声が弾んでいた。からころと美味しそうに舌の上で転がすその反応に、店主は満足そうにまた作業に戻る。
「ほら、美味いだろ?」
だが同時に、ラズは隣がにやにやとして見下ろしている事に気が付いてしまい、慌ててそっぽを向いた。
美味いと思う事は確かだと言うのに、イリステラの言葉通りに肯定するのはとても悔しい。そうやって意地を張っている間に、淡い桃色の大輪は持ち手のついた袋に入れられた。
「おらよ、リリーベの花飴だ。追加はいるか?」
「いいや、一つで十分だよ。ありがとう、店主」
銀貨を手渡し、イリステラはそのままラズの手に握らせる。
「え?」
ラズが驚いたのは言うまでもない。どうしてと尋ねたくて見上げたら、秘密でも共有しようと言わんばかりにウインクした。
「私から兄思いの弟に。ささやかだけど、受け取ってくれるかな?」
「……ありがとう」
こればかりは、お礼を言わない訳にはいかなかった。
囁くようにラズが告げると、それだけで十分だよとまた笑う。
「さ! 次だ!」
また腕を取ったイリステラは、こっちだと人混みを抜けた。
色とりどりの反物を扱う行商人。
マチイールの実を割って作られた飾り物の小さな露店。
小道に沿ってずらりと並べられた風車は、潮風を受けてくるくるとよく回る。
威勢の良い声でふたりを引き留めた大道芸師は、ラズの握らせた手の中に、一瞬で鳥を生んだ。歓声が沸く。
やがて、散々街を歩いた二人はたくさんの人々が集まる広場に出た。あちらこちらから楽器を奏でる音や歌声が聞こえてくる中、広場の中央を陣取る者が目に留まる。
引きならすキタラの音は少しばかり荒く、聞くものによっては情熱的だと口にする。少し調律のずれた詩吟は独特な調べを生んでいた。
だが。「あれは見ていられないな」 と、前方を行っていた姿が低くつぶやいた。そして。
「やい、ヘッタクソ! そのレベルで金を取ろうなんてセコイ事やめろ!」
弾き鳴らされていたキタラが静まる。それまで穏やかだった人混みが、途端ざわめいた。
周りが広く感じたのは、皆が彼らから距離を取ったせいだ。
喜々として野次を飛ばすイリステラにぎょっとして、ラズはその表情を見上げた。
だが、彼女は何を勘違いしたのだろう。見上げたラズが、彼女の歌を期待したと思ったのか、おもむろに背中のリュートを前に回す。
「ここは実力主義の場所には違いないが、いささか弾き手が雑過ぎだろう?」
「なんだと?!」
ざんっと彼女が弦をかき鳴らした途端、周りの空気も変わった。たったそれだけで、同業者の観客を取り上げてしまった。
周囲の野次馬たちは、滅多にない唄の応酬に興奮したように囃し立て始める。それまで感心すらなく道を行っていた人々までも、何が始まるのかとざわめいた。
ただ、野次を飛ばされた男だけは怒りに身を震わせた。
ざりっと、踵の下で石畳の砂利をすりつぶしながら相手がこちらに向かってきたことで、イリステラもハッとした。身の危険をいち早く察したのだろう。
「おっと、これはいけない。それではへたくそ! 精進すると良い!」
脱兎のごとくとはよく言ったものだ。
イリステラはリュートをくるりと背中に回すと、ひとりで人混みに紛れようとしていた腕を的確に捉えた。そのまま彼らを取り囲んでいた人垣の中へと飛び込み、駆ける。
「うわ?!」
「さ! 逃げるぞ、ラズ!」
「えっ?」
ラズは当然、自分には関係のない事だと思っていた。勘違いしたのも、喧嘩を売ったのもイリステラの方であって、ラズ自身は引きずり倒されているだけの存在なのだから、と。
しかし、相手の認識はそうではない。殺意とまでは行かずとも、へたくそ呼ばわりした者への恨みと、客を一息に持って行かれた嫉妬は大きいようだった。
現に、人混みの向こうからは戻って来いと怒鳴る声がする。
「やれやれ、己の実力を知ろうとせずに喚き散らすとは、なんとカッコ悪い事か。そうは思わないかい?」
急ぎ足で人混みを行くイリステラは、情けないと言わんばかりに肩を竦めて後続に尋ねた。人混みを避けるように、脇道に入った途端に人気が薄れ、ざわめきも光源も遠退く。薄暗い路地だ。
イリステラは、あまりにも己のした事を棚に上げて言ってのける。それが本心からの言葉なのだと気が付いてしまった時には、流石のラズも呆れた。
