5-3 励まし
アストレイ公爵の仕事部屋から出ると、護衛は見知らぬメイドと談笑していた。それ見たことか。女とあらばすぐに口説く、女の敵だ。但し、リアナーレを除くというところにもまた、腹が立つ。
メイドは不機嫌な聖女様の顔を見ると、そそくさと退散した。
「エルド、貴方セヴィリオから何か聞いていたんじゃないの」
「何も聞いてませんよー。一応軍の所属にはなってますけど、除隊扱いなんで何の情報も入ってこないんす」
「役立たず」
リアナーレの八つ当たりに、元部下は「そんなことを言われましても」とため息をつく。困った顔をしているが、大して心に響いていないのはいつものことだ。
「きっと総帥は今、いつ死んでも良いって心地だと思いますよ」
「縁起でもないことを言わないで」
「死ぬ前に好きな女を抱けたら、幸せだと思うっすけどねぇ」
エルドの一言に、リアナーレは咳き込む。唾液が変な場所に入ってむせたのだ。何故知っている。驚くが、そういえばエルドはあの晩、部屋の前で待機していたのだ。彼を帰す際に、セヴィリオが余計なことを言ったに違いない。
「それは貴方の価値観でしょ。それに、好きな女を抱いたつもりが、実は別人なんだから。騙されて喜んでるセヴィーが可哀想」
「えっ? どういうこと?」
まん丸の緑の目が、リアナーレを覗き込む。軍事総帥と戦女神、折り合いの悪い二人の様子を何年も傍で見ていただろうに、エルドは要領を得ていないようだ。
「あの男が好きなのは私じゃなくて、リアナ=キュアイスなんだってば!」
「総帥……」
「仕方ないじゃない。私だって、一度くらい、好きな人に愛されてみたかった」
額に手をあて、先ほどよりも更に深いため息をついたエルドに、リアナーレは苦しい言い訳をする。大方、騙されたセヴィリオを憐れんでいるのだろう。
「隊長って、やっぱり何だかんだ総帥のこと好きだったんすね」
「煩い。どうせ、私のような暴力女に色ごとは似合わないと思ってるんでしょ」
「そんなこと言ってないじゃないすか」
「じゃあ何。諦めろって慰めてくれるわけ?」
羞恥でリアナーレは取り乱していた。元部下を涙目で睨む。部下の前ではずっと、格好いい隊長でいたかったのに。
「違いますって。俺は、好きなら好きだって、ちゃんと伝えた方が良いと思っただけ」
「玉砕しろってことじゃない」
「どうしてそうなるんすか。全く、揃いも揃って面倒臭い人たちっすね。いいですか。総帥って実は—―」
エルドが何か言いかけたところで、エントランスの大階段を上ってきた誰かが、リアナーレ目がけて走って来る気配を察知する。その人物は女性で、敵意は感じられない。その時点で、女友達の少ないリアナーレの中にある選択肢は二人きりだ。
見当をつけて振り返る。その通りの人物が、ウェーブがかった髪を揺らしながら、リアナーレの広げた腕の中へと飛び込んできた。
「リアナ様っ!」
「マリアン、どうしたの?」
自分以上に取り乱した女性を前にした途端、リアナーレのスイッチは切り替わる。小さく震える彼女の背に手を回し、優しく撫でてやる。しばらくして落ち着いたらしい彼女は、リアナーレから身を離して無礼を詫びた。目の周りが赤く、腫れぼったい。ここへ来る前、彼女は泣いていたのだろう。
「マルセル様が戦に出たと聞いて、居ても立っても居られず来てしまいました」
マルセルの奴が何かやらかしたのかと思ったが、マリアンの不安の種はリアナーレと同じらしい。
通常の小規模な衝突であれば、指揮官クラスが戦で命を落とすことはまずない。それくらいの実力があると共に、周りも護ろうとするからだ。彼女は現場を良く知らないため、余計に不安になるのだろう。
「大丈夫。今のところ、厳しい局面ではないようだから心配は無用よ」
プレスティジとの戦を知る身としては、それなりの不安はある。難しい局面に陥る可能性を危惧しているのだが、マリアンの心配をこれ以上募らせる必要はない。リアナーレは自室へと彼女を招き、温かいお茶を出してやる。
「占いにはどう出ていますか?」
「毎日笑顔と祈りを忘れずにいれば、事なきを得る。だって」
そんな占い結果は出ていないどころか、占ってすらいない。励ますためについた嘘だが、彼女は信じたようでお祈りのポーズをした後に笑顔を見せた。
「あまり、くよくよしていてはいけませんね。そういえば、タティングレースは上手くできましたか?」
暇で仕方ないリアナーレに、手芸を教えてくれたのはマリアンだった。色とりどりのレース糸に加え、シャトルやかぎ針など、必要な道具は全て彼女が揃えてプレゼントしてくれた。作り方を教えてくれ、丁寧な指南書までもらい、その通りに作ったつもりだったが、手先の不器用なリアナーレには難易度が高すぎた。
「無事、赤い毛玉が出来上がりました」
「赤い毛玉! ふふふ……最初は皆、上手く行かないものです」
「私には向いてない気がするけどね」
「でも、セヴィリオ様は喜んでいらっしゃったでしょう?」
「ゴミでも嬉しいって喜んでた」
嫌な顔一つせずに受け取ってもらえた時は嬉しかったが、大切なのは何を贈ったかではなく、誰が贈ったかなのだ。
もし、戦女神が執務室を訪れてあの毛玉を渡したなら、セヴィリオは間違いなく目の前でゴミとして処理をしただろう。そんなことをしている暇があるのなら、大好きな国のために部下の鍛錬に付き合えば? と冷ややかな目で、嫌味を言うところまで脳裏に浮かぶ。
「愛されていますね。私も、お二人のような素敵な夫婦になりたいなぁ」
「もしかして…」
マリアンは恥ずかしそうに俯く。
「実は、プロポーズを受けることにしました」
「おめでとう」
「ありがとうございます。全て、リアナ様のお陰です。ただ、夫が軍人というのは思ったよりも辛いですね」
これからも人生の先達として相談に乗ってください。マリアンは悪気なく言う。
「違うのマリアン。私とセヴィリオは、本当は貴女が想像するような仲ではないの」
リアナーレはそう言えず、笑って誤魔化した。