第一話 アンダーグラウンド
僕は路地裏のすぐそばのバーに連れて行かれた。(男曰わく、死体はまだ雨だから放っておけとのことだった。)名前は「ショップ」。珍しいと思ったが、その事は正直大きな問題でもなかったので、すぐに次の考え事に移った。これから、僕はどうなるのだろう。
バーに入ると、何かの曲がかかっていた。マスターは女性のようだ。黒髪の日本人が、グラスを拭いている。なかなか目鼻立ちが整っていて、美人だ。
「よう、キャシー。客は?」
「奥で待ってるわよ。雨のせいか、イライラしているわ。それともあなたのせいかしら?」
どうみても日本人だが、この男はあの女の人をキャシーと呼んだ。それに違和感なく答えた女の人も少し怪しい。どうにもこのバーは胡散臭いにおいしかしなかった。
「どうでもいいけど、店の中で銃撃戦はやめてね。ナイフならいいけど。」
カウンター奥の部屋に行こうとした男に、女の人は言った。
「わかってる。」
男は頭をかきながら言った。
「あら、そこにいる子供は?」
女の人が入り口に立っている僕を見て言った。しかし、顔やワイシャツに血がついているのに、全く気にすることなく僕を呼ぶなんて、よほど肝がすわっているのだろうか。
「ああ、そうだった。そいつはツレだ。服を着替えさせて、適当に奢ってやってくれ。…そういえば、お前の名前を訊いていなかったな。なんだ?」
「…神木純。」
「…カミノギ?初めて聞くな。なんて書くんだ?」
「…神様の神に木曜の木だ。」
「OK。ゴッド・ツリーか。おっと、そう言えば、俺の名を言ってなかったな。」
男は、ニカッと笑って言った。そこに怪しさは微塵も感じられなかった。
「俺はジャック・ストラント。ちょっとそこで待ってな。」
ジャックと名乗った男は、部屋に入って行った。その背中には、一般人には感じられない何かがあった。それは決して、悪い物ではない。父とは真逆のものだった。
「全く、ツケも多い癖に、ふざけた事を言うわね。大統領にでもなったのかしら?坊や、今、服を持ってくるから待っててね。…まさか、またあの服を出す時がくるなんてね。」
キャシーという女の人は、言葉の最後に何かを付け足した。聞こえなかったが。
しばらくすると、キャシーはタオルと、TシャツにGパンを持ってきてくれた。顔を拭いて着替え、コーラを飲んでいる時、話しかけてきた。
「坊やはいくつ?」
「…十五。」
「そう。…あのね、人一人殺ししたぐらいで悩む必要はないわよ。あなたぐらいの子が殺すやつなんて、ゴキブリみたいなやつだったんでしょ?」
おそらく、服や顔の血で判断したんだろう。僕が人を殺したことを。
キャシーは続けた。
「私は、このバーを長いこと経営してきたわ。ここは、いわゆる“裏”の話をするには持って来いな場所でね、色々見てきたわ。借金に追われて逃げてきた奴、裏取引をする奴、ヤクを売る奴、そして、人を殺した奴。だから、誰がどんな奴か、顔を見ればわかる。あんた、多分、身内殺したね?」
「…」
僕は黙っていた。そして俯いていた。優しい声でこんな事を言われ、しかも何かを話そうとしたら、涙が溢れてしまうからだった。
…僕は人殺しだ。
「大丈夫。あんたの人生はこれから。」
そう言った時、ジャックが入った部屋から銃声が何回か聞こえた。いきなりの轟音に僕は怯んだ。一方のキャシーは、額に手をついて溜め息をついた。
「銃はやめてって言ったじゃない…。あのバカ。」
そして、中からヤクザと思われる男が、必死に外に出てきた。顔は怯えきっている。
「なんだっけ?日本には『落とし前』とか言う言葉があるそうじゃないか。だから、給料払わない分の落とし前は取って貰わなきゃあな。Mr.鬼瓦。」
