悪役でもライバルでもない私
登校して自分のクラスに入るといつもより騒がしく感じた。特に挨拶を交わすクラスメイトもいないのでそのまま自分の席に向かう。机に鞄を置いて教科書を出しながら教室内の会話に耳を傾ける。どうやら美少女の転校生が来るらしい、一体どこから仕入れてきた情報なのか。話題になっているからこのクラスに来るのかと思えば違うらしい。
特別興味があるわけでもなかったがなんとなく話を聞いているうちに担任の教師が教壇に立ち朝のホームルームが始まった。出欠席を取り、連絡事項を事務的に並べて、ホームルームも終わりというときにクラスのお調子者の男子がはいはーいと手を挙げた。
「先生ー、美少女転校生がきたって本当ですかー!」
「美少女かどうかは言葉にしかねるが、転入生が入ったのは本当だ。B組だったか、容姿は自分で確認しにいけ、以上」
1限の準備してろよと言い残して担任の教師は教室を出ていった。確定の情報を得て、また教室内は騒がしくなる。B組というと幼馴染がいるクラスだ。
私には顔がよく頭がよく優しい男の幼馴染がいる。名前を花長貴昭という。家が近所で母親同士の馬があったこともあり、物心つく前から家族ぐるみの付き合いで自然と一緒に行動することが多かった。今でも花長貴昭ーーたかくんとは登下校を共にする仲だ。恋愛感情はない、少なくとも私には。たかくんにもそういう素振りは見受けられないし、色恋に興味があるようにも見えない。ただ、傍から見れば男女がいつも一緒に登下校をしている様は特別な関係に見えるのだろう。たかくんはその容姿や優しい性格から女子にモテるので、私は必然的にやっかみの対象となる。ある程度の嫌がらせは受けてきたが、現在は遠巻きにされていることくらいで大して実害はない。たまに下駄箱にゴミや怪文書が入っていることはあるが、小学生の頃から徐々に始まり断続的に続いているので日常とさほど変わりない。私はそういうことをされるのを承知で現在までたかくんと一緒にいる選択をしたのだ。
一緒にいるだけで嫌がらせを受けるほどモテる幼馴染のいるクラスに美少女(仮)転校生がくるというのは漫画のような話だ。
その日の休み時間、トイレに行こうと廊下に出た際B組の方を見てみたら通行の妨げになるほど廊下に生徒が溜まっていた。思わず口からうわぁと声が漏れた。私のクラスはE組で、C組とD組の間に特別教室棟への渡り廊下がありトイレと階段は両縁のA組F組側にある。A組は特に大変だろうなと思いながらトイレに向かった。
帰り道、隣を歩くたかくんに転校生のことを聞いてみると大変そうだったと他人事のように笑っていた。実際、席が近いわけでもなく、休み時間ごとにクラスメイトに囲まれていたから最初の自己紹介くらいでしかまともに顔も見られなかったそうだ。
その後、転校生の話題は広がることなく日常の会話に埋もれていった。
数日間はB組に面する廊下に人だかりはできていたが、日ごとに人数は減っていき、一週間もすれば日常の姿を取り戻していた。私は直接目にしていないが、我がE組でもその姿を見に行った人は多く、前評判に違わず魅力的な少女であったという会話を耳にした。男子が盛り上がるのは分かる、転校生というだけで目新しく魅力的に映っても不思議ではない。だが女子は同性の評価には厳しいものである、しかも、たかくんのクラスというのも見る目を厳しくするであろうに女子も揃って可愛かったと評しているのだから本当に可愛いのだろう。気になりはするが同じ学校の同学年であればその内会うだろうとわざわざ見に行くことはしなかった。
機会というのは意外と早く巡ってくるもので、昼休みに飲み物を買いに出たところ同じように出てきていたたかくんと自販機前で鉢合わせた。一緒に教室へ戻る途中、ばさばさっと紙をぶちまけたような大きな音が聞こえ、たかくんと顔を見合わせて音のする方へ向かうと、慌てた様子で散らばった紙(恐らくプリントか何かだろう)を拾う女子生徒がいた。たかくんが「あの子だよ、転校生の高宮さん」と私に言って女子生徒ーー高宮さんの方へ駆け寄っていった。結構広範囲に散らばっているから拾うのを手伝うのだろう。関係ないからと立ち去るほど私も非情ではないので離れたところのプリントを拾う。
「高宮さん大丈夫?」
