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06》フルハートファミリー

 《フルハートファミリー》の拠点。

 根城としている家屋は、木造建築で古い。お世辞にも立派だとはいえず、廊下を歩くとギシギシと悲鳴を上げてしまう。それでも立地条件は悪くない。住宅街に並んでいるうちの一軒で、人の出入りが多い。だから交通の便も良くて、結構気に入っている。

 借金をしてまで建てた自分たちの家。その金を払い終えたのもつい最近のことだった。だからこそ思い入れがある。

「覚悟してね。私だけじゃなくて、みんなカンカンなんだから。カナルが単独で洞窟に潜ったこと、心配して――でも、それ以上に怒ってるんだから。特にアローンはあの気性だから、一撃、二撃もらうことは覚悟しておいてね」

 エニスは意地悪く眼を眇める。絶対に楽しんでいるし、きっと助けてはくれないだろう。むしろ背後から援護射撃しそうだ。結束力が高いことはいいことだが、一応、一組織の頂点に立つ人間としては形無しだな。

「わかってるよ。この両の手を地面につく用意なら既にできてる」

 ―ー《ファミリー》の人間と一緒に過ごしてきた家。エニスが料理を失敗して焦げた天井や、ツキミがうどん汁を溢してできたシミや、フローラが勝手に室内に作った菜園や、アローンが寝ぼけて穴を開けた壁も、どれもこれも傷跡が――記憶が家に残っている。楽しいことだけでなく、喧嘩だってしたけど、全て大事なものだ。温かくて、夜中家に帰ると、仄かに光が灯っている。騒がしい声がして、人の気配を感じることができる。そんな家が――


 巨躯のハサミによって裁断された。


 高速で振り下ろされた鋏によって、木製の建物が砕け散る。バラバラになった木片が雨のように四方へ飛来していって、更なる被害を撒き散らす。

建物を縦に割ったハサミは岩肌のようにゴツゴツとしていて、所々がささくれている。強大な武力であるハサミは一つだけではない。二つのハサミを保有する巨大な《バク》がそこにいた。

「蟹の《バク》だと……? こいつが、ヴァルヴォルテの言っていたハサミの《バク》か?」

 ギョロギョロと動く触覚の先には、淀んだ複眼があって不気味。水に濡れているように艶のある脚が、一本一本意志を持ってぐにゃぐにゃ蠢く。赤黒い甲羅で覆われている蟹は、その辺の建物と等倍の総身を誇っていて、自然と見上げてしまう。

 これほどまでに巨大な《バク》は珍しいどころの話ではない。膝ぐらいの身長の四足脚の獣や、人型の《バク》がほとんどだ。しかも、蟹の《バク》なら、海岸線付近に生息しているはず。それなのに、こんな街中で発現するわけがない。

「ありえない。この街は《灰かぶりの銃弾》の隊員が厳重に警護しているはず。あの包囲網を突破してきたの……!?」

 エニスの言うとおり、明らかにこれは異常事態だ。あの完璧主義者であるヴァルヴォルテがこんな失態を許すわけがない。まさか、一番隊隊長が倒されたのか。あいつが敗北する姿など想像もできないが、それに近い実力を持っているとみて間違いない。

「――えっ?」

 まるで何かを探しているかのように四方を見渡していた眼が、カナルを視界に捉えた瞬間停止した。そして――猛獣の口腔のようにハサミが、ガッポリと開いて猛威を振るってくる。

うわっ! とエニス共々後ろに飛び退く。ズガガガガ、と先刻までカナル達が立っていたところにあった瓦礫を氷塊のように割って、地面を抉り削る。

「……なんだ!? 俺を――狙っている――のか!?」

 もう片方のハサミが斜めの軌道を描きながら、まるで断頭台の刃のように降り下ろされる。地面に着地したばかりで、挙動がどうしても鈍くなってしまう。避けられる攻撃の速度ではない。

 剣を地面に思いっきり突き刺す。剣と鍔迫り合いするようにハサミが衝突する。あ――、が――と歯噛みしていたカナルの口から声が漏れる。ガチガチガチ、と刃を震わせながら受け止めたが、体格の差もあって吹き飛ばされてしまう。勢いを殺せず、背中を瓦礫に強打する。

「カナルっ!!」

 エニスの叫びで、一瞬とんでいた意識を取り戻した。ぼんやりと靄のかかった頭を動かすと、剣が地面を転がっていた。瓦礫に捕まりながら、必死になって武器の元へと駆ける。

 舞った土埃を切り裂くようにハサミが三度、標的であるカナルへと迫ってくる。くそっ――と半ば諦めたように悪態つくと、


 ドガガガガガガ、と凶悪なハサミを、素手で受け止める奴が割り込んできた。


 足裏を地面に擦りつけながらも、闖入者は両の手で勢いを完全にせき止めた。そいつは、まるで湖のような女だった。戦闘中だというのに、カナルは彼女に見惚れてしまっている。だだっ広くて鏡のような水面を眺めている時に感じるような安心感がある。ぽたりと草から零れる水の滴が波紋を作るのが見て取れるように、彼女から静寂さを感じる。

