第27話 ぼったくりバー
キャッチの女と一緒にバーに入ると、俺は奥のテーブルに通される。まだ時間が早いからか客は俺だけで、とりあえず水が俺のテーブルに置かれた。そして俺をこの店に連れて来た派手な女が店員に言った。
「じゃあ、おねがいしまーす」
いやいや…まあ、ぼったくりバーだって知ってるから驚かないけど、君が俺と飲みたいって言ってここに連れて来たんじゃん。そんなあからさまに?
女がそう言うとスマホを見ながら店を出て行ってしまった。そもそも俺はキャバクラにすら行った事のない地味男。システムを知らないので、ぼったくりバーと知らなかったらこれが当たり前だと思ってしまってたかもしれない。
「何飲みます?」
バーテンの男がカウンターの中から言った。訳が分からないがメニューも見ずに注文してみる。
「とりあえずビールを」
「はい」
そしてすぐに別の店員が、ビール瓶とコップを持って来て机に無造作に置いた。
いや、店員がいるなら注文くらい取りに来いよ。
と思いつつ、仕方なく俺はビールをコップに手酌で注ぐ。何かめっちゃ泡立つビールだが、俺はとりあえず一口飲む。
ぬるっ!
まったく冷えてない。一体どっから持って来たんだろう?
する店員が言う。
「つまみは?」
そんな聞き方あるんだ? レストランや居酒屋ぐらいしか行った事が無いから逆に新鮮だ。
俺はテーブルに置いてあるコピー用紙のメニューを見る。そこにつまみの数々が乗っていた。
「あ、えっと。ナッツと…キムチを」
なんじゃ? 漬物と乾き物と果物しかない。あとはチョコレートとか果物盛り合わせとか書いてあるだけで、これからどう選べばいいというのだろう。注文するとすぐに出て来る。
テーブルに置いてあるキムチを見ると、コンビニで買った物をそのまま皿に乗せた感じだ。なんとなく衛生的に問題がありそうに思えて来て、手を付けるのを止めた。あまりいっぱい頼んで、何かあった時に対処できなくなる可能性もある。そしてまたビールを一口飲む。
店員達は俺に話かけもしない。俺はただビールを手酌で飲んでいるふりをする。すると店員が声をかけて来る。
「氷いる?」
氷? 一体何に入れる? 俺が飲んでいるのはビールだが?
「いりません」
「はい」
リリスとサジマはどうなってんだ? ていうかクジョウがいないみたいだが、本当にこの店にいるのか?
一人でここに居る事がどんどん不安に感じて来た。もしリリスに何かあったら、俺は一人でここをどうにか切り抜けなければならない。不安になって来たのでスマホを取り出して見る。その時、俺の目の前に氷が置かれた。
「え? 氷は頼んでないですけど」
「ん? さっき頼んだよね?」
「いえ、断りましたよ」
「うーん。ま、氷なんでね適当に使っちゃって」
とはいえビールに氷は入れない。俺はとりあえず氷には手を付けない事にした。そのまま待っていると、今度は店員がやってきて水を新しいのに変えた。水は手を付けていないから、そのまま置いてもらってもいいのに。
カランカラーン!
来た! リリス! やっと来たか!
