第140話「レコーディング終わり! からの始まり」
さらに時間は進み、もう何度ギターを弾いただろうか。日付が変わり、時計を見ると深夜になっていた。
「うん……よく録れているね、最初との違いがはっきりとわかるよ」
本田さんの声が、ヘッドホンから聞こえる。
しかし、疲労と眠気で僕はまったく耳に入ってこない。
スタジオに来て、二日が過ぎていた。
まさか泊まり込みになるまで、ギターを弾いていたとは信じがたい話だ。
「ブラボー! まさに、求めていた音になりましたネ!」
「岩崎君というギターが、きちんと音に現れているよ」
ジャスティンさんたちがそう褒めているけれど、僕はただ自分を信じてギターを弾いただけだった。
特別になにかすごいテクニックを出したわけでもなく、弾き方を変えたわけではない。
ただ、信じて弾き続ければそれが報われるということがギターを通じて知ることができた。
「はあ、はあ……」
今にも倒れそうな僕は、バッグから水を取り出して口にふくむ。
和田たちが話す、食品と水を大量に持っていく理由が今になってわかった。集中力と体力を切らさない。そのための、食べ物と水だったのだ。
「ヘイ! 岩崎ボーイ、こちらに来て曲を聴いてみまショー」
「本格的な編集をしなきゃだな、ここからは僕の腕の見せどころだ」
「ずびばぜん……体がまったく動かないんで、休ませてください」
ジャスティンさんたちがいるフロアに行く体力は、今はもうない。
ただ、今はなにもしたくないのが本音だ。
「岩崎君のご両親には、きちんと説明をしたからね。今日も、ブースの中で寝るといいよ」
「しかし、せっかく素晴らしいサウンドが録れたのに、聴かないのはもったいないデース」
「歌を録る時にでも聴きますよ……もう動きたくないっす」
僕はそう口にして、ヘッドホンを外す。
誰の声もしなくなったブースで、僕は床に倒れ込んだ。何十時間も、ギターだけを弾き続けた僕の体はぴくりとも動かない。
「やっと終わった……僕にも、納得してもらえる音を出せたんだ」
こみ上げてくる達成感で包まれる。
うれしい気持ちになるが、ここで睡魔がやってきた。
「あれ、明日って学校だった……っけ」
そう考えるも、僕の目は閉じていく。そして、そのまま眠りに落ちた。
ーー次の日。
「ふあああ! よく寝た」
僕は目を覚ますと、あくびをかきながら起き上がる。
「岩崎君、おはよう。ごはんができているよ」
「ああ、本田さん。ありがとうございます……ふあああ」
本田さんの声を聞いた僕は、ブースから出ていく。
しばらく歩くと、飲食ができるスペースがあり、そこにトーストと目玉焼きが置いてあった。
ーー思ったけど、ブースで持ってきた食べ物とかを食べてよかったのだろうか。
もしそうたらば、申し訳がない気持ちを感じつつ、出された料理に向かって手を合わせる。
「いただきまーす!」
僕がもぐもぐと食べていると、となりで座る本田さんがテレビをつける。
「では、お昼のニュースをお伝えします」
芸能人が司会を務め番組が流れ、あーだこーだと話していた。
「へー、今日のゲストはミュージシャンか……って、昼?」
僕は壁にかけてある時計に目をやる。時計の針は昼の十二時を過ぎていた。それだけでなく、曜日は月曜だ。
土曜からレコーディングを始めて、今日が月曜日。
「普通に学校じゃないか! しかも、昼休みの時間だ!」
「あれ? 岩崎君、今日は学校なの?」
「なにを言っているんですか! こうしちゃいられない、学校に行かなきゃ」
慌ててトーストを口につめて、僕は急いで立ち上がった。
荷物を取りにブースに戻り、急いで学校へ向かう準備をする。
「本田さん、いろいろとありがとうございました!」
ギターケースやらを抱え、僕は本田さんに頭を下げた。
「また近いうちに呼ぶことがあるけど、とりあえず編集は任せてね。あと……」
「すみません、急ぐんで失礼します!」
本田さんの話を最後まで聞かず、僕はスタジオを後にする。
そのまま猛スピードで、学校に向かう。
ーーキンコーン、カンコーン!
学校のチャイムが鳴り、着いた頃には午後の授業が半分も終わっていた。
「岩崎……後で職員室な」
「……はい」
教室に入って、なんとかやり過ごそうと思っていたが、すぐに先生にバレてしまった。
学生服を着ずに、私服を身にまとっているのだからバレるはずだ。
結局、僕は職員室に呼び出され先生からこっぴどく怒られた。
「岩崎君……よくぞ帰ってきた!」
放課後になり、部室に入るといきなり金本にそう言われる。
「いったいなんですか、いきなり」
「まさか、君が無事にレコーディングを終えるとは思わなかったからな! 僕なりの励ましだよ」
「……すんげえ、失礼ですね」
「でも、きちんとレコーディングができたみたいで安心したよ」
金本の言葉に少しだけ不機嫌になったが、僕はなんとかギターを録ることができたのを話した。
「僕らよりも、厳しい作業になっていたんだね」
「はい。自分の音ってやつを出せるようになるまで、かなり時間がかかりましたよ」
レコーディングした時に言われた、自分にしか出せない音。それを出すために苦労をしたことをぐちぐちと伝える。
金本たちも、本田さんたちに同じようなことを言われたらしく、僕の話にうなずいていた。
「なんにせよ、レコーディングが終わってよかったね。録音した音は聴かせてもらった?」
「学校に遅刻したせいで、バタバタして聴いてないんですよね……」
自分が弾いた音が、どんな風に変わったかを知りたかったけれどかなわず。
今になって、どうだったのだろうかと気になってきた。
「へー、楽器の音を録るのって大変なんだねー」
僕らの会話に、響子がそう話しながら入ってくる。
「ふははは! 馬場さんも、僕らの苦労を身をもって味わってくるがいい」
「そうだぞ響子! ジャスティンさんの娘だからって、甘くみていると痛い目にあうぞ」
この中で、まだレコーディングをしていないのは響子だけだ。
僕たちが受けた数々の苦労。
こいつにも味わってもらおうという気持ちが、僕らにはあった。
「なんかそう言われるとー、怖いんだけど」
「ふっ、響子よ……おまえも行けば、僕らが感じた苦しみがわかるだろうよ」
そして数日が過ぎた頃、響子はボーカルを録りに去っていく。
ーーだがしかし、その翌日。
「ただいまー」
響子は部活に遅れるまでもなく、ボロボロになっていたかった。
それどころか、去っていく前となんら変わりがない。
「なんで……おまえは、僕らみたいになってないんだよ!」
「んー、やっぱり。娘には甘いってことじゃなーい?」
あのカタコト野郎を、いつかぶん殴ってやりたい。
響子以外のみんなは、そう思ったに違いない。
「あ、キョウちゃん! 本田さんが、リードボーカルを録りたいからまた来いって」
響子の言葉に、僕は頭を机にぶつける。
あの地獄のレコーディングを、もう一度やらねばならない事実に絶望する。
「岩崎君……もう一回、遊べるドン」
ポンと僕の肩をたたく金本が、あわれむように話す。
「ドッ、ドンギャアッ……」
真っ白い灰のようになった僕は、その小さく答えるのだった。




