第14話 心臓急停止
俺がボコボコに蹴られていると突然リリスが立ち上がり、無表情で男達のそばにやって来た。そして男達を睨む目が赤く光った時、唐突に部屋の扉が開いた。リリスの目がスッと元の紫に戻る。
「おい! おまえら! 何してんだ?」
と怒号が飛んだ。
「す、すんません!」
「こいつが生意気なもんで」
「ちょっと教育をしていただけです」
上の人に言われると、男達は蹴るのを止めてスッと離れたのだった。俺が丸まっていると、そこに男がやってきてしゃがみ込んだ。俺は恐る恐るそいつの顔を見ると、薄い色のサングラスをかけたスーツの三十代くらいの男だった。俺の顔を覗き込んで声をかけて来る。
「悪いねえ、おにーさん。こいつらちょっと行儀が悪くてねえ」
俺は何も言わず固まっている。
「とにかく、座ってくれ」
スーツの男は俺の手を引っ張って起こしてくれた。そしてソファーに座るように促す。
「こいつらが迷惑をかけたようだね。堅気のあんたに迷惑をかけるなんざ、どうしようもねえ奴らだ」
がたがたと震えていると、男は俺の肩にグッと手を置いて言う。
「怖い思いをさせてすまなかった」
どうやら少しは話の分かる人が出てきたようだ。俺は痛む体を我慢して息を吸う。少しは落ち着いて来るが、未だに体の震えは収まらない。スーツの男は俺の前に座り、テーブルの上に置いてあるケースから煙草を一本取った。それを口にくわえると、横に立っていた男がライターの火をつけて差し出す。
「ふぅー。まったく、最近の奴はすぐに堅気に手をあげる。馬鹿やろう!」
スーツ男は、煙草に火をつけた男の頭を叩く。
「す、すんません」
「とにかく、とんでもない事をしたようだな」
「い、いえ…」
スーツの男は、めちゃくちゃ鋭い目つきで美咲さんをナンパしていた男を睨み口を開く。
「で、この人が、なにしたんだっけ?」
「はい! こいつは営業妨害をしたんです」
「営業妨害? そうなのか? お兄さん?」
俺は営業妨害などしていない、困っている美咲さんを助けただけだ。
「え、営業妨害なんてしていません」
すると美咲さんをナンパしていた男が言った。
「てめえ! 勝手にしゃべんじゃねえよ」
だがスーツの男の怒号が飛ぶ。
「うるせえ! おりゃ、この兄ちゃんに聞いてんだ!」
「すんません」
その怒鳴り声にビクッとしてしまい、更に震えが止まらなくなった。
「なにがあったんだっけ?」
俺は震えながらも、美咲さんをナンパしていた男を指をさして言う。
「この人が電車の中で女の人に絡んでいたので、そう言う事はしない方が良いと言っただけです」
「そうなのか?」
「いえ! 絡んだんじゃありません。勧誘してたんです!」
「なるほど…」
するとスーツ男の目がリリスで止まった。そしてリリスに向かって言う。
「あんたは?」
「リリス」
「ふむ」
そう言ってスーツ男がサングラスをずらし、リリスをジロジロと舐めまわすように見た。その後でスーツ男が俺に言った。
「兄ちゃん。あんた、とにかく帰った方が良い。お前達も、もう用はないだろ?」
「は!? 帰すんですか?」
「何言ってんだ! 堅気だぞ?」
「…はい…」
「か、帰って良いんですか?」
「もちろんだ。ただ、こんなことをしたって警察に言われると、うちらも困るんだよね。念のため免許証とか保険証もってる?」
うげ…。そんなものをとられたら一巻の終わりだ。
「もってません。家に置いて来ました」
「…なるほど」
「とにかく今日、起きたことは誰にも言いません。だからこのまま帰してください」
スーツ男がぎろりと俺を睨むが、すぐにその表情を温和なものに変える。
「そうだな。あんたはここに来ていない、そう言う事でいいか?」
「お、おねがいします」
「じゃあ、帰って良いよ」
なんだか物凄く物わかりの良い人で助かった。俺はリリスの所に行って手を繋いで部屋を出ようとする。
「おいおい、お兄ちゃん。彼女は関係ないだろ?」
「は? いや…、彼女は僕のツレですので」
「そのおねえちゃんは、そのまま置いてって貰わねえとな」
こいつもクソだった。一瞬、良い人のように思った俺が馬鹿だった。
「おいていけません」
「ほう…。あんちゃん、今の立場分かってんの?」
「分かってます。何も迷惑をかけていない一般人を脅して、女の子に嫌な事をさせようとしているんですよね? 僕らは、そこから大人しく帰ろうとしてます」
しまった。我ながら余計な事を言ってしまった。それを聞いたスーツが沈黙し、しばらく下を向いてため息をついた。
「はー。なるほど、馬鹿っているんだなあ。女を置いて行けば無事に帰れたのに、やっぱダメか」
「な、なにを?」
「おい! お前ら! こいつを地下に連れてって痛めつけろ!」
「「「「はい!」」」」
男達が俺に迫って来たので、デカい声で言う。
「や、ヤメロ! 警察に言うぞ!」
「はははは。そんなことしたら、海に沈むだけだぞ」
ぞくりとする。スーツの男の表情からするとマジでするかもしれない。このままでは、リリスがとんでもない事になる。俺は一番近くの男に体当たりをかました。
ドガ!