たかくんが拾い集めたプリントを差し出しながら声をかけると高宮さんは鈴のなるような声で「ごめんなさい」と謝りそれを受け取って、改めて「花長くんだよね、同じクラスの。ありがとう」とお礼を言った。まるで漫画のワンシーンのようだと思いながら二人に近づくとこちらに気が付いたたかくんが「ゆうちゃんも手伝ってくれてたんだね」と声を掛けてくれた。
「流石にそのまま立ち去るほど薄情ではないよ」
「ありがとう」
たかくんの呼びかけでこちらに気付いたであろう高宮さんにプリントを渡す。ありがとうと言う声は先程より固く、表情も驚いたように強張っていたがじっとこちらを見るくりっとした丸い目が不審に揺れていた。
「あなた、誰……?」
声はわずかに震えていた。それに気付かなかったのか、たかくんは自分の幼馴染だと極めて普通に私を紹介した。どうもと頭を下げる。たかくんの声で我に返ったのか多少のぎこちなさは残っていたが、高宮さんはよろしくお願いしますと笑った。
高宮さんを手伝うというたかくんと別れ、一人教室へと向かいながら先程の高宮さんの様子を思い出す。明らかに私に対して怯えというか恐怖を感じているようだった。当たり前だが理由は分からない。初対面なのだから誰かという問いかけはあって不思議ではない、ただ、それが私が何者かではなく私の存在そのものに対する問いかけであったように感じた。
胸中には存在不明の違和感だけが残った。
★
美少女転校生と面識を持った翌日、下駄箱に手紙が入っていた。クローバー柄のファンシーな封筒には宛名も差出人もなく、まさかラブレター!? なんて浮かれてその場で開けるほど私の頭の中はお花畑ではなかった。
そもそも男子からのラブレターだとしてこのレターセットはファンシーすぎるだろう。女子からだとすれば好意的なものとは考えにくい。小学校高学年のころから何度か下駄箱に手紙入れられていることはあったが、大体はたかくんと一緒にいることへの苦言で、ごく稀にあった好意的な手紙は悪戯か、呼び出すための偽物ばかりだ。どこで得た知識なのかカッターナイフの刃が入っていたこともあるし、便箋にびっしりと赤字で死ねと綴られていたこともある。
高校生になってからはこれが初めてだろうか。教室についてから確認しようとカバンに入れ、廊下で待っているであろうたかくんのところへ向かった。
後回しにしたものは忘れ去られる運命である。
帰宅し、カバンの中のものを出した拍子に床にひらりと落ちたものを見て「あっ」と声を上げた。今朝、下駄箱に入れられていた手紙だった。
折角だからと興味本位で封を開ける。中から不審物が出てこないか逆さにして振ってからようやく便箋を取り出して内容に目を通す。といっても書いてあったのは『お話したいことがあるので、放課後、校舎裏で待っています』とだけだった。封筒にも書かれていなかったが、便箋にも差出人の名前はなかった。こんな内容悪戯だろうけど、もし本当に呼び出しの手紙だったとしたら、差出人は来るはずのない私を校舎裏で待ち続けていたのだろうか、そう考えると少し不憫に思えた。
そして、手紙はゴミ箱に捨てた。
「昨日、どうして来なかったの!?」
翌日、登校して下駄箱で上履きに履き替えていたところにそう声をかけられて、そちらを見ると先日顔を合わせた転校生が怒りを滲ませた表情で立っていた。美少女は怒り顔まできれいなんだなと口に出したら更に怒られそうな感想を抱いた。
「昨日って……下駄箱に入ってた手紙のことですか?」
「それ以外に何があるっていうの」
「ごめんなさい、家に帰ってから目を通したので。差出人の書いてない手紙って怖いじゃないですか」
存在自体を忘れていたなんて言ったら逆鱗に触れそうで無難な言い訳を並べると彼女は納得したのか、確かにと呟いた。不審に思われるなんて微塵も考えていなかったようだ。
「あれ、高宮さんおはよう。ゆうちゃんどうしたの?」
「は、花長くんおはよう、何でもないの。あなた、今日は放課後絶対来なさいよ」
そう言い捨てて高宮さんはそそくさと立ち去った。
たかくんが、どうしたんだろうねと言うから、さあ? と返して、今日の帰りは用が出来たから先に帰っていいよと伝えた。流石に本人が声をかけてきたのにすっぽかせるほど肝は座っていないし、嫌がらせのために呼び出したわけではないなら何の話だがあるのだろうと興味もあった。
