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4話

実験の失敗は俺の人生を変えた。

一度は俺の未来は無くなり、絶望しかないと思えた膨大な借金。

結局、その借金の半分以上を中央の教会が肩代わりしてくれた。

このために司祭はずいぶんと骨を折ってくれたようだった。

残りを俺と司祭と村長で分ける事になった。村の皆もわずかずつだが金を出してくれた。

元の額から比べればかなり減っては居るが、それでも俺の残りの人生を賭しても払いきれるかどうかはあやしい。

それでも俺が投げ出すわけにはいかない。俺が投げ出せばそれは司祭と村長の負担が増える事になる。

今まで以上に仕事に専念し、出来た農作物を街に売りに行き村で必要な物を買う。

そんな本来であればつまらない普通の日常。だが、この世の最期を一度でも意識した俺には大切な日常。

街での買い出しもつつがなく進み、いつものように最後に雑貨屋に顔を出した。

雑貨屋の店主は俺を見るなり、苦笑いをしながら話しかけてきた。

「よう。最近は熱心に仕事してるな」

「まあな」

「まあ、あれだけ借金を抱えてれば仕方ないか」

「そういうことだ。やっぱり世の中うまい話は転がっているわけないな」

「だから止めておけって忠告したのに」

耳の痛い世間話をしながら、買う物を見繕う。

会計を終わらせた所で、店主が聞いてきた。

「これで買い出しは終わりか」

「ああ」

「そうか、じゃあちょっと待っててくれ」

雑貨屋の店主は店の小間使いを呼び出し、手短に用件を伝える。小間使いは表に飛び出し駆けていった。

不思議に思い店主の顔をうかがうと、なんてことは無い、とでも言いたげに説明をしてくれた。

「お前さんに客人が居てな」

「俺に、珍しいな。借金の取り立てかな」

お互いに笑いがこぼれる。

「いやそうじゃなくて、お前さん達の村に行きたいって人が居てな」

「うちの村に、いったい何の用があるんだ。あんな何もない村に」

驚きつつ聞き返すも、店主は首をふる。

「さあ、それは本人に聞いてくれ」

そんな話をしていると、先ほどの小間使いが一人の男を連れて戻ってきた。

遠目でもわかる程、場違いとも言える上質な仕立ての服を着こんでいる。

男は近づいて来ると俺に会釈をした。

「はじめまして。バルタザールです」

「バーナードだ。お前さんがうちの村に来たいって」

「ええ。その道案内をお願いしようかなと思いまして」

「道案内が必要な程込み入った道じゃあ無いけどな」

男は笑顔のまま言葉を返してきた。

「まあ、本音は寂しがり屋なので、向かいながら話を出来る相手を欲していただけです。

こちらの店主さんに伺ったら、丁度あなたが街に来る頃との事だったので、まさに渡りに舟と言った感じですね」

「・・・はあ」

男の勢いに少し押され、気の抜けた返事しか出来なかった。

「では早速、道案内をお願いします」

「だが、まだあんたが村に来たがってる理由も聞いてないが」

「それも道すがらお伝えしますよ。あ、忘れていました」

そういって男は懐から硬貨を取り出し、私の掌に押し付けた。

「案内料です。どうぞお納め下さい」

言われ改めて掌に置かれた硬貨を確認した。それはたかだか道案内程度の対価としてはあまりに高額だった。

「払ってくれるのありがたいが、こんな額貰えない」

「すみません。今持ち合わせがこれしかなくて。道案内に足して話代だと思って受けとってください。では行きましょう」

男は勝手に歩き出した。

