04》釈放の交換条件
《灰かぶりの銃弾》の一番隊隊長。ヴァルヴォルテ。
一番隊の隊長と同時に組織のトップに立つ男。全身に落ち着いた雰囲気を纏わせている、二挺拳銃の使い手。カナルよりも二つほどしか年齢は変わらないはずだが、もっと年を重ねているように見える。
「ずいぶんと派手にやってくれたね、二人とも。君たちはいつも好き勝手暴れるけれど、事後処理するこちらの身にもなって欲しいよ」
窘めるような語調に、フン、と鼻で笑ったのは赤髪の女。不意打ちで襲ってきたそいつは、上司からの苦言であろうが、意に介した様子はまるでない。
《灰かぶりの銃弾》の四番隊隊長。アクス。
赤い長髪は鮮やかな色合いをしているのに、髪先がぴん、ぴんと、手入れしていないせいかはねている。おしゃれとか、そんな女らしい趣味はまるで無頓着。常に怒っているかのように釣り目で、どこか近寄り難い。
役職的には、気性の荒い切り込み隊長といったところ。先陣を切って、というかいつだって勝手に暴走して斧を振り回す。隊の指揮を執っている人間にしてはあまりに単独行動が多い。隊長としては不適格な性格だが、それを余り補うほどの戦闘能力を持つ。戦った環境が不利だったこともあるが、もしもあのまま戦っていたら。ヴァルヴォルテが横やりを入れていなかったら、カナル自身どうなっていたのか。
「だって、カナルが手錠をかけられている姿なんて、滅多にみられない光景じゃん。そんなのみたら、誰だって斬りかかりたくなるって。カナルだって、私と殺し合いしたかったんだよね? ……うん、間違いない」
「――間違いあるだろ。身の危険を感じたから、くだらない遊びに付き合ってやっただけだ。そもそも俺までアクスと一緒くたになって批難されてるけどなあ、俺は完全なる被害者だろ。そもそも、なんで俺がこんな薄暗い牢屋に幽閉されてるんだよ。まずはそこから説明して欲しい。できるだけ簡潔に。そして、納得できるだけの根拠をもってな」
――ブシュッ――とカナルの傷口から湧いていた血が、独りでに蠢く。ポタポタと床に染みるようにして落ちていた血が停止し、逆流するようにして傷口に戻っていく。壊れた細胞が治癒されているように、穿たれた肌が瞬く間に舗装されていく。
急激に回復していくが、痛みはない。むしろ、ちょっと気持ちいいぐらいだ。ついでに折れた剣も、罅割れた床や壁、檻なども修復されていく。
「ヴァルもよく言うよね。最終的にはいつも私任せなんだから……ゴホッ……」
《灰かぶりの銃弾》の三番隊隊長。シルキー。
暗がりから出てきたのは、能力でカナルの傷口を手当てしてくれている女。
ヴァルヴォルテやアクスはどこか危うい感じがする。というか《灰かぶりの銃弾》の隊員は、全員が危険人物だ。その辺の犯罪者よりもより犯罪者らしく、取り締まる側とは思えないほどに残虐な《デバイサー》が多く所属している組織だ。
そんな劣悪な環境の中で、数少ない常識人であるシルキー。……いや、彼女も常識人とはかけはなれているが、相対的観点からまともに思えてしまう。
彼女は小さな手をマスクに押し付けながら、ゴホッゴホッと咳き込んでいる。熱に浮かされているように、とろんとした表情で焦点が合っていない。それでも、倒れ伏していた看守たちや、それどころか壁さえも徐々に元の状態へ修復される。自分の症状が悪くとも、ほかのものを治癒する能力は健在。それどころか冴え切っている。
「君の能力的に、その役回りになるのは仕方ないだろ? それに前線に立つような性格じゃないしね、君は。どちらかというと裏方で立ち回る方が得意なんじゃないのかな?」
「ゴホッ、ゴホッ! ……ふん。私が医者くずれであることを遠回しに示唆しているなら、相変わらずいい性格しているな。過去の傷を容赦なく抉るお前こそ、そうやって他人を俯瞰的に観察するのは、昔の癖か?」
「言われてみればそうかもね。標的のルーティンを綿密に事前調査して、それから命を強奪していた。だから、癖で他人を分析することはよくあるかもしれない。だけど君だって僕と同じように人間観察しているような気がするけど」
「厳密にいえば、観察というよりは診察だ。どれぐらいの症状で、患部がどの部分なのか。そういう重要な要素を知っていれば、より能力の処理速度と効果を高めることができるからな……ゴホッ……」
「へぇ。ということは、彼の全てもあますことなく触診したのかな?」
「ゴホッ、ゲホッ、ゲホォ!!」
一際大きな咳は動揺のあまりのもので。でも、それ以上に大声で事実を隠蔽させようというつもりなのか。
間欠泉から噴き出した熱湯に肉体を焼かれたというのに、無傷で。しかも服も綺麗に復元できている。そんなことができる《デバイサー》となると限られてくる。ということは……
「……もしかして、最初に見つけたのって、シルキーか?」
