第16話 警察沙汰にはしたくない
三軒茶屋に向かうタクシーの後部座席で、俺は運転手に聞かれないようリリスの耳元でぼそりと言った。
「えっと、あの事は誰にも話しちゃいけない」
「…わかったわ」
バックミラー越しに運転手がチラリと見て来たので、俺はそれ以上何も話さなかった。リリスも流れる景色を物珍しそうに見るだけで、何事も無かったようにしている。
なじみの道が見えて来た時も俺は焦っていた。気づけば夕方になっていたからだ。
「買い物袋…あるかな」
俺はぼそりという。東京という町は田舎ほど甘くない、と言うのも俺はそういう体験をいろいろしてきた。田舎ではありえないような事が、東京では容易に起きる事を知っているのだ。
ある日、雨の降り始めの時にコンビニに立ち寄った事があった。入り口の傘立てに自分の傘をさして買い物をし、買い物袋を提げて外に出たら傘はあとかたも無かった。入った時には三本くらい立ててあったのだが、恐らく買い物客の誰かが持って行ったのだろう。財布を落とした時なんかは、警察に届いていたものの現金は抜かれていた。カードや免許書が無事だっただけでもホッとしたもんだ。
三軒茶屋についたので、俺はわずかな望みを胸にキャロットタワー前のカフェに足を進める。カフェの前の道を、リリスと二人で探すがどこにも見当たらなかった。仕方なくカフェの中に入って店員に聞く事にする。
「いらっしゃいませ」
店員から声がかかるが、俺はお茶をしに来たわけではない。ちょっと気まずさを感じながらも店員の所に行く。
「あのー、すみません」
「はい?」
「買い物袋の落とし物とか届いてませんか? 服とか下着が入ってるんですけど」
すると店員が言う。
「すみません。確認してきます」
少し待つと店長とバッチに書いてある人が出て来た。
「落とし物でございますか? 店内では忘れ物などは届いておりませんが」
「いえ。あの、この店の前に忘れてしまったんです」
「当店には届いていないですねー。お役に立てず申し訳ございません」
「いえいえ。忙しい所失礼しました」
「いえいえ。見つかるといいですね」
「はい」
俺とリリスは店を出る。どうやらカフェには届いていないらしい、となれば近くの交番に行くしかない。交番は大通りに面したところにあり、このカフェの道一つ向こうにある。
交番に向かって歩き俺は足を止めた。リリスが俺に聞いて来る。
「どうしたの?」
「いや…」
俺の頭の中には、先ほどのヤクザ殺害とゾンビ化の映像がグルグル回っていた。もしそれが発覚したら、俺達は豚箱行きになるんじゃないだろうか?
いや…、まだバレているわけが無い。そもそもそんな事が起きたら、警察も慌ただしく動いているはず。あと買い物袋が届いていたとしたら…レシートでバレて捜査されたりとか? いやいや、買い物袋を落としただけで捜査なんかするか? でもまてよ、もしかしたら誰かが通報してたりして?
パニック直前でリリスが俺に言う。
「そんな事は無いと思うわ」
「へっ?」
「だから、それの力で聞こえているわよ」
リリスは隷属の腕輪を指さした。そうだった、俺の考えはリリスに筒抜けになっているのだ。
「そうかな?」
「そこの店では、何も起きていないような感じだったじゃない。と言う事はこのあたりで騒ぎなんか起きていないのよ」
そう言われてみればそうだ。もし騒ぎが広がっていたら、さっきカフェで聞いた時に店員が何かを知っているはずだ。
「じゃあ交番に行ってみる」
「そうしましょう」
俺とリリスが大通りの方に出て左に曲がる。目と鼻の先にあるファーストフード店の前が交番だ。だがまた俺はリリスを止めた。
「ちょ、ちょっとまって」
「どうしたの?」
「二人の関係を聞かれてしまうかもしれない」
「…聞かれて問題あるのかしら?」
「この国じゃ、大人が未成年と一緒だといろいろ問題があるんだ」
「私は成人してるわ」
「この国じゃ、成人は十八歳からなんだよ」
「えっ? そうなの?」
「だから二人で行くと問題になるかもしれない、リリスはここで待っててくれる?」
「わかったわ」
俺はリリスをそこに置いて一人で交番に向かった。交番に入ると中から警察官が出て来る。
「どうしました?」
「あのー、買い物袋を落としたんですけど届いてませんか?」
「買い物袋かあ…届いてないなあ」
「そうですか、わかりました」
「あー! まってまって、この辺りで落としたの?」
「はい、すぐそこの道に置き忘れて」
「そうか。なら、これから届くかもしれないから届いたら連絡入れようか?」
ギクッ! ヤバい。それだと住所氏名年齢職業を書かされるんじゃないか? そこを足掛かりに、ヤクザ達をゾンビにしたことがバレるかもしれない。どうしよう…
「あの、もう少し探してみます」
「そう?」
「はい」
警察はチラリと俺の目を見た。
えっ? なに? ヤバいか?
