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5-2 見送る恐怖

「おやすみなさいませ」

「おやすみ」


 ルーラが灯りを消して、部屋から出ていく。


 セヴィリオの執務室から自室へ戻り、入浴や身の回りのことをしていたら、あっという間に夜になっていた。起きるのが遅かったせいもあるが、悶々と考えごとをしていたからだろう。


 セヴィリオと顔を合わせた時、どう振る舞えば良いのか悩んでいたリアナーレだが、彼は終日姿を見せなかった。どんなに忙しくとも時間を作って会いにくる男が、顔を出すことさえしない。


 いつもなら、「仕事に精を出している。大いに結構」と考えるところだが、今日はリアナーレの不安と後悔が増すばかりだ。


「一睡もできなかった……」


 いつでも、どこでも眠れるのが自慢のリアナーレにとって、地獄のような一夜だった。結局、一晩経ってもセヴィリオは現れず、いつものベッドがやたらと広く感じられる。


「おはようございます。今日もいい天気ですよ」


 朝の身支度に来たルーラが、カーテンを開けた。リアナーレは朝日の眩しさが辛く、目を閉じたまま上体を起こす。


「ああ、ルーラ……おはよう」

「リアナ様!? 目の下が真っ黒です! やはり体調が優れませんか? お医者様をお呼びしましょうか」

「大丈夫。眠れなかっただけ」


 お湯で温められた布が早急に準備され、寝不足の目にあてがわれた。凝り固まっていた血液が、じわじわと流れていく。生き返るようだ。野太いため息を漏らすと、リアナーレはメイドに軽く叱られる。


「どこへ行くとか、昨日セヴィリオは何か言ってた?」

「仕事と仰っていましたが、詳しくは分かりません。お急ぎのようで、慌ただしく出ていかれました」

「仕事、ねぇ」


 セヴィリオの仕事ということは、軍事関連である。急いで出ていかなければならない案件など、一つしかない。


「まさか……!」


 リアナーレはベッドから飛び降りて、窓へと駆け寄る。目を温めていた布は床に落ちたが、今はそれどころではない。


 窓枠に手をつき、身を乗り出すと、ぎりぎり軍旗を掲揚する支柱が見える。風に、シャレイアン王国の紋様がはためいているはずだった。


「軍旗がない!」

「え?」


 ルーラは今ひとつ理解が進まなかったようで、可愛らしく首を傾げた。


 普段掲揚されている軍旗がないということは、戦場に持ち出されていることを意味する。一昨日までは確かに掲揚されていたので、昨日のうちに出兵があったのだろう。


「プレスティジ側に動きがあったのか。例年よりも暖かいから不可能ではない」

「そういえば、昨日の朝、ラッパの音がしていました。出兵だったのですね。旦那様は戦場に出られたのでしょうか?」

「恐らく」


 セヴィリオがわざわざ戦地に赴くことになった理由はわからない。


 敵の兵力に対して余裕があり、軍人としての功績を残すために軍事総帥自ら出ていった。もしくは、総帥が赴かなければならない、複雑な理由があった。昨今の状況からして前者ではないと思うので、何か特殊な事情があるのだろうと推測する。


 そうだとすると、事後の冷たい対応とは別の不安がよぎる。あの幸福な時間を最後に、もう二度と会えないのではないか。


 きっと、セヴィリオはあの晩、翌朝出立する予定になっていることを、敢えて黙っていたのだ。


 聖女の奇跡に二度はない。もしセヴィリオが戦場で命を落としたら、別れの挨拶すらできないままだ。


「リアナ様?」

「あーあ、情けない顔。ルーラ、急いで部屋を出る準備を」


 いつも見送られるばかりだった戦女神は知らなかった。大切な人が出征するということが、どれほど恐ろしいものであるかを。


 無事を祈ることしかできない。きっと兄は、いつも妹のために祈ってくれていたのだろう。


 ――僕なりに護りたかったんだ。彼女を。


 幼なじみのために軍事総帥になったというセヴィリオも、もしかしたら。立場上、態度や顔には出せなかったが、胸の内では心配してくれていたのかもしれない。





「お忙しいところ、失礼します」

「君の方から来てくれるとは驚いたよ〜。貧相な椅子で申し訳ないけど、そこに座って」


 リアナーレはアストレイ公爵の執務机の前に置かれている、小さな椅子に腰を下ろす。


 聖女様の体に入って以来、リアナーレの方から兄の元を訪れるのは初めてだ。彼の職場は王宮内にある。中央の建物の二階にいくつか広い部屋があり、その一つに政治や外交を担当する官僚が集まっている。


 中には名ばかりで働かない貴族官僚もいるようだが、現アストレイ公爵は仕事熱心だ。若手ながらも諸外国との交渉等、大きな仕事を任されていた。


「今日は相談会、出張サービスかな?」

「いえ。アストレイ公爵。プレスティジの進軍状況をご存知ですか?」


 ロベルト=アストレイはペンを走らせていた手を止める。レクトランテ宛の手紙だろうか。この国とは異なる言語で書かれている。リアナーレは読むことができないが、恋文でないことは確かだ。


「ある程度は把握しているよ。レクトランテへの増援要請は、私に任された仕事だからね」

「此度の戦は厳しいものになりそうですか?」


 緊張気味に尋ねるリアナーレに対し、ロベルトはいつも通り、のんびりとしていた。顎に手をあて、わざとらしく唸って見せる。


「う〜ん。今のところオルセラは関与していなくて、プレスティジ単独のようなんだ。それほど苦戦しないと思うけど……何か裏がありそうだよね」


 ロベルトの言う通りだ。前回、連合軍をもってしてもシャレイアンを落とせなかったというのに、何の考えもなく、単独で寒さの厳しい時期に攻めてくるとは思えない。


 リアナーレは口の軽い兄の話を元に、敵の狙いを想定しようとするも、圧倒的に情報が不足している。ライアス様ならよくご存知だろうと言われたが、極力あの男とは接触したくない。セヴィリオのためではなく、リアナーレが苦手とする人種だからである。


 リアナーレは兄からの情報収集を早々に諦め、以前から気になっていたことを尋ねた。

 

「ずっと疑問だったのですが、何故プレスティジと和平を結ぼうとしないのですか」


 敵国が何を狙っているかは明確だ。貿易と海洋資源。主にこの二つである。


 プレスティジと話し合い、港や運河の利用許可や、海洋資源供給のルート作りを進めれば、何十年にも渡る不毛な戦争の終結も可能ではないだろうか。


「国王のプライド故、かなぁ。提案したことはあるんだけど、却下されちゃった」

「なるほど。オンベール王は嫌がるかもしれませんね」


 オンベール王は、王家の血筋やシャレイアンの伝統へのこだわりが強い。悪く言えば、プライドが高く、自分を害する異物を排除しようとする人間である。


 戦を止めるために、オルセラの一部侵入を許すような条件を呑むとは、確かに思えなかった。

 

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