第51話 お正月
朝靄の中、俺達が乗るタクシーがアパートの近くに着いた。タクシーを降りる前に俺は念のために流星に言う。
「静かにしてくれよ」
「わかりました! アジトっすもんね!」
いや。近所迷惑だからだけど。
タクシーに金を払った俺達は細い路地を歩いて行く。すると小さな声で流星が言った。
「確かに、分かりずらい所っすね。こんなところに潜んでいるとは誰も分かんないっすよね」
潜んでいる訳じゃなく、家賃が安いからここに住んでるんだけど。すると幽霊のミナヨが言った。
「こいつ馬鹿なのかな? 静かにしろって言われたばかりなのに」
「しっ」
幽霊の声は俺とリリスにしか聞こえないだろうが、俺は二人に対して静かにするように言う。そしてアパートの小道に入ろうとした時だった。小道から二人の人影が出て来る。
「あ!」
「あ!」
「開けましておめでとうございます」
「あけましておめでとうございます!」
なんと美咲さんとお母さんが外出着を来て出て来たのだ。
うわ。朝帰りしたところを見られてしまった! めっちゃ印象が悪いぞ!
だが美咲さんは斜め上の質問をしてきた。
「初詣ですか?」
「あ、はい」
咄嗟に返事をすると、美咲さんが初めてリリスと流星を見て言う。
「お友達も一緒ですか?」
「そうです。ゆっくりしようって言って、家に連れて来たんです」
するとお母さんが笑いながら言った。
「お若いっていいわねぇ。東京は深夜でも神社は混むのよね?」
「お母さん。多分、今から行っても混むわよ」
二人の会話を聞いて俺が言う。
「お母さんと初詣ですか?」
「明治神宮に行ってみたいって言い出したので連れて行くんです。混むからやめた方が良いって言ったんですけど、物好きなもので」
「せっかくですもんね!」
「はい」
「行ってらっしゃい」
「では」
そう言った美咲さんは、もう一度リリスと流星をチラリと見て行ってしまった。いったいどんな風に見られたのだろう? 友達と初詣なんてよくある事だが、面子が異色すぎて何て思われただろう?
俺は気にして黙り込んでしまった。するとリリスが言う。
「寒いわ。部屋に入りましょう」
「あ、ああ」
俺達は階段を上って部屋に入った。すると流星が言って来る。
「完全に普通の町人に紛れてるんっすね。すげえっす」
だから…普通の町人だって。
俺は暖房をつけて流星に適当にくつろげと言う。すると今度は幽霊のミナヨがいらんことを言った。
「綺麗な人。あんな人が隣に住んでるなんてラッキーじゃない」
「いや。たまたまだし」
するとリリスがチラリとミナヨを見て言う。
「あなたまで部屋に入って来なくていいのよ?」
すると流星がビクッとして答える。
「へっ? 連れて来てくれたんじゃないんですか?」
それを俺がフォローした。
「いいのいいの」
「はあ…」
そしてリリスが言った。
「着替えるからそっちに出てなさい」
流星と俺が台所に出ようとすると、リリスが俺に言う。
「レンタロウまで出る必要は無いじゃない」
「い、いや。まあ着替えるんだからさ」
俺達が台所に行ってしばらくすると、リリスから声がかかる。
「入っていいわよ」
俺達が戻ると、リリスは俺のトレーナーの上下に着替えていた。
「レンタロウ達も着替えた方が良いわ」
「そうだね」
俺もスウェットに着替え、流星も荷物からジャージを出して着替えた。そして俺がみんなに言う。
「とにかく寝ようか。眠くて仕方がない」
「あ、じゃあ俺台所で寝るっす!」
「いや寒いし、何とか部屋で」
「大丈夫っす。姉さんと兄さんの邪魔は出来ないっす」
「じゃ、布団貸すから」
「すんません」
そして流星は布団を持って台所に行った。布団が無くなり、毛布一枚になってしまったのでエアコンの設定温度を上げる。
「何か飲もう」
台所に行ってペットボトルのお茶を取り、流星にも渡してやる
「とりあえず飲んでいいよ」
「あ、すんません!」
そして部屋に戻りリリスにも渡した。幽霊のミナヨを見て俺は聞いた。
「君はどうする?」
「私は飲まないし眠くもならないわ。その辺にいる」
「わかった」
リリスがベッドに座り、俺が床に座ってテレビをつける。正月の特番が流れていて、朝からお笑い芸人が元気よくはしゃいでいた。それを見てリリスが言う。
「朝から元気がいいわね」
「お正月だからね」
「ふーん」
するとミナヨが聞いて来た。
「あなた達、同棲してるの?」
「えっと、一緒に暮らしてはいますね」
「ふーん。こんな美人と暮らせるなんて幸せねえ」
リリスがじろりとミナヨを睨んで言った。
「静かにして。私とレンタロウが話しているの」
「わ、わかったわよ」
何かリリスの機嫌が悪いような気がする。気のせいかもしれないが、さっきからとげとげしく感じる。きっと眠いのかもしれない。
「とりあえず横になろう。部屋も温まって来たし」
「わかったわ」
俺達はごろりと横になり、俺は疲れすぎて速攻で眠りについてしまった。
……
深い眠りの中で、俺は夢を見た。俺はどこかの建設現場のような所にいる。そこでリリスと一緒に何かを探しているようだ。さっきから周りで動き回る人間の気配がするが、視線を向けても人間の影を捉える事が出来ない。
俺達がある場所に入った時だった、暗闇の中から銃口が出て来てそれが火を噴いた。
パン!
多分胸にあたったのだろう。 息苦しい。呼吸が出来ない!