本日の授業も終わって放課後、高宮さんは昨日すっぽかされて私のことが信用ならないのかわざわざ私のクラスの教室まで迎えに来た。ヒソヒソされたり視線が刺さるのには慣れていたつもりだったのに今は妙に居心地が悪くて足早に教室を出た。
連れてこられた先は校舎裏じゃなくて特別教室棟。周囲に人が居なければ校舎裏である必要はないのだろう。この辺でいっかと階段下の薄暗い場所に立ち止まった高宮さんがくるりとこちらを向いてじっとりとした目つきで私を睨めつけた。
「で、私に話ってなんですか?」
さっさと済ませたい気持ちで単刀直入に聞くと今度は言葉を探すように視線を漂わせ、体の前で組んだ手を握ったり離したりと落ち着きなく動かしていた。朝はあんなに昨日のことを怒っていたのに一体どうしたいのか。意図した訳では無いが、思わずため息が出て、静かな場所であることも相まって大きく響いたのに驚いたのか高宮さんの肩がビクリと跳ねた。この状況、何も知らない人に見られたら私が高宮さんをいじめているように映るだろう。そんな状況も含めて高宮さんには早く用件を話して欲しかった。
「用がないなら帰ってもいいですか?」
「用はあるから! その、あなた、何者?」
「……は?」
「私、あなたのこと知らないわ、私の知ってる花長くんに幼馴染なんて居なかった、あなた一体何者?」
高宮さんは初めて会ったときと同じように怯えを孕んだ不審げな表情でこちらを見ていた。
何者と聞かれても私は私でしかなく、聞かれた意味も分からない。たかくんとはずっと幼馴染だし、彼女の知るたかくんなんて私は知らない。
「ちょっと、言ってる意味が分からないんですけど」
「あなたも私と同じ転生者なんでしょう、物語が始まる前にフラグ立てるなんてズルい! 私はこの世界でヒロインなの、花長くんは私の王子様なのになんであなたみたいな女が隣りにいるの、そこは私の場所のはずなのに!」
まくしたてるように言われた言葉が何一つ理解できず言葉が出てこなかった。いわゆる電波系と言うやつなのだろうか、そういえば昔に「貴昭くんと私は運命なの」とか言ってきた子がいたなと思い出した。しかし、転生者かと聞かれたのは初めてだ。転生者がどういう存在か分からないけれど、前世の記憶とかがあったとしたらきっともっとうまく立ち回ってこんな女子から遠巻きにされるような状況にはなっていないだろう。
「つまり、たかくんのことが好きだから私が邪魔ってことですか?」
「いや、そうじゃなくて、あなたも私と同じような存在なのかと」
「転生者? ってことですか? それは違います」
「じゃあ、本当にただの幼馴染……?」
ストーリーに書かれなかった部分ってこと、などとブツブツ言いながら考え込んでいる高宮さんにもう帰ってもいいかと聞くとバッと顔を上げて待ってと引き止められた。
「あなた、花長くんの”ただの”幼馴染ですよね? だったら、私に協力して!」
いいでしょう? とこちらを見つめる瞳が言ってる。
「たかくんにアプローチするのは構いませんけど、協力はお断りします」
きっぱりと言い放つと断られるとは思っていなかったのか高宮さんは目を丸くしたあとむくれて
「ただの幼馴染なんでしょう、仲良くなる手伝いしてくれるくらいいいじゃない」
そう当たり前のように言い放った。
「どうして私が良くも知らないあなたの協力をしなければいけないんですか」
自分の声が冷えているのが分かる。高宮さんの大きな目に無表情の自分が映っている。えっ、と小さく戸惑うような声が聞こえたが知らない振りをして続ける。
「もし、あなたが本当にヒロインだっていうなら私の協力なんて必要ないでしょう。たかくんとは同じクラスなんだし交流する機会はいくらでもあるはずです。邪魔はしません、本当に彼が好きならご自身で頑張ってください」
話はもう終わりですよね、と一応訊ねたものの唖然としている高宮さんの返事も待たずに身を翻した。
たかくんへの橋渡しを頼まれたことは初めてじゃない、どうしてこういう人は恋愛関係でなければ協力することが当たり前のように言うのだろうか、行き場のない苛立ちが腹の底で渦巻いていた。