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水の啼く星  作者: 葉琉
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中編

 今日の海は凪いでいる。

 日射しは相変わらず中途半端な暑さで肌を焼くが、俺はこのくらいがちょうどいい。

「この時期は、人が少ないからいいわね」

 俺が寝ている間に用意したのだという水着に着替えたレンは、想像したとおりの奇麗な足を惜しみなく披露している。

 俺の方はといえば、いつのまに購入したのか、真新しい水着をレンから手渡された。

「派手すぎないか?」

 控えめに言ってみたが、それしか売っていなかったんだものとさわやかな笑顔で言われてしまえば、引き下がるしかない。

 水着くらい、自分で持ってくればよかったといまさら後悔しても遅い。

 レンに言わせれば、目立つ方がいいということなんだが、それにしてもなあ。

「ここの海は、地球の海とは成分が違うそうよ」

「そうらしいな。舐めてみたが、俺の故郷の海とも味が違っていた」

「あら、奇遇ね。私も同じことをしてみたわ」

 そういえば、彼女はどこの出身なのだろう。白すぎる肌も、淡い色合いの瞳も、暑い地域の出だとは思えない。

「海は好きよ。生まれた場所はとても寒くて、一年の半分以上は海が氷に覆われていたけれど、数ヶ月だけそれが溶けるの。水は温かくなかったけれど、潜るのは楽しかったわ」

「俺の故郷は、一年中暖かで穏やかだったな。小さい頃は海も川の俺の遊び場だった」

 そこまで言うつもりはなかったのに、レンがあまりにも懐かしげに話すものだから、俺もつい余計なことまで口にしてしまった。

 どうやら海を前に気持ちが高揚するのは、レンも俺も同じらしい。

「ここの海の底には、花が咲く植物があるそうよ。この時期だけのものらしいから、見に行ってみる? それほど深いところに咲いているわけではないから、道具など必要ないとは言っていたけれど」

 その話は俺もフロントで聞いた。

 遠浅の部分に咲くそれは、海中に造られた花畑のようで、若い女性の中にはわざわざ見に来るものもいるらしい。

 ただ、観光シーズンから外れている時期は、海が荒れて近づけない事の方が多いので、俺も実はまだ見ていない。

「行ってみるか。興味もあるし」

「よかった。断られたらどうしようかと思っていた」

 その時は、強引に連れて行かれそうだと思ったが、一応口にはしないでおく。

 そうだとあっさり答えられても、困るわけだし。

「あちらの方に、群生しているところがあるって聞いたわ」

 まるで恋人同士のように、レンの腕が俺に絡まり、そのまま引かれるように歩き出す。

 海水は思っていたよりも温かく、それほど深くもない。

 波打ち際から少し歩くと、俺の腰あたりまで海水がきたが、その深さのまま、ずっと遠くまで続いているようだ。

 さすがに歩くのは少し難しい。

 レンが俺から手を離し、ゆっくりと泳ぐように、体を沈めて歩き出す。

 俺もそれにならうようにして、彼女に続いた。

 心なしか、レンの顔は柔らかい。

 いや、いきいきしていると言った方が良いのか。俺とホテルの部屋で向き合っている時も楽しそうだったが、それとは少し違う気がする。

 さきほどの、海が好きという発言も、本音なのかもしれない。

「見て、イツキ。花が咲いているわ」

 レンの声に、俺は彼女の視線の先を見つめた。

 ゆらゆらとゆれる、小さな赤い花が、海底を埋め尽くしているのがわかる。海面の小さな波を太陽の光が反射して、赤い色が滲むように動くのが美しい。

 なるほど、確かにわざわざ見に来る観光客がいるわけだ。

 レンはためらうことなく体を沈め、浅い海に潜った。

 ほっそりとした体が、赤い色と混じり合っていく。

 俺はレンを追うように、その浅い海に潜った。意外に思われるが、俺はこういうのは得意だ。

 小さな頃は、もっと深い場所に潜ったことだってある。

 俺の気配を感じたのか、レンがこちらを向く。赤い唇が笑みの形になり、その手が小さな花を指差した。

 海の中で見る花は、やはり美しいと思う。

 他にも、色鮮やかな魚や、赤い花の中に時々混じっている、他の種類の花も以外に多いことも、潜ってみて初めて気が付いた。

 手を伸ばしてみると、その花々は柔らかく肉厚だ。手触りは、思ったよりもいい。

 あまりこういうものには詳しくないが、故郷の海にも、似たようなものはあった。そっちの方は、もっと固かったが。

 それから少しして、息が続かなくなり、俺は海面に顔を出す。

「奇麗だったわね」

 俺のすぐ近くに顔を出したレンが、興奮したように言った。

「よほど、好きなんだな」

「ええ。海はいいもの。こうやって潜っていると、落ち着くのよ。今、住んでいる所は、砂ばかりの星だから」

 わかる気がする。

 俺も様々な星を渡り歩いたが、一番落ち着くのは海がある場所だ。それから、水を感じられる所。現在、メインの拠点としている場所も、ごちゃごちゃした街だが、俺の家からはよく海が見える。