勝手を崩される形にはなったが、代金をもらってしまった以上、放っておくわけにはいかない。

小さくため息をついて男の後についていった。

「人は無理だが、荷物位なら荷台に乗せられるぞ」

「ああ、では甘えさせていただきましょう」

男は笑顔を崩す事なく、こちらに向き直り荷台に荷物を乗せた。


村までの簡素な道。

俺たち以外には行き交う人も徐々に減っていく。

「で、あんたはどうしてうちの村なんかを訪れたいんだい」

「少し前に友人が病死しまして。

その友人が死ぬ前に一目見たかったと言い残して行ったので、その代わりにこの目で見といてやろうと思いまして。

丁度私自身も近くまで来る用事が有ったので、そのついでです」

「そのあんたの友人ってのはうちの村に何か関わりでも有ったのか」

「そちらの村の出身だったらしく、故郷がどう変わったか見たかったみたいです」

「へえ、しかしあんたみたいなしっかりした人が、その果たせなかった想いを引き継いでいる所を見ると、その友人は相当の人徳者か何かだったのか」

「同業者としてその腕前には尊敬をしていました。私なんかではとても出来ないような事を軽々とこなしていましたし。本当に惜しい人を亡くしました」

「なるほど、俺の知っている村の出身者とは大違いだな」

「誰かお知り合いでも」

「知り合いという程の仲じゃないさ。名前を知っているだけで顔も声も知らない奴さ。

そいつのお陰で俺は借金を背負う事になったからな」

「その話は詳しく聞いても良いですか」

「別に面白い話でもないぞ」

「村まではまだまだ時間がかかるでしょうから、ゆっくりとお話を聞きますよ」

男はそう言って話の詳細を促してきた。隠したい気持ちは有るが、隠すほどの話でも無いと判断しため息混じりで事の顛末を男に語った。

手紙に始まり、司祭の解読、借金をしてまで資材を買い揃え、そして実験の失敗。

男は時折詳細な説明を求めながら、俺の話を食い入るように聞いた。

「・・・で、結局俺には莫大な借金だけが残ったわけだ」

「なるほど。ちなみにお聞きしたいのですが、その実験に使う材料と配合なんかは覚えていますか」

予想だにしなかった質問に少し戸惑う。

「材料、材料か、完全には覚えていないが、ある程度なら」

そう前置きをしてから、記憶の片隅から実験の材料の一覧を引っ張り出す。

あの実験が失敗したとなっては、そんな実験に関わる記憶は必要が無い。それどころか思い出したくもない。

だから、あの失敗以降はそんな材料の事なんて思い出した事もなかった。

実験をしている最中はあれだけ頭にこびりつかせたはずなのに、少しの間思い出さなかっただけでその記憶はずいぶんと薄れ所々消え去っていた。

それでも覚えている範囲で一つずつ口にする。

男はそれを真剣に聞き取るが、すぐに俺の曖昧な記憶が底をつく。

「後は何だったかな」

「・・・これらじゃないですか」

そう言って男は材料と配合をあたかも目の前の紙を読み上げるがごとく、よどみなく口にする。

それらは確かにあいまいだった記憶の部分に合致するものだった。

「何であんたがこの実験の材料を知ってるんだ。もしかしてどこかでこの実験の手順書を読んだ事が有るのか」

村に届けられた実験の手順書は、あの時に灰になってしまった。

だからこの実験の材料や手順を知っているのは、書いて送ってきた本人と数名の村人しか居ないと思い込んでいた。

だが、考えてみれば村に届くまでの間に誰かに読まれている可能性は無いとは言えなかった。自分がそうしたように、誰かが盗み見た後でもう一度紐の封をする事は容易だったはずだ。

