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08》最低最悪の敵

 蟹の《バク》は濛々とした煙を総身から漂わせていた。

 カナルは廃墟と化した建物を直視することができず、だらしなく項垂れていた。もう元には戻らない。あの時過ごした日々の結晶は砕かれてしまった。元凶を駆除したからといって、それですべてが解決するわけではない。被害が拡がらずに最小限に済んだことと、それから、

「カナル! 大丈夫!?」

 みんなが無事でいられたことが、なにより心の慰めになる。心配そうに声を上げるエニスに、弱弱しく手を振る。エニス本人とフローラ、アローン三人分の回復を同時に行っていたのだ。あちらもそうとう消耗している。

 防護壁から抜けだしたばかりで、フラフラな彼女に、


 蟹の《バク》のハサミが死角から振るわれる。


 危ないっ!! と猛然と駆けると、頬を固まらせたままのエニスを押し倒すように突進する。腕で抱え込んだまま、地面を転がる。膝の裏を浅く斬られるが、エニスは無傷だ。

 蟹の《バク》は明らかに鈍重そうな動きになっているが、まだ意識があるようだ。赤黒かった体躯が、脚先から徐々に闇のような黒に染まっていく。すると、まるで錯乱しはじめたかのように、ハサミをでたらめに振り回し始める。こちらのことが見えていないようにも見える。暴走状態だ。鎧の《バク》と遭遇した時にも、類似した反応を見せた気がする。

「――おとなしく眠っておけ」

 隙だらけの蟹の《バク》の懐に潜り込むツキミ。自動修復機能のおかげで、今最も動ける彼女が、絶好の機会を見逃すはずがない。だが、何か嫌な予感がする。鎧の《バク》の時のように、一筋縄ではいかないような。そんな気がする。

「やめろ! ツキミッ!!」

 間に合わないと頭の片隅では理解できつつも、手を上げて走る。つい先刻エニスを救えたことがほんの偶然だったことが分かってしまうように、


 ツキミの機械の躰が爆ぜるように破損する。


「あっ! がっ!!」

 殴ったのはツキミで。蟹の《バク》は微動だにしていなかったはずなのに、吹き飛んだのはツキミだった。

「……攻撃を――跳ね返した!?」

 人並み外れた腕力を持つツキミが、そのまま衝撃をカウンターでもらってしまった。

 蟹の《バク》は何事もなかったかのように、ハサミを無造作に振るう。弾かれたツキミは受け身を取る間もなく、廃屋を貫通する。

「ツキミ!!」

 ……うっ、とツキミは起き上がろうとしたが、脚が木片に挟まってしまって抜けないようだった。

「くそっ! エニスは後方に下がってろ」

「でも――」

 抗議の声を聞き届ける間もなく、蟹の《バク》の攻撃が再開される。正気を失う前はカナルばかり狙っていたが、今度は見境なくツキミにまで魔の手が広がる。転がっていた石を能力で眼へと投擲し、こちらに注意を向かせてなんとか引き剥がす。

 泡をカーテンのように敷き詰めながら、蟹の《バク》はその巨体を武器に特攻してくる。地を震わすような爆発が断続的に発生する。さきほどと違うのは、泡に被弾するのを全く恐れていないということ。豹変する以前は、泡に当たらないよう配慮したハサミの動かし方をしていたが、今は爆風の中を猛進している。甲殻が剥がれはじめている蟹の《バク》を放置すれば、かってに自滅してくれる。

 だが、このままでは街が崩壊してしまう。だから、半分潰れている丸太を踏んで、能力で矢のように狙撃する。しかし、蟹の《バク》に触れると、粉々に壊されてしまう。ツキミのように徒手空拳だけを反射できるかと思ったが、物理的な攻撃全てを跳ね返せるようだ。ということは、カナルの能力は全く意味をなさないことになる。

 泡の弾幕とハサミをかいくぐりながら、落ちている剣に手を伸ばす。これ以上好き勝手されてはたまらない。ここはカナルの居場所だ。指の先が剣に触れた瞬間――


 蟹の《バク》のハサミがカナルを捉えた。


 剣を帯刀することもできず、ハサミに挟まれたまま硬い壁に叩き付けられる。がはっ、と空気を吐き出し、剣を手から滑り落ちた。ガチャン、と地面に叩き付けられた剣を拾おうにも、カナルの足は宙に浮いている。ガッチリとハサミに躰を挟まれてしまって身動きが全くできない。能力を行使できるものなんて、なにもない。

 それどころか、ハサミの間隔が徐々に狭まっていくのを感じる。抵抗するも、《デバイサー》の力では《バク》に太刀打ちできるはずもなく、骨が軋む音が、肉体の内側から聴こえてくる。

「カナル! いま、助け――」

「来るな!!」

 蒼白な顔をして、エニスが駆けってきたが、もうそんなものに意味はない。今から何をやったところで手遅れだ。カナルにはもうどうすることもできない。拘束されたまま、


 剣が蟹の《バク》の前脚を叩き斬るのを目撃することしかできなかった。


 切断されたハサミから解放されたカナルは、がはっ、と勢いよく尻餅をつく。剣に指が触れた時に、能力を仕掛けておいたがうまく発動してくれたようだ。『自分が捕縛されているあと数秒後に、ハサミの脆い部分を斬れ』と簡単な命令を出しておいたのだ。硬い甲殻で守られているこの蟹の《バク》に一泡吹かせるためには、生身の箇所がよく晒されるであろう脚が伸びきった時を狙う他なかった。

