第1部 小学校編
さてと、そろそろ本題に入ろうかなと思う。
忘れられない後悔を書いてそれをどのように乗り越えたか、または向き合ったかを書き記していくだけではつまらないからそこに至るまでを語っていこうかな。
私は東京都に生まれて育ちは埼玉県で育った。
小さい頃からおじいちゃんっ子でたくさんおじいちゃんと遊んで育った。
自転車に乗る練習も一緒にしたり、公園で遊んだり、散歩したりと色々な事をして過ごしたのを今でも覚えている。
公園ではブランコで遊んだり、シーソーで遊んだりしていた。
おじいちゃんと一緒に消防車に乗ったりもした。乗ってみて思ったのだが高くて非常に怖かったし乗るまでが大変だった。おじいちゃんと一緒にたくさんの事をして過ごさしたのが私の幼少期である。おじいちゃんと一緒にサイクリングも行ったりした。おじいちゃんはよく信号無視をしていたので「おじいちゃん危ないよ❗」といつも叫んでいたのを鮮明に覚えている。
時が流れ6歳になり小学校に入学してからは勉強そっちのけで友達と毎日楽しく遊んで育った。
1年生で印象に残っている出来事は1つ。
あ!印象に残っている事であって後悔じゃないからね!
私の住んでる埼玉県だけかもしれないけど学校に行く時は近くに住んでる皆で集まって班で登校する。6年生が班長で皆が集まったら学校に行く感じ。集合時間は朝の7時45分で集合場所は班長の家の近くだった。朝が弱くて何度か班長が家まで呼びに来たことが何度かあった。私以外の1年生は和賀真夏という女子だけだった。
入学式当日をむかえた。入学式当日は班で登校ではなく家族で登校だった。班登校は翌日からスタートした。幼稚園時代を共に過ごした友達は皆加賀小学校に入学した。もちろん知らない友だちもいる。正門前で写真撮影を済ませてから昇降口に向かった。昇降口に自分のクラスがなん組かが張り出されていたのでそれを見て自分のクラスに向かう。クラスは階段を昇り2階だった。クラスに着いたら黒板に張り出されている座席表を見て自分の座席に荷物を置いた。荷物をおいて幼稚園時代から仲が良かった友だち誰かいないかなと探さしたが皆バラバラになってしまった。1年生の時だけクラス数は3クラスあった。ホームルームまで時間があったので他のクラスにいる友だちに会いに行った。まず1組にいた友だちは酒田時無、幕下篝が1組にいた。わたし根岸慶大は2組だった。3組には幼稚園入学前からの知り合いの間辺紳士がいた。間部紳士と知り合ったのは自宅が近く親同士仲が良く一緒に遊んだりしていたからである。男友達ばかりでむさ苦しいと思っている人もいるだろう。そう慌てなさんな、ちゃんと女子の知り合いもいるから。女子は同じ登校班の和賀真夏と四月朔日酒依がわたしと同じ2組だ。他にも知り合いがいるが名前を上げていたらきりがないのでこの辺で。
私のクラスの担任は女性の先生で伊知川智子と言う名前の先生だった。
今思い出しても優しくて面白い先生だったな~。入学式当日は木曜日でだった。クラスで初めてのホームルームをしてから皆で体育館に向かい入学式を執り行う。座席について司会の人が挨拶をして始まる。
市の方たちの挨拶や来賓の紹介、祝辞などを順を追って行い入学式は終わった。
翌日から班登校で学校が始まった。一時間目はホームルームだった。時間割りをもらったり、教科書をもらったり、保護者への手紙などを受け取り一時間目は終わった。45分と言うのは短いようで長くも感じた。