プロローグ
よろしくお願いします
人口約1400万人の大都市、東京。
既に日は落ち、子供達は寝静まる時間だというのに、今日もこの都市は光と騒音に満ちている。
その光は、いつものように、夜空に浮かぶ星を覆い隠し、一等星ですら見つけることはできなく、目視できるのは月だけ。
しかし、今日はその月すらも見つける事ができない。
たった今、それらを隠してしまう光の一つが消えたというのに。
都内のとあるマンションの一室。室内は電気がついておらず、かと言って真っ暗闇なわけではなかった。
その部屋は中央に一本の蝋燭、その下に六芒星が描かれた魔法陣、そして魔法陣の周りには塩や翡翠、人の爪など共通点のない様々な物質が並べられている。
「塩15g、金平糖37粒、薬包紙61枚、左手の小指の爪に翡翠——これで合ってるんだよな?」
その部屋の家主である男は、至って真剣な表情で黒魔術に必要なものを準備していた。術に適した環境、魔法陣、そして対価。残る工程は呪文を正しく唱えるだけ。
やっと……やっと終われるかもしれない。
俺には夢がある。
それは、いつから憧れていたか、憶えていないくらい前からの夢で、小学生男児がサッカー選手に憧れるような一時的なものではなく、長きに渡って俺に纏わりついている。
"絶世の美少女になって、思う存分美少女ムーブをしたい"
それは、誰かに理解されたり、応援されるようなものでは決してなかった。
しかし、当時の幼かった俺は無邪気にもそれを友人に明かしてしまった。
ある友人は冗談だろと笑い、ある友人はおかしいと卑下した。その後家族ならと、家族にも話したが、否定するばかりか、俺を精神科に連れて行こうともした。
そうしていつしか、俺は他人からの理解を諦めた。
元々、理解して貰おうとしていたことがおかしかったのだと思い知った。これからはこの夢を隠し、自分だけで叶えようと決意した。
それからというもの、俺はこの夢を叶えるためにありとあらゆることを試した。
まずは性別を女にして、尚且つ最高に可愛くなる必要がある。
最初から大きな壁にぶつかってしまった。というか、これが一番の問題だろう。
手術に頼るのはなんか違うし、かといって他の方法もない。
というわけで、俺は神に頼ることにした。現代の科学でどうしようもできないなら、未知の力に頼るしかないというわけだ。
その日からは、小遣いやお年玉、時を経て手に入れられるようになった、バイト代や、仕事で稼いだ給料、それらを全て国内の神社仏閣、そして、世界中のパワースポット巡りに費やした。
これまでの全ての青春を犠牲にして。
しかし、それでも神がこちらに微笑むことはなく、今に至っている。
途中で夢を諦めようとしたことがある。
国内のパワースポットを全て制覇しても何も無かった時は
かなり絶望した。
しかし、やはり諦めきれなかった、今までの俺がそれを許さなかったのだ。
"何のために全てを切り捨てて来たのか"と。
準備は整った。できることはすべて尽くした。あとはただひたすらに祈るだけ。
”入門黒魔術”と書かれた厚めの本を取り出し、付箋がついているページを開く。そして、そのページの赤いマーカーが引かれている部分を読み上げる。
「月が隠れし漆黒の夜、眠れる人形は静かに泣き、猛る獣は慄き吠える。だが今宵世界を統べるは我。今こそ我が命に応えるべく姿を現し給え!」
静寂。しばらくじっとしていたが何も起きない。魔法陣が光ることはおろか、それらしい気配すら感じない。
どうやら失敗らしい。というか、これでは黒魔術が実在するのかすら怪しい。俺は思わず肩を落とす。
「はぁ、やっぱり無理か……これがだめなら、もう後は世界のパワースポット全制覇しか——」
絶望しかけたそのとき、部屋一帯が赤黒く発光した。魔法陣が突如として光り始めたのだ。
「こ、これってまさか……」
成功——
そう口に出す前に部屋が赤から白に変わり爆発した。
急展開すぎて頭も視界も真っ白だが、これから自分が死ぬことだけは直感的に理解できた。
爆発の衝撃で部屋の隅まで体が吹き飛んだ。体から段々と力が抜けていくのが分かったが、自分の体の安否よりも損壊させてしまった部屋の方が心配だった。
隣はパリピ大学生でまだ部屋は暗かったし、もう一つは空き部屋、下と上は知らんが、とにかく被害があまり大きくないことを願う。
意識が薄れ始め、そろそろだなと感じる。今までの人生を振り返りながら、来世はちゃんと生きようと反省して、目を閉じた。
突如、雷に打たれたような感覚になり、俺は唐突に目を見開く。
そうか、来世だ!今回の一生でだめなら次の一生に託せばいい!
俺は残る全ての力を持って叫ぶ。
「来世は……絶世の美少女として生きたぁぁぁい!」
掠れる声で、なんとか言葉を発する。別に声に出して祈ったからって、それが実現するかはわからない。ただ、出来ることは全てやっておきたい。
恐らく、今世紀一みっともない遺言を残すことに全力を尽くした俺は、そのまま力尽き意識を失った。