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閑話 胸が高鳴るフォード様

「モントレイ伯爵」


 背後から呼び止められる。声を聞いた瞬間、フォード=モントレイの脳裏にはかつて好意を寄せていた人物が浮かんだ。


 強く、美しく、叶わぬ恋をする孤高の軍神リアナーレ=アストレイ。友人ロベルト=アストレイの妹でもあった。


 フォードはずっと、不憫な彼女を慰め、愛してやりたいと思っていた。結局、遠くから見守るだけだったが。


 ――貴女には、幸せになって欲しかった。


 戦女神は若く、美しいまま死んだのだ。咲き誇った薔薇があっという間に散るように、短い生涯を終えた。


 ――まだ、信じられない。今もどこかで生きている気がするよ。


 フォードは自身の頭に住み続ける亡霊をかき消して、声のした方へと振り返る。


「こんばんは、聖女様。このようなお時間に、何かご用事でも?」

「いえ、食後の散歩に出ようと思いまして」


 丁寧な口調とは裏腹に、彼女はドレスを膝近くまでたくし上げ、男と変わらぬ歩幅で近づいて来る。


 見知った顔の護衛は、遥か後方をのんびりと歩いていた。しっかり役目を果たせと叱ったところで、生意気な彼は聞く耳を持たないだろう。


「今日もお美しい。お元気そうで何よりです」

「ええ、もう少し刺激があっても良いのだけどね」


 聖女様は腰に片方の手をあて、目を伏せる。その仕草に、フォードはドキリとした。なぜこうも、彼女の一挙一動に胸が高鳴るのだろう。つい先日、想い人を亡くしたばかりだというのに。


「貴方はどうしてここに?」

「旧友に仕事を手伝えと呼び出されて来たものの、ただ酔っぱらった彼に絡まれるだけだったので出てきました」

「ああ…どなたか察しがつきます」


 聖女様は項垂れる。


 旧友ロベルト=アストレイからは、聖女様のもとを度々訪れていると聞いた。つい妹と重ねてしまい、通ってしまうのだという。聖女様は優しい人だから、妹を亡くした彼を憐れんで、断れないのだろう。


「迷惑でしたら、私から彼に言いましょう」

「大丈夫です。こちらこそ、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」


 何の話ですか。問おうとしたところで、目の前を突然人影が遮る。全く気配がしなかった。フォードは反射的に、剣の柄に手をかけるが、相手が自分の上長であることに気づく。危うく王族に刃を向けるところだった。

 

 セヴィリオは禍々しい空気をフォードに向けて放っている。彼の端正な顔に感情は見えず、目は虚ろだ。ところが、聖女様を視界に入れた瞬間、王子の顔は別人のようにパッと華やぐ。


「リアナ、探したよ」

「少し部屋を空けただけでしょ」

「この時間に出ていくなんて、何事かと思って心配した」

「散歩に行くくらい好きにさせて」

「次からは誘ってほしい」


 王子は甘い声で懇願するが、聖女様の方はあまり嬉しくなさそうだ。心底嫌がってはいないが、眉間に皺を寄せている。溺愛の度がすぎるのだと、フォードは思う。


「それではお二人とも、良い夜を」


 夫婦の会話を邪魔してはならぬと、フォードは静かに退散しようとした。


「モントレイ、後日改めて君に話がある」


 セヴィリオはいつもより低い声でそう言った。背中を冷たいものが流れていく。先日、聖女様をエスコートした件もあり、妻を誑かす危険な男と認識されたのかもしれない。


 胸が高なる理由。それはきっと恋ではなく、恐怖のせいだ。フォードは確信する。

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