「一種の賭けだったが、お前の攻撃反射能力は無意識下からの攻撃に対応できないみたいだな」

 自らが破滅する危険を冒してでも攻撃反射能力を使用したのは、追いつめられたからだ。それは分かってはいたが、疑問や懸念が多くあった。

 一番の懸念だったのは、死角からの攻撃が有効であるか否か。

ツキミが拳を突き上げた際は、なんの淀みもなく蟹の《バク》は能力を発動できていた。しかし、カナルが落ちていた木を使った時、微妙にタイミングがずれた気がした。その時に仮設が一つ思いついた。もしかしたら、蟹の《バク》の攻撃反射能力はかなり繊細な技なのではないかと。

 蟹の《バク》は理性を喪失している。それなのに精密な能力コントロールができているのは、何故か。少しでも狂ったら受けた攻撃ダメージは自分に跳ね返ってくるはずだ。攻撃を反射させること以外のことは眼中になかったとしたら。一見見境なく暴れているようには見えるが、それは逆に冷静に能力を使うためだとしたら。その考えがあっているかどうか。自分の躰のダメージ度外視で、攻撃反射能力に全ての意識を注ぎ込んだのだ。

 だから、戦闘は一対一を印象づける必要があった。カナルだけを視界に入れさせ、抵抗できないことを証明させてやれば油断が生まれる。より視界が狭まって、外部からの攻撃を反射させることができなくなる。

 グンッ!! と迫ってきたもう片方の第一歩脚も、剣を振り上げて根こそぎ斬る。土埃が巻き上がりながら、斬ることができた。やはり、一度集中が途切れてしまうと、衝撃を反射させることができなくなってしまうようだ。武器のない蟹の《バク》は自身の重量で押し潰そうとしてきたが、

「うおおおおおお!!」

 と、カナルは雄叫びを上げながら剣を突き刺す。度重なる爆発と衝撃によって鋼鉄の外殻はその防御力を失っていて、バキバキッと音を立てながら貫通した。足を踏み出しながら、歯を噛みしめる。能力で自分自身の服を操作し、少しでも突進の速度を上げる。ガガガガ、と断末魔のような音を立てながら、巨躯の《バク》は凄まじい勢いで壁に激突する。

 ぴくぴくと動いていた脚が、だらんと弛緩すると、蟹の《バク》はようやく完全にその生命活動を停止させる。

「これは……」

 誰かが後方から驚愕の声を上げる。それもそのはずで、蟹の《バク》の躰がとてつもない発光量で煌き始める。この発光現象は『メモリーダスト現象』だ。そして後方を振り返ると、

「……ヴァルヴォルテ、今更来たのか」

 傷一つないヴァルヴォルテと共に、《灰かぶりの銃弾》の隊員達が雪崩れ込んできた。いったいどこで仕事を怠っていたのか。どうやら蟹の《バク》と交戦すらしていないようだ。

 そして、『メモリーダスト現象』を目視するのは初めての経験だ。

 笑顔で距離を詰めてきた《ファミリー》達も、呆然としたまま蟹の《バク》に視線が釘付けになる。メモリーダストは、かなり稀有な発光現象だ。この場に居合わせている者のほとんどが、未経験なはずで。あまりにも珍しいものは、根拠のない妙な逸話ができるのが自然だ。

 『メモリーダスト現象』を見れた者は、願いが一つ叶うなんてロマンチックなものから、災いが降りかかるなんて正反対のものまで色々だ。

 網膜を灼くような光の繭が《バク》の躰に纏わりつく。金色の糸が波のように蠢いていて、光がまるで生き物のようで不気味であり。しかし、それでいて幻想的な光景に見えてしまう。煙のように天蓋へと向かって伸び行く光から、ポツポツと小さな球体が発芽するかのように複数生まれる。無風であるはずなのに、フワッと中空へ浮上すると次第に光の球は膨張していく。その一つ一つの灯が、《デバイサー》達に舞い降りる。おもむろに手をさし伸ばす者や、ポケットに手を突っ込んだまま受け入れる者。鬱陶しそうに首を振る者など各々の反応を示して、


 封印されていた過去が解き放たれた。


 ブワァァァァ、と脳内に途切れ途切れの過去の映像が駆け巡る。棒立ちになっていたのは、一瞬だったはずで。凝縮された記憶が一気に流れ込んだせいで、グラリと地震が起きたみたいに足元が揺らいでしまう。

 『メモリーダスト現象』とは、《バク》が消滅する時に発生する自然現象のことだ。《デバイサー》の記憶の結晶体である《バク》があまりにも強力だった時に、その膨大な情報力が《バク》という器から溢れ出ることがある。それが可視化できるほどまでに密度の高いものであり、触れたものに過去の記憶を見せることがある。それが、カナルの知っていた『メモリーダスト現象』だ。

 しかし、流れ込んできた記憶は、まるで身に覚えのないものだった。それなのに、何故かしっくりくる。まるで欠けていたパズルのピースがピタリとくっつくかのように、リアルなものとして認識できる。どうして今まで忘れていたのか分からない。いや、忘れていただけではない。

 『グルマタの惨禍』。それは、火山噴火によって街が破壊されたものだったはずだ。しかし、流れ込んだ記憶は、それが偽りであったことを告げている。たった一人の少女の手によって、この街は、いや、この国は一度壊滅しかけたのだ。忘れていたのではない、これは記憶の塗り替えだ。

「…………カナル」

 今にも消え入りそうなエニスの声に、はっとカナルは気づく。誰もがカナルを注視していて、信じられない顔をしている。そうだ。おぼろげな記憶の中で、カナルは確かに少女の味方をした。薄暗い地下の中で、身体を張って少女のことを守ったのだ。この国全ての《デバイサー》が結託したというのに、たった一人だけ、彼女の味方をしてしまったのだ。

 カナルは最低最悪の裏切り者で、そしてこの国の民衆全ての敵だった。

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