 あまりにも綺麗なそいつは、人間であるはずがない。見るものを虜にしてしまうような彼女。その腕からは、ブシュッと霧のような白煙が噴き出す。縦に亀裂が入ると、肘の虚空からボッ!! と炎が灯る。

そして――加速した拳でハサミを押し返した。ドゴォン!! と、後ろの家屋を破壊させてしまうほどの威力。圧倒的な質量差があろうともこいつには関係ない。

「ツキミ! 無事だったか!?」

 ツキミは《フルハートファミリー》の一員。

 《無心機》(むじんき)と呼ばれる、機械人形オートマタの一種だ。

 第四式稼働エンジンを搭載している自律機。超人的な怪力を持っているが、見た目は人間そのものだ。趣味嗜好があるものに傾倒していて、とても《無心機》とは思えない。それでも、たまに動きがキッチリしすぎている時があって、人造ロボットらしい時もある。

「無事……とはいえないみたいだ」

 ガクン、と突如として、ツキミは動力を失ったかのように膝をつく。ギギギ、と不吉な音が聴こえる。体内で稼働している機器の一つが、オーバーヒートしているかのようだ。

「次、来るよ!!」

 エニスが注意するまでもない。蟹の《バク》は第一歩脚を、槍のように突いてくる。

 ブスブスとエニスが焦がした料理のような黒煙を体内の隙間から漂わせるツキミは、あまりにも無防備で、痛々しげに片目を眇めせていた。もう一度攻撃を喰らっても、受け止められる保証はない。それに、身を翻せるほどの元気はない。あったとしても、あのハサミの体積では、ちょっとやそっと動いたところで芯を外すこともできない。

 瓦礫に剣を突き刺す。すると、カナルの能力によって、自力ではおよそ飛ばせないだろう高速でハサミに衝突する。――が、瞬時に粉々になる。まるで通じない。大した妨害にもならず、ハサミはツキミを――庇うようにして前に立っているカナルごと貫い――


 バキィィッッ!! とハサミは中空で弾かれた。


 そこには毅然とした表情の少女がいた。

 彼女は髪を梳かすのに命を懸けているのではないのかと勘ぐってしまうほどに、見た目を整えるのに時間を費やす。だから《フルハートファミリー》の中で最も早起きする。その割にはアローンと同じぐらい昼夜問わず寝てしまうので、いつも無駄だと思っている。思っているだけで決して口にしないのは、それを言ったら最後で。淑女の嗜みを重んじているらしい彼女の喉が、荒地のように枯れ果てるまで説教を拝聴しなければならないからだ。

 しかし、それだけこだわりがある彼女の長髪はその努力の甲斐もあってか、まるで黄金のように燦然と輝いていた。男であるカナルには到底考えが及ばないが、それでも常識内の手入れではあそこまで完璧に、いや完璧以上に仕上げることはできないだろう。

 もちろん、執心しているのは髪の毛のことだけではなく、服装や顔のことだ。なにやら怪しげな樹液を塗ると、肌が綺麗になるらしくいつも肌中に塗りたくっている。確かにつるん、と手を置いたら即座に滑りそうな肌をしているが、今は額から一筋の血が流れている。

 リモノ族の証である細長い耳も内出血しているかのように、青紫色になっている。幼いながらも、気丈に振る舞っているのは、リモノ族が誇り高い部族であるからこそか。

 彼女は五本の指を広げながら、腕を突き出すようにして不可視の障壁を張っている。

「大丈夫でした? おにーちゃん」

 そうやってにっこり微苦笑するフローラは、実の妹というわけではない。彼女と血を分けた本当の弟、アローンを入れ、総勢五人で構成されるのが《フルハートファミリー》だ。

「アローンはどこに?」

「弟は私を庇って……。今は私の中にいます」

やはり、あのもう残骸でしかない家にいたのだ。フローラも、アローンも、ツキミも。寛いでいたのだろう。今か今かと、独断専行したカナルに一言文句を言うために全員で待っていた。もしも、カナルが独断で採掘場に入らなければ、こんな事態にならなかったのかもしれない。

「悪い。もっと早く駆けつけることができれば……」

 いつだってそうだ。傷ついた人を助けようと、もがいてばかりだ。溺れた人間を力のない人間が無理に助けようとすれば、自分も一緒になって溺れるように。助けようとしても、助けることができない。むしろ、助けようとした人間に、助けられてばかりだ。

