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友達

作者: 川崎 有紀 & オアシスグループ

友達


何から話せばいいだろう。

私は三年前、文芸部ではなく演劇部に在籍していた。といっても演劇に興味があったわけではない。当時も私は小説を書いていた。書くネタに困って、過去の色々な映画、演劇の資料をあさっていた。天の下に新しきものなし。当時私はひたすら本を読んだり、映画を観ていた。


「その本、面白いよ」


教室の休み時間に不意に声を掛けられた。その当時私はSF小説にはまっており、取り分けスタ二スワフ・レムが好きだった。「ソラリス」を読んでいる最中にいきなりクラスメートの麻美から声を掛けられたのだ。それまで彼女とは親しく話したことが無かった。


彼女が何故私を演劇部に誘ったか、本当の所は分からない。麻美は私に演劇の才能があるといった。私は誘われるまま、麻美に従い演劇部に入ったのだ。


麻美は浅黒く、そばかすが目立つ。目は愛嬌があるが、少し垂れており、鼻が低く、唇が薄かった。褒めるに値する美貌はない。それ故か、彼女が舞台に立つことはなかった。常に

演劇部の裏方の仕事を一手に引き受け、衣装の作製、照明、荷物運び、舞台稽古の相手、さらには脚本の執筆まで行う。彼女の演劇への情熱、知識は凄まじく、単に書くものに困って資料や本を漁っている私とは根本が違っていた。


一方誘われるまま入った演劇部において私は浮いていた。当然である。もともと演劇に対する情熱はなく、任される役の台詞もほぼ棒読み状態であった。しかし私には次から次へと主役あるいは主役に準ずるの役が回ってきた。取り分け演劇部の大部分を占めていた男子達が私を推挙するのだった。可笑しな事に、推挙してくれた何人かの男子は彼女持ちだったにも関わらず、私に交際を申し込んだ。そうは言っても、台詞読みが良くない私に先輩達がどうにも苦慮し、結果次々と台詞が削られ、立っているだけの事もあった。結果私は前から入っていた女子演劇部員の羨望と顰蹙を買った。


「くそ女」

「ちやほやされて、調子に乗っている」

「棒」


ありとあらゆる罵詈雑言が私にそれとなく、しかも優しく私に囁かれたが、私は一向気にしなかった。私にとっては演劇部に入ったのは麻美に誘われたからであり、そもそもこれもネタの一つになるかもしれないと割り切っていた。私にとっていい小説が書けるかどうかが問題であり、後は私には関心がないか、欲求の下位でしかなかった。端的に言えばどうでもいいのだ。


もちろん私も馬鹿ではないので(そう願いたい)、それを押し隠す、あるいは押し隠す努力はしたつもりだった。しかし私の演劇に対して関心がないようにみえた態度(実際になかったのだが)、さらに私に対する女子部員の怒りを搔き立てた。


その時男子部員に賛同し、私を庇い、役への推挙に常に賛成してくれたのが麻美だった。


「才能があるのよ。努力もしている。彼女が役に最適よ」


ただの部員がそう言ったのなら、一笑に付されてお終いだったろう。しかし麻美は部員から人望があり、その上その仕事量が群を抜いていた。はっきり言って麻美がいなければ劇自体も運営出来ないこともあり、誰もその意見を無視することなど出来はしなかった。したがって私は主役をやり続け、台詞を棒読みし続けた。


ある時、麻美は私に言った。


「今日、少し舞台稽古しない。私付き合うからさ」


迷惑な話だった。麻美は私の舞台の練習に付き合うというのだ。断る訳にもいかず、それから連日部活が終わった後熱心に稽古をした。私は麻美の演出を聞き、そして演技に関わる深い考察や論理に圧倒された。稽古が終わると私はヘトヘトになった。しかし麻美の方はもっとだったろう。何せ演技をして見せ、私に演じさせ、その問題点を指摘、修正し、そして褒めまくった。


ある日稽古を終え、教室で帰り支度をしていると、麻美はまだ帰れないという。もうかなり遅かった。


「まだちょっと衣装を直してから帰るから」


麻美は衣装と裁縫箱を取り出し、飾りつけをするというのだ。しかも麻美には役がない。彼女がこれから縫うのは何あろう私が着る舞台衣装だった。


「舞台では役の当たった人には少しでも光っていて欲しいんだ」


何故そこまでするのか。麻美程の部員からの人望があれば、自身がその衣装を着ることなど造作もないだろう。私は彼女にこの役を演ずることに出来ないだろうかと言った。すると彼女は屈託のない笑顔を浮かべてこう言った。


「私みたいな不細工は夢が壊れちゃう。貴方みたいな綺麗な人が出た方がいいんだよ」


その時の私の気持ちを書くことが難しい。ぐちゃぐちゃしていて、温かいような、冷たいような、黒々とした気持ちが心を占拠した。何故神様は麻美のような黄金の魂を持った人間にそれに相応しい容貌を与えなかったのか。


「私達、ずっといい友達でいようね」


麻美は衣装を縫いながら、そう呟いた。私には答えようが無い。私は彼女に相応しくない。私はバツの悪い気持ちを抱え、校舎を後にした。灯りのついた教室の窓を見上げる。すると麻美が窓から私を観ていた。私は彼女と暫く見つめ合った。やがて私は踵を返し、足早に家路についた。