「いえ。私はその手順書を読んだ事はありません。が、そうですか、あの人は自力でそこにたどり着いていたのですか。本当に天才と呼ばれる人は世の中に居るものですね」

こちらの疑心暗鬼のまなざしを全く意に介さず、男は感慨にふけっていた。

そんな男の反応に、少しとげのある言葉が口をついた。

「一人で理解してないで、少しは説明してくれないか。読んだ事は無いのに知っているっていうのはどういう事だい」

「この実験はある意味有名な実験で「死神の実験」なんて俗称で呼ばれていたりします」

「随分とおどろおどろしい名前だな」

「あなたもこの実験を行ったのであれば、泉の水をかなりの量を使ったのを覚えていると思います」

「・・・ああ、確かに」

男の言う通り、一回の実験で泉の水をかなり使った。それを事前に知っていたからこそ、実験の場所を泉の淵にしたのだ。

「泉の水に溶けていた成分は、それを手に入れようとなるとそこそこ高価です。

それをあれだけ使い、結果誰がやっても失敗する」

さらりと言い放った男の一言に驚愕する。

「誰がやっても失敗する、って本当か」

「ええ。この実験は成功しません」

「じゃあ俺は失敗する実験に馬鹿みたいに金をかけたってのか。こんなにも借金を抱えてまで」

ついつい声を荒げてしまう。

「それについては、そう、としか言えません。

あなたのように過去多くの名だたる錬金術師達がこの実験に挑み、今のあなたのように絶望や怒りを覚えました。

中にはこの実験で心が折れて、錬金術から足を洗った人も多かったと聞いています。

多くの錬金術師の命を刈り取る「死神の実験」というわけです」

「じゃあ、あのオズウィンとか言う奴は失敗するとわかっている実験の手順書を送ってきたって事か」

「結果としてはそういう形になってしまいましたが、あの人自身はこの実験が成功すると確信を持って送ったと思います。

この実験について私自身は、過去の偉人が残した教訓として師から教わりました。

過去にこの実験を行った人達、つまりはこの実験を思いついた人達は皆天才や秀才と呼ばれた人達ばかりです。

私程度の中途半端な知識と技術では到底たどり着けません。

しかし、あの人が誰かに師事したという話を聞いた事がありません。

つまり実験に自らの知識と技術でたどり着いたという事です。

同世代に生きた者として尊敬しますね」

「だが、それならなんでそいつは自分でこの実験を行わなかったんだ」

今まで笑顔で饒舌に語り続けた男が、突如真顔に戻る。

「あの人の最後は悲惨なものでした。あの人は俗な言い方をするなら世渡りがとても下手な方でした。

錬金術師は出費が激しく、長期的な支援者の袖を掴む事は必須の技術です。

しかし、あの人はその方面に疎かった。短期的には支援者を見つけられても、支援者の意向におもねる事をしない。

随分と金銭面で苦労をしていたはずです。このような実験はおろか、村に送った手紙の代金の捻出も大事だったでしょう。

実際の実験が行えない。だからあの人はその頭の中で数えきれないほどの回数の実験を試行したはずです。

そして確信を持った。この実験であれば成功すると」

「だが、現実はそうじゃ無かった、と」

「ええ。まあ、だからと言ってあなたの溜飲が下がるとは思いません。ですが、ことさらあの人を敵視するのもまた間違っているかもしれません」

「・・・そうかもしれない、が、そう言い切れるのはあんたが借金の当事者ではないからもあるんじゃないのか」

「それを言われると何も言葉を返せませんね」

二人の間にやや気まずい沈黙が流れるが、二人の歩みは止まらない。

話し込んでいる間に随分と村の近くまで来ていた。

村の近くに広がる森を指さし伝えた。

「ほら、あれが件の泉がある森だ」

「おお、もうこんなに近くまで来ていたのですね。

そうだ、せっかくですから森の中の泉に寄り道していきませんか」

「・・・俺はあまり行きたくは無いな。自分の失敗をことさら思い起こす事が好きな奴は居ないだろう」

男は笑顔のまま、先ほどと同じ額の硬貨を俺の手にねじ込んだ。

「追加の案内料です」

「だから案内で支払う額じゃないだろう。さっきもあれだけ貰ったんだ、これまでは受け取れない」

「お納めください。先ほどの話ではあなたも随分と借金で苦労しているのでしょう。

それに、もしかしたら今後長いお付き合いになるかもしれませんし。

では向かいましょう。荷物は森の外に置いておいても大丈夫でしょう」

相変わらずこちらの話を聞かずに、自分勝手に決めていく。

これだけの高額の案内料をもらっていなければ、怒鳴り散らしていたかもしれない。

