260.番外5:神都サブラナ最奥部
神都サブラナはその日、基本的には平和な一日を終わらせようとしていた。
それは教主の執務室、その奥に存在する寝室でも同じはず、だった。
だが。
「……ふむ」
「いかがなされました」
『ひと仕事』を終え、ソファでのんびりと酒瓶を傾けていた教主が一瞬、鋭い視線を周囲に巡らせる。
ベッドの中でうつらうつらとまどろんでいた女性が、気だるそうに上半身を浮かせながら尋ねた。コータやファルンの一行がナーリアの村を出たという、その話を教主に対して最初にした僧侶である。
「ルッタの封印が解けた」
「何と」
その彼女に対し、教主は平然と他の女の名を告げる。ただ、短いながらもその内容が衝撃的であったために、僧侶の反応も別の女に対するものではなく己の務めに準じるものであった。
とはいえ、続けて出てきた言葉は女ならではのものであろうけれど。
「せっかく、教主様のご寵愛をたっぷりと受けられたというのに」
「なかなかいい具合だったのだがな。それに、あれほど流し込んだのだ。我が精気も、あの全身を満たしていたはずだ」
そうして教主の言葉は、女を抱いた男のものでもあり戦士を支配した教主のものでもあった。
どうやらこの男は、『翼の姫』ルッタの元々の正体を知っていて組み敷き、己の支配下に取り込んでいたらしい。
「そうなりますと、よもや……」
「間違いない。アルニムア・マーダめ、世界の外に逃げ出したくせにいつの間にか戻ってきておる」
「……教主様の封印を解ける者は、他にはおりませんものね」
自らが支配していたルッタ、即ち翼王アルタイラを奪い返された。それはつまり、アルタイラの本来の主であり教主をはじめとしたマール教の大敵であるマーダ教主神、アルニムア・マーダの復活を意味している。
マール教主神サブラナ・マールの力を最大限に発揮することのできる教主、彼がアルタイラに施していた術式を解除することができるのはソレ以外にあり得ないからだ。
「翼王アルタイラ、あの翼は便利だったのだがな。まあいい、鳥女はいくらでも籠絡してある」
「オスを使えばよろしいのではないかと」
「発情期でなければな」
とはいえ、教主のアルタイラに対する扱いは他の僧侶に対するものよりはどうやら一段と低いようだ。鳥人である彼女の利用価値を、移動用の手段程度にしか考えていないらしい。
それとも、そう考えることで切り捨てようとでもしたのか。彼の考えは、そばにいる僧侶でも理解できない。
だから彼女は、まずすべきことに意識を切り替えた。
「それはそうと。邪神ですが、いかがなさいますか」
「全教会に伝令を出せ。世界のどこかに邪神が復活した、と」
問いに対する答えは簡潔なものであった。コータが知ればまるでゲームだな、とでも言わんばかりの内容であるから。
「そして、勇者を募れ。邪神を倒し、世界を守るためにな」
「承知いたしました。世界のあちこちに伝説が残る勇者ども、その一角となれることを喜ぶ信者は数多くおりましょう」
「頼むぞ」
「おまかせくださいませ」
コータの知るゲーム、その一般的な内容に近しい指示を僧侶に提示する教主。僧侶はベッドからするりと起き出すと、一糸まとわぬ姿のまま部屋の出口へと歩んでいった。まずは湯を使い、教主の痕を消し去るために。
「アルニムア・マーダ。前は逃げられたが今度こそ、魂の髄まで籠絡してやろうぞ」
その尻を見送りながら教主は、誰にも聞こえぬような声で呟いた。
 




