表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
必死で尽くしてきた王子に婚約破棄されたので、自分のために生きることにしました  作者: 小林翼


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/14

第11話

 その夜、ゲルハルトが珍しく城を空けた。


 隣の集落まで水利の確認に行くと言い残して、夕方には出かけてしまった。夕食の時間になって、エリゼが食堂へ向かうと、長いテーブルの端にレイナルトが一人で座っていた。


 互いに一瞬、間があった。


「失礼します」


 エリゼは反対側の端ではなく、レイナルトから二席ほど空けた場所に座った。遠すぎず、近すぎない距離。


 食事が運ばれてきた。スープと、黒パン、それから煮込んだ肉の料理。王都の晩餐とは比べようもなく質素だが、温かい湯気が立っていた。



 しばらく、無言が続いた。


 王都での夕食は、いつも誰かの声が飛び交っていた。社交の義務としての会話、気を遣った言葉、笑顔の応酬。それが当たり前だったから、今この静けさは少し奇妙な感じがした。


 しかし不快ではなかった。


 スープが美味しかった。野菜の出汁がよく出ていて、少しハーブの香りがする。体の芯まで温まるような味だった。



「辺境伯様」


 エリゼが口を開いた。


 レイナルトが顔を上げた。


「なぜこの地を、緑にしたいのですか」


 少し直接的すぎる問いだったかもしれない、と思った。しかし今夜は二人きりで、お互い余分な社交をする気がない夜だった。


 レイナルトは黙って、スプーンを置いた。



「民が飢えないようにするためだ」


 しばらく経ってから、そう言った。


「それだけですか」


「それだけで十分だ」


 短い返答だった。しかしその言葉の裏に、何かが詰まっているのをエリゼは感じた。言葉を選ぶのが不得手なのではなく、言葉を多く使う習慣がないのだ。


 エリゼはしばらく考えてから、答えた。


「そうですね。それで十分です」


 レイナルトが初めて、エリゼの方へ向き直った。


 何かを測るような目だった。馬鹿にしているわけでも、おべっかを言っているわけでもない、という確認をしているような。


 エリゼは視線を受け止めた。


「民が飢えないことのために全力を尽くす、というのは立派な理由です。それ以上でも以下でもない」


 レイナルトがまた黙った。


 今度の沈黙は、少し前のものと質が違った気がした。



 食事を再開した。


 窓の外で風が鳴った。辺境の夜は静かで、食器の音がよく響く。それでも沈黙は重くなかった。


 エリゼはスープを飲みながら、今日の水路作業のことを思い返した。あの畑に何を植えるか、次の区画はどこから始めるか。頭の中でいくつかのことが同時に動いていた。


「今日の視察で、東の丘の斜面が気になりました」


 エリゼは思ったことを口にした。


「草木の根が浅い。雨が降ると土が流れやすいかもしれません。防草の植え付けが先になるかもしれませんね」


「確認してみる」


「あと水路の三番と七番の合流地点、少し角度を変えると流れがよくなる気がします。明日、もう一度見ていただけますか」


「わかった」


 会話が弾むとは言えなかった。でも、言葉が届いていた。ちゃんと聞かれて、ちゃんと返ってくる。それだけで十分だった。



 食事が終わる頃、エリゼは席を立ちながら言った。


「夕食がとても美味しかったです。料理人の方にお伝えいただけますか」


「……俺が作った」


 一瞬、間があった。


 エリゼは振り返った。レイナルトが、少し居心地悪そうにしていた。


「辺境伯様が?」


「料理人は一人しかいないが、今日は体調を崩していた。ゲルハルトが不在で、他に誰もいなかっただけだ」


「そうでしたか」


 エリゼはしばらく言葉を探した。


「では、辺境伯様に直接お伝えします。とても美味しかったです。特にスープのハーブの使い方が好みでした」


 レイナルトが何も言わなかった。


 エリゼが食堂を出ようとして、ふと振り返ると、レイナルトが前を向いたまま、空になった器をじっと見ていた。


 その横顔が、少しだけ——ほんの少しだけ、柔らかかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