第四話 How To Work #3
だいぶ遅れました!本当に申し訳ありません!
風が強く吹いていた。7月下旬の生暖かい風は、汗をかいた僕のシャツの中を通り抜けて行った。ただ、緊張のせいか、ひどく冷たく感じられた。
僕とジャックは中華街の一つのビルの前に来ていた。ジャックはここについて何も言わなかったが、言わずともわかる。ここは敵のアジト。細長い、汚らしいビルだった。
「さて、ようやくここまで来たわけだ。」
ジャックが呟くように言った。僕は生唾を飲み込んだ。
「準備はいいか?」
僕は小さく頷いた。あまりの緊張でそのまま心臓が止まりそうだった。
ジャックが中に入っていった。僕は右手に持ったグロックを握りしめ、ジャックの後に続いた。
中は予想通り汚かった。入り口に三人たむろしていて、僕たちが入って来たのに気付いた。
「誰だてめぇら!」
三人がそれぞれ銃のスライドを引いた。その瞬間にジャックは三人に銃弾を撃ち込んだ。
「神刑執行人だよ。」
僕は言った。ジャックは何も言わなかった。ただ舌打ちをした。
ジャックが階段にさしかかった時、一人がゆっくりと起き上がった。僕はそれに気付き、銃弾をもう一発背中に撃ち込んだ。男は何も言わず、そのまま又うつ伏せに倒れた。
二階は意外に時間がかかった。何故かと言うと、全員がショットガンだのサブマシンガンだの、(こう言っては何だが)腕が追いついていないのに装備だけは良かったからだ。おかしいと思った僕とジャックが部屋の中を調べていると、開けっ放しの金庫が見つかった。そこには案の定、ショットガンやサブマシンガン、ライフルがあった。僕とジャックはニヤリと笑った。さながら、イタズラの準備ができた子供のように。
「最高にラッキーだな。ランボーが見たら飛びつくだろうぜ。」
「いや、弓矢でランボーは十分でしょ。」
「そりゃそうか。ま、俺たちはランボーじゃないがな。」
三階に上がると、僕と同じくらいの少年が長いコートを着て立っていた。髪はボサボサで、顔立ちは、正直お世辞にも整っているとは言えなかった。そして何よりやせ細っていて、見ているこっちの気分が悪くなるほどだった。
こいつが、「青龍」か。
「人は居場所を求める。そして、その居場所に必死にしがみつづける。そこが本当の居場所でなくても。悲しいことに。」
青龍が独り言のように言った。何故かその言葉は僕の心に深く突き刺さった。その言葉は僕に当てはまるような気がした。
「お前が青龍か。本当にガキのようだな。」
「うん。」
青龍が頷くと同時にコートの中からナイフを取り出し、二本構えた。その時ちらりと、コートの中に夥しい数のナイフが見えた。それが見えた時、僕はナイフに釘付けになってしまい、そのせいか青龍がナイフを投げた事に気がつかなかった。
ナイフが空を切る音が聞こえ、後ろの壁の方で大きく、ゴッ、という音が聞こえた。僕の右の頬から血が垂れてきた。
「…今戻るなら見逃してやる。」
僕はその時寒気を覚えた。バーで銃を突きつけられた時以上に。まるで、目の前に熊が現れたように。いや、この寒気は熊じゃない。正に「龍」だった。
「それはお前の判断か?それともボスの命令か?」
ジャックが訊いた。なんの為に訊いたのかはわからない。
「…命令だ。」
「なるほど。だとしたらお前のボスは相当な役立たずだ。」
ジャックは銃を抜いた。
俺はさっき「お前のボスは役立たずだ。」と言った。相手を見定めもせずにそれを言うとは、判断力のない証拠だ。いや、ただの馬鹿だ。そうしていると、玄人の狩人が来たとき、ただ兵を失うだけだ。成金とかに有りがちな馬鹿だ。
…もしかしたら、狩人を返り討ちにする熊、いや龍がいるからかも知れないが。だとしても、俺が勝つ。
銃を構えた時、青龍はナイフを投げた。かなり正確に俺の額を狙ってきた。俺はとっさに顔を左に傾けてナイフを避け、冷や汗をかきながら引き金を複数回引いた。
勿論当たる訳がない。ここで当たるなら青龍はとっくに死んでいる。青龍は左側に回り込み、ナイフを構え直そうとした。しかし、コートの中に手を入れる、ナイフを取り出す、ナイフを構える、投げる。いくら修練を積んでもこの四動作には時間が多少かかる。俺はその間に青龍との間を詰め、銃口を突きつけようとした。
が、その時青龍はコートに入れていた右手を出し、振った。瞬間、俺は反射的に後ろに飛び退いた。青龍の右手を見ると、ナイフが握られていた。