「は!」
目覚めると毎度のことながら、俺はリリスの双丘に顔をうずめて目を覚ます。ほんのりと暖かくていい匂いのするリリスの体温を感じながら、俺はバッと後ずさる。
すると部屋の隅から声がかかって来た。ミナヨだ。
「なに? まさかあなた達、体の関係ないの? ていうか、あなた童貞じゃない?」
「へっ! 何が! いったい何を言って!」
「動揺してる! 図星だぁ! こーんな可愛い子いるのに何もしてないんだー」
「い、いや! そう言うんじゃない!」
「それじゃなに? 他に好きな人でもいるの?」
「い、いや…」
「あ! 隣の美人さんだ!」
「別に彼女とは何の関係もないし!」
「なに真っ赤になってんのよ」
「なってないし!」
するとリリスが起きだして来た。そしてミナヨをじろりと睨む。
「なに?」
「な、なんでもないわ。世間話よ」
「そう…」
すると台所の流星からコンコンとノックされた。
「おはようございます!」
「あ、こっち来ていいよ」
「すんません」
そう言って流星も入って来る。俺が流星に聞いた。
「寒かったんじゃない?」
「いや。羽毛布団が温かくて大丈夫でした。それより隣りが、うるさくないっすか?」
「ああ、外国人が十人くらい住んでるんだよ」
「凄いとこっすね! もしかしてマフィア関係の?」
「違うと思う」
「まあべらべら秘密はしゃべられないっすもんね」
流星は流星で、未だに壮大な勘違いをしている。
「じゃあご飯でも買ってこようかな」
「いいっすね。ウーバーっすか?」
「コンビニかな」
「んじゃ俺言って来るっす! 何か食いたいっすか?」
「なんでもいいけど。俺が行って来るよ」
「いやいや。まかしてください! つーか、一般人のふりすりゃ良いんすよね?」
別に俺が気にしているのはそこじゃない。人を使い走りにするのが嫌なだけだ。
「いや」
だが俺が言い終わる前に、流星はとっとと出かけてしまった。とりあえず羽毛布団をベッドに戻して、俺とリリスが顔を洗い歯磨きをする。お湯を沸かして待っていると流星が戻って来た。
「戻りました! なんか商店街も朝から開いてて、正月っぽいのいろいろ買ってきましたよ!」
流星は袋いっぱいに何かを買って来た。それをテーブルの上に広げると、刺身や寿司、数の子や栗きんとんやローストビーフのようなものまであった。それともう一袋を見ると、缶ビールや焼酎が入っていて瓶のシャンパンまである。
「ずいぶん豪華だ。絶対食いきれない気がする」
「おめでたいっすからね。正月はこうじゃないと! 日本酒もありました」
「払うよ」
「いいっすいいす! 昨日大したもの御馳走できなかったんで! これぐらいはさせてください!」
するとリリスがやって来て言う。
「気が利くのね」
「ありがとうございます!」
俺達は正月らしく、料理を広げて酒盛りを始めるのだった。リリスにはジュースをあげていたが、俺達が酒を飲んでいるのを見て言う。
「私もそれが飲みたいわ」
「うーん。それは…」
すると流星が言う。
「おめでたいっすもんね! 正月ですし! 飲んじゃいましょう!」
パリピだ。めっちゃ陽気で楽しそうに酒を進めて来る。俺もいいかな? って気になって来た。
「じゃあ、少しだけだよ」
流星がリリスにグラスを渡して、とくとくとシャンパンを注いだ。リリスはそれをクピリと飲んでニッコリ笑う。
「美味しいじゃない」
「そう?」
俺はそれほど酒の味は分からず、シャンパンを飲んでも美味いと感じない。リリスは今度は日本酒を指さしていう。
「そっちも」
「酔っぱらっちゃうよ」
すると流星が言う。
「兄さん! 酒は酔っぱらう為に飲むもんっすよ! おめでたいんだし」
すると幽霊のミナヨも言った。
「そうよ。お正月くらい気前よくやりましょうよ」
うん、こいつらはホストと元キャバ嬢。酒を勧めるのがうまい。
リリスが日本酒を飲みだして、だんだん頬がピンク色に染まっていく。
「リリスも、そのくらいにした方が…」
「これも!」
今度はサワーを飲み始める。完全にちゃんぽんしているので悪酔いしないと良いが…
だが俺も気分良くなってきて、ビールを何缶か開けてしまった。俺の隣りを見るとリリスがトロンとした顔で俺を見つめて来る。
「レンタロウー」
「な、どうした?」
「なんでもないわー」
だが俺の腕をギューッと抱きしめて来た。そして肩に頭を乗せて来る。
「お正月って楽しいねー」
「そうだね。おめでたいよね」
「へへー」
何だかリリスがおかしい。酒を飲んだら随分年相応になったというか、幼い感じに俺に絡んで来る。
「姉さんも明るくなって来たっすね!」
するとリリスが、すとんと俺の胡坐をかいた膝の上に座って来た。そして猫のように俺に甘えだす。だが俺はどぎまぎしてどうしていいのか分からなかった。
唐突にリリスが俺に言った。
「別に元の世界に帰らなくてもいいかな。ここに居られるのなら」
すると流星が言う。
「大丈夫なんすか? あの世界から足を洗うって大変なんじゃ?」
流星の壮大な勘違いは続いていた。だがリリスが言った意味はどういう事なんだろう? あれだけ元の世界に帰るために頑張っているのに。
もしかしたら食べ物も豊富だし楽しくなっちゃったのかもしれない。だが俺は未成年がこの部屋に住み着くのを認めるわけにはいかない。
「えっと、中途半端は何事も良くないし、がんばろうね」
「うーん。わかったぁ」
リリスがトロンとした目で、めっちゃ甘えモードになって来たのだった。




