09》惨禍の死神
カナルと、エニスと、ツキミと、フローラは同じテーブルについていた。カチャカチャとスプーンやフォークを動かす音だけがして、ファミリーの会話はない。下を俯いて、暗澹とした表情でいる。
周囲の客達は朝の食事と談笑を楽しみながらも、チラチラと無遠慮に視線をこちらに集中させている。意識しないようにしていても、チクチクと針で刺されているように痛い。昨日の《バク》討伐の一件の情報は、どうやらかなり広範囲に拡散されているらしい。
住んでいた家が壊されたので、近くにあった安い宿泊施設に泊まることにした。屋根の隅に蜘蛛の巣が張っていたり、鏡の端が罅割れていたりするが、寝食に困ることはない。このままではいけないと思いつつ、次の住処を探すのが億劫だった。慣れ親しんだ家が崩壊してしまったことによって、放心状態になっていることもある。だが、『メモリーダスト現象』の映像が気にかかって、何も手につかないのだ。
「カナル、なにやってるの? もうスープはないよ」
「えっ、ああ」
どうやら、エニスに声をかけてもらうまで、空の皿を何度もすくっていたようだ。
「……そもそも《バク》は一人の人間の記憶から形成されるものじゃない。複数の《デバイサー》の記憶が重なり合った存在。混ざり合った記憶が全て正しいなんてことはありえない。妄想のように不確かな記憶もあるから、そこまで気にする必要なんてないんじゃないのか」
淡々と事実だけを語るツキミは、きっとカナルの心情を察して気を遣ってくれたのだと思う。無味乾燥な声色で、どこまでも感情表現が苦手なツキミ。もっと言い方ぐらいあるだろうが、彼女なりの優しさに胸が熱くなってしまう。
「それでも疑惑を拭いきれないのも、今だけ。どうせ時間が経てば、自分たちがカナルのことを遠ざけていたことも忘れる。でも、私はこうして近くにいる。そのことは忘れないでいて欲しい」
……感情表現が苦手というのは間違いかもしれない。顔色一つ変えず、腕を掴んでくっついてくるツキミに、あ、あははは、と渇いた笑いしか返せない。近くにいるって、物理的に近くにいるって意味なのか、とか返答しようと思ったのだが、ツキミの瞳が笑っていない。カナルの誤魔化すための笑いを咎めるみたいに睨め付けてくる。
「おにーちゃん、私も! 私も!」
女児らしく無邪気に笑って、反対側からはフローラが抱きついてくる。これじゃあ料理が食べられない。なにより気炎を上げている鬼が眼前にいるせいで、生きた心地がしない。
「なにやってるの、カナル。さっさと振り払えばいいでしょ」
「いや、でも」
エニスの言うことはもっともなのだが、がっちりと組みついている彼女たちを引き離すのは難しい。力づくなら可能だが、彼女たちを傷つけることなどできない。お手上げ状態で目を泳がせていると、こうしている方がおにーちゃんは嬉しいみたいですね、とかフローラが煽る。そのせいで、額の血管が薄く浮き出たフローラが沸点を超えたようだ。椅子を後方に倒すぐらい勢いよく立ち上がると、こちらの首根っこをむんずと掴む。
「いいから――来なさい」
は、はい……と、そういうしかなくて、ちょ、ちょっと! どこに!? と制止する二人を眼中に入れないエニスに、店の外まで連れ去られた。店内の客がなんだ、なんだ。痴話喧嘩かと冷やかすように眼で観られていたのに、エニスはどこ吹く風だ。
「お、おい!」
「鼻の下伸ばしている暇があったら、もっと考えるべきことがあるんじゃないの」
「……ああ、それはそうだよな。俺がみんなのことを裏切ったのか真実かどうかで。それが真実だとしたら、どうやって謝ればいいのか……」
「そうじゃないでしょ! カナルは本当に大事なことを忘れてる」
「え?」
「あの記憶が真実だとして本当に大事なのは、カナルが裏切ったかどうかじゃない。考えるべきは、あの化け物じみた能力を持った女は一体誰だったかってこと」
「……あっ」
記憶の断片を覗いたあの時、映像がほとんど見えなかった。鮮明とはいわず、ある程度顔が認識できたのはカナルの顔と、それから地下道の地獄のような情景だけだ。あそこにいたあの女の顔も、まるで思い出せない。
「この国を滅ぼす直前まで追いつめた極悪の能力者にしては、つめが甘すぎると思わない? どうしてまだこの国は平和でいられるのか。そもそもあの女の目的は一体なんだったのか。そして、一番の疑問点は……どうして私たちは記憶を差し替えられていたのか」
「……言われてみればそうだな」
