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ハローハロー。こちらは最高にイカれてる。だからこれは戯れ言みたいなもん。
てなわけで夏は暑い。最高にくそったれだ。だから、とりあえず最高にグルービーでロックな人生を歩もうと決めた。その間には右往左往、紆余曲折、色々と思考を巡らせた結果であることをご承知してもらいたい。そうした一分もの熟考を重ね、ロックでグルービーと言えばもちろんギターだろうという結論に至った。善は急げ、時は金なり。というわけで購入。五万円のビカビカの黒が最高にイカしたギター。ついでにアンプも買ってやった。おかげで先月の給料が消し飛んだ。でも、そういう後先考えないのって最高にロックだと思う。最高に輝いてる。六畳一間の城に帰宅し、すぐさま弦をかき鳴らす。耳に尖った音を突き立てて、絶叫し続ける。ああ、最高にロックだ。最高にグルービーだ。快感が全身を踊る。この瞬間、俺は最高に輝いている。脳みそに電撃が走っていく。そう稲妻だ。エレクトリックでエキサイティングだ。これさえあれば俺は生きていける気がする。
でも世の中はそれほど単純には出来ていない。しがらみだらけで腐った魚の腸みたいなものだ。
「もしもーし」
腐った臓物その一がまさにこれ。
扉の向こうで間延びした甘ったるい声が聞こえる。
これが世に言う邪魔者というやつ。
「非常に残念ながら、ただいま不在にしておりますー」
これで良し。
さてさて、このまま全世界に俺という男の存在を刻み込んでやろうじゃないか。
それで女にちやほやされて毎日をハッピーに過ごす。ああ、何という幸福。最高にロックだ。
「その雑音まじで近所迷惑なんですけどー、通報しますよー」
「あ、それだけは勘弁して」
水差し野郎の一言で、せっかくの快感がどこかへ飛んでいってしまった。激萎えだ。実に腹立たしい。でも情けなくも世の中そんなもんである。だって人は一人じゃ生きていけないから。
「ニートのくせにまた大層な物買ってきたねー」
俺の相棒をまじまじと見つめながら、誰の許可をとるでもなく勝手に部屋に入り込んでくる。
実に不快な小娘。ここで繋ぐ言葉は親の顔が見てみたいと言ったところだが、親の顔は見たくない。
「ニートじゃねぇよ。 それと勝手に入るな。 あと冷蔵庫漁るのをやめなさい」
「いいじゃんいいじゃーん。 あ、プリンはっけーん。スプーンどこどこー」
「ちょっと渚ちゃーん? それ俺が真っ昼間から汗だくになりながら買ってきたんですけど」
「え、私のためにこんな平日の真昼間から買ってきてくれたなんてー。そっかーそんなに私が好きかー照れるなー」そう言いながら棚からスプーンを取り出すと、そのままパクパクと口にプリンを放り込んでいく。ああ、頭が痛い。吐き気しかしない。
「俺は今から最高にクールでグルービーな人生を歩んでいくんだから邪魔しないでくれよ」
「そのクールとかグルービーとか変な言い回し、なんか最高にダサいよねー」
「ガキには分かんねぇんだよ。ほら早く帰れ帰れ」
そう言ってもどうせ帰らない。首藤渚はそういうガキだ。遠慮もなければセンスもない。
「で、そのうるさいゴキブリはどこで拾ってきたのー?」
ツンツンとギターを突っつきながら問いかけてくる。
「今日から俺と栄光の道を歩む相棒をゴキブリと称するかこのガキ」
「だってビカビカの黒でテカテカしてて完全にゴキブリのそれじゃーん」
「やめろ!何だか本当にゴキブリに思えてきたじゃねぇか!」
渚は爆笑しながらゴキブリを連呼し続ける。ああ、最高にダサい。
「この前は無駄に高いカメラ買って、俺はこの世界に溢れる魅力たちをこのカメラに収めていくんだー!とか何とか凄く気持ち悪いこと言ってたけど、それはどうしたの?」
「飽きた。やっぱ時代はロックだろ」
やれやれと言わんばかりに肩をすくめる渚。
「いい加減その飽き性どうにかした方がいいと思うよー」
「うるせえ、人の心配するより自分のことをどうにかしろ不登校児」
不登校。その言葉を聞いた瞬間、渚の目が曇り、微妙に目線を逸らす。
「いやいや、ほら私はあれだよ……そう充電期間みたいなやつだからー」
「ちなみにその言い訳、今回で何回目か聞きたいか?」
「もーいじわるーばかーニートー」
「だからニートじゃねぇっての。あと叩くな、地味に痛い」
首藤渚は世間で言うところの不登校児童にあたる。人生一度きりしかない花の女子高生が学校に行かない理由など、俺には皆目見当もつかないし、興味もない。聞いたこともない。逆にそれが渚からしてみれば楽に感じているのかもしれない。だが、こうやって真昼間から部屋に入り浸られてはかなわない。現に俺の最高にクールな一日がめちゃくちゃだ。
