134.番外2:神都サブラナ最奥部
マール教聖教会、教主の執務室。
薄暗いこの部屋には今日も、部屋の主に入室を認められた僧侶が一人やってきていた。二十代前半に見える彼女は、緩やかなウェーブを持つ黒髪を軽く束ねている。
「サンディタウンより、定期報告が入りました」
「グレコロンか。几帳面なことだ」
「その方が、こちらとしても助かります」
教主への報告は初めてではないだろうが、僧侶の声には緊張がみられる。ただ教主はそのことなどは気にもせず、提出された報告書にちらりと目を通した。そうして、僧侶に目を向ける。
「ナーリアを出立した僧侶ファルンの一行が、サンディタウンを経由してアイホーティから出港したとのことです」
「獣人と鳥人が同行している、面白いパーティだったっけね」
別の年かさの僧侶から聞いた話を思い出し、教主は目を細める。視線の先にいた若い僧侶は、その目の動きだけで軽く身体を震わせた。衣の下、肉体に直接触れられたかのように。
もっとも教主の方はそのくらい当然であるかのように、何の反応も示さない。彼が反応したのは、報告の内容に関してだ。
サンディタウンの領主はマール教に対して多大なる援助を行っており、その代わりマール教からも何かと便宜を図っている。それらの中には、内容が内容だけに表沙汰にできないものも含まれており、教主は当然それを知っているのだ。
「……彼、その子たちには手を出さなかったのかい?」
「メスどもはサンディ家に収容されたようですが、脱走されたとかで。その後の所在は不明となっておりますわね」
「グレコロンにしては珍しいね」
顔を赤らめながら僧侶が口にした答えに、ほんの僅か教主は感心するように目を見張った。
サンディ家当主グレコロンの能力についても、教主はもちろん知っている。その能力をマール教とサンディタウンのために使うことで、敬虔なるマール教信者たるグレコロンは援助を続けていられるのだから。
「出港したのなら、おそらくは北の大陸に向かったんだね。北法区に連絡を入れてあげて」
そのグレコロンが、自身の虜にしたはずの獣人や鳥人に逃げられるというのは珍しいがない話ではない。それを心の隅に留めて置きながら教主は、柔らかな声で僧侶に『お願い』をした。
「マール教の名に置いて、修行中の僧侶に対するバックアップを怠ってはならないよ」
「はい、承知しておりますわ」
「うん。それと」
僧侶が頷いたのを見て、教主は更に言葉を続ける。ただし今度は少し強い口調で、かつ目元に厳しい光を浮かべながら。
「メスなんて言い方は、あまりしないほうがいいよ。普段から気をつけていないと、いつどこでぽろっと出るか分からないからね」
「はっ! し、失礼をいたしました、はあんっ!」
「うん。今後は気をつけて。もう行きなさい」
びくびくと身体を震わせ、床に崩れ落ちながら謝罪の言葉を紡いだ僧侶に頷いてやり、そうして退去を命じた。
よろよろと力の入らない下半身を無理矢理に動かしながら彼女が扉を閉じて消えたあと、教主は改めて報告書に目を通す。僧侶の言葉とさほど変わらない、ただし内容が細かくなっている報告を目で追いながら彼は、一瞬だけ眉をひそめた。
「アイホーティにはグレコロンの別荘があったな。まさかとは思うが、軽く調べてみるか」
だが、すぐに教主は笑みを浮かべる。僧侶に見せたような穏やかなものではなく、口元にある牙の如き犬歯をむき出しにした獰猛な、獣のような笑みを。
「『翼の姫』ルッタを呼べ。今宵の夜伽と、それから命令がある」
凛と張り上げられた声にも、その笑みと同じような色がにじんでいた。