記憶の中ではグルマタの《デバイサー》のほとんどが戦闘不能に陥っていた。あそこから奇跡的に逆転したなどと楽観できるわけもない。グルマタの《デバイサー》はそろって完全敗北したはずだ。そして《デバイサー》どころか、この国を完全に滅ぼすこともできたはずだ。惨禍の爪痕は残ったものの、《デバイサー》は皆生きている。記憶だけが死滅してしまっていた。過去の自分を抹殺しながら、今という仮初めを生きていた。
それがいったい何を意味するのか量ることはできない。
「昨日一日考えてみたんだけど。あの女は未だに健在。そして、今、あの《惨禍の死神》は――」
「グルマタにいることにならない?」
「――どうして?」
いくらなんでも、彼女がここに滞在するなんてありえない。彼女が生きているという意見は正しいと思う。あの苦しんでいる姿が全て演技だとしたら、カナル以外の《ファミリー》全員も倒したはずだ。そして敵がいなくなった彼女は、とっくの昔にグルマタから大挙していなければおかしい。
「普通、ここから離れようとするだろ。わざわざこの場にいるなんて危険すぎる。相手にすらならなかったけど、ここには大勢の《デバイサー》がいるんだから」
「私にも理由は分からないけど、そうとしか考えられない。記憶をわざわざ抹消したってことは、ここに居座るためだと思う。そして何食わぬ顔で私たちと一緒に生活を送っているのは――」
「シルキーだと思う」
「ありえない」
あの死神の情報を纏めるならば、性別は女。それから強力な能力を持つ《デバイサー》と、確かに条件だけ見ればシルキーと一致する。だが、彼女はありえないと断言できる。
「そうとしか考えられない! 私たちはさっきから記憶が偽物だという前提で話している。だけど、私たちの以前からの記憶も、蘇った記憶も、そのどちらも偽りじゃなかったとしたら? 二つとも本物の記憶だったとしたら、彼女の能力の一つでこの世界そのものがつくりかえられたものだとしたら?」
「無理だ。個人が振るえる能力にだって限度がある。お前は、シルキーに因縁つけたいだけだろ」
どうもシルキーのこととなると、冷静さを失う傾向にある。そしてこちらがシルキーのことを擁護すればするほど、ヒートアップしていく。
シルキーには時間という制限がある。しかしその枷は、シルキーの口からでたもの。もしもそれが嘘だったとしたら。時間という制限なしに、あの最強に近い能力を扱えるのだとしたら、確かに彼女は死神の名を冠するに相応しい。
「そうじゃないよ。実際、私たちの記憶は封じられていた。その大規模な能力を使った《デバイサー》は確実に存在している。今、グルマタでいる《デバイサー》で一番怪しいのは、やっぱりあの人だよ」
「この世界がエニスの仮説を立てた通りの新世界だったとしても、シルキーには動機がない。むしろあいつの理念からは最もかけ離れた行動だ。あいつの頑固さはお前だって認めている。きっとシルキーは死んでもこの世界を一度だって滅ぼすなんてしないだろ」
「そうかな。極端なことを言えば、世界崩壊みたいな事件が予見されていたのだとしら、シルキーは狂気に手を染めないともいいきれない。世界を再構築することも、顔色一つ変えずにやってのけるほどの危険性は十分示唆できる。《灰かぶりの銃弾》に属している《デバイサー》はみんなまともな精神構造なんてしていないんだから」
「シルキーのことや、他のメンバーについて悪く言うのはいい加減やめろよ。そういうのは良くないって。……それより、もっと他の線で死神を追ってみよう。情報を集めるためにも、二手に分かれた方がいい」
「……まあ、カナルがそういうなら自重する。でもね、誰であろうと疑ってかかった方がいい。記憶が蘇ったことで一番焦ってるのは、きっとあの死神だから。決して独りきりにならないで。こうやって二人きりになるのは避けた方がいい。また記憶を消されかねないんだから、私たち《ファミリー》と一緒にいること!」
みんなの記憶が蘇った今。一番に襲われるのは、最後の最後に立ちはだかった《フルハートファミリー》かもしれない。あの『メモリーダスト現象』の記憶の断片の後どうなったかは知らないが、死神は自分たちのことを完全に殺しきることには失敗してしまっている。それを恨みに思っているかもしれない。きっと、エニスはそう考えているに違いない。
「分かってる。分かってる。ちゃんと《ファミリー》と一緒にいるから!」
そういって、カナルは駆け出す。ポケットに入っていた紙を無意識にクシャクシャにしながら、嘘を言っていない、と心の中で言い訳をする。エニスに首根っこを掴まれている時に、ポケットに入っている紙を発見して、中身を見た。呼び出された場所に疑問を覚えながらも、指定された場所へと行く。――紙に書いてあるとおり、たった一人で《ファミリー》のもとへと。




