03》一番隊隊長
独房にカナルは収容されていた。
冷たい手錠の鎖に繋がれながら、動くたびにギシギシ軋む音をするベッドに寝転がる。あー、と面倒そうに肩口まで伸びた髪に、骨ばった手を後頭部へと添えた。泥の河のように濁った瞳を眠そうに半眼にして、大きく口を開けて欠伸をする。年齢は十六歳で、子どもと大人の境界線。腕は剣を振るっているせいか少し筋肉質。それ以外は華奢そのもので、あまり男らしいとはいえない。
肌には火傷の痕跡などない。それどころか、着用している服にはシミ一つない。まるで新品そのもので。鎧の《バク》や間欠泉のことなど、まるで夢のよう。記憶間違いでしかないような気さえするが、こうして拿捕される前は自立歩行すらまともにできなかったはずだ。
助けてくれた者がいたのだ。ほとんど意識がなく、運び込んだ人間の容姿を視認できなかったが、大体見当は付く。こんな牢獄に幽閉するぐらいなのだから、ただの親切な正義の味方というわけではない。むしろ、その逆。悪の味方とも呼ぶべき集団の一人だろう。
「おっ! また来た!」
カツーン、カツーン、と靴が擦れる音。
看守が見回りに来たらしいので、歓喜の声を小さく上げてジャラリ、と手錠を動かす。
一人の人間を拘束するならば、その人間の証言が必要となるはず。調書をとって、それから牢屋にぶちこまなければならない。それは公的機関が絶対に犯せない決まり事。しかし、カナルは気が付いたらここで寝かしつけられていた。
正規の手続きなしに非人道的な行為に及んだなんて世間に漏れたら、画策した人間は破滅だ。そのリスクを負ってでもカナルをここに呼び寄せた理由があるはずだ。そこを交渉材料に揺さぶれば、ここから出られるかもしれない。
「おーい! いい加減ここから出してもらえない? それができないんだったら、《ファミリー》に連絡してくれるだけでもいいから。頼むよ」
ベッドから跳ね起きて、いかつい看守に懇願してみる。だが、仏頂面をさせながら、無言でこちらの話を受け流している。実はこれが最初の邂逅ではない。二回目だ。先ほども巡回時間だったので、こちらに来たのだが、その時も一言も言葉を発してくれなかった。どうせ無駄だと思ったが、今回は対応が違った。カナルの前で足を止め、じろりとにらみつけてくる。威嚇してくるように、さらに近寄ってきて。前のめりになりながら、鉄の檻に手をかける。
なにやら、看守の様子がおかしい。牢に囚われている罪人に、ここまで接近するなんて命がいくらあっても足りない。看守という立場にいる人間ならば、剥き出しの殺意を持った者たちの突発的な奇行に慣れているはず。知り合い? いや、見覚えはない。ということはまさか偽の看守なの――
バタン、と看守は糸の切れた傀儡のように倒れる。
「……なっ! おい! 大丈夫か!?」
こちらが待遇の悪さについて抗議しても、目を逸らして無視をしていた看守。対応が悪く、正直嫌悪感を覚えていたことすら忘れて、カナルは咄嗟に叫ぶ。看守が前のめりになっていたのは、背中にある傷のせい。それは、何者かに斬られたような跡だった。あああ、と半ば意識があるかのように、口の端から涎を垂らしている看守。だが見回りに来ていたのは、そいつ一人ではない。
「貴様、なにをした!?」
もう一人追随していた看守が、カナルを糾弾するように大声を張り上げる。ち、ちがう、と冤罪を主張してみたのだが、そんなもの言い逃れにしか聴こえない。しかも、異常をききつけてきたのか、複数の看守が駆けつけてきた。まずい。どうやって身の潔白を証明すればいいのか。
……いや、そんなのは簡単だ。今、カナルはまったくの丸腰なのだ。看守たちに没収された剣のことを言えば、おのずと、誰が犯――
看守の一人が笑みを湛えながら、仲間の一人の肉体を切り裂く。
手に持っているのは、斧で。斬ったのはさっき、カナルのことを殺人者だと断定した男だった。お、おまえっ! 誰だ! と動揺が走っている看守たちを、次々に斬り伏せていく。流れ作業のように斬っていくそいつは、全くと言っていいほどに迷いはない。斬りなれている。《バク》ではなく、同じ人間を、だ。
あっという間に看守全員を血祭りにあげると、つかつか、と無言で偽の看守が近寄ってくる。そして――一気に斧を振り下ろす。あろうことか、その一撃は鉄の監獄を、ズバッ、と一刀両断してしまう。
「くそっ!」
鉄の破片が飛び散りながらも、一瞬の間に身を引いたカナルは手錠の枷が外れていた。男が斧を振り上げた時にはまさかと思ったが、総毛立つ殺気を感じて手錠が斬れるような足運びをした。だが、それが成功したのはほんとうにギリギリのタイミングだった。いや完全には成功していない。ブシュッと裂けた皮の間から血が噴き出す。予想以上の速度で避けきれなかった。