俺が入り口を見ると、リリスではなくさっきの女が新しい客を連れて来たところだった。男の客は店内を見ると女に言った。
「ふーん。雰囲気のいいお店だね。こういう店よく来るの?」
「そうね。SNSでは言わなかったけど、結構お酒好きだから」
女の子はその男と一緒に席に座った。俺の時とはだいぶ待遇が違うようだ。
男が女の子に言う。
「SNSで見るより可愛いよね」
「ほんと! 嬉しい!」
「誘ってくれて嬉しかったな! 君みたいな可愛い子とSNSで知り合えるなんて」
「わたしも、来てくれてうれしい」
ははっ、なるほど。本当の手口はSNSで誘うのか…、俺はその前哨戦でたまたま道端で引っかかった間抜けな田舎者だ。
「何飲む?」
「えっと、シャンパンと果物が食べたいわ」
「よし。すみません、シャンパンと果物をお願いします。あと適当にお菓子の盛り合わせを」
「はい」
食べ物と飲み物が運び込まれてきて、それに男が一口手を付けた時だった。女が男に言った。
「ちょっとタバコ買って来る」
「あれ? 吸うんだっけ?」
「言ってなかったっけー? 嫌い?」
「いや、いいよいいよ。行っておいで」
女はそこに男を置いて出て行ってしまった。結局それから三十分も女は帰って来ず、男はスマホをいじり出す。そして一人ブツブツ言いだした。
「あれ? 帰ってこないな」
電話をかけて耳にあてる。だが何コールしても出ないようだった。
「なんだろ?」
そわそわし始めて、男が店員に言った。
「すみません。女の子がタバコを買いに行ったんだけど、帰ってこないから迎えに行っていいかな?」
するとカウンターの中から店員が言う。
「お客さーん! 困るんですよ、そう言ってお代を踏み倒すつもりなんじゃないの?」
「いやいや。そんな事はない」
「ウチも客商売なんでね、そういう事をされると警察に言わなきゃならない」
「いやいや。じゃあここまでのお会計をお支払いするから、いくら?」
「ああ、少々お待ちください」
そして店員がカウンターの奥から出て来た。隣りの客のテーブルに請求書を置く。
「あー、はいはい…。えっ? なんかこれ間違ってない? 桁が…」
「いやぁー。ウチは正規の値段でやらせていただいております」
「そんな、いくらなんでも女の子のつかない店でフルーツとシャンパンを頼んで、四十八万円? 四千八百円の間違いじゃないの?」
「いやあ、間違いないですねえ」
「こ、こんなの払えないよ!」
するとカウンターの奥から厳つい店員もやってきて、男を囲むようにして立った。
「マズいなあ…おきゃくさん。こう言うのはまずいよ。あんた地位もあるよね?」
「な、何を?」
すると店員がお客にスマホの画面を見せる。
「このアカウントあんたのだよね?」
「何で知ってんだ?」
「こういうのから、勤め先とか住んでるところとかも割り出せちゃうんだよね」
「ぼ、ぼったくりか!」
「おやおや、今度は因縁ですかぁ? それは良くないなあ、警察に来てもらうしかないかな」
「よ、呼んだらいい! そしたら警察に洗いざらい言う!」
「あー、そうなんだ。じゃあちょっと待ってねー」
そう言うと店員は電話をかけ始める。隣りの男は真っ青になっていて、足がブルブルと震えていた。俺もここがぼったくりバーだと知っているはずなのに、ブルブル震えて来る。
怖え…。
カランカラーン。そこに入って来たのは俺とリリスが見張っていた時に見た、あの刑事だった。間違いなくこの男もグルだろうけど。
「ああ、石渡さん! この人お金払わないって言うんですよ」
するとイシワタが男に警察手帳を見せて聞く。
「ああ、ちょっといいかな? お店の人が言っているのは本当?」
「そうです! 刑事さん。だけどこの金額を見てください! 果物とシャンパンだけですよ!」
そう言って客が四十八万円の請求書をイシワタに見せると、イシワタは店員に聞く。
「んー、これって正規の値段?」
「ええ、うちではこれでやらせてもらってます」
「んー、お客さん。これだとね、お店の方に値段を確認しなかったあんたの方が悪いね。ここは普通に払わないとダメなんだよね、法律上はね」
「そ、そんな馬鹿な! 法外でしょ?」
「いや、値段はお店の方で決めれるんだよね。もし払えないって言うなら、署に来てもらうしかないかな?」
お客が絶句した時だった。
カランカラーン。
たばこを買いに行ったはずの女が帰って来る。お客はすがるように女に言った。
「あっ! 真奈美ちゃん!」
男が声をかけたのに、女は知らんぷりして煙草を取り出して火をつける。
「ふーっ」
「真奈美ちゃん! この人達おかしいんだ。フルーツとシャンパンで四十八万円だって」
「えー、そのくらい普通じゃん? 早く払っちゃいなよ」
そこまで来て、男はようやく気が付いたようだ。女もグルだって事に。
「グルだったのか…」
「あらぁ? 何の事かなあ?」
「こ、こんな事してタダですむと思ってるのか!」
すると目の前にいるイシワタが客に言った。
「とにかく、身分証明になるもの置いて行きなさい。とりあえずお金を降ろして持ってくるといい」
「あんた本当に警官か?」
するとイシワタはまた警察手帳を出して、その客のテーブルに置いた。それをまじまじと見て、客はガクリと頭を落とす。
うわ? まずい! このままだと俺まで! えっとナッツとキムチとビールでいくらになるんだ!