「だ、だ、だだだ大丈夫。粗末なものかどうかは、そんな……私はそういうの見慣れてないから分からないし。むしろ――ゴホッゴホッ!! 何言わせようとしてるんだ! 相変わらず、お前はそうやって私を巧みに罠にかけようとするな!? 油断も隙もないな!」
「いや、俺は何も言ってないだろ」
最初に目撃したのが他の誰かだったら――たとえ、エニスであっても、事故が起きる前の状態へ完全に戻すことは不可能だっただろう。ちょうど、巡回中だったのだろうか。とにかく色々な意味でシルキーに見つかってよかった。
手を溺れるようにばたつかせながら、耳の端まで真っ赤に染め上げているシルキーの様子から察するに、きっとカナルはほとんど全裸に近かったに違いない。他の者に見つかっていたら、猥褻な者を曝してしまった者を捕縛するだけの話じゃすまなかったかもしれない。
「さっきから、咳き込んでるな。風邪か? どうしてさっさと治さなかったんだよ。シルキーだったら簡単だろ?」
「私の能力は症状が出てから治すのに時間制限があるんだ。腹を出しながら寝ていたら、この通り風邪を引いてしまって――ゴホッゴホッ――まあ、あまり使い勝手がいい能力じゃないんだよ」
「腹出して寝なければ防げた事態だよな……」
「はっ! お前、私がいつも寝相悪いやつだと思い込んでるな!? ゴホッ、ゴホッ。そうじゃない。たまたまだ。いつもだったら、バスタオル一枚くらいはしっかり素肌に巻きつけてる!」
「服を着ろ! 服を! だから風邪引くんだろ。むしろ今まで引いてなかったのが不思議なぐらいの寝方だ」
「私の故郷ではみんな裸で寝るんだ。……あっちではむしろ私は厚着して寝る方なんだがな。そもそもこの国の文化は色々とおかしい。服を着ながら寝たら汗臭くし暑苦しいし、どうせ朝になったら別の服に着替えるんだろ? どうしてそう面倒なことをするんだ。ゴホッ、ゲホッ!」
「それは清潔感が大事なん――」
「イチャイチャするな!!」
洒落にならない速度で、横合いから斧が振り下ろされる。石畳がバキバキに割れて、ギリギリのタイミングで避けたカナルの総身に破片が飛び散る。
「い……いきなり、なにするんだ! アクス」
「私は――悪くなんてない。だって、さっきから二人だけでイチャイチャして、私のことを放っておいて。存在すら忘れていたでしょ? そんなことされたら――私寂しいじゃん!!」
「絶――対、お前が、全、面、的、に、悪いだろ!! じゃれ合う感じで普通に攻撃してくるな! 死ぬかと思っただろ! 普通に会話に参加してこいよ。別に無視してたわけじゃないんだから」
まあまあまあ、と窘めるように割って入ったのは、《灰かぶりの銃弾》の纏め役であるところのヴァルヴォルテだった。
「戦うことが彼女にとってのコミュニケーションの一つというか、そもそもそれが全部だから、君にはそのぐらいは考慮していて欲しいな」
「……こんなのが国家に属する組織なんて考えたくもないな」
「うーん。表面上《灰かぶりの銃弾》は、民営組織なんだけどね。もちろん後ろ盾として有事の際は国家が出張ってくれるし。活動のための資金提供はされているけど、この国の法がある限り、僕らはあくまで個人でやっていることにしなきゃならない」
「グルマタは国家としての戦力を保持してはいけない。常に中立な立場で、恒久的な平和を実現した理想国家。それが張りぼてでも、建前は必――ゴホッ、ゴホッ」
「私は戦えればどんな肩書きでもいいけどね。国家間での争い事はなくとも、犯罪者や《バク》は一生消えないんだから」
真剣に話しているヴァルヴォルテとシルキーとは違って、頬を膨らませながらアクスは適当に答える。あまりこの手の話は興味がないようだ。グルマタは中立国。戦争を一切しないと国外に宣言している珍しい国だ。
「アクスはそうだろうけど、僕にとっては結構重要な話なんだけどね。まあ、やることは変わらない。僕らは戦争のための戦力ではなく、あくまで自衛活動のための組織。グルマタに存在する組織の中で、最も構成人数が多いから、そうは見えないかもしれないけれどね」
「まあ、規模の大きい組織はそれだけで戦力には見えるな。実質グルマタの国民に一番信頼されているのは《灰かぶりの銃弾》だろ」
それに比べて《フルハートファミリー》なんていう弱小組織の認知度は低く、胡散臭さはどうしたって拭いきれないだろう。しかし、グルマタを活動拠点としている治安維持のための組織のほとんどは《フルハートファミリー》のように構成員は少ない。それでも、組織の数自体はかなり多い。それだけ《バク》の被害が散見されていて、需要があるということだ。
だが、やはり《灰かぶりの銃弾》ほどの規模となると稀有だ。それほどまでに巨大な組織を国家が使役していると他国に見做された場合、戦争の火種になりかねない。