そしてあの日。演劇会の日にちが迫ってきて、校内には私の顔写真を中心とした演劇部のポスターが貼られていた。いつものように演劇会に向け私と麻美は演劇部の練習以外に教室内で残って練習をしていた。


「今日はこれまで。演劇会も近いから、体調を整えてね」


麻美はいつものように微笑みながら言う。今日は私と一緒に帰るという。私たちは共に教室を後にして、階段を降りて行った。しかしどうしてだろう。私が階段を降りる最中に足を踏み外した。麻美の悲鳴が遠くで聞こえた。


私は気が付くと近くの総合病院のベッドの上だった。首を向けると泣きはらした麻美がいる。


「ああ、良かった。大丈夫!? 今先生を呼んでくるね」


私は体を起こそうとしたが、右の太腿と、腰が痛い。激しく打ち付けたようだ。その後、夜半にも関わらず、先生、家族などが集まり、説明を受ける。曰く、特に問題はないが、打撲のため演劇会に出ることは出来ないだろうということだった。念のため頭部外傷の検査を明日行うということで、私は一晩病院で泊まることとなった。


家族は病院の手続きのため、部屋を後にし、部屋には私と麻美が残された。ベッドの上で身動きの取れない私は小声で呟いた。


「麻美」

「私はここよ」


麻美は私の手を握って、顔を寄せて来た。


「演劇会、主役のレオノーラ役を私の代わりにやって」


私は麻美に懇願した。麻美は首を振った。


「で、出来ないよ。そんな」


私は彼女の言を制して言う。


「私達友達でしょ。貴方にやって欲しいんだ」


言ってしまってから、私は友達という自身の言葉に驚く。しかしその当時私達の関係はそう言うのが自然に思えた。気が付くと黒々とした窓の外には雨音がしていた。それはやがて激しい雷雨となった。


そして演劇会当日。急遽代役として麻美が舞台に立った。連日私と稽古をしており、裏方ではあったが台詞読みでは全く問題はなかった。それ以上に部員達の信頼も厚く、実力的には問題がない。私が降板し、その代役となるのに、男子部員の反対も左程でもなかった。何よりこれ程の短期間でレオノーラ役ができるのは麻美ただ一人だった。


麻美の演技は他を圧倒した。演劇を観に来た父兄、クラスメートは驚いたろう。貧弱な体育館で凄まじい世界が出現した。まさに神殿の帳が裂け、神々が降臨したかのように思えた。舞台に上がった彼女は絶世の美女を体現した。雰囲気、声、体全体から発する雰囲気でぐいぐいと観客を引き込んでいく。そしてカーテンコール、歓声、成功。そう成功だった。これ以上のものは望めないだろう。私は松葉杖に寄りかかりながら、その一部始終を観ていた。


感動の余熱が冷めない中、観客は帰り、演劇部員は後片づけに奔走している。私は感動の余韻に浸りながら、体育館の外で美しい夕焼けを眺めていた。麻美が息を切らせて走り寄ってきた。


「これから皆で打ち上げだって。行くよね!」


私は麻美に微笑んだ。こんな時も気遣いするのが麻美らしい。そう私達は友達。麻美は息を整え、私の目をみながら言う。


「代役本当に不安だった。貴方程上手く演じられるかって不安だった。本当に有難う。貴方のおかげよ」


何を言う。私は今回何もしていない。成功は麻美、貴方のものだ。あるべきところに、あるべき人間が収まった。それだけの事だ。私は賞賛の言葉を紡ぎだそうとした。しかし不意に黒々とした気持ちが心を占拠した。口に出たのは賞賛の言葉ではなかった。


「酷い芝居だったね」


自分の第一声に驚いた。何故? 


「えっ、何、どういうこと」


麻美は一瞬訳が分からない顔をした。


「まったく観てられなかった。貴方の顔でレオノーラ役なんで場違いだと思わなかったの。 普通辞退するでしょう。本当に出るなんて呆れる」


私はそう言うと、体を震わせ小声で笑った。それは麻美を笑ったのか、惨めな自分を笑ったのか、分からない。すると麻美も静かに笑った。


「そう。私も言わなきゃと思って」


麻美はそう言うと、笑いが止まらないという感じで、一気にまくし立てた。


「実はさ、階段で私つい貴方の背中を押したんだ!」


私は凍り付いた。もたれかかる松葉杖を痛くなるほど握りしめている。


「あの時、派手に倒れたから、どうしようと思ったけど。まあ、結果オーライ。私も主役を誰も疑わない自然な形で貴方から譲ってもらえたしね。稽古をやっていたけど、貴方の才能の無さにはイライラしっぱなしだった」


そうか。そうだろう。


「それじゃ、私は打ち上げにいくね。お大事に」


麻美はそういうと西日が差す校庭を軽やかに走り去った。友情という名の虚飾と共に。私は最後の最後に彼女の本音を引き出す名演技をしたらしい。その後彼女とは同じ教室で過ごしたが、一切話さず、彼女も話しかけてくることはなく、卒業したのだった。




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