表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/15

もう返さなくていい

日曜日の午前中。

薄曇りの空の下、私はずっと机の上に置いた石を見つめていた。


光に透ける、淡い青。

丸くて冷たい、小さな石。


ずっと、大切にしていた。

だけど今は、それが何だったのか、よくわからなくなっていた。


昨日、久遠さんに会ってから、

彼女は一度も現れていない。


声も気配も、何もない。

まるで――もう、いなくなってしまったかのように。




そのときだった。


ふっと、部屋の空気が変わった。

温度じゃない。音でもない。

けれど確かに、世界の端がふるえた気がした。


私は反射的に顔を上げる。


――そこに、いた。


久遠さんが、静かに立っていた。


前よりも輪郭は淡く、光のなかに溶けかけているような姿。

けれど、優しく微笑むその表情は、はっきりと見えた。


「……来てくれたんだ」


私の言葉に、彼女はふるふると首を横に振る。


「違うよ。まひるちゃんに、伝えに来たの」


「……伝えに?」


「もう、いいよって」


静かな声が部屋に響く。

でもそれは、確かに私だけに届いていた。


「わたし、ずっと探してたの。

誰かに見つけてほしかった。

置き去りにされたまま、忘れられるのが、何より怖かった」


「……それで、あの石を?」


彼女は微笑んで、目線を石に落とす。


「うん。あれは、わたしの持ってたもの。誰かに拾ってもらえたら、って願ってた。

そしたら……まひるちゃんが、大事にしてくれてた」


私は、石をそっと両手で包む。


「返すべき……かな」


「ううん。もう返さなくていいよ」


「でも……」


「見つけてもらえたって、わかったから。

まひるちゃんが、それを手放さなかったことだけで、わたしは救われたの」


救われた――

その言葉に、胸がじわりと熱くなる。


でも、それと同時に、もう終わってしまうんだとわかってしまった。


「もう、行ってしまうの?」


「うん。もう、ここにはいられない。

でも、大丈夫。わたしは、やっと進めるから」


久遠さんの輪郭が、さらに薄くなっていく。


「本当は、もっと話したかったよ。まひるちゃんのこと、もっと知りたかった」


その言葉に、喉の奥がきゅっと詰まる。


「私も……」


でも、それ以上の言葉が出てこなかった。


言葉にならない感情が胸に渦巻いて、苦しくて、でも出せない。


「ありがとう。ほんとうに、ありがとう」


最後に、久遠さんが優しく微笑んだ。


「それだけ、伝えたかったの」


次の瞬間、彼女は光の粒になって、すっと消えていった。


音もなく、何も残さず。





気づけば、石の冷たさだけが手のひらに残っていた。


私はただ、それを見つめた。


もう、何も聞こえない。

何の気配も、感じない。


それなのに。


――まるで、胸の奥にぽっかりと穴が空いたみたいだった。


喪失感。

名前のつかない寂しさ。

それは、思っていたよりずっと深くて、重かった。


久遠さんがいなくなったことが、こんなにも堪えるなんて。


私は目を閉じて、深く息を吐いた。


胸の奥の感情は、まだ言葉にならない。


だけどきっと、それは――


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