「ねえ、イツキ。私たちを見ている人がいるわ」

 レンに言われるまでもなく、それには俺も気が付いていた。

 最初は、この時期に訪れる観光客かと思っていたが、それにしては海にもはいらず、ただぶらぶらと浜辺を歩いている。

 一見すれば、暇をもてあまし、散歩でもしているかのような雰囲気だ。

「見た事ある人?」

「いや、初めて見る」

「そう」

 レンは考え込むように首を傾げた。

「そういえば。報告書には、あなたは女に弱い、なんて書いてあったけど?」

 薄青の瞳が、まっすぐに俺を見ている。のびてきた細い指先が、俺の頬を包み込む。

「それで時々、とんでもない事件に巻き込まれたりするって、本当のこと?」

 いったいどんな報告書が彼女の元にいっているんだか。

「私がこうやって誘惑していると、『彼ら』は不安になると思う?」

「裏切るかもしれない、と?」

「そう。知っているのよ、あなた、私みたいな女、好みなんでしょう? 文句を言いながらも、突き放すことなんて、できないみたいだし」

 レンが俺の体に抱きついてくる。

 まるで動きを封じるように回された両手を、払いのけることも出来たはずなのに、俺はそれをしなかった。

 雇われている身としては、彼女の意向にそって、囮に相応しい行動をとるべきだ。

 頭の中ではそれがわかっていて、だからこそ俺は、彼女のなすがままになっている。

 でも、本当はそれだけじゃない。

 そうだ、言われるまでもなく、俺はこういう女に弱い。

 彼女が意図して俺好みに演じているのか、それとも元々の性質がそうなのか。演技だとすれば、たいしたものだ。

「夕べみたいに、俺を誘惑してみるか?」

「見せつけるために?」

 返事の代わりに、俺はレンを抱きしめ返した。

 そのまま、俺たちは、倒れ込むように、海の中の花畑に沈む。

 彼女の向こうには、太陽を反射して輝く海面がある。

 それをぼんやりと見つめながら、俺は彼女を引きよせ、その唇を奪った。

 わずかに流れ込んだ海水が、甘い。

 故郷の海は塩辛いが、やはりここの海は違う。

 それでも懐かしいと思うのは、何故なのだろう。

 思い出の海とは違うはずなのに、そこと同じくらい心地よい海の中で、俺たちは息が続く間、二人きりでただ漂っていた。



 浜辺に戻ると、例の男の姿は消えていた。

 今いるのは、このホテルの従業員らしい女と、寄り添うようにして座っている恋人同士らしい二人組だけだ。

 だが、もちろん見えないところに誰かいるかもしれないし、普通に見える奴が、俺たちを見ているのかもしれない。

 あるいは、その誰もが無関係か。

「昨日と合わせて、二人で思わせぶりな態度をとってきたわけだけれど、食いついてくると思う?」

 ビーチに並べられた椅子のひとつに腰掛けて、レンが聞いてくる。

「どうだろうな。このまま無視されるかもしれない」

「それはないわ。だって、彼らは『私』も前から欲しがっていたもの。仲間もいなくて一人切りっていうおいしい状況よ。試しに私も捕まえてみようって、思うかもしれない。そうでなければ、お友達を連れて、さっさと逃げているもの」

 一人だからって、レンがそんなに簡単に捕まるようにも思えない。

 反対に、俺が調べていた相手は、本当にごく普通に見えた。大人しそうで、腰が低くて、それでいて真面目そうな女性。間違っても男を誘ったりしないし、冗談もあまり通じなさそうな感じだった。

 服装だって、きっちりしたリゾート地には似つかわしくないようなスーツ。

 プライベートの時だって、色合いが明るくなっただけで、やはりスーツ姿だった。

 レンは友達だと言ったが、それにしても対照的すぎる。年齢だって、女性は30才くらいだったが、レンは20才をいくらか過ぎたという雰囲気だ。

 友達、という言葉に違和感を覚えるほどに、共通点が見つからない。

 もしかすると仕事絡みの知り合いかもしれないが、俺が調べた限りで、彼女がレンと会う予定はなかった気がするが、あらかじめ会う約束をしていたのか。

 それとも、友達という言葉さえ、偽りなのか?

 他にも、ひっかかるのは、『欲しがる』という表現だ。彼女の言い方では、誘拐したという感じではない。

「なんで、そいつらは、友達やレンを欲しがるんだ?」

 悩んでいても仕方ないので、俺は素直に聞いてみた。答えたくないなら、レンは正直にそう言うだろう。

「……コレクション?」

 予想外の答えに、俺はマヌケにも口を開けて驚いた。

 コレクションてあれか、物を集めるあれか? 世の中には、変わったものを収集する奴もいるが、この場合、人間?

