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美しい娘  作者: 鬼木ニル
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美神の目覚め

私は美しい。

どれだけ美しいか、誰もがこぞってあらゆる物になぞらえるけれどどれも私の美しさには敵わない。

花も鳥も風も月も私の前では霞み、どれだけ讃えられた彫刻も絵も無機物でしかなくなる。

私は生ける美。

何者も敵わない。

朱海あけみ家の、いや人類の最高傑作。曽祖父は産まれたばかりの私を見てそう叫び卒倒した。

そのまま帰らぬ人となったのだから私の誕生日はつまり曽祖父の命日でもある。


私は美しい。

鏡を見なくともそんなことわかりきっている。

私ほどではないが美しかった母は醜く嫉妬に狂い、私が三つだった頃に憤死した。

乳母たちはいつも跪き、恍惚の涙を浮かべ私の世話をした。

幼稚舎に入ると教師は私にかかりきりになった。

教師が私に見惚れていたために、何人もの子供が不慮の事故で死んだ。

泣き腫らし鬼の形相を浮かべた遺族の前で私が微笑んだなら、遺族は皆一斉に滝のように涙を流した。

愉しくてケラケラ笑えば、涙と鼻水で汚れた顔で不気味な笑顔を浮かべた。

この世は狂っている。

私という美を中心に、世界は壊れてしまったのだろう。


小学生になれば私の好奇心は大きく育った。

愉しいことを求める私にとって、目につくこと全てが愉快な玩具であった。

「先生、接吻とはなんですか?千山ちやま先生としてみてよ」

私が暇つぶしに担任にそう言ったなら、教師二人による熱い口づけを観察する授業が一日中行われ大問題になった。

日本で有数の金持ちが通う名門私立であったから、マスコミや警察のトップであった保護者によって揉み消されてしまったが、あれはなかなか痛快な見せ物だった。

次いで私は、高校生の姉がいるとかいうませた女と、クラスで一番人気があった男にキスをさせた。

「先生たちを再現しましょう」

「見てみたい」

「ねぇ、私見てみたいの」

元担任の行った接吻ショーにすっかり麻痺した子供たちは私に従った。

元々異性を意識し始めていた女子はまんざらでもない様子で目を閉じた。

男子は戸惑いながらも腹を括り、女子に勢い良くキスをした。

一度誰かが殻を破れば我も我もと続く。

各々がまるでフォークダンスでも踊るように円を描いて代わる代わるキスをする異様な光景を、教室の後ろ、机の上に立って私は見下ろしていた。

誰かが私を引きずり込もうと手を伸ばしたが、蹴り飛ばして唾を吐いてやった。

そしてケタケタ笑えば、その男は仕方なく私の立つ机にキスをした。

次々とクラスメイトたちが机にキスし始めたから私は腹を抱えて笑った。

これはあっという間に教師や保護者にバレて私のクラスは一時学級閉鎖となった。

しかし朱海家に逆らう者はこの地上に誰もいない。

この出来事も秘密裏に闇に葬られた。

後に生徒の一人が腫れた唇をマスクで隠し泣きながら登校してきた。

「どうしたの?そんなものしなくていいのに」

私の言葉を聞き、女は咄嗟にマスクを放り投げた。

醜く歪に腫れ上がって二倍も三倍もあろうその唇から「私、変じゃないよね」と微かに聞こえた。

クラスメイトたちは怯え後ずさった。

私はそれを見てひとしきり笑ったあと「おかしな顔」と言ってまた笑った。


中等部で私の美しさは益々研ぎ澄まされた。

人々はどんどん狂った。

パーティで出会った大物司会者に耳打ちした。

「ねぇオジサマ、生放送で、イケナイことをして」

翌朝のニュース、全国放送で司会者が突然身に着けていたスーツを脱ぎ出したためスタッフ、共演者が慌てて止める姿が放送された。

テレビ史に残る放送事故、人気司会者に何があったのか……瞬く間に動画で拡散された。

おかげで私は朝から機嫌良く過ごせた。

その後司会者は他殺なのか事故なのかよくわからない状態で死んでいるのが見つかった。

どうせならカメラの前で死んでくれれば良かったのに。勿体ない。

チャンスを逃したことが悔しくて、私はさめざめと泣いた。

私の泣き顔を見てたまたまその場に居合わせた乳母の一人が引き付けを起こした。

祖父は悲しみ、壁に頭を何度も打ち付けた。

祖母はその場にあった宝石を手当り次第暖炉に放り込んで手を合わせ、鼻水と涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら祈り続けた。

