触れたいと思った
雨が降ったあとの月曜日。
午後の空気は少し湿っていて、窓から見える空は鈍色だった。
放課後。
昇降口で靴を履き替えていると、愛ちゃんが隣に立った。
「今日、うち来る?」
そう言った彼女の声は、少しだけ遠慮がちだった。
その声音に、私はすぐに「うん」と返していた。
⸻
愛ちゃんの部屋に行くのは二度目だった。
玄関を上がると、空気が少しひんやりしていて、どこか静かだった。
「誰もいないの?」
「うん。母親は夜まで仕事。……それに」
彼女はソファに座って、膝を抱えるように丸くなる。
「家に人がいたって、静かだったから」
その言い方に、少しだけ違和感を覚えた。
「……ねえ、まひる。うち、母親違いの姉がいるって言ったじゃん」
「うん。うえちゃんだよね?」
「そう。うちはね、“片方の家庭”って扱いだったの。
お父さん、行ったり来たりしてたけど……うちにいるときも、
ずっとどこかに線を引いてた。話しかけてきても、“妹のほう”って感じで」
「……」
「私は、いつも見てるだけだった。
誰かのことを好きになるのも、好きになってもらうのも、
諦めるのが前提だった」
「それって……」
言葉に詰まる。
でも、胸の奥で、なにかがきゅっとなった。
「だから、まひるが幽霊に惹かれてるの見たとき――
また、“見てるだけ”だって思ったんだよね。
言っても届かないなら、何も言わないほうがマシだって」
愛ちゃんの声は静かだったけど、
その指先は、少しだけ震えていた。
私は黙ったまま、隣に座った。
そして、彼女の手にそっと自分の手を重ねた。
愛ちゃんが、少しだけ目を見開いた。
私は、その手をぎゅっと握ったまま言う。
「……触れたいって思ったの、はじめてだった」
「え?」
「今まで、触れられるのはうれしかったけど、
自分から誰かに触れたいって思ったこと、なかった。
でも、今はちがう。……愛ちゃんに、触れたかった」
そのとき、彼女の目がふっと揺れて、
指先が私の手に絡まってきた。
「……ずるいよ、まひるは」
「え?」
「好きって、そうやって静かに言うから……
ずっと、心臓がうるさい」
そう言って、彼女が小さく笑った。
私は、彼女の肩にそっと頭を預けた。
少し照れくさかったけど、それ以上に安心できた。
愛ちゃんの孤独を、全部は癒せないかもしれないけど、
これから少しずつ、手を伸ばして触れていけたら――
そんな風に思った。
⸻
その夜、帰り際。
私の家の前まで見送りに出た愛ちゃんが、ふいに私の顔をのぞきこんで言った。
「……今日は、ちゃんと“恋人”だったね」
「え、いままで違ったの?」
「ううん、そうじゃない。
今日のまひるは、“ちゃんと自分で”こっちに来てくれたって感じ」
「……うるさい」
「うん、でも好き」
その言葉を残して、愛ちゃんは帰って行った。
私はしばらくその場に立ち尽くして、
頬が熱いのをごまかすように、夜の空気を吸い込んだ。




