07》蟹交戦
蟹の《バク》のハサミの上を跳躍する。
後ろから岩を押し潰す音がするが、脚が戻ってくる前に接敵する。そのまま剣を甲羅に叩きつけるが、ビリビリと全身が痺れるような感覚だけが伝わってくる。ハサミ同様、いやそれ以上に硬い感触に阻まれる。
「刃がっ……通らない」
脚を鞭のようにしならせ、横合いからもう一つのハサミを開閉させる。宙を回転しながら避けると、ハサミを剣で斬りつける。だが、それも効いていない。傷一つつけることもできない。見た目に反して余りある俊敏性や岩をも砕く攻撃力に恐れ戦いていたが、その本領は防御力。この感触……鎧の《バク》よりも硬い。
影がスッとできた。と――ドゴォン!! と空中で身動きできないカナルが、地面に叩き付けられる。グチュッとハサミが腹部にくいこみ、地面を引き摺らせながら押し潰される。服の一部が擦り切れ、摩擦熱によって半身が燃えるように熱い。
「く――そっ――」
独りで相手をすると宣言していながら、ジリ貧どころの話ではない。倒れているカナルにトドメを刺しに来た蟹の《バク》の一撃から逃げられる術はない。受けることもできない。まともに剣で応対すれば、そのままめでたく挽き肉になるだろう。
だから――剣を差し出すように突き出す。そして、高速で肉薄するハサミを擦らせるようにして、力などほとんど使わずに受け流す。残念ながらあちらの硬度を打ち破るだけの攻撃力の持つ武器はない。できることといえば、真っ直ぐ降ってくるハサミの攻撃力を殺さず、切っ先で軌道を微妙に変えるしかない。
カナルは真っ当な剣士ではない。
それでも剣を持つ理由の一つとして挙げられることは、リーチの長さにある。カナルの能力は、フローラのように任意の場所に能力を展開できない。能力干渉範囲は狭い。それに、身体に触れている物質にしか能力を使用できないという条件がある。しかし、手から能力を剣に伝わせ、それから斬りつけたものにも伝わせることもできる。あくまで能力を核とした戦い方。剣の腕前は二の次。剣術に誇りなど待ち合わせていない。
従って、カナルの剣術はおのずと邪道に分類される。
太刀筋の綺麗な王道の剣を求めるよりも、より無様で薄汚れた剣の振り方しかカナルにはできなかった。幾多の戦場で磨かれたのは、型にはめることのできないカナルだけの剣筋で。ただ剣を闇雲に振るうのではなく、あらゆる状況によって応じる戦い方に自然となっていった。一撃必殺だが隙だらけの剣よりも、姑息に立ち回って生存確率を引き上げる剣を選んだのだ。
繰り返される猛攻を、全て捌いていく。
少しでもタイミングがズレてしまえば、この身は引き裂かれてしまうだろう。
何故なら、カナルは能力を今――使えない。
身体に触れたものを操作する能力は、生物には通用しない。《デバイサー》たる人間や、《バク》などを直接触っても、脚の指一本動かすことはできない。それがカナルの能力の限界だ。
「――ぐっ」
嵐のようなハサミの連撃の内の一撃が肩に掠る。それだけで、転がっている木材に脚をすくわれてしまった。無様に尻餅をつくと、脅威が迫りくる。
剣は殻を突き破ることはできない。能力を直接伝達することはできない。だから――
「串刺しになってろ」
どんな攻撃であろうとも、蟹の《バク》に効くはずがない。だがそれは、頭胸甲や歩脚の部分。だから、もっとも防御の薄い関節部分を狙った。追いつめられたように倒れれば、トドメを刺すために大きく脚を上げる。その分弱点である関節部分が顕わになる。
そうして、折れた木材で関節部分をぶっ刺した。
《バク》本体に能力が効かずとも、地面に転がっている木とならば話は別だ。ギシッギシギシッと苦しんでいるように、蟹の《バク》は脚を蠢かす。