 ……いつも? なんだろう。その言葉が妙にひっかかる。そうだ。前もこんなことがあった。……ような気がする。どこか暗い闇の底でカナルは走っていた。そこにいたのは誰だった。同じ《ファミリー》の一員がいた。全員、いた。いや、いたのか。ありえない。なんだか、頭が痛い。これ以上思い出せない。考えを巡らせば巡らすほど、頭蓋骨が締め付けられるように激痛が走る。いや、これは本当に自分の記憶なのか。何か大きな勘違いを――

 ガッ、ガッ!! と障壁を打ち付けるハサミの音で正気に戻った。今は思考に囚われている時ではない。隔たれた障壁が破られるのは時間の問題だ。それまでに方針を決めなければならない。

「おにーちゃん。あの蟹の《バク》は強すぎます。それに不意を突かれた私と、アローンと、ツキミは戦力外です。ここは逃げるべきでは……?」

「いや、ここで逃げたら、被害が拡大するだけだ。こういう時にこそ《灰かぶりの銃弾》の助けが必要なんだが、まだ駆けつける様子はないみたいだしな」

 蜘蛛の子を散らすようにして、住人達は逃げ惑っている。あれだけの人間がいるのに、蟹の《バク》は目もくれない。住人とカナル達。どちらが襲うのに容易いのか分からないはずはない。やはり、狙いはカナルのようだ。しかし、思い当たる節が全くない。この異様な執着は復讐か。以前戦ったことがあるのならば、流石にこんな巨大な《バク》のことを忘我するはずがないのだが。

「うっ」

「大丈夫か、ツキミ!?」

「少しふらついただけ――」

 と気丈にツキミはなんでもないように振る舞ったのだが、思い直したように、

「いや、やっぱり深刻なダメージを負っているみたい」

 肩に寄りかかってくるツキミの肢体が密着する。《無心機》だから、もっと固いものだと思っていたが、とんでもなく柔らかい。何故かバツが悪い。理屈では推し量れないが、どうもツキミが必要以上に体を傾けてくるのが原因の気がする。

「ちょ、ちょっと! どさくさに紛れてなにやってるの!」

「少し黙ってくれないか、エニス。頭に響く。今は一人で立っているのも困難なくらいなんだから」

 ギリギリと歯軋りしているエニスを尻目に、なるほど……と、何か不穏なアイディアを思いついたかのような呟きをすると、

「お、おにーちゃん。わ、私もつらいです。できればそこに座ってくれないですか」

「……あ、ああ」

 笑顔なのに逆らえないのは、目が血走っているからか。ツキミが戦闘中にふざけているせいで、沸点を超えてしまったらしい。恐々と正座する。普段はおとなしいフローラだが、怒ると一番怖いのは彼女かもしれない。いきなり鉄拳が飛んでこないかヒヤヒヤしていたが、なんてことはない。畳んでいた膝に、頭をゴロンと寝かせただけだった。

「はー。これで傷も癒えます」

「そんなわけないでしょ!? 大体、アローンが傷を引き継いでくれてるんじゃないの?」

「落ち着いてください。無傷であるエニスはさっさとあの蟹の《バク》でも相手しておいてください。私達はおにーちゃんと一緒に静観してますから」

 ブチッ、と何かが切れる音が確かにした気がした。ふらり、と夢遊病にでもかかったかのように、エニスがどこかへ行く。瓦礫の山から手頃なものを見つけると、ドガッ! と躊躇なく殴りつける。拳を固めたわけじゃない。手の甲あたりを思いっきりぶつけた。そのせいで、手首がありえない方向に手が曲がってしまっている。

「た、大変だー。転んで手の骨を折ってしまったー」

「な、なにやってるんだ!? 俺とエニスだけが戦える状態だったのに、どうしてお前はいつもそうやって事態をややこしくするんだ?」

「大丈夫。これで私も合法的に腕に寄り掛かったり、膝枕してもらえる権利はあるでしょ!!」

 ただでさえ原因不明の頭痛に悩まされているのに、それを助長させる行動ばかりとるのはやめてほしい。自分に恨みでもあるのか、うちの《ファミリー》は。

「《フルハートファミリー》のボスとして命令する! 三人は後方に下がってくれ。フローラはもう一度結界を張って、ツキミは自動修復に専念。馬鹿なエニスは自分の腕と、フローラ、アローンの傷を癒してくれ。あの蟹の《バク》とは俺一人で戦う」

「そんな! 独りであの《バク》と戦うなんて!?」

「誰のせいでこうなったと思ってるんだ!! ……だけどこれが最善の配置だ! もう、この策で戦うしかない。なんたって口論する時間なんて、もうないんだからなあ」

 バリィンッッ!! とガラスのように割れた障壁の破片。その間隙を縫うようにして、カナルは特攻した。


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