先に歩いて行こうとする男の前に出て、森までの道を先導し、森の中でも前を歩き泉までを道案内した。

「ほれ、ついたぞ」

森の中の泉は相変わらず神秘的な色をしていた。

草すら生えていない泉の淵には、一部が炭と化した木箱、そして散乱している実験道具。

あの後、誰もこの場所を片付ける者は居なかった。

ただ誰もがこの場所で起こった失敗を無かった事にしたいかのように、そそくさとこの場所を去った。

放置された実験道具を回収に来る者も居なかった。

あの時からこの場所の時間は止まっていた。

男はそんな残骸には目もくれず、泉に目を奪われていた。

「まさか、ここまでとは」

男は懐から携帯式の簡易的な実験器具を取り出すと、それらで泉の水を色々な試薬と混ぜてはその変化を凝視した。

「そんなんで何かわかるのか」

「おおよその事はわかります。しかし、すごい濃度だ」

男は実験器具から目を離さず、感想をもらした。

「そんなにすごい泉なのか」

「ええ、よく今までこの泉の存在が世間に知れ渡らなかったものです」

「まあ、ほとんどの村人も今回の一件でこの泉の事を知ったぐらいだからな。

元々この森は俺も理由はよく知らないが立ち入ってはいけない場所だった。だから村の皆はこの森には立ち入らない。

当然その奥にあるこの泉の事も知らないって事さ」

「なるほど。いや、ありがとうございました。

かなり収穫の多い寄り道でした」

「そうかい。なら森をでてもうひと頑張りで村に到着だ」

「そうですね。あと一息ですね」

俺たちは森を後にした。

村に到着すると、男はざっと村の様子を見渡した。

そして、目的地を見つけたらしくこちらに向きかえった。

「道案内ありがとうございました。

私は無事に村にたどり着けた事を神に感謝をささげに行ってきます」

「へえ。てっきりオズウィンと同じで教会からは距離を置いてるのかと思ってた」

「私も錬金術師である前に、教会の信徒ですから。

では、また後程」

男は会釈をして、教会のある方向に向かって歩き出した。


あの実験以来、中央の教会との手紙のやり取りが格段に増えた。

こちらとしては幾分かでも負債の立て替えをお願いしたい。

向こうからは一連の経緯を事細かに説明するように要求され、少しでも説明に曖昧な所が有ると、次の書簡で詳細を追及される。

こちらの立場が圧倒的に下なのは理解しているが、それでも同じ事を言葉を変えて何度となく説明するのは骨が折れる。

中央の教会の懸念点はわかりやすい。この村で本当に異端思想が広がっていないのか。本当にこの村の司祭は神と教会の為に活動をしているのか。

そんな中央の教会の思いを払拭する為に、筆を走らせる。

文章を練っているとノックの音が響く。

この時間に来客とは珍しいと思いながら、筆を置き出入口に向かう。

そこにはまず村では見かけない上質な服を着た初見の男が立っていた。

「はじめまして、司祭様。

所用が有りましてこの村を訪れさせてもらいました。まずはここまでの旅路が無事終わった事を神に感謝を捧げたくて」

にこやかな笑顔が印象的だった。つられてこちらも笑顔になる。

「そうでしたか。どうぞお入り下さい」

今時珍しい敬虔な信徒を迎え入れる。

男は正しい所作に従って、祈りを捧げた。それだけでも男の教養がうかがい知れる。

「ありがとうございました」

「いえいえ。あなたのような方を迎え入れる事も村の教会を預かる者の役目ですから。

所用との事でしたが、この村にですか。それともここから更に先に向かうのですか」

「この村にですね。更に言えば、この村の教会の司祭様にお話が有りまして」

「私にですか」

「ええ。あなたがこの前の一件で発生した負債の多くを請け負っているらしいので」

「・・・」

言葉に詰まった。この男はなぜそこまで知っているのだろうか。

途端に男の笑顔が不穏なものに見えてきた。

「あれだけ街中で大騒ぎを起こしながら強引に資金を集めたのです。誰だってその顛末は知りたくなります。特にバーナードさんにお金を貸した人は他人事では済みませんし。

ですからその結果や負債の状況はそこそこ耳ざとくしていれば自然と入ってくる情報です」

男はこちらの怪訝な表情を読み取ったのか、説明をしてくれた。

筋は通っているがそれが本当なのかはわからない。

「さて、単刀直入にいきましょう。あの森の奥に有る泉、その泉の水を全て売っていただきたい」

「水を、ですか」

唐突の申し出に言葉をそのまま返してしまう。

「ええ。先の実験で使われたように、あの泉の水にはある金属が多量に含まれています。

私や他の錬金術師にとってはそこそこ値の張るものの、実験に必須の金属です。