「……実力を知った上で意地悪するのはもっとどうかと思うけど?」
「ははは! はて、何の事だろう?」
わざとらしくシラを切る。だが、こちらは心当たりがあるようで、それ以上の同意を求めてくる質問はなかった。
お互いそこで、会話は途切れた。
沈黙が気まずいと思ったのは、イリステラに振り回されてから初めての事かもしれない。
「ねえ」
「ん? なんだい?」
だからだろうか。気が付くと尋ねていた。
人通りが多いところは煩わしく感じるが、全くいないと心細さを感じてしまった。
「もう、いいかな。兄ちゃんへの御土産は、十分だしさ」
故に、それを誤魔化そうとして、本来の目的だったものを引っ張り出す。
その問いかけに、イリステラはこちらを振り返る事はなかった。
「ああ、そうだったね。でももう一か所だけ、私に付き合ってくれないかな」
「ええ? ……そろそろ日も暮れるし、宿戻らないと兄ちゃんが心配するんだけど」
「ああ、解っているとも。でも本当に直ぐ済むから、ついてきてくれるかな?」
連れまわされて疲れ切っていたラズにとって、その質問に答えてやれる元気はなかった。「まあ……」 と、やっとの思いで返ってきた声に、イリステラは今度こそ振り返ってにっこりと笑う。
「連れ回して悪かったね。ここが最後だ」
坂道になっている細い路地を抜けた途端、前を進む背中に遮られていた西日がきらりと目を刺した。その眩しさに息を呑んでいたら、ラズの反応が嬉しいと言わんばかりに隣もくすりと笑っていた。
「私が知っている、この街のとっておきの場所さ」
景色は途端に開けていた。
いつの間に登っていたというのだろうか。欄干の向こう側には、先程逃げた中央の広場を見下ろしていた。人の流れがゆっくりと流れ、沈み行く夕日に照らし出された朱色に輝く噴水が、光の舞台になっていた。
その舞台では、昼間に出会った気に食わない少女が深くお辞儀をしていた。夕暮れ時、歌祭りが幕を開ける。
「あっ……」
そして眼下の広場の入り口から、まるでこのタイミングを待っていたかのように、こちらを見上げている姿に気が付いた。
「おーい、ラズ! そんなとこに居たのか! 探したぞ!」
「兄ちゃん!」
脇にある階段を上がって来た姿を迎えると同時に、今までの事をどう説明したものかと迷う。
「あ。えっと、あのね、こっちの……」
探させていたのかと、申し訳ない気持ちになると同時に、まずは隣を紹介しようと思って振り返る。
だが、そこはもぬけの殻だった。
「あれ……?」
きょろきょろと、元来た道も先も探しても、散々自分を振り回した姿はない。夕日が水平線の向こうに消えていくように、彼女もまた、姿を消したようだった。
「ったく、心配かけやがって」
「あ」
頭に乗せられた手に、一瞬肩が跳ねる。
「ええと、ごめんなさい」
項垂れて肩を落としたら、がしがしとそのまま撫でられて驚いた。恐る恐る見上げた表情は、叱りつけるというよりも、仕方がないと言いたそうに苦笑する。
「いいって。俺も何だかんだ言って長居していたからさ。それよりも、楽しかったか?」
「……うん」
楽しかったか、と訪ねられて、先程まで自分をめちゃくちゃに振り回していた存在の事を思い出す。
「あのねっ、さっき……!」
「うん?」
せめて報告くらいしたい。そう思った時だった。
ラズの様子に首を傾げた姿の向こう、人混みの中で、口元に人差し指を立てた詩人の姿を見かけた気がした。しかしそれも、まばたきをした瞬間には雑踏に紛れ、行方を追う事が出来なかった。
「どうした? ラズ」
「……ううん、何でもないっ。街を探検出来て楽しかったよ! それよりこれ、すごい怖い顏して、美味しい花飴売ってるおじさんの所で見つけたんだ。兄ちゃんにあげる」
「ん? ああ。ありがとうな。あとでみんなと食べような」
「うん」
イリステラ姉さんがくれたんだ。
ぽつりと呟いた言葉は、彼には聞こえなかったようだ。一瞬、何か言ったのかという顔をしていたが、問い詰めても仕方のない事だと思ったらしい。
「ん? ……ま、いいか。帰ろう」
「うん!」
さあ戻ろうと手招かれて、今度は自分から手を握った。
少し驚いたような嬉しそうな隣に、今度こそ思いっきり笑いかけられたのだ。
メリークリスマス!
そして、
よいお歳をお過ごしください!