焦って俺がガタンと立ち上がる。
「おや、そっちのお客さんは一体どこに?」
「あ、いや。トイレ! トイレあります?」
「ああ、それなら店の奥だよ」
「あ、わかりました」
俺はテンパりながら奥のトイレに入る。小さい小窓があるのでそこから外をのぞいたら、隣のビルの壁が見えるだけだった。こんなところからは逃げられない。
どうしよう…。
すると店内から怒鳴り声が聞こえて来る。
なになに! どうしよう…
薄っすらとトイレのドアを開いて中を見ると、イシワタが客の襟首をつかんで立たせている。俺はそれを見てなんとか救わなければと思ってしまった。すぐにトイレのドアを開けてそこに行く。
「あの! 暴力はダメです!」
「なんだぁ? おまえ?」
イシワタはさっきの丁寧な言葉遣いをやめていた。そして俺に向かって凄みをきかせている。マジでこれが警官だと知ったら聞いて呆れる。
「と、とにかく話し合いを!」
そのお客も自分一人じゃないと分かったのか、俺に救いを求めるような顔をしてくる。だが店員が俺に言った。
「あんたも、もうサービスタイム終わってるよ」
「へっ?」
店の男が俺に請求書を見せて来る。
ビール八万円
キムチ五万円
ナッツ四万円
氷五万円
水一万円
チャージ三万円
金額は合計で二十六万円となっていた。
なんで氷がナッツより高いんだ! 水が一万円ってなんだ! ビール一本八万円? 訳が分からん。そうか…果物とシャンパンよりは安いんだ。って言ってる場合じゃない! とにかくこの客を逃がしてあげなくちゃ!
俺は無い頭で考えた。はったりだ! はったりしかない! それで何とかしよう!
「イシワタ! おまえ! ホンチョウでは掴んでるんだぞ!」
咄嗟に出た言葉だった。俺は早速、幽霊ヤクザのサジマから聞いた業界用語を交えて言う。するとイシワタの表情が一瞬で変わった。
「えっ、あんたの顔なんて見たことないけど」
「普通、モグラが顔見せるか?」
「まさか…あんたが、モグラ?」
「そうだよ」
どうしよう…。嘘を言っちゃった。バレたら殺されるんじゃないか? だけどとりあえずこの男の人を逃がしてあげないと!
変な空気になった事で店員がイシワタに聞く。
「石渡さん。これ、どういう事?」
するとイシワタが豹変して店員に言った。
「いやあ、店員さん。この請求書は間違いだよねえ? こちらは警視庁の刑事さんだ」
「あ、ああ。そうですか! あれ? 桁を間違ったかな?」
「すぐに書き直して」
「はい」
そう言って店員が、四千八百円の請求書を持って来た。
「こちらになりまーす」
「あ、ああ」
お客は五千円を財布から抜き取ってテーブルに置いた。
「じゃ、じゃあ。私はこれで」
そう言って、そのお客はそそくさと店を出て行ってしまう。結局、いま店の中で、ヤバい立場なのはホンチョウから来た刑事のふりをした俺だけだ。あの人もせっかく助けたのに薄情なものだ。
俺のそんな表情を読み取ったのか、イシワタが俺を疑うように聞いて来る。
「上司は誰なんです?」
「い、言う必要はない」
「私を追っていたんですか?」
「お前はぼったくりバーと繋がってるからな」
それが俺に言える精一杯だった。その瞬間イシワタの表情が消えた。そしてこれでもかって言うくらい低いトーンで俺に言い放つ。
「ホンチョウが舐め過ぎですよ。相勤も連れずに潜入とか」
イシワタは鋭い目つきに変わり、店の奥の部屋に向かって叫ぶ。
「おい! 仕事だ!」
すると奥の部屋から、俺達が追っていたクジョウが出て来たのだった。




