第108話「覚醒、岩崎!もうボーカルは無理だね」
静まり返る、録音ブース。
しばらくの間、誰も声を出さない時間が続く。
「……どっ、どうでした?」
一人も話してこない中、僕はそうみんなに尋ねる。
「これは、おどろいたね……」
先に答えたのは本田さんだった。
僕らの演奏を聴いた本田さんは、ひどくびっくりしたような顔で話す。
「今までの中で、ベストソングみたいな感じデスネー」
次にジャスティスさんも、そう感想を言う。
「けど、正直に言ってまだ納得はしていないですよ」
二人に対して、和田はギターを握りながら口を開く。
「だなあ、僕もベースの音が気になる」
「ぼっ、僕のドラムも全然合わなかったよ」
「うむ……! ただ」
荒木や岡山が、自分の演奏にグチをこぼす中、金本が僕を見る。
「ボーカルだけは、完璧だったな! 岩崎君のパートにおどろかされたよ」
金本の言葉に、全員がうなずく。
「あたしなんか、途中で音が飛んじゃったよー。初めて負けた気がした」
ボーカルを歌う響子までもが、そう言ってしまう。金本たちがおどろくほど、僕のハモリは良かったのだろうか。
僕はKORUKAさんのほうを見る。彼女だけが、一言も話さずにずっと黙っている。
指をあごに当て、深妙な顔でなにかを考えていた。
「あの……」
なにか感想をもらえないか、僕がそう言おうとした時、KORUKAさんが口を開いた。
「一気に突き抜けたわね。理想のハモりボーカルを」
「……突き抜け、え? どういうことです?」
よくわからない例えに、僕は聞き返してしまう。
先ほどの深妙な顔から、どこか満足げな顔になるKORUKAさん。
「この短期間で、ここまでレベルを上げたってことよ。まさに、この曲に合うハモりができたってわけ」
「つまり岩崎ボーイは、最強のリードコーラスボーカルになったってことデース!」
ジャスティスさんは両腕を上げ、高らかにさけぶ。
「多分あたしの言ったように、いろんなバンドのボーカルに合わせてハモってきたからだね」
「あれは、もう勘弁してくださいよ。知らないバンドに何回怒鳴られたか……」
「ん? それは、どういうことデスカー?」
事情を知らないジャスティスさんは、不思議そうに僕らに尋ねる。
「それに、言われた通りこの曲も含めてかなりの回数を聴きましたよ」
「へえ、千回?」
「……多分、それの倍くらい」
ーー耳から血が出るほど、曲を聴け。
KORUKAさんから言われたことを、僕はきちんと守っていた。
耳からは血は出なかったが、いろんな曲を聴いては歌うのを繰り返した。
そして、僕は次第にどの曲でも瞬時にハモることができるようになってしまった。
曲のボーカルが歌うのとは違う音程で歌ってしまう僕は、それがハモりになると言われていた。
それがさらに磨かれたように、今はどんな曲だろうと的確に歌える。
「じゃあ、試しにあたしが適当に歌ってみようか」
KORUKAさんは、そう言って歌い始める。僕らがコピーした、あの曲だった。
「ああ、あの曲か。じゃあ、こう歌えばいいかな」
僕は彼女が歌うメロディに合わせて、なにげなく歌う。口から出る一つ一つの歌を、僕は重ねるように歌った。
「……おお、岩崎君がなんかグレードアップしている」
「だなあ、路上ライブで歌った時よりも進化をしているよ」
ライブハウスでハモったより、的確に。そして違和感がない。
「例えるなら、ギターの相対音感みたいなものだね。音を聴いたら、即座に合わせられるんだから」
僕らが歌う最中に、和田はそう例えた。短めに歌い終わると、KORUKAさんは僕に尋ねる。
「曲を聴いてると、もうリードボーカルは歌えなくなるでしょう?」
「歌えなくなるというか、曲から流れる歌がすべてハモリパートに聴こえちゃいますね」
なにげなく歌ってみても、いつの間にかハモらせてしまう。
僕の耳はどうなってしまったのか。
そう思うくらい、前より曲を聴く意識が変わってしまっていた。
「それこそ! ワタシが求めていた理想のボーカルなのデース!」
「いやいや、ジャスティンさんはギャルゲーを作る人でしょうが」
「音楽も担当してイマスカラ! 結果、オーライデース!」
この人がなにを求めているか、僕にはわからない。
そんなことを知らずに、ジャスティンさんは一人で舞い上がっている。
「……けど」
そんな中、本田さんがぼそっとつぶやく。
「ボーカルはいいけど、ギターがめちゃくちゃだったのは残念だったね」
ーーグサリ!
