恋人のフリ、できますか?
プロローグ
昼休みが終わる少し前。
教室はまだ半分くらいしか戻っていなくて、静かな空気が漂っている。
俺──相馬湊は、誰もいない自分の席で、ギター雑誌を開いていた。
放課後の軽音部の練習まで、あと少しだけ時間があった。
「相馬くん、ちょっといい?」
声がして振り向くと、そこにはクラスでも人気の美少女、椎名こよりが立っていた。
成績は学年トップ、容姿も抜群。そんな彼女が、なぜ俺の隣に?
「え、あ……どうしたの?」
「お願いがあるの」
こよりはいつもの自信満々な笑顔ではなく、少しだけ緊張した様子だった。
「誰にも言わないでほしいんだけど──私と、“恋人のフリ”をしてくれない?」
意味がわからなかった。
けれど、こよりの真剣な瞳が嘘じゃないと伝えていた。
「一週間だけでいいの。放課後、一緒に帰るところを見せたいの」
理由はまだ聞いていない。
ただ、その時、俺は確かに決めていた。
この“嘘”が、放課後の俺たちの物語の始まりだと。
俺が頷くと、こよりはほっとしたように微笑んだ。
「ありがとう、湊くん。」
教室の窓から差し込む午後の日差しが、彼女の髪をキラリと照らす。
いつもはクールで完璧な彼女が、こんなにも不安そうな表情を見せるなんて、不思議だった。
「でも、なんで僕?」
正直なところ、こよりの周りにはもっとふさわしい男子がいるはずだ。
スポーツ万能な男子もいれば、クラスの人気者もいる。
そんな中で、なぜ俺を選んだのか、訊きたかった。
「それは……理由があるの」
こよりは視線を伏せ、小さな声で続けた。
「また今度、ちゃんと話すね。」
そう言って立ち上がると、こよりは教室のドアの方へ歩き出した。
その背中を見送りながら、俺は何か大きなことが動き始めた予感を感じていた。
放課後。約束の場所に行くと、こよりはすでに待っていた。
「じゃあ、始めようか」
彼女は少し照れくさそうにそう言った。
最初はぎこちなくて、まるで初心者のカップルのようだった。
手も繋げず、会話もぎこちない。
けれど、帰り道の空気は少しだけ特別だった。
周りの視線も、今までとは違う。
友達のささやき、後ろをついてくる誰かの気配。
そんな中で、俺はこよりの手をぎゅっと握った。
「これ、本当に恋人ごっこだよな」
そう呟くと、こよりは少し笑って、
「そう。でも……私、少しだけ本当の気持ちになってもいい?」
その言葉に、胸の奥がきゅっと締め付けられた。
これは嘘の関係のはずなのに、どこか本物になりそうで、怖くて嬉しい。
こうして、俺たちの“恋人ごっこ”は始まった。
だけど、これから何が起こるのか、まだ誰も知らなかった。