「なっ! この野郎!」
カチャ。
そこに扉から年配男が入って来た。するとスーツ男も立ち上がって皆が一斉に挨拶をした。
「「「「「お疲れ様です!」」」」」
年配男が全員に睨みをきかして言う。
「何、騒いでんだ!」
するとスーツ男が言う。
「いや。オジキ! こいつが商売道具を連れて行こうとしたので、ちょっと分からせてやろう思いましてね」
年配男がリリスを見る。そしてスーツ男に言った。
「この、あんちゃんにさっさと金を渡してやれ」
「わかりやした!」
命令されたスーツ男が下のやつに声をかけると、ちっさい金庫を持ってくる。スーツ男はそこから金をとりだして俺に握らせて来た。金額にして十万円以上あるようだ。
「悪かったね、お兄さん。とにかくこれでいいな?」
「え、いや! お金とかいただけません!」
「いやいや。悪い事をしたんだ。このくらいの事は当然だ」
やはり年の功。さすがにこの状態はおかしいと思ったのか、金で示談をしようとしているらしい。だがこれで、やっと俺とリリスは解放される。
「と、とにかく帰ります!」
俺がリリスの手を握ると、あとから来た年配男が言った。
「おいおい、こっちは筋を通したんだ。あんたは金を受け取ったんだろ? お前さんは女を置いて行く、それで終わりじゃないか?」
はあ、やっぱクズの上司はクズだった…
「金なんて、い、いりません!」
俺は金をテーブルの上に置いた。すると年をとった男が言う。
「いやいや、一回受け取った金を、おいそれとは受け取れねえ」
「彼女は物じゃありません!」
俺はリリスの手を引いて入り口に向かう。すると年取った男が言った。
「おい」
するとチンピラとスーツの男が、ぞろぞろと入り口に立ちふさがる。年をとった男が後ろから言った。
「あんちゃん。あんまり、うちらの業界舐めてもらっちゃ困るな。こっちは筋を通したんだ。大人しく女を置いて帰った方が身のためだぜ」
「できません!」
すると年をとった男が、一番どすの効いた声で言う。
「今の東京湾は冷たいだろうねえ…」
「なっ!」
「あんちゃん、泳ぎは得意かい?」
ダメだ…やってしまった。俺は殺される。リリスを救えもしなければ、美咲さんもいずれは捕まってしまうだろう。いったいなんでこんなことになってしまったのか、俺が一体何をしたと言うのか。悔しさで目頭が熱くなり、ブルブル震えて年配男に叫んでしまった。
「クズのくせに! 社会に寄生しているゴミのくせに! お前らみたいな奴らは滅ぶべきなんだ! ゴミクズが!」
するとそこにいた全員がへらへら笑う。
「はははは、クズねぇ…」
「なんだって威勢がいいもんだ」
「お前、自分がどうなるかわかってんの?」
「いやだねぇ。情況が見えない奴は」
男達がひとしきり笑った後、年配男が言った。
「人を簡単に殺せないと思ってるのか? こんな都会じゃ行方不明者なんて山ほどいる、人知れず死んでいく奴らなんかごまんといるんだ」
俺はすっかり頭に血が上っていたが、スーッと血の気がひいてくる。
スーツの男が言った。
「地下で殺して、海に沈めて来い」
「「「「はい!」」」」
「い、いやすみません。違うんです! 言いすぎました」
「連れていけ」
終わった…。俺がそう思った時だった。リリスが俺にぼそりという。
「この人達は盗賊? 死んだら法に触れる?」
それを聞いた男達は更に大笑いした。年配男がリリスに言う。
「威勢がいいのはお姉ちゃんのほうだったか! わしらをどうするって?」
スーツの男も笑いをこらえて言った。
「まあ楽しみにしてな! 風俗じゃめちゃくちゃ売れると思うからよ! そのまえにうんと可愛がってやっからな!」
俺は震えながらリリスに言った。
「こんな奴ら社会の悪だ! いない方が世の中の為になる!」
そういって俺が、入り口に立つ男達に飛びかかろうとした時だった。リリスが冷静に言う。
「動かないで。レンタロウの気持ちは痛いほど分かったから」
男達がへつら笑っている。だが唐突にリリスの体から何本もの透け通った腕が生えて来た。俺はそれを見て目を見開く。だが男達には、そのリリスの透けている腕が見えていないようだ。
「レンタロウは見えるの?」
「見える」
「きっとそれのせいね」
そう言って隷属の腕輪を指さした。
男達が笑いながら俺に近づいた時だった。その透明な手が、そこの部屋にいる全員の胸のあたりに伸びてスッと潜り込んだ。
なに?
そう思った瞬間。男達全員の動きがぴたりと止まる。
「えっ?」
そして次の瞬間。
ドサドサドサドサ! と全員がその場に倒れた。目を見開き、苦しそうな顔で目を血走らせながら身動きをしていない。
「な、なに?」
するとリリスがニッコリ笑って言った。
「心臓を握っただけ」
「え…」
「心臓が止まっているわ」
「死んでるって事?」
「そう」
なんとそこにいた全員が、急に心臓を止めて死んでいたのだった。