父は動揺したまま車で出かけ、そこら中に車をぶつけて帰って来た。

家の中は文字通りめちゃくちゃになった。

父から事故の有様を聞き、傷だらけになった車を見てようやく私は笑顔を取り戻した。

引き付けを起こした乳母は入院し、二度と戻っては来なかった。

祖父はしばらく呆然としながら額の傷の手当を受けた。

祖母は清貧に目覚め出家し、どこかの地方で尼となったらしい。

父は事故を揉み消すために奔走し、どっと老け込んだ。


高等部に進学した私は初めてのお付き合いをする相手を誰にするか決め兼ねていた。

教師たちの熱い接吻を見てもクラスメイトのキス騒ぎを見ても私は一切やってみようなどとは思わなかった。

あれらは愉快痛快、抱腹絶倒のコメディでしかない。

サディズムだとかサイコパスだとか、そんな特殊な性的嗜好は私に備わっていない。

ただ私は純粋な恋愛を求めていた。

まだ清らかな身である私に対し、世間は恋愛感情そのものをひた隠しにした。

私を恋愛対象として見るのはまるでタブーであるかのように、皆私の前では恋の話題を避け、真っ直ぐ美しさだけを褒め称えた。

私は天使であった。

天使、クピドには性別がないのだという。

永久に欲を知らぬ、純真無垢な存在なのだ。

対して神々はどれも欲深く、愛憎に溺れ、争い、夫婦になる。

天使と神とを隔たるものとは。

それは愛。性別。恋。口づけ。ときめき。嫉妬。

人と神とを隔たるものとは。

私は己の本能に問いかけた。

どれが欲しい?

嗚呼、あれもこれも欲しい!

そうだ、私はあれもこれも欲しい。

たった一人から注がれる愛や好意では物足りない。

思い立ったが吉日、私はクラスメイトを観察し続けた。

クラスの一人一人を選定しているとおかしな空気が伝わったのか、授業中にも関わらず教師は押し黙った。

女子は机に突っ伏して震えている。

男子は背筋を伸ばし微動だにせず、前だけを見つめ続けた。

神が産まれる時。その場に居合わせてしまったのだから仕方ない。

窓際の席、午後の日差しが注ぐその場所で、元々色素の薄いその髪や肌が光に溶けてしまいそうな姿を見つけた瞬間、私の心臓は跳ね上がった。

啓示を受けた私は体が導くままに立ち上がり、彼の腕を掴んだ。


神に選ばれしはけいという男であった。

色素の薄い栗毛色の髪。背は高く細身。優しげな笑み。

妾の子であったが故に、彼は苦労を強いられてきた。

どうか彼に神の救いを。

私は彼の頬をそっと撫でた。

瞬間、教師は口から泡を噴いて腰を抜かし、黒板に後頭部を思い切り打ち付けた。

女子は過呼吸を起こし、男子は吠えるように大きな叫び声を上げた。

混乱の最中、私と彼だけ時が止まったように見つめ合う。

これが童話であればここでハッピーエンドを迎えただろう。

しかしこれは一種の神話であって、愛と憎が絡み合い初めて成り立つのである。

獣の檻を抜け出して、私と彼は屋上に向かった。

太陽の光が弾ける屋上で、私と彼は口づけをしたのだ。

「もっとして」

私が強請ると彼は流れる雲のように白い輪郭を私に重ねた。

何度も見た光景を今私は自分の体でなぞっている。

私は己の産まれた意味を知った。

まるで白い泡から産まれたヴィーナス。

嗚呼これが私の宿命。

私たちのリップ音は響き渡り、鳥は鳴くのをやめ車も飛行機も電車も何もかもが息を潜めた。

人々は沈黙の中、何者かの誕生を怯えて待った。

何度目かの長いキスを終えた。

私は彼に抱き着いた。細い細いその身体。

「ねぇ、飛び降りたりしないで」

美に狂った彼が屋上から飛び降りてしまうことを心の底から恐れていた。

だが心配は杞憂に終わった。

「しないよ」

以前と変わらず、彼は優しく微笑んだ。

世界は動き出した。遥か遠くで飛行機が墜落する。鳥は一斉に羽ばたく。電車が横転する。車は衝突する。人々は駆け出す。

私、朱海あけみりりはこうして運命を享受したのだ。


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