危なかった…。なるほど、近づかれた時は元々のナイフの使い方になるわけか。それにこいつ、闘い慣れしてやがる。
青龍がナイフを構え直す。俺も銃を構える。だがさっきも言ったように、ナイフを構え、投げるには時間がかかる。一方、俺は引き金を引くだけ。どちらが早いかは明白だった。
銃口から龍が火を吹き出した。弾は青龍の腹に入り、ナイフが青龍より少し前に落ちた。投げきれなかったのか、落としたのかはわからない。青龍は腹を抱えて崩れ落ちた。
「終わりだ。」
ジャックは言った。その通りだった。青龍はうつぶせに床に倒れこみ、立ち上がる気力すら無いようだった。蝉の抜け殻のように、いや、脱皮した龍の抜け殻のように、そこに龍はもういなかった。
そして微かに、すすり泣くような声が聞こえ、何かを呟いていた。僕は青龍のそばまで駆け寄ると、青龍の言葉に耳を傾けた。その声はか細く、小さく、それでいて深い悲しみが宿っていた。…僕も、父に殴られた時は、こんな風に泣いていた。泣きじゃくろうとしても、傷が痛むのか痛々しい嗚咽を漏らしていた。僕は青龍の泣く姿を見ただけで、この子は僕と同じように虐げられてきたのだろうと思った。
「いつも…僕は…誰も…僕を…もう嫌だ…」
所々声がかすれ、何を言っているかわからなかった。けど、言いたいことは充分に理解できた。僕も一緒に泣いていた。そしてせめて今だけでも気分を楽にしてやろうと、慰めの言葉をかけようとしたその時、一発の銃声が響いた。青龍の頭から血が飛び出した。僕の顔にも血が飛び散ってきた。僕は何が起こったのか理解できず、目を見開いたまま、そのまま動けずにいた。
「行くぞ。」
ジャックの声が聞こえた。僕はジャックを見た。手には硝煙を出している銃があった。僕はその時やっと、何が起こったのかを理解した。
「ジャック…なんで…」
ジャックは何も言わなかった。
僕は納得がいかず、立ち上がった。
「どうして…!どうして…!この子は…そんな…!」
僕は涙を流しながら言った。その涙は、さっきの涙の続きか、別の涙なのか。
ジャックは僕を見て、遠い目をしながら言った。
「そんな、何だ?そんな仕打ちは酷すぎる、か?」
「そうだよ!」
僕はジャックに掴みかかった。ジャックは僕から目を逸らし、また僕を見て言った。
「言っただろう、ジュン。正義じゃねえ、仕事だ。こいつは俺たちの仕事の邪魔だ。だから殺した。」
僕は、納得がいかなかった。いくらなんでも殺す事は無い。邪魔だとしても、動けなくするぐらいでよかったはずだ。頭に銃弾を撃ち込む必要はなかったはずだ。
「ジュン。お前がこいつに同情するのはお前の勝手だ。だがな、まだ仕事は終わってない。弔いだのなんだのは仕事の後だ。」
ジャックはそれだけ言って先に階段へと向かった。部屋には僕と動かなくなった青龍がいるだけだった。僕は、驚いたように見開いている青龍の目をそっと閉ざした。まだ少し体は温かかった。その弱弱しい温度から、青龍…いや、彼の悲しい人生が感じられた。ふと手を見ると、まだナイフを握っていた。しかも力強く。
その時ふと思った。もしかしたら、この這いずりまわるような人生の中で、ナイフが彼の心の拠り所だったのかもしれない。そして理由はなんにせよ、戦う事が彼の、自分の存在理由だったのかもしれない。
『人は居場所を求める。そして、その居場所に必死にしがみつづける。そこが本当の居場所でなくても。悲しいことに。』
彼の言葉を思い出した。彼は、ただ居場所が欲しかったのかもしれない。自分を必要としてくれる場所が。
僕はまた涙を流した。そして、「ごめん。」と呟いた。
俺は踊り場で煙草を出した。あと二本か。また買わなきゃな、と思い、少しイライラした。
そんな仕打ちは酷すぎる、か。
俺はな、ジュン。ああいう奴らに必要なのは、慰めでも同情でもなく、勲章だと思っているんだ。こんなくだらない最低な世の中で、最後まで戦い抜いた、という勲章がな。俺はそれをやった。一発の弾丸に込めてな。
それにこれからこんなことは腐るようにある。まるで人がゴミを道端に捨てるようにな。それらにいちいち泣いてたんじゃ、嫌になってくる。だから慣れるしかないんだよ。
…こんな時に吸ったって不味いだけだってのに、なんで吸うんだろうな、俺は。これが俺の慣れか。
ジュンが階段を上ってくるのが見えた。あの様子だと、一応は治まったみたいだな。俺は八割がたのこした煙草を、嫌な気分と一緒に踏みつぶした。そして手に入れた武器はあのくそデブに使う事に決めた。