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32》二番隊隊長

 穏やかな風にうどんの香りが乗って、鼻孔に侵入してくる。

 慌てて食べないように食欲を抑えたいが、そう上手くはいかない。ただでさえ美味であるここの屋台のうどんは、他の店とは出汁が違うのだ。こしの強い麺と喧嘩しない優しい味がするここのうどんは、ある意味で母親の料理のようなもの。今ではツキミの方がこの店に通っている回数は多いが、昔からの常連という意味ではカナルの方に軍配が上がる。

 ううっ、と舌を潤す唾液が勝手に分泌されてしまい、しまいにはズルズルッ!! と、啜ってしまう。

 今日はツキミ。それからフローラが裏人格であり、表人格はアローン。……の三人と、カナルはうどん屋台に来ている。他の客も来ているため、カウンターテーブルに座れはしなかったが、他のテーブルを用意してもらった。木の木陰にすっぽりと入るテーブルで、カナルたちはうどんを貪欲に頬張る。

 食事が始まってから、誰も話をしようとしない。うどんを口に含んでいるのだから、話をしづらいというのもある。だが、それ以上の理由として挙げられるのが、うどんを食べる時に喋るなどうどんに失礼というもの。特に決まりがあるわけではないが、他の客も大体無言。喋ることもあるが、うまいな、ああ、うまいと、一言二言交し合うだけ。この出汁をとっている海産物は恐らくここから南の国で獲られたもの。とか、そんな余計な知識をひけらかさない。そんなものは知っていて当たり前。わざわざ口に出さずに、胸中にしまっておく。口に出すのはただ、うまい、そのたった一言だけでいいのだ。他に余計な添え物などいらない。飾り気のない言葉を偽りなく口にすることこそが真のうどん好きという――


「……なあ、なんで俺たちはうどん喰ってんの?」


 ここのうどんを食べることに関して素人であるアローンは、えっ、何こいつ、と周囲に囁かれた客に、あぁ? と睨み付ける。さっ、とその客は視線を逸らすが、他の客が聞えよがしに舌打ちする。大通りの店ならば大声で話すのも悪くないが、何か特別感があるこの店で食べる時は要注意だ。食べ方に気をつけないと、ここの無駄にプライドの高い客の反感を買ってしまう。

「だから、どうして俺たちはうどんなんて食べなきゃいけねぇんだよ。もっとやるべきことがあるだろうが」

 カナルはうどんを箸でぶらさげながら、ツキミに口を出さずに眼で語る。説明してやれ、いやだ。お前がやれ。俺はうどんを食べてる。なら、私だって食べている。と、無駄に心で語り合えるのは、あの事件があったからか。

「ツキミと約束したからな。あの一件が終わったら一緒にうどんを食いに行こうって」

 あれから一週間ほど経った。三年前に起きた《グルマタの惨禍》の時よりか建造物は壊れていない。徐々に修理がすすんでいて、《フルハートファミリー》ももちろん手伝った。だが、壊れてしまった心が修復するのには時間がかかる。

三年前の惨禍は歪んだ記憶だったから、そこまで心にのしかかることはなかった。だが、今回は正真正銘真実の記憶なのだ。傷ついた記憶を癒すためにも最近は復興に励みながらも、ゆったりとした時間を過ごしてきた。だが、アローンはそれが気に喰わないらしい。

「家はどうすんだよ! 俺たちの家は! あの安宿じゃ、首が寝違えてしかたねぇんだよ」

「それは――ズル――アローンが――ズル――寝相悪い――ズルズルッ――だけ――ズルズルズルッ!!」

「ツキミはうどん啜りながら話すのやめろ!」

 しかたなしに、カナルは真面目に答える。

「俺たちの家はちゃんと建て直す。だけどそれには資金と周りの信用が必要なんだ。だから俺たちは今復興に進んで協力している。何の事情も知らない人たちから見たら、俺たちは加害者の……死神の仲間だからな。まあ、実際そうなんだが、俺たちがここで頑張れば頑張るほど、あいつだって戻ってきやすくなるだろ? だから今は闇雲に動かずに、できることをやっておこう」

 全ての真実が明らかになりはしたが、情報全てがグルマタの民衆へ開示されたわけではない。三年前の『グルマタの惨禍』の一件が全て偽りで。それを引き起こした死神の存在をいまさらになって公表してしまえば、民衆に無用な混乱を引き起こすことになる。と、ここまでが表向きな理由で、実際は政府がこの事件を事前に防ぐことができなかった事実を揉み消したかったからだ。