その言葉は、僕の胸をつらぬく。
「いやあ、ギターも頑張っているんですよ? けど、ボーカルを優先してしまって……」
「岩崎君、ギターも進化しないとだな」
「はは! 君のギターは、まだまだだねえ!」
金本が笑いながら、僕にちょっかいを出してくる。
周りにいる全員も、笑っていた。
「ちきしょう! ギターだって、うまくなってやらあ!」
初の曲合わせは、こうして終わった。
まだ学校でライブができるまでは、いかないレベル。課題を残しつつ、僕らはさらに練習を重ねることになった。
帰り際に、本田さんから声をかけられる。
「岩崎君、ちょっと残ってもらっていいかい?」
「なんですか?」
みんなが帰る中、僕だけが残される。
「ちょっと悪いんだけど、今からこのメロディを歌えるかい?」
本田さんは僕に歌詞カードを差し出した。
「何回か曲を聴いてもらって、さらっと歌って欲しいんだよ」
歌詞カードを見ると、今まで見たことがない歌詞が書かれていた。
「はあ、よくわからないですけど。とにかく歌えばいいんですか?」
「そうそう! あまり真面目に捉えないで、楽に歌ってもらえればいいから」
本田さんは僕に言うと、ジャスティンさんたちと部屋を出て行く。
一人残された僕は、とりあえず歌詞を見る。
部屋にはマイクスタンドと、ヘッドホンが置いてあった。
「あー、あー。岩崎君、ヘッドホンをつけてマイクスタンドの前に立ってくれる?」
「え? あ、はい……」
言われたように、僕はヘッドホンを頭につける。
「今から曲を何回か流すから、歌のパートを覚えてね」
しばらくして、ヘッドホンから曲が流れてくる。
聴いた瞬間、僕に衝撃が走る。
ーーなんだ、こりゃあ。
ただ、おどろくしかない僕。どこかで聴いたこともない、初めての楽曲。
にもかかわらず、僕の心はざわつく。間違いなく、この曲はすごいと確信した。
「……どう? 歌のパートは覚えられそうかい?」
「……あ、いや。すみません、歌のパートが頭に入ってなかったです」
あまりの衝撃に、言われた曲の歌を聴いていなかった。
「こらこら、岩崎ボーイ! 歌に集中しなきゃデスヨ」
ジャスティンさんはそう僕に注意すると、本田さんが話を続ける。
「そのボーカルに重なるように、ハモって欲しんだよ。できるかな?」
しばらくして、なんとか歌のパートを覚えた僕は、マイクに口を近づける。
「それじゃあ、歌ってみようか」
曲が流れ、僕はボーカルに重ねるように歌ってみた。なぜ、僕が歌わなけばならなかったのか考えながら。
やがて曲がすべて流れ終わり、僕のハモりも歌い終わる。
「お疲れ様! いやあ、助かったよ。ありがとう」
「いいんですけど、なんでこんなことをしたんですか?」
先ほどの疑問を、僕は本田さんたちに尋ねる。
「……それは、企業秘密デース! さあ、そろそろ帰宅の時間デスヨ」
結局、教えてもらうことなく僕は帰らされた。
この曲に出会ったこと。そして、僕が歌ったことでとんでもないことが起きてしまう。
僕は、まだ知らなかった。
それが、僕らのバンドを大きく変えてしまうことに。