 想像すると、恐ろしいものがあるんだが。

「きっと、私達、珍獣扱いなのよ」

 自分で言うことだろうか。

 しかも、珍獣ってどういう意味なのか。

「私達の事情だから、気にしないで」

 細めたレンの目は、冷たい。これはきっと俺に話したくない事柄なんだろう。それ以上聞かれることを拒んでいる。

「で、どうする? ここから少し、私と離れて行動してみる?」

「そうだな。二人で別行動すれば、何か起こるかも知れない」

 起こらないかもしれないがな。

「イツキ、これを持っていて」

 レンが俺の手に何か小さなものを滑らせた。

「小型の発信器。歯にはめることが出来るわ」

 用意周到なことだ。

 だが、俺だってあまり危険な目には合いたくない。発信器で俺を追ってくるっていうのなら、遠慮なく利用させてもらおう。

「それじゃ、また後で。何もなければ、午後に、昨日会ったバーで、落ち合いましょう」

 まるで恋人同士のように、レンの赤い唇が、軽く俺の唇に触れた。

 名残惜しそうな目を俺に向けて、そのまま背を向けて歩きだす。

 そんな眼差しを向けられると思わなかった俺は、思わずレンを呼び止める。

「あんたも、気を付けるんだぞ」

 俺の言葉に、振り返ったレンは一瞬目を見開いたあと、笑った。

 それは、初めて見る、どこか照れくさそうな、そんな微笑みだった。



 しばらくビーチをぶらついて、俺は一度自分の部屋に戻った。

 シャワーを浴び、動きやすい服装に着替えて、再びホテルの外に出る。

 昼が過ぎているせいか、ホテル前の通りは、朝に比べて人通りも増えている。これから 食事にでもいくのか、何人かが固まって、街の中心部に向かって歩いて行くのが見えた。

 これから俺も食事を取りに行くか、それとも、人通りのない場所にでも、わざと行ってみるか。

 どちらにしようか悩んでいる俺のところに、近づいて来る男がいた。

 そいつのことは知っている。

 俺に、調査を依頼してきた男だ。中肉中背、凡庸な顔をさらに目立たせないような、地味な服を身につけた姿は、初めて会ったときから変わらない。

「イツキさん」

 男は、俺に向かって、声をかけてきた。

「ああ、ミツダさんじゃないですか。何か用でしょうか」

 営業用の顔をミツダに向けると、相手もにこやかに笑ってみせる。

「ちょうど通りかかったら、あなたを見かけたものですからね」

 あくまで偶然だ、ということらしい。

 だが、俺に依頼してくるような奴は、大抵後ろ暗いことがあるから、仕事が終わって関係が切れれば、道であっても知らん顔をするのが普通だ。

 こちらもそれをわかっていて、他人のふりをする。

 目の前にいるミツダだって、そのつもりだったはずだ。

「どうです? せっかくですから、これからランチでも如何ですか?」

 誘う言葉としては、妥当だろう。

「といっても、友人と一緒なのですが。おいしいと評判のレストランがありましてね。この間の依頼のおかげで、仕事もうまくいきまして。そのお礼も兼ねて、というのはどうです?」

 笑顔が嘘くさい。

 さて、どうするべきか。ついていくべきか、一応断ってみるか。

 俺は、舌先で、そっと口の中の発信器を確かめる。

「せっかくですが……」

 とりあえず拒否してみるか。

 実は、さっきからこちらとさりげなく距離を縮めてきている人間がいるのだ。全部で3人。

「もしかすると、誰かとお約束でもおありで? 例えば、美しい女性とか」

「そんなことはありませんよ」

「では、是非」

 ミツダの手が俺の肩を叩いた。

 それと同時に。男が、俺のすぐ後ろまでやってきたのが気配でわかる。

「ミスターの誘い、断ったりしねえよな」

 背中を勢いよく叩かれ、俺はわざとよろめいた。

 この程度であっさりやられると思われるのは不本意だったが、相手を油断させるためだ。

「ああ、わるい、わるい。手がすべっちまったよ」

 男は、ちょっと悪ふざけをしたという顔で、そう言った。もちろんそんなわけないのだが、俺は曖昧に頷いておく。

 しかし、数で押してきたか。

 さりげなく俺の周りに集まり、親しげな様子を見せる彼らは、リゾート地によくいるような格好をして、友好的な笑みを浮かべている。

 傍から見たら、俺もその中の一人だと勘違いするだろう。

 遠目ではわかりにくいが、それなりに鍛え、腕の立ちそうな奴ばかりだ。他にも、上着の下、不自然な膨らみは、銃でも持っているか。

「ねえ、イツキさん。私、あなたにいろいろ聞きたいこともあるんですよ。一緒に来てもらえますよね」

 どうやら、レンの言った通りになりそうだ。

 ちゃんと追いかけてきてくれよ。

 もう一度、確かめるように舌で発信器をなめると、俺は、ミツダたちに囲まれるようにして、歩きだした。

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