ジャックが、煙草を口にくわえながら出てきた。銃を持っている。しかも、銃口からは硝煙が出て、部屋の奥にはスーツの男二人がうつ伏せに倒れている。
「大体、今回の依頼は不満が多いんだよな。ペイの件もそうだが、支給品のワルサーはえらい古いしよ。なんでPPKなんだよ。俺はショーン・コネリーじゃねえんだぞ。」
ジャックの顔は違った。自信に満ち溢れている。俺はこいつを殺せるという自信。父がした顔だ。しかし何故か頼り強かった。その理由はわからないが。
「ゆ、許してくれぇ!は、払う!払うから殺さないでくれぇ!」
ジャックはまるで聞こえないかのように、撃鉄を引き、構えた。
「武士に二言はないんだろ?ミスター。」
引き金を引こうとしたその時、ヤクザの男は身を丸めた。そして、無駄だと知りながら、手の平をジャックの方に向けた。身を守るとき、人は必ずそうする。…僕もそうした。
だが、ジャックは銃を持った手を肩に置き、言った。
「うーん。なんかなぁ。こう、刺激に欠けるというか…。ダイ・ハードで最後に飛び降りないブルース・ウィルスって感じか…」
何を言っているかは解らなかったが、ジャックはしばらく考えると、再び銃を構えた。ヤクザの男は様子を伺っていたが、ジャックが再び銃を構えると、また防御姿勢をとった。
「新入りも居ることだし、アル・パチーノみてえに決め台詞でも決めるか。そうだな…『五秒やる。言いたい事はあるか?』」
「た、助けてくれぇ!何でもする!何でもするから助けてくれぇ!」
ヤクザはジャックの足にすがりついた。だがジャックはニヒルに笑ってこう言った。
「残念。命乞いにしてはセンスが足りない。」
ジャックは引き金を引いた。
僕は思わず目を閉じた。耳をつんざくような銃声。
僕は恐る恐る目を開けた。だが、赤色なんて、バーの照明しかなかった。
「へ?」
ヤクザは生きていた。傷一つなかった。ヤクザも僕も、驚きを隠せなかった。ジャックは空砲を撃ったのだとわかったのは、その後のことだった。
「ペイの外で殺しはしねぇよ。あそこでおねんねしてる奴も生きてる。とっとと連れ帰ってママのおっぱいでも吸ってろ。」
奥の部屋の男たちがゆっくりと立ち上がった。足を負傷しているだけのようだ。ヤクザの元まで来てゆっくりと持ち上げると、
「兄貴ィ…」
「…早く帰るぞ。親分にこいつを相談しなきゃあ…」
「おい。」
「ひっ!…な、なんだ?」
ジャックはヤクザを呼び止めた。ヤクザはこれ以上無いほどに驚いた。
「外に死体が一つある。それ持ってけ。」
「わ、わかった…」
ヤクザは、捨て台詞も言わないまま、無気力に外に出て行った。僕はただ呆然としていた。しばらくなんとも言えない沈黙があったが、それを破ったのはキャシーだった。
「あんた、これで何回目よ。死人を出さないだけまだマシだけど、補修を依頼するこっちの身にもなって欲しいわ。」
「すまねぇ。つけといてくれ。」
まるでこれが日常と言うように、二人は話していた。
僕は正直、興奮した。何故なら、良くも悪くも、ここには、僕が欲しかった、自由、いや、解放があるように思えたからだ。
ジャックをこっちを見ると、笑ってこう言った。
「どうする?殺しも盗みも日常茶飯事、おまけに表に出れなくなるという特典もついてるぜ?」
僕は迷わなかった。もう、答は出ていたから。
「…いいよ。宜しく、ジャックさん。」
「ジャックでいい。もう仕事仲間だ。」
それを聞いて、僕は顔を上げると、ニヤリと笑って、大きな声で言った。
「宜しく。ジャック。」
その時から僕は、殺し屋になった。