保健室の距離
翌朝、学校に着いたときから、少しだけ気分が悪かった。
喉の奥が詰まるような息苦しさ。
手足の感覚が鈍くて、頭の芯がぼんやりする。
風邪、とは違う。熱も咳もない。だけど、身体が、重い。
ホームルームが始まってからも、その違和感は消えなかった。
「……白石さん、大丈夫?」
隣から小さな声がして、顔を向けると――
昨日転校してきたばかりの上条さんが、心配そうに私を覗き込んでいた。
「顔、真っ青。保健室、行こっか」
断る隙を与えないまま、私の腕を引いて立ち上がる。
先生に軽く会釈をして、上条さんは私を廊下へと連れ出した。
保健室の窓際のベッドに寝かされて、少しずつ呼吸が整ってくる。
目を閉じたまま、制服のポケットに手を入れた。
昨日と同じ、ひんやりとした石の感触。
それだけで、ほんの少し、落ち着く気がした。
「ねえ」
ベッドの脇に座った上条さんが、小さな声で話しかける。
「昨日のことだけどさ。あそこ、苦しくなるって言ったでしょ?」
私は、黙って頷いた。
「やっぱり、そういうの感じるタイプなんだね。見える?」
「……見えない。ただ……わかるだけ」
「そっか。でも、それって、たぶん“強い”ってことだよ」
上条さんは、まるで秘密の会話をするみたいに声を落として、
そのままぽつりと呟いた。
「――あそこに、いるんだよ。今も」
私は目を開けた。
保健室の、入口の向こう。
扉のガラス越しに、何かが立っている気がした。
いや、気のせい――じゃない。
窓から入る光が、そこだけ不自然に遮られていた。
「やっぱり……来てるんだ」
上条さんが言った。
「探してるみたい。何かを。……落とし物っていうか、思い出っていうか……そういうの。
でも、“ここにある”って気づいてない。ずっと、探してる」
「ここって……私の?」
「たぶんね」
私は、制服のポケットを握った。
石の冷たさが、少しだけ温度を持って感じられる。
「見せても、いいかな?」
上条さんが言うと、私はゆっくりと石を取り出して差し出した。
手のひらの上で、光を透かすその石を、上条さんは真剣な表情で見つめた。
「……うん。これだと思う。たぶん、これが“あの人”の探してるもの」
「……あの人?」
「久遠さん。名前が、そうだったと思う」
初めて聞いたその名前は、でもなぜか懐かしい音がした。
久遠。くおん。――終わらない、という意味。
ふと、気配が近づいた気がした。
ベッドの足元。
そこに、確かに“誰か”が立っている。
見えない。けれど、わかる。
石を見ているのその視線を、感じてしまった。
(……見てる)
「大丈夫?」と、上条さんが私の肩に触れた。
けれど、それ以上に。
まるで、もう一人の“誰か”が、私を見ているような感覚があった。
「その石、返す?」
「……わからない」
上条さんの問いに、私はそっと答えた。
「大事にしてた。ずっと。
理由はないけど、手放せなかった。……だから、まだ……返せないかも」
「じゃあ、そのままでいいよ」
上条さんはにこっと笑った。
「持っててくれるなら、それだけで安心する人もいるしね」
その言葉の意味を、私はまだちゃんと理解していなかった。
◇◇◇
昼休みが終わる頃、体調は少しだけ戻っていた。
けれど教室に戻った瞬間、
前の席の相沢さんと目が合って、私はドキリとした。
彼女は、静かな目で私を見つめたあと――
少しだけ、睨むように目を細めた。




