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しゃーないな  作者: そら
1/6

第1話  思い出

数話で終わる予定です。

リハビリ的に書いていきたいな。

私は自分で言うのも何だが、「めんどくさがりや」である。


すでに、ものごころがつく頃には、それを自覚していた。


この海に囲まれた田舎の港町に生まれ育って、最初に覚えたのは「あきらめ」だった。


母親はもっと北の方からの流れ者の女で、このいなかの町では、その時点でアウトだった。


何せこの町では、20年住み着いた家の人間でも、未だに「よそ者」でしかないような土地だった。


いかんせん、流れ者の女で、しかも荒くれ漁師目当てに、小さな飲み屋をはじめた女に、海の荒くれ男より、よりたくましく生きる女達にとって、どういう風当たりか、おってはかるべし、だ。


まして、隣町の妻子がある男の子供を産んだ時点でツーアウト。


そして、酒におぼれてアル中一歩手前である事を思えば、スリーアウト決定。


よく、この私、椎名康子が無事育ったと不思議でならない。


ほら、赤ん坊っていろいろ手間がかかるでしょ?


うん、奇跡だ。


そんな私は、いわゆる「普通」というカテゴリーから外れた自由な子供時代を過ごした。


3度の食事など、あの母が用意するわけもなく、食べられる時に食べる!寝れる時に寝る!家にいられる時にいる!そんな風に、今考えても、何にも、人にも、物にも、時間にも縛られずに生きていた。


母の店にくる客もまた、どこか人生からずれてしまった人ばかりだし、母の店にホステスなんて高尚な女なんかいなくて、母と同じように、ふらっと流れてきた女が、猫のようにいつのまにか家にいつき、夜のまにまに、漂って、また、ふらっといなくなる、そんな具合だった。


私が産まれてから、隣町の洋服屋の若旦那の父親が、手切れ金がわりに、母に建てた家は小さいものだったが、1階は飲み屋で、2階は何でもありの部屋があるのが我が家だった。


2階は、店に流れてきた女が、男をとって安いお金で抱かせていたり、漁のない期間は、急きょ、地元の暴力団のしきる賭場に早変わりしたりと、そんな風に使われていた部屋だった。


子供の私は、結構煩雑に開かれる「賭場」の時は、なるべく意識して家にいるようにしていた。


何せ、いなせなヤクザの男、確か斉藤といったが、その賭場をしきる男は、賭場客に出す食事の出前をとる時、私の分もついでに注文してくれるからだ。


「ハンバーグ」「カレーライス」・・・全てその時覚えた味だ。


ついでに、その賭場が開かれている時、よく私は、その部屋の片隅で、捨ててあった漫画などを読みながら、字は読めずにいたが、書かれている絵をみながら過ごしていた。


「花札」「ちんちろりん」・・・・いろいろそこで過ごす内、私はそれらもまたすんなり覚えてしまった。


「いかさま」すらも。


斉藤は私が「いかさま」にきづくと、そのいつもきつく強いと言われている目を、きゅっと細めて私を見て笑った。


それは、はた目には何のかわりもないようだけど、私には笑っているのがわかった。


そしてまた、斉藤は、まだ幼い私を対等なものと扱う一人だった。


店にくる常連たちにもそんな人間がちらほらいた。


斉藤いわく「生きる事を知っている奴に、大人も子供もねぇ。」だそうだ。


ちっともわからん。


私の戸籍上、7歳になる頃、何故戸籍上というのか説明すると、何と私の戸籍は数年遅れて提出されていて、なおかつ誕生日などもいい加減だった。


遠い昔、笑っちゃう話しだけど、どこかで誕生日のケーキの話しを聞いてきた私が、自分の誕生日を母に聞いたら、


「あんたの戸籍めんどうでほっといたら、役所にみつかって、こっぴどく怒られたんだよ。覚えちゃいないし、大体の大きさで、生まれ年と誕生日を、シゲさん達が考えてくれてさ、聞くならシゲさんにでも聞きな。」


と、しれっとのたまった。


「さすがに、あんたの背を見ると、ちょいと1年くらいおそかったのかもしれないいねぇ。」


ひょろっと背が高い私をみながら母は笑った。


それで、私の誕生日、いやケーキの話しは2度となく、幻のケーキとして終わってしまった。


私の誕生日12月24日、どうやら、酔っ払いどもが、世界共通でめでたいだろう、というノリで決めたらしい。


斉藤に一度その話をしたら、やはり目がくにゃっとして笑っていた。


そうして、その年の12月24日、私は斉藤が持ってきたケーキ、それも生まれて初めて食べるケーキがワンホールという贅沢を味わったのだった。


なんで今そんな事を思いだしているかというと、海よりに建てられた倉庫の片隅で、斉藤の遺体が発見されたらしいと、私の通う中学校のクラスで話題になっているからだ。


私はもうすぐ中学3年になる。





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