私はあの泉の水を買い取り、自らの実験に使用したいわけです。

もちろん、それ相応の対価をお支払しましょう。

それこそバーナードさんや司祭様が背負っている負債が全て無くなる以上の対価をお支払します。

あなたやこの村にとっても、決して悪い話ではないと思います」

男の話を聞きながら、考え込む。

この男には得たいの知れない不気味さが有るが、それでもその提案はかなり魅力的だった。

提案を飲めば村人達が頭を悩ませる負債が無くなる。

更に言えば、あの泉の水が無くなればまたあの泉の水を使って実験をしようと考える人も現れないだろう。

私には男の提案を断る理由が無かった。

「良い、と思います。しかし、それだけの大きな事を私の一存では決めかねますので、村長等と相談をしないとですが」

男はにこやかに笑いながら、握手を求めてきた。

「商談成立ですね。司祭様が許可すれば村長さんや村の方々が反対するはずがないですからね」

「・・・そうでしょうか」

「誰も目の前に利益が有れば見過ごす事はしないでしょう。それが正しくない物でもない限りは。

しかし、商談成立となると実務的な点で一つの気掛かりが有りまして。

泉の水を運び出すためには泉の側まで馬車で通れる程の道が必要と成ります。

そちらの人手を村から出していただきたい。もちろん、買い取り価格とは別に賃金もお支払しましょう」

「馬車で通れる程の道、ですか」

「何か問題でも」

私のつぶやきを不思議がる男。私は何となく感じた懸念点を口にした。

「あの森は、もともと立ち入ってはいけない場所として、この村で言い伝えられてきました。

ですから、あの森を切り開く事も森に入る事にすらも嫌悪感を覚える村人が居ると思います」

「そんなものはただの迷信でしょう」

男は冷たく言い放った。男からは先ほどまでの笑顔は無くなっていた。

だが、私も食い下がった。村の皆のあの森に対する思いを踏みにじるわけにはいかない。

「迷信、かも知れません。

しかし、この村ではそう言い伝え続けられ今まできました。それを私やあなたの僅かな利益の為に台無しにしても良いのでしょうか」

「正しい教えを伝えるべき司祭様が、何を仰っているのですか。

それにあの森はすでに禁足地ではなくなっているでしょう。あそこまで踏み荒して実験を行ったわけですから」

男の声に徐々に苛立ちが混ざり始めた。

「それはそうですが。村人達の気持ちの問題です」

男はわざとらしく大きくため息をした。

「あなたは本当に司祭ですか。それとも異端思想に取り込まれた危険人物ですか。

良いですか、あなたとこの村に対して教会は疑念を抱いています。

あなたがそのような迷信を信じる態度を取るという事が、どれだけ教会の疑念を確かなものにするものか理解しているのですか」

今度こそ確実に、一般人が知りようも無い内部の事情が男の口から語られた。

今まで以上に私の警戒心がさわぎだした。

「なぜあなたがそこまで知っているのですか」

「私は錬金術師では有りますが、今回のように商談をまとめ、物を売買する商人的な事もしています。

私が錬金術の研究の最中で作り上げた薬はよく効くと各所で評判なので。

私の薬の得意先には中央の教会も含まれており、懇意にさせてもらっています。

そうして私は各地を回り、各地の状況を教会へと報告もしています。

時たま、教会の方からの依頼も有ります。例えば「異端思想の疑いのある村の状況を探って来てほしい」と」

「・・・」

「教会から依頼を受けた以上は、私には街に戻った後に教会に報告をしなければならない義務が有ります。

司祭が今までにあげてきた報告が本当に正しかったか、異端思想は広がっていないか」

「それは、」

気が付けば緊張で喉が渇いていた。言葉が続かない。

「ええ。脅しととってもらえてもよろしいです。結局は司祭様の決定しだいですから。

依頼を受けておきながらこんな事を思うのはよくありませんが、正直私にとっては司祭様と中央の教会との意見の齟齬はどうでも良い事なのです。

私はただ泉の水が欲しい。そしてその水を使い今まで以上に多くの薬を作り出す。

今までは薬が貴重過ぎて手の届かなかった人にも届くようになるかもしれない。そうなれば、より多くの人を救う事が出来る。

私の目指す所は善です。その過程に多少悪が混じろうと気にしません」

男は自らの信念を胸を張って主張してきた。私には返す言葉が見つからなかった。

「・・・わ、私は」

私の何とか紡いだ言葉は、男の手で遮られる。

「いえ、結論は後で聞きましょう。私は村長と商談の話をしてきますので。

もし賛成でしたら、村の方々への説得をお願いします。私が言葉を重ねるより、司祭様の言葉の方が村の方々に届くでしょうから」