 それでも噂話を完全にせき止めることができず、中途半端な情報だけが民衆へと流れて行った。いわく、『グルマタの惨禍』の引き金となった死神がいると。火山噴火はその女のせいだという事実だけが民衆の中へ伝播した。能力の暴走といった、そこに至る過程などは一切なく、怒りのはけ口を探していた民衆は口々にエニスを悪者扱いした。そして彼女が所属していた《フルハートファミリー》にも不審の眼を向けた。

 彼女を止められなかった。助けられなかったカナルにできることは、汗を流す姿を実際に民衆に見てもらうことだ。決して許されないことをしてしまったが、これまで以上に《ファミリー》としての活動を活発にしていくつもりだ。エニスの能力に感化された《バク》がいなくなったとしても、通常の《バク》は今も発生している。それらを倒して、グルマタの民衆達を守るという実績を積み重ねていけば、今より状況が好転すると信じている。

「……あいつとはまだ話せてねぇのか?」

「ああ。面会は全部断られている。しかも、エニスが自ら面会謝絶してるらしい。でも、そんなの信じられないよなあ」

 バキッ、と箸を握力で割ってしまう。怒りを抑えつけることができない。エニスがもしも檻の中で拘束されているだけじゃないのだとしたら、カナルは正気を保っていられる自信がない。

「もしかしたら上から圧力を受けているかもしれない。会いたいのに、あいつは会いたくないと言わされているかもしれない。こうなったら今夜にでも監獄へエニスを迎えに――」

「ぶっ!!」

 ドバッ、と出汁と一緒にうどんの麺を飛ばしたのはツキミ。ついでにオイルなんかも焦ってでたせいで、つるん、とうどんはオイルの上を滑って、どこかへ凄まじい勢いでとんでいってしまう。

「ど、どうしたんだよ。ツキミ!! 汚いぞ!」

「いや、それが……」

「いいか。何があったのか知らない。何に驚いたのかは知らないけど、まさか普段からうどん好きを公言しているお前が、うどんを溢すなんてそんなもったいないことできる奴とは思わなかったぞ」

「ちゃんとこれにはわけが……」

「それにツキミは《デバイサー》だよなあ。《デバイサー》はいついかなる時でも冷静さを欠いてはいけないものなんだ。分かるよな。焦ったら焦った分、窮地に陥る。ツキミ一人だけの問題じゃない。俺たちだって窮地に陥る。仲間も助けるために命をはる。そういうの、分かるよな。ツキミ!」

「…………」

 ただでさえ無表情なツキミの顔が仏頂面すらとれていない。なんとも表現できない無の表情をしていて、非常に怖い。言い過ぎてしまった。戦々恐々としていると、ポツポツと何やら指示を出し始める。

 カナルうどん啜って、いいから、そうそうやって啜って、そこで止まって。箸を止めて、違うもっと呑み込んで、そうそうそれで、ゆっくりと後ろを振り返って……と、


 そこには樽に隠れようとしたエニスがいた。


 ぶ、ぶぶぅううううう!! と、ツキミの倍の量の出汁を吐き捨てる。ついでにうどんが鼻孔から飛び出しそうになったので、慌てて押しとどめる。

「エ、エ、エ、エニスゥッッッッ!? どうして、こんなところに?」

「……すいません。どなたですか? 私、最近自分の記憶を改竄したので、誰が誰だか分からないんです」

「気まずいからって、なに洒落にならない言い訳してんだ!? お前、今も監獄にいるはずじゃ……」

 樽から抜け出すエニスの後ろには、なんだかどこかで見たような顔ぶれが複数人そろっている。その誰もが右往左往していて、エニスの挙動を伺っている。なんだか指示を仰いでいるようにも見えて、嫌な予感が背中を寒くする。

「――だから言ったよね。私は《フルハートファミリー》にはいられないって。だから改めて自己紹介させてもらうね」


「《灰かぶりの銃弾》。二番隊隊長のエニスです。よろしくね!」


 いっそ開き直ったような語調に、アローンとツキミはうどんを放置して動揺する。

「いやいやいや。なに言ってんだ、こいつ!?」

「ずいぶん思い切ったことを。司法取引っていうやつか?」

 隊長ってことは、後ろにいるのは恐らくエニス直属の部下だ。欠番だった二番隊の隊長としての実力。それはエニスも持っているだろうが、なんでいきなり敵に寝返っているのか。あれだけカナルのことを揶揄していたというのに、思いっきり敵と仲良くしている。

