蚊/カブトムシ
『蚊』
1
血の匂いに誘われて
今日も一匹の蚊が
ぼくの部屋にやってきた
きみにとっては
ぼくの血が
たとえば
ハンバーグステーキのような
おいしい匂いがするのだろう
考えてみれば
ハンバーグステーキ屋さんに
行ってハンバーグステーキが
食べられないなんて
とても可哀想なことだ
しかも
嫌がられて
この野郎と
ぺちん、ぺちんと
得意気に
殺されてしまうのだから…
だから今日は
蚊にやさしくあろう
血を吸われたって
かゆくなるだけだい
存分に血を吸わさせて
それから
外に逃がしてやろう
2
まるで
きみは勇敢な哲学者のようだ
みんなの為に
真理の血が
欲しくて欲しくて
仕方がないのだろう
今日も真理の為に
一人捧げられたのさ
一人どころじゃないよ
歴史に名さえ残っていない
あの人達みたいに
星の数ほどの命を落としているんだ…
大丈夫
ぼくはきみを
外に逃がすから
外に逃げたら
脇目もふらず巣に帰るんだよ
寄り道しないこと
そして
新たな命を誕生させるんだよ
3
よし、ぼくの血をたらふく吸ったようだね
こんなにもお腹が膨らんでいる
なんだ、名残惜しのかい?
いつまでも
ぼくのそばにはいられないよ
ぼくだって
きみがいなくなるのは
寂しいけれど
きみには
きみにしか出来ない
お役目があるのだからね
ほら、行った
ほら、行った
きみを
待っている人達が
大勢いるのだから
『カブトムシ』
きみは
ぼくと出逢うまえから
カブトムシだった
最初は
手のひらに来てくれたんだ
それから腕をつたい
肩まで
登り
喉元まで
きみは
歩いてくれた
そして
胸のあたりで
一休み
不思議だね
きみとは
遠い昔から
繋がっていたような
気がした
一緒に
大きな命を
感じあって
このひとつの息のなかで
時空のハーモニカを吹いた
ああ
きみは
ぼくと出逢ってからも
カブトムシだった