一番好きな人
ごめんね、 ごめんね、 ごめんね。
こうちゃん、
ごめんね。
ごめんね。
5年前、心も体も、ボロボロになって、
泣くこともできなくなっているアタシを、
こうちゃんが、救ってくれた。
外務省入省が決まって、これからのスキルを考えると、
お前じゃないんだよって言われた。
「バカにして、なによ。これからのスキルって。」
あの人に捨てられても、いつかは帰ってくると信じて、
アパートの部屋で待ち続けていたアタシを、
「良いよ。それで。」
と、抱き締めてくれた。
やっと、泣けたんだよね。アタシ。
やっと、眠ることが、出来たんだよね。アタシ。
穏やかな温もりの中にいるような、優しさが、しみてきて、
こうちゃんの手に触れたら、アタシの手を握り返してくれた。
こうちゃん、あなたが、アタシに愛情をくれた。
こうちゃん、あなたが、アタシに笑顔をくれた。
こうちゃん、あなたが、アタシに家族をくれた。
こうちゃん、こうちゃん、
アタシ、幸せだったよ。
こうちゃん、あの人、帰ってきた。
街で見かけた。
アタシに気付いて、
ずいぶん雰囲気が変わったなって、笑ってた。
アタシもにっこり笑って、
そう、今、幸せだからよって言ったわ。
それじゃ、って別れたけど、膝が震えてた。
こうちゃん、アタシ、やっぱりあの人が好き。
どうしよう、幸せをくれたのは、こうちゃんなのに、
アタシ、今でも、どうしようもないほど、あの人が好きみたい。
だめかな、 だめかな、 だめかな。
サクラ、
だめかな。
だめかな。
あいつが家に戻ってきた。
これから海外勤務が長くなりそうだからからって言っていたけど、
本当は、サクラのことが気になっていたんだろ。
「サクラは、今、俺と3歳の息子と幸せに暮らしているんだ。何も、心配しなくていいよ。」
睨むように、言ったら、
ふっと、皮肉っぽい笑いを浮かべて、
「変わらないね。おまえ。」
少し寂しそうな、あいつの横顔。
友人としては、酒でもって言いたいところだけど、今は勘弁してくれ。
サクラ、やっぱり、俺じゃダメか。
裕太と俺じゃ、だめなのか?
俺は、この5年、俺のすべてで、お前を愛してきた。
裕太だって生まれた。
それまでに見たことのない、柔らかい表情で笑うようになったサクラを見て、
ほんとうに幸せだったよ。
サクラの為って思って来たけど、本当は、自分の為だったんだな。
そう、俺が幸せだったんだ。
じゃあ、サクラを開放してやらなきゃダメか?
俺には、裕太がいる。
あいつは、一人だ。
俺が、良いよって言ったら、
サクラ、行ってしまうのか。
サクラ、 サクラ、 サクラ。
こうちゃん、
こうちゃん、
あの人が、行ってしまう。
こうちゃん、ごめんね。
内緒で会いに行ったの。
少し、驚いていたけど、
「サクラ、尋ねてきてくれてうれしいよ。」
って、笑ってた。
「うん。」
アタシ、ちゃんと会えて良かったー!って思った。
気づいたの、なんか、あの人とのことが、終わってる。
戸惑っただけだった。
「よっしー、突然出て行っちゃったから、アタシ、大変だったんだからね。」
「懐かしいな。その呼び方。」
眩しそうに、アタシを見てる。
「ごめん。迷惑かけたな。」
「孝介にも。」
「そうだよ、こうちゃんがいなかったら、アタシどうなっていたのか、わかんないよ。」
本当は、話したいこといっぱいあったように思うけど、
もう、どうでもいいことのように思えた。
「サクラ、幸せそうで良かった。」
って、笑ってた。そしてあの人、遠い眼をして、もう一度
「良かったあ。」
て、言ったの。
「いやー、義久君、立派になったね。」
「外務省、入省からすぐ留学して、戻ってきたと思ったら、今度は、海外勤務だって。」
「忙しいようで、身体が心配なんだって、おふくろさん言ってた。」
「お嫁さんは、一緒に行かれるんでしょ?」
「それが、去年、離婚したんですって。相手も、外務省勤務で、お互い、なかなかうまくいかなかったみたい。」
友達なんだから、挨拶くらいして来いと、
事情を知らない親父が呑気に、俺たちを送り出した。
裕太と3人で、遠巻きに近所の人の話を聞いている。
あいつが、家から出てきて、大げさな見送りに驚いている。
「田舎だからな。義理堅いんだよ。」
車に乗る時、誰かを探すようにあたりを見ていた。
俺と目が合って、笑った。
もしかして、サクラを探していたのか?
あの人が、誰かを探している。
アタシのこと?
こうちゃんがアタシの手をぎゅっと握った。
アタシも、握り返しながら
「大丈夫だよ。こうちゃん。」
そう言って、あの人のほうへ目を向けた。
あの人と目が合った。
これで良いのよね。
それで良いんだよ。
孝介なら、サクラを幸せにしてくれるよ。
一瞬にして、そんな会話をしたような気がした。
走り出したあいつの車が小さくなっていくのを見て、サクラが言った。
「こうちゃん、帰ろ。おなか、すいちゃった。」
「そうだな。裕太、今日、何食べたい」
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涼音色 ~言ノ葉 音ノ葉~ 第7回 一番好きな人 と検索してください。
声優 岡部涼音が朗読しています。
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