3-2 どっちが大事かなんて決まってる
仕事と家庭、どちらが大事か。決まっている、仕事だ。
戦女神時代から、リアナーレの価値観では仕事が何より大事だった。人それぞれ考え方が異なると分かっているので、部下に意見を押し付けたことはない。
ただ、セヴィリオに対しては、職務を優先してほしいと思っていた。王家の人間は、国民の納める税金のおかげで良い暮らしをしているのだから、還元するよう努めるべきだ。
「リアナ、収穫祭の日、どうしても外せない仕事ができた」
収穫祭前日の晩、セヴィリオはいつもより早く聖女様の部屋を訪れ、就寝前の腹筋をしているリアナーレに告げた。
リアナーレは何事もなかったかのように立ち上がり、淡々と了承を伝える。異論はない。彼には彼の役目を全うしてもらいたい。そしてどうか、今目の当たりにしたトレーニングの光景を忘れるよう願いたい。
「怒らないんだ」
「怒っても仕方のないことだから」
糖分過多な一日を過ごさなくて済むと、リアナーレはほっとした。一方で、じわじわと胸を絞られる心地がしたが、余計な感情には蓋をしておく。
「仕事が入ったら、そちらを優先する約束でしょ。私のことなら気にしないで。エルドにでも付き添ってもらうから」
「何言ってるの。駄目に決まってる。あり得ない。君の旦那は僕だよ?」
聖女様の華奢な肩を、セヴィリオは勢いのまま掴んだ。すらっとした指が身体に食い込んで、きっとうっすら痕が残るだろう。
暗い部屋の中で蠟燭の灯りが一つ、ベッド脇に置かれた小さな机の上で揺れている。二人の他には誰もいない。
リアナーレは顔をしかめ、痛いと伝えた。戦女神の頑丈な体とは違う。ほっそりした白い腕は、少し力を入れただけで折れてしまいそうだ。
「……ごめん」
「男の護衛と二人きりが駄目というなら、ルーラを連れていく。何なら私一人でも良いのだけど」
こういう時、聖女様なら収穫祭へ行くことを諦めるか、どうしても行きたいと可愛くお強請りをしたのだろうか。棘のある言葉を吐いてから、リアナーレは可愛げのない自身の態度に少しだけ反省をした。
「違う。行けないということではないんだ」
愛する妻の機嫌を損ねたことに気づいたセヴィリオは、こめかみに手をあて、俯く。
「なら、どういうこと」
「君にも仕事を手伝ってもらいたい」
「仕事?」
リアナーレが思い描いたのは、裕福な異国の貿易商人と談笑しながら食事をとる光景だった。軍事総帥である前に、第二王子なのだ。妃と共に外交に駆り出されることもあるだろう。
腹部を締め付けられるドレスを着て、椅子にじっと座り、お行儀よく食事をし、愛想笑いをする。リアナーレの苦手分野だ。
王族の務めを果たせ。セヴィリオに求めていたことが、自らに降りかかる。彼の妃である聖女様は、王家の人間だ。避けて通れることではない。
「そう、仕事。最近、恋人を狙った犯罪が横行しているらしくてね。それを取り締まる任務」
「何それ、面白そう! 犯罪というのは、具体的にどのようなものなの?」
目を輝かせたリアナーレは、セヴィリオに詰め寄った。形勢逆転。肩を掴むことはしなかったが、彼を押し倒しそうになる。
セヴィリオは数度瞬きして、それから目を細めて笑った。
「女性が一人になったところを襲うらしい。他にも、男の方を袋叩きにしたり、金銭を奪ったり、上がっている報告は様々だよ」
「性質が悪いわね」
リアナーレは腕を組んで唸る。シャレイアン王都の治安は比較的良い方だが、傭兵として外から入ってきた人間が悪事を働くことは時々ある。今回の犯行内容からしても、暴力に慣れた人間であると思われることから、傭兵の犯行である可能性が高い。軍が対処すべき案件だろう。
「野放しにはしておけないから、僕らが囮になる」
「なるほど。任せなさい!」
「リアナは何もしなくて良いから。お祭りを楽しんでよ」
セヴィリオは苦笑すると、リアナーレの手を取り、ベッドの上へと導いた。これ以上、鍛えるのは止め、早く寝ろということなのだろう。ひとまず大人しく従い、リアナーレはシーツの隙間に潜り込む。
彼はまだ軍服を着ており、就寝するわけではないようだ。こうして側で暮らすようになるまでは、セヴィリオが夜遅くまで職務に励んでいることを知らず、書類仕事など、大したことはないと思っていた。
総帥の仕事の重さを改めて認識するとともに、リアナーレは実父の偉大さを思い知る。ある日突然激しい頭痛に倒れ、そのまま帰らぬ人となったアストレイ家の前当主は、長年無理をしていたのだろう。
「おやすみ」
「貴方は寝ないの?」
「もう少し仕事をしようと思ったけど、どうしようかな」
リアナーレは今更、セヴィリオの顔色がいつも以上に優れないことに気づく。ひどく疲れているように見えた。暗がりの中でも、彼の目の下が黒ずんでいることが分かる。
ここ数日、彼が何時に寝に来ているのかをリアナーレは把握していない。朝目覚めたら、いつの間にか隣にいる。そんな状態だった。明日の時間を作るため、睡眠時間を削っていたのかもしれない。
仕事は大事だ。けれども今の彼に、そんな言葉は掛けられなかった。急に、優しくしてあげたいという気持ちが湧く。
「今日はもう休みましょ」
リアナーレは彼の腕を引っ張り、ベッドに連れ込んだ。一度帰してしまえば、そのまま仕事に戻ってしまう気がしたのだ。
「このまま?」
「そう、このまま」
聖女はそっと、お疲れの旦那様を抱く。一瞬だけの、特別サービス。すぐに体を離した。
セヴィリオは観念したのか、革靴を脱いでベッドへと上がる。襲おうと思えば、いくらでも襲える状況だが、彼は律儀に約束を守ってくれている。ただ毎日、隣に並んで眠るだけだ。
「おやすみ、セヴィー」
明日の重大任務に胸が躍り、眠れないかと思いきや、どこかに潜んでいた睡魔の波が押し寄せてくる。リアナーレは二人分の温もりの中、眠りについた。