「この木が何かわかるか? 俺たち《ファミリー》が過ごした家だったものだ。もう木片になり果てて見る影もないものだ。汚くて狭い家だったけど、俺にとっては大切な居場所だったんだ」
蟹の《バク》は大きく仰け反りながら、半透明な泡をブクブクと吹く。ふわり、と風に乗った泡が周囲にふわふわと浮かんで。そのうちの一つが近づいてきた。特に何かを察知したわけではない。ただ邪魔だと思ったから、剣で押しのけるようにして泡を刺すと、
閃光を四散させながら爆ぜた。
腕の皮がめくれ、剣が回転しながらあらぬ方向へ飛んで行った。カナルは爆風の余波によって飛ばされた。
がはっ、と咽ると、飲み込んでしまった白煙が吐き出される。泡一つだけの威力はそこまでじゃないが、連鎖して爆発することによって破壊力を増大させている。
「……爆弾? この一つ一つの泡……全部が……!?」
視界を覆いきる物量の泡が、蟹の《バク》から排出される。さきほどよりもさらに多い。しかし、浮遊しているだけの泡の動く速度は、あまりにも遅い。それなら避けるのも――そう確信したのに、蟹の《バク》のハサミが頭蓋を粉微塵にする勢いで落とされた。
空中に逃げたカナルの総身に、吸い付くように泡が漂ってきて爆散する。その瞬間、手元から離れた剣の鞘がカナルの脇腹に喰いこんで、爆発の中心から突き放す。間一髪のタイミングで致命傷を避けられた。
手元に戻ってくるよう、能力で剣に命令を下していた。だが、泡を叩き斬っても爆発に巻き込まれるだけだ。それならば、自ら攻撃を当てた方が結果的に負うダメージは軽減できる。
ギィン! ギィン! と持ち直した剣から残光が飛び散る。
力を逃すことができず、まともにハサミを迎え撃ってしまっている。噴出する泡に気を取られているせいで、集中力が乱される。衝撃が手をとおして、骨まで達する。手が痺れて、剣を取りこぼすのも時間の問題だ。
「くそっ!!」
ハサミによって動きを制限されたことによって、まんまと誘導されたカナルは周囲を泡に取り囲まれてしまった。微かに開かれた隙間を縫って脱出を試みるが、眼前にハサミによって突き飛ばされた岩が迫る。
泡は爆音とともに弾けた。
無数の泡は仲良く暴発すると、カナルの全身を焼いた。擦り切れた紙片のようにペタリと額を地面につける。耳鳴りが激しく、眼球もさだまらない。腕の力で起き上がることもできず、極度の痛みのあまり気絶することもできなかった。
身動き一つとれないカナルを屠るために、巨大なハンマーのような一撃が繰り出された。ビキッ!! と地面を八つ裂きにするハサミの下敷きになったはずのカナルは――今まで最も速い速度で退避していた。
「――っ――!」
能力で人間を操作することはできない。できないが、それでも服を操作することはできる。焦りのあまり首元を引っ張られて窒息しそうになりはするが、最終手段としては使える。しかし、緊急的に逃避しただけで窮地を脱したというわけではない。蟹の《バク》はゆったりとした動作で、口腔から泡をブクブクと放出する。あれにまとわりつかれれば、今度こそ終わりだ。だから――
カナルはあっさりと武装蜂起した。
ブゥン、と剣を蟹の《バク》に向かって投擲する。そんなことをしても、何一つ損害を与えることができない。だが、狙いは蟹の《バク》本体ではなく、その周囲に漂っている脅威にだ。泡が、ドゴォオンッ!! と、全てはじけ飛ぶ。しかも連鎖して大きな爆発となって、蟹の《バク》に襲い掛かる。
「触れただけで起爆するなら、泡が近づく前に爆発させればいいだけの話だよなあ」
甲殻で覆われた躰であっても、全身全てを防御できるわけではない。爆発のように全方位くまなく攻撃できるのならば、殻の薄い僅かな隙をつける。家屋の木片で刺された箇所からの傷が拡がったこともあってか。グラリと蟹の《バク》は躰を揺らすと、煙を吐きながら倒れ伏した。