「そう。そう。ヴァルヴォルテと取引したんだ。ずっと牢獄にいるか。それとも刑期を速めるためにこっちの仕事を手伝うかって。だったら、後者がいいかなって」

「の、能力の暴走は? 《灰かぶりの銃弾》なら、《デバイサー》として雇用されたんだろ? だったら、能力使用は必須なはずだ」

「カナルは古い! 古いよ、その記憶は。私が能力を操れなかったのは三年前。あれからずっと私はグルマタの《デバイサー》全ての記憶を管理していた。また暴走したのは、さすがに三年間も能力を保つことができなかったから。でも、その過去が経験値になって、今は完全に能力を操ることができるようになったんだよね。まあ、暴走時よりかは格段に能力が落ちるのは変わってないけど」

 《グルマタ》の《デバイサー》全員に使っていた能力を、エニス自身。たった一人だけに能力を使うことに集中する。確かにそれならば、能力が暴走する危険性は極めて低くなるだろう。

「私は、私らしさを持てるほど本物の記憶を持ってない。でも、カナルたちと過ごした記憶があるから、前向きに未来にへと進んでいくことができている気がする。やっぱり私はカナルに守られているばかりは嫌なんだ。檻の中に引きこもって、ただ伸ばされた手を掴むのはちょっと違う気がした。……だから、ごめんね」

 しょんぼりと、エニスは頭を下げなら謝ってくる。

「心配かけたくないから、会いたくなかったんだ。カナルがこのことを知ったら、私のことを止めそうな気がしたから……」

「止めない」

「……えっ?」

「自分らしさを持つために今を変えようとしているエニスのことを、俺が止めるわけないだろ」

「うん……。そっか……」

 エニスは頬をだらしなく緩めて、すぐにしめ直す。

「上の人は二つ返事で私のことを受け入れたわけじゃない。他の組織に利用されるのを恐れて、私のことを囲ったに過ぎない。でも、懐に入れておくのはあまりにも危険。だから、私は《灰かぶりの銃弾》の本拠地であるこのグルマタから離れて別働隊として活動することになると思う。だから、今日みたいにたまたま街中で会うなんてことは、もうないかも……」

 確かに、エニスの要求を取り入れたのは不自然だ。誰が上に口をきいたのかは大方予想できる。エニスに司法取引を持ち込んだヴァルヴォルテだろう。変に律儀なところがある。きっと、蟹の《バク》のまだもらっていない報酬の代わりのつもりか。アローンの時のように便宜を図ってくれたのかもしれない。

 一々それについて確認するのも、礼をいうのもあちらは望んでいない気がする。だから、今度ヴァルヴォルテに会ってもエニスについての話題は触れないようにしよう。

「それでさ……ずっと言いたかったことがあるんだ。別れた時にいいそびれたことがあったんだ」

「……なんだ?」

 ――と、静かにしていたツキミが身を乗り出して、テーブルをひっくり返す。それをアローンが木の根を生やしてテーブルの上に乗っていたうどんを地面ギリギリで停止させる。ついでにこちらに向かってきたツキミの口を木の根で塞ごうとする。

「なっ、ちょ――」

「黙ってろ。あいつ、何か大切なことがいいてぇみたいだ」

「なにすっかりいい子になってるんだ、アローン! アローンだって、本当は止めたいはずなのに!」

「はあ!? うるせえ! 俺はどうだっていいんだよ、お前らがどうなろうがな! って、なんでねえちゃんまで俺の意識を乗っ取ろうとして――! そこまでして邪魔する気か――!」

 なにやら騒がしくなった周囲など見えていないように、エニスはゆったりとした口調で言葉を紡ぐ。

「私が《ファミリー》だったら、言っておきたいことがあるの」

「ああ、いいぞ」

 ツキミやフローラが過剰な反応をしてしまったから、何故か緊張してしまう。家族として言いたいってことは、きっと大切なことなのだろう。後ろに自分の部下がいるというのに、言ってもいいことなのか。それともそんなこと気にもとめないほど、重要なことなのか。頭の中でぐるんぐるん複数の思考が回っていると、


「行ってきます!」


 予想外の言葉をエニスが大声で叫んだ。

「…………え?」

「だから、行ってきます! グルマタを離れるなら、カナルが私の家族だったら、やっぱり言っておきたかったの! そして帰る時は私がただいまで、カナルがおかえり! そういう決まり!」

「えー、と」

 ツキミがな、なんだ、とほっとしたように溜め息をついていて、まあ、こいつらだったらそんなもんか、とアローンが目を逸らしていた。何故か馬鹿にされているような気がするのは気のせいだろうか。

「そのぐらい、いいよね。私、そういうのに憧れてるから」

 本物の家族にとっては、それは当たり前のことだ。毎日何気なく口にして、その重みに気が付けない。でも、それでいい。また帰ってくることが、また再会できることが日常で会って何が悪いというのか。だからカナルはエニスがきっと心から望んでいる返事をしてみる。

「行ってらっしゃい、エニス」


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