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作者: 梅ノ木桜良
掲載日:2026/03/10

 夜が明ける。


 夢が弾ける。


 三月七日。晴れ。風は南西、微風。


 カーテンを開ければ朝の日差しが部屋に差し込む。


 窓を開ける。


 中に入る風に僅かに花が香る。


 春の足音は、気がつけばもうすぐそこまで近づいてきている。


 ふと思い立ちベランダに出る。


 全身で風を受ける。前日の雨のせいか、下の階の庭から草の香りと水の薫りが少しばかり立ち昇っている。


 風に吹かれながら朝の蒼い空を見上げていると、なぜだか無性に歩きたくなった。


 中に戻り、パジャマの上から上着だけ引っ掛けてサンダルを履いて玄関を出る。


 いつものようにオートロックが閉まる音を聞き届けたら共用部の廊下を歩き、階段を降りる。敷地内に人影らしきものは無い。


 自分の足音を聞きつつ路上に出る。


 とりあえず西へ向かって進んでいく私の頭上を小鳥が飛んでいく。鳴き声につられて見上げた先には小さな雲が一切れ。


 その先の十字路を右に折れれば民家の庭から伸びる木に散りかけの梅が二、三輪残っていた。


 花が風にそよぐ度に花弁が細かく揺れ動き、離別を惜しむように飛んでいこうとするのを耐えている。


 こうしているこの花もそのうち力なく散っていくのだろう。そしてまた来年、今年のことなど忘れたかのように同じ花をつける。変わらない、繰り返し。咲く木が枯れるまで行われ続ける営みである。


 梅の木の下をくぐり抜けしばらく歩いていくと川が流れている。そこまで大きな川ではないが下流域にあるのでそれなりに幅はある。と思う。


 今日も川底スレスレの水深しかないこの川は音もなくゆっくりと流れている。そこだけ時間の進み方が遅くなったかのような錯覚を与えられているように感じる。


 川の両岸にはちらほらと雑草が根を張っている。それらは花を咲かせず実を結ぶこともないが、それでもそこにいたという事実をその場所に刻みつけるように力強く天に向かって茎を伸ばしている。


 小さな命だが、それでも挫けずへこたれず上を向いている姿はまるで天高く飛び行く鳥のようで、しかし羽ばたく鳥にも飛ぶ虫にも泳ぐ魚にも近くに植わる他の草にも目もくれずただ孤独に、ただ静かに、草はそこに立っているだけであった。


 橋の上は少し風が強い。その風に私の髪が弄られ、頬に擦れて少々くすぐったい。しかしこのくすぐったさが案外心地よかったりする。私は橋の上で欄干によりかかり、しばらくじっと風を浴びていた。


 川の向こう側に渡り少し行くとちょっとした高台があり、そこの頂上に神社が建っている。この辺りの氏神様なのか、たまに通りかかると大抵は誰かしら参拝者がいる。しかし今日は人影ひとつない。


 普段は神社仏閣の類に足を踏み入れることはあまりないのだが、不思議と今日は行ってみようと思った。


 参道に入り、その先に延びている石段を一段一段しっかりと踏みしめて上っていく。中腹ほどにある鳥居を抜けると普段過ごしているのとは違う、静謐な世界にやってきたかのような気分になった。神社の境内特有の清冽な空気と荘厳な雰囲気が相まって背筋が伸びる思いだ。


 頂上に着くと左側に手水舎がある。置かれている柄杓を手に取り手と口を清める。


 柄杓の柄まで流して元の場所に戻す。先程までよりも少しひんやりとした空気を感じつつ拝殿の前に立つ。


 たまたま上着のポケットに入っていた財布から小銭を取り出してこぢんまりとした賽銭箱へ投げ入れる。


 二礼、二拍手。手短に神様への挨拶を済ませて最後に一礼。


 顔を上げて後ろを振り返れば一陣の風が境内を通り抜け、まだまだ冬の姿の木々を優しく揺らす。


 そんななんでもないような光景に自然と唇の端が上がる。


 拝殿に背を向け、踏み出す。石段をゆっくりと降りている途中、散歩でやってきたのだろう犬と犬のリードを持った男性とすれ違う。軽く会釈して横を通り抜ける。


 思っていたよりも長い石段を降りきると先程まで地平の下か建物か何かに隠れていた太陽が顔を覗かせている。


 私は来た道を戻って家に帰ることにした。


 ついさっき通ってきた道は陽の光に照らされている以外に景色はほとんど変わっていないはずであるのにも関わらず、なんだか生き生きとしているような、そんな気がした。


 そんなことをぼんやりと考えながら歩いているといつの間にかすっかり見慣れたアパートの前に着いていた。


 また今日も、いつもの日常が始まる。

 読んでいただきありがとうございます!この作品では誤字・脱字報告、感想、レビュー等を募集しております。何かしら書いていただけると作者としてはかなり励みになります。お忙しいこととは思いますが、ぜひぜひお願い致します。

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