「お前が大家の娘じゃなかったら顔面ぶん殴ってドブ川に沈めてるレベルだぞ」
「ほんと晃は素直じゃないんだからー。ツンデレは女の子がやるから可愛いんだよ?」
「……まじで殴り飛ばしてぇ」
ため息しか出てこない。けれど、このしょうもないやり取りが、認めたくはないけれど、俺にとって唯一の救いなのかもしれない。少しだけそう思わなくもない。
「それはそうと先月と今月の家賃は?」
やっぱりそれは気のせいだった。
よく分からないことばかりの人生だ。
嫌だ嫌だと駄々をこね続ける人生だ。
生きているのが面倒で仕方ない実に怠惰な人生だ。
しょうもないことばかりで心の底から退屈している人生だ。
甘い甘い性根が腐りきって異臭を漂わせているような人生だ。
それでも生きているのだから俺はゾンビみたいなものなのだろう。
だからと言って、世間の皆様に申し訳ございません。私は歩く生ごみです。そう平謝りする気は毛ほどもない。どうだ、鼻がひん曲がるだろ?せいぜい苦しめゴミ虫ども。そんな傲慢で迷惑な自己主張。だってそうだろう。俺は世界で一番、俺を愛しているのだから。
「いやいや今日も疲れましたよ。にしても加賀美さん随分と顔色が悪いですね。ちゃんと寝てます?」
小雨の降る夜中。部屋の明かりが自信なさげに輝き、胡散臭い笑みがこちらを見つめる。腐った臓物その二だ。
「てめえの面を拝んでたら顔色だって悪くなるっての」
「加賀美さんは手厳しいなー。僕こんな時間までお仕事頑張ってきたんだから労いの言葉くらいかけてくれればいいのに。あ、でもニートに労われるのも何だか癪なんでやっぱいいですよ」
「頼まれたって労って何かやらねえよ。良いからビール出せビール」
やれやれと言わんばかりに肩をすくめながら、夜鷹はビニール袋から数本のビールを取り出す。
「今のお得意のツンデレですか? ダメですよーそういうのは女の子がやるから可愛いんですから」
口が減らない。辟易する。吐き気がする。ため息すら出ない。つまりそういうことだ。夜鷹景明はこういう男なのだ。こんな奴の相手をしている俺は最高に不憫だ。でも、ほぼ毎日ビールを貢いでくるのだから俺は寛大な心でその不敬を許そう。俺は何て優しいんだろうか。
「にしても毎晩毎晩、男二人で寂しくありません?」
「なら、気をきかせて綺麗なおねえちゃんだけ連れて来てくれ。そんで、お前はさっさと帰れ」
「そんなこと言って、いつも真っ昼間に女子高生とイチャイチャしてるじゃないですかー羨ましい」
「おう、何でかしらんが俺にゾッコンだからな。近いうちアイツに売春でもさせてしこたま金稼がせてくるから、少しくらい恵んでやるよ」
そんなあり得ない畜生話を繰り広げる。夜鷹の笑みが少し柔らかくなる。
「加賀美さんったら何て畜生。男の中の男!クズ!ゴミ!ニート!あ、後で通報しときますね。よ、性犯罪者」
「まさかここまで罵られるとは思わなかったよ」
「そら、僕はこの世でヒモとニートと性犯罪者がらっきょうの次に嫌いですから」
「どうしたらそこまで、らっきょうを憎めるのか気になるな」
男二人。他愛もない与太話。実に気色悪い光景だ。吐き気しかしない。
それをビールで一気に流し込む。喉がチクチクと痛み、数分もしないうち、アルコールが体中を不愉快で愉快に踊ってる。
「でも、女に売春させて、それで稼いだ金で楽器一式そろえて、おまけにライブの箱代とか払わせたら、何だか知らないけど最高にロックな感じしますよね。クズ感増すというか」
「お前はロックに対して物凄い偏見にまみれてると言いたいとこだが、俺もそれは少し同意したい」
クズであればあるほど何だかロックっぽい。悪さすればするほどロックっぽい。外道であればあるほどロックっぽい。とりあえずロックと言っとけばロックっぽいのだ。
「ほんと加賀美さんは何だかんだ話に乗ってくれるから大好きですよ」
「男に告白されても嬉しくないから、さっさとくたばれ」
くだらないやり取りだ。初めてあった時からこの関係は何も変わらない。時が止まったかのように変化の生じない。実に不毛な関係だ。
夜鷹はこのおんぼろアパートで大家の圧政に苦しむ同士だ。と言ってもそれ以上の接点はない。俺は夜鷹の年齢も何の仕事をしているのかも知らない。聞いたこともない。聞こうとも思わない。それが逆に良いのか知らないが、奴は仕事を終えると、毎夜の如く俺にビールを運んでくる。そして、俺は飲みながら与太話に付き合う。そんなよく有るような無いような、昨今では珍しいかもしれない近所付き合いをしている。正直なところ、よくもこんな独り身の男の元へ、甲斐甲斐しく足を運べたものだと感心する。言いたくはないが顔はかなり整っていていて、女受けが良さそうではある。それを度外視するほど性格が悪い。人を食ったような性根の腐りきった奴なのだ。つまりクズ。ロックな奴だ。何だかロックを蔑称みたいに扱って申し訳なくなる。ごめんなさい。世のロック好きの皆さんは等しく皆、腐れ外道ですが、コイツよりは遥かにマシです。