そういったきな臭い話題は他の者に、おいそれと口外できるものではない。だからこそヴァルヴォルテは、部外者である看守たちをアクスに襲わせた。自分の快楽のためにしか武器を取らないアクスは、命令されたとはきっと思っていない。ただ、カナルを捕縛した。だから今は殺すのに絶好の機会だとか、彼女に吹きこんだに違いない。同じ隊長であっても、したたかさはヴァルヴォルテの方が何枚も上手といったとことか。隙あれば他人の心の穴を見つけ、簡単に入り込む。
「僕としては、君たちのように少人数精鋭の組織の方がフットワーク軽くて羨ましいぐらいだけどね。……だから君たちにしか頼めないお願い事があるんだ」
お願い。――なんて嫌な響きがする言葉だ。特に、ヴァルヴォルテのように何を考えているのか分からないような奴の口から出たものなら猶更。
「――それが俺をこんなところに閉じ込めた目的か。随分と面倒なことを」
どこで会話するにしても、他人の眼というものが付き纏う。情報が拡散されるのを危惧したヴァルヴォルテは、監獄という個室にカナルをブチ込んだのだ。ただ依頼を受けさせるためだけに。巡回中にたまたまシルキーが拾ってくれたのではなく、この機を伺うために尾行されていたかもしれない。……段々ヴァルヴォルテの思惑が明確化されていく。
「僕個人としては別に気にも留めていないけど。上の人間が黙っていないんだよ。体面が大事とかで。《フルハートファミリー》と表立って協力体制をとるのはあまり褒められたものじゃないんだ。だけど僕らはグルマタで大量に発生している《バク》の討伐で忙しくてね。手が足りていないんだ」
「やっぱり、大量発生しているのか。随分と物騒になってきたな。……それで、いったいどんな《バク》なんだ。俺たちが退治しないといけないっていうやつは。お前が使いの者もよこさずに、自分の口から依頼してくるってことは、どうせ厄介な《バク》なんだろ」
「あれ? 君のことだからもっとごねると思ったけど。意外に素直だね」
ヴァルヴァルテの白々しい台詞に、ギリギリと歯軋りする。
「どうせ、断らなかったらずっとここに監禁するとか脅し文句が飛んでくるんだろ。監禁するための裏工作なんかもう済ませていて、俺一人がどれだけ踏ん張ってもどうにもならない状況にしていることぐらい、付き合い長いから分かるよ、さすがに」
「酷い言いぐさだね。僕らはかつて協力して、あんなに強大な敵に立ち向かって行ったというのに。あの時築いた僕らの信頼関係は嘘だったのかな?」
……ん? とカナルは言葉に詰まってしまう。ヴァルヴォルテに一方的に依頼を強要されることはごくたまにあることだ。だが、協力して立ち向うという言い方はおかしい。まるでお互いに背中を預けながら、一緒に戦ったかのような印象を受ける。そんなこと、天地がひっくり返ってもありえない。《灰かぶりの銃弾》の飼い主がそんなこと許すわけがない。
「いや、何言ってるんだよ。ありえない、ありえない。俺たちが協力して戦うなんて。いつから冗談言えるようになったんだよ。お前の十八番はジョークじゃなくて、フェイクじゃなかったのか?」
「…………そうだね。うん、いや忘れてくれ。なんだかそんなありえない事態が起こったような気がしたんだけど、どうやら記憶違いだったみたいだ。最近忙しくて頭がうまく回らないみたいだね」
はい、はーい、とアクスが何か名案を思いついたかのように、無邪気に手を上げる。
「協力するのがだめなら、早い者勝ちってことでどう?」
「アクスは担当地区の《バク》殲滅がまだ終わってないだろ……ゴホッ」
「そうそう。それにあのハサミの《バク》と君とは相性が悪すぎる。能力的にも性格的にもね」
ヴァルヴォルテたちの会話の中に、気にかかるキーワードが一つあった。
「ハサミの《バク》? そんなのが……?」
「うーん。僕は部下から報告を聞いただけだから詳しくは知らないけど、あれは多人数で囲めば制圧できるといった類のものじゃないようだね。三回うちの隊が交戦したけど、三回とも失敗したみたいだ」
……三回とも? それはかなりの強敵じゃないのか。そんなものを押し付けてくるなんて、ヴァルヴォルテもいい度胸をしている。火傷や擦過傷を治療してもらった恩と釣り合いがとれる敵ならいいが。
「場所は?」
「最後に目撃されたのはミュリアリ湾港付近らしいね」
「あそこか。割と家から近場だな」
ジャラリ、と手首についている枷を持ちあげる。
もうここに長居する必要はない。剣を能力で動かし、手錠の脆い部分を断絶する。アクスの太刀を何度も受けた時に欠けた個所が数か所あったから、斬るのは簡単だった。
「それじゃあ、頼んだよ。信頼しているからね」
シルキーのおかげで完全に癒えた身体を動かしながら、背中越しにヴァルヴォルテの建前の言葉を受け止める。
「《フルハートファミリー》のボスさん」