俺が慌てて、くるりと振り向き交番を出ようとした時だった。
「あー君!」
ギクゥ! やっぱりヤバかった? どうする? 逃げる? いや…余計に怪しいか?
「はい?」
「君は東京の人じゃないのかな?」
するどい…。俺の背中にどっと汗が噴き出て来た。
「はい。田舎から出てきました」
「そうか、大事なものは肌身離さず持っていた方がいいよ。海外より治安が良いと言ってもね、東京はいろんな人がいるからね」
「わかりました。気をつけるようにします」
「それじゃあ気を付けてね」
「はい」
そして俺はすぐに交番を出た。
ドキドキしながらも、すぐにリリスの所に向かうと男二人に声をかけられていた。もしかしたら絡まれているのか? 近寄ってリリスに声をかける。
「お待たせ」
すると男達がくるりと振り向いて言った。
「なんだあ…彼氏さん? ごめんね、一人で立ってたからナンパ待ちかと思って」
「ちょっと交番に行っていたので」
「そっかそっか」
そしてもう一人の男がリリスに行った。
「彼氏がいるならいるって言ってくれないと」
そう言って、二人の男は飲み屋街の方へと消えて行った。
「はは、彼氏だって。ごめんねリリスにそんな気はないのに、アイツら勝手に…」
リリスが俺の言葉を遮って言う。
「あれは、なにが目的なのかしら?」
「遊ぶ女の子を探しているんだよ」
「遊ぶ? 私と?」
「だと思う」
「暇な事ね」
「まあ、そうだね。というか、交番に落し物は届いていなかったよ」
するとリリスは残念そうにした。
「そう」
「ごめんね」
「いい。服が無くてもどうにかなるわ。ただ…」
「ん?」
「せっかく、レンタロウが買ってくれた服だったのに」
リリスが俯いて悲しそうな顔をした。やはり、新しい服が無くなってショックなのだろう。
だけどたぶんもう戻ってこない…
俺は上着のポケットに手を突っ込んだ。忘れていたけどヤクザの所でもらったお札が入っていた。
「あ、これ…」
「ああ。盗賊? じゃなくて、ヤクザからの戦利品ね」
「戦利品?」
「そう。盗賊や魔獣を討伐したらその持ち物は、討伐した人に権利があるのよ。その隷属の腕輪もそうだったわ。ヴァンパイアを討伐して権利が私に移ったの」
「そうなんだ。じゃあこのお金はリリスのだね」
「違うわ。レンタロウが命を賭けたのだから、レンタロウが受け取るべきだわ」
「でも、俺はあいつらに食ってかかっただけだし」
「勇気の代償よ」
なるほど、リリスはあくまでも俺から金を受け取ってはくれないようだ。だが戦利品だというのなら、このお金は使ってしまった方が良い気がする。
「…ならこれでまた新しいの買っちゃおうか!」
悪い事のような気もするが、こんな金を持っていたら運気が下がりそうな気がする。俺が新しいのを買おうと言ったらリリスの顔がぱっと明るくなった。
「えっ? いいの? あ、あの…レンタロウがそうしたいのなら」
「リリスは疲れたかい?」
「いいえ。楽しかったし、人にも慣れて来たわ」
「なら今からまた買いに行こう!」
「まだお店は開いてるの?」
「ちょっと待って」
俺がスマホで時間を見ると、まだ午後六時になっていなかった。スマホでマルキューの営業時間を見れば夜九時までとなっている。
「余裕で開いてる、行こう!」
心なしかリリスが凄く嬉しそうだ。俺はリリスの手を引いて、タクシーを拾い再び渋谷へと向かうのだった。