「そう言えば、加賀美さんいつの間にギターなんて買ったんですか?」
「今日だよ。最高にクールだろ」
こういう目ざといところが夜鷹という男を端的に表している。
「いやーいいですねー黒いテカテカがまるでゴキブリみたいでセンスを感じますよ。尊敬しちゃうなー」
こうやって隙あらば、何でもかんでも皮肉や悪口に結びつけてしまう。
「俺やっぱお前のこと嫌いだわ」
それは正真正銘、本心の言葉だったが夜鷹の笑みはいつまでもそこにあり続けた。
朝の小鳥さんたち。おはよう。ああ、可愛い囀りが聞こえてくるよ。
ほら見て、あれが人間のクズよ。
ほら見て、あれが社会不適合者よ。
ほら見て、あれが歩く産業廃棄物よ。
ああ、小さなダンスフロアーに響くは罵りの嵐だ。
夜鷹は俺をさんざん弄り倒して満足したのかいつの間にか部屋に帰っていた。
正直、ほとんど記憶が無いがムカつくのだけは確かだった。
だが、どうせ奴もこれから都会の雑踏にもみくちゃにされるのだからざまあない。天罰だ。天罰だ。
「……気持ちわりい」
頭がトリップしすぎてぐるぐるぐるぐる床が回る。ベッドが回る。地球が回る。
今日も忌々しい朝が来る。
「ただいまー!おはよう!おはよう!グッドモーニングエブリワン!」
何の前触れもなく大声を叫ぶ馬鹿と悲鳴を上げる扉。脱ぎ捨てられるピンヒール。
女。がっつりメイクの女。腐った臓物その三。金髪で露出の激しい服装。オフショルダーが最近のトレンドだそうだ。俺にはちょっぴりしか理解できない。
「晃ちゃん晃ちゃん!愛しのマキちゃんが帰ってきましたよー!」
「うるさい地獄に落ちろ」
二日酔いで寝起きの俺にこの女のテンションは毒でしかない。
劇薬だ。最高にクレイジーだ。塩まいて追い払いたい。
「最近、晃ちゃん冷たいよね……昔はあんなに愛し合っていたのに!」
ちょっぴりしか可愛くない泣き真似する仕草。あざとい。
「俺にはその昔の記憶がさっぱりねえんだけど」
どうしてこうも俺の平穏はぶち壊されてしまうのだろうか。
きっと面倒臭い連中を差し向けている悪の組織がいるのだ。
「晃ちゃんったらつれないんだから。そんな子にはお仕置きしちゃうぞ」
「お前そろそろ、そのキャラきつくない?いい加減、卒業した方がいいぞ」
マキは拗ねた顔をしながら無断で部屋に上がり込み、くつろぎ大勢に入る。
無許可の不法占拠であるが、何も言う気になれない。
より正確に言うと、身体の倦怠感が全てを諦めさせている。主に夜鷹のせいだ。
「あたしだって好きでやってんじゃないもん!癖になってるから直せないんだよ!ニートの晃ちゃんにはこの苦労は分かんないだろうけどさ」
「だから、ニートじゃないって……ああ、もういいや寝かせてくれ」
「えー!あたしが死ぬほど疲労しながらもわざわざ!わざわざ!来てあげたのに?そういう態度とる?とっちゃうの?あり得なくない?なくなくない?」
「うわっ……めんどくせ」
ベッドで横たわる俺に詰め寄るマキ。微妙に良い匂いがするから癪に障る。
「女の子が寂しいって言った時に甘やかすのが男の役割なんだからね!」
「女の子って歳かよ……」
「もう!そんなこと言ってると浮気しちゃうぞ!」
「勝手にしてくれ……」
ぷんすかぷんすかと面倒くさい事この上ない。
たちが悪い。
渚の十倍はたちが悪い。夜鷹の五倍はたちが悪い。しかも決まって早朝に襲ってくる。ほんと、たちが悪い。
「あれ、晃ちゃんギターなんて持ってたっけ?」
ああ、この流れデジャヴだ。予定調和。誰かが仕込んでるとしか思えない。
神様というのは最高に演出が下手だ。
「テカテカの黒、超サイコーじゃん。まじグルービーってやつ?」
「……俺、お前のこと好きになりそう」
神様はようやく俺にも理解者をよこしてくれた。
その理解者は最高に頭がイカれてる上、痛々しい事この上ないからクーリングオフしたいとこだが、人生には妥協というのも必要だ。
幸い、顔だけは好みだから妥協点としては及第点だろう。
「えへへっ、でもちょっとテカりすぎてゴキブリみたいだね」
「……やっぱお前のこと嫌いだわ」
妥協は良くない。センスが無いのはダメ。ノーサンキュー。論外だ。
最高にグルービーでロックな人生を歩もうと決めたのだから理想は高く持つべきだった。反省せよ反省せよ。頭のなかで呟き続けた。