男は慇懃に会釈をして、教会を後にした。

私は男の話を受け入れた後に訪れる村人達への説得と、受け入れなかった時に男が報告した後にこの村に訪れる災厄を天秤にかけた。

例え、男が迷信と断じた自分のちょっとした思いをその天秤に混ぜたとて、傾きがひっくり返る事は無かった。

私は教会の祭壇に向き直り、手を組んだ。

「・・・私の判断は正しかったのでしょうか」

独り言に答えてくれるものはおらず、ただ燭台の火が揺らめいただけだった。


バルタザールと言う錬金術師がこの村にもたらした衝撃は、多くの村人に困惑を持って受け取られた。

それでも村の実質的な決定権を持つ村長と司祭様の二人が賛成している以上、表立って反対する人は居なかった。

司祭様は村の人々から苦々しい言葉を受け、それでもこの提案を飲む意義を色々な側面から話した。

結局は村人達も感情的に反発しているだけで、その提案を飲む事が村の為になることは理性的に理解してた。

それだけ小さい時から言い聞かせられてきた、「森には立ち入ってはいけない」という掟は彼らの心理に根深く染みついていた。

司祭様はどこか疲弊したような感じがあるも、笑顔を絶やさず村人達に接していた。

実際の工事となると、村人達は機敏に動いた。

彼らも日々の糧を得るための仕事が有る。森の工事に賃金が出るとは言え、それだけを行うわけにはいかない。

自分たちの仕事を手早く終えて時間を作り、工事を行う。

時間に追われながら、手早く行われた。

森の中に馬車が通れる程の道を作る。

指示としては簡潔だが、実際の工事としては大変な作業量だった。

大きく伐採に手間がかかりすぎる木を避け、なるべく若木ばかりの場所を選んで道にする。

結果、左右に大きく蛇行する形にはなってしまったが、状況を見れば文句は出てこないだろう。

道が拓けた事がバルタザールの元に伝えられると、早速馬車が森を訪れた。

バルタザールの使いの者と名乗る屈強な男達は、樽に泉の水を汲み、馬車に乗せられるだけ乗せて帰っていった。

その後も定期的に彼らは泉を訪れ、樽を満杯にして帰っていく。

彼らの話によると、バルタザールが求めている金属の成分は、泉の水のように限りなく湧き出る物ではないらしい。

汲み出す回数が増えてくると、その金属の成分の濃度は徐々に下がっていった。

彼らは森に道を切り拓く時に伐採されそのままにされていた木々を薪にして、火を起こし泉の水を煮詰めて持って帰った。

それでも薄くなると、最後には泉の底の堆積物をすくい出しそれを樽に詰めた。

そこまでいくと泉そのものにも変化が起こる。

初めて見た時には不思議な色の水としか言いようが無かった泉の水が、普通のどこにでもある透明な水の色に変わっていく。

魚影や波紋など生命の痕跡が全くなかった水面には、虫が飛び交い藻が茂った。

それにつられるように、それまでは泉から数歩離れた所からしか生えていなかった草花が、その距離を詰めて遂には泉の淵にまで到達していた。

今までは頑なに生命を拒んできた泉は、緑色を増やした。

神秘的という雰囲気はいつの間にか無くなり、普通の森の奥の泉となった。

バルタザールの使いの者達がこの泉を訪れなくなって、しばらく経った。

もうこの泉には彼らの求める物はほとんど残っていないのだろう。

泉までの急ごしらえの道も、通る馬車が居なくなり次第に雑草が葉を広げた。

今やこの道を通るのも私のように散歩がてら泉を見に来る少数の村人だけだった。

もう昔のようにこの森に立ち入ることを咎める人は居なくなっていた。

私は泉のそばで腰を下ろした。

緑に覆われつつある泉を見て考え込んだ。

昔はこの森に立ち入ってはいけないという掟が有ったぐらいだから、もしかしたらこの森は神聖な場所で、この泉は神の居場所だったのかもしれない。

もしそんな神と呼ばれる存在が居たとしたら、神秘的だが生き物を寄せ付けなかった過去の泉と生命にあふれ緑に覆われた今の泉、どちらを望んでいただろうか。

掟は今や完全に消え失せたが、その結果泉の姿はより自然になった。

だからと言っては傲慢が過ぎるが、その神よ、我々の行いを許してはくれないだろうか。

そんな事を呆然と考えていると、茂みが音を立てる。

驚いてそちらを向くと一匹の羊が現れた。

どこかの羊飼いから逃げ出したはぐれ羊だろうか。

羊は私を一瞥し、一鳴きた。

人に警戒心を持たないようで、悠然と歩き泉の淵まで進む。

そして泉の水を飲み始めた。

その牧歌的な風景に私は見とれた。

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