再び斬撃を浴びせようと斧を持ち上げ瞬間、カナルは壁を蹴り上げる。狭い監獄に閉じこまれていて、後ろにすぐ壁があって追いつめられていた。だが、だからこそ勢いをつけて、体当たりを喰らわせることができた。
「――ぐっ」
偽の看守が目深に被っていた帽子が取り払われると、そこから出てきたのは髪の束。長い髪の毛は、鮮やかな赤い色をしている。男、とそう勘違いしていたが、そいつは――女だった。内側に肘を畳ませながらカナルは突進した。その時肘に喰いこんだ肢体が柔らかく、整った容貌からも女であることが裏付けられる。
「お前――」
驚愕の言葉を言い終える間を与えられずに、斧を振り回される。剣や格闘術には流派があり、型が存在することが多い。だが、この赤毛の女の攻撃はまるで法則性がなかった。
やたらめったら振り回すだけで、体力を消耗させるだけの動き。だが、
「……うっ」
腕が少しだけ斬られて、血液が迸る。
斧の速度は落ちず、常に全力。素人だからこそ、予測不可能な動きを見せる。大きな瞳を見開かせながら、口元を歪ませて攻撃を繰り返す。手錠の鎖で受け止めることはできない、攻撃の苛烈さ。カナルにできるのは、斧を鎖で滑らせて、衝撃を受け流すことぐらいのもの。それほどまでに斬撃が重い。剣は皮膚を斬る。しかし、斧は肉を抉り削ってしまう。一撃でもまともに喰らえば、剣の何倍もの痛さを伴う。
次第に、鎖が削られていく。最期の砦である鎖がなくなってしまえば、一巻の終わりだ。だからそれまでに、何か有効な武器を手に入れたい。斬られた檻を拾うのも考えたが、そんな暇などない。それに、こいつには檻だろうが、小さな鎖だろうが関係ない。またあっさりと分断されるだけだろう。
「くそっ!」
赤い髪の女は、斧による水平切りを仕掛けてきた。思案していたせいで、対応のテンポが一つ遅れてしまった。後ろに飛び退く時間の間がないことを瞬時に悟ると、女の眼球に向かって欠けた檻を蹴った。
うっ、と顔を顰めた赤髪の女の動きが一瞬止まると、カナルは後方へ跳躍する。ぶぅん! と僅かに遅れ、追尾するような軌道を描いた斧が空を切る。
よしっ、と小さく呟くが、女の動きを見やって顔が凍りつく。ただ空振りしたわけではない。むしろ、こちらの動きを予測していたように、彼女は一回転する。回転力も加わり、さらに強力となった一撃。空中では躱せることもできずに、鉄扉まで吹き飛ばされる。ゴォン!! と鈍い音とともに、ベコッとカナルの体の形にへこむ。
「――咄嗟に、手枷で防御を……でも……」
ぐらぐらと脳が揺れているうちに、赤髪の女は肉薄していた。たちこめていた土煙を蹴り上げながら、斧を斜めに振り下ろしてくる。傷口から流れる血が地面に落ちる前に、別室の天井まで跳ね上がる。斧の軌道上そこへしか逃げられなかった。視界の端になにか写るが、ここからでは手など届かない。手首から血をだくだくと流しなら、歯噛みする。もう防ぐ手立てなどない。だから――
ガキンッ、と鍔迫り合いをするような、火花が四散する。
半身だけ顕わになっている刀身は、ギラリと妖しい光を反射している。鞘を抜ききる余裕もなかったが、斧の刃とぶつけることができた。しかし、足を踏ん張ることができない中空にいたカナルは、天井に総身をぶつける。咄嗟に剣をぶつけたものの、吹き飛ばされた。本来上から降ろせるこちらの方が有利なはず。しかし、あちらの方が攻め勝ったのは、単純に武器の性能が違うというわけではない。
彼女は知っているのだ。――人間の斬り殺し方を。
理にかなった体重の乗せ方、斬る姿勢など誰かに習ったわけではない。実戦の中で磨き上げてきたその太刀筋は、カナルの実力を大きく上回る。だが、武器の使い方で劣っていたとしても、《デバイサー》としての武器――『能力』を使った戦闘では負けるつもりはない。
「――くっ」
薄暗いそこは、囚人から押収した武器保管庫のようだった。ちょうど跳んだ横合いに、自信の愛用していた剣が放置されていたのだが、手が届く位置にはなかった。だから、千切れた鎖に能力を伝導させ、剣を操った。生を得たような動きで剣は掌中に収まって、斧の一撃を防ぐことができた。それが、カナルの能力の使い方だ。
「これで、ようやくまともに戦えるな」
天井を蹴ると、風を切るような速度で突く。重量感ある斧を振りかぶる速度は、剣よりも遅い。斧は威力を出し切れずに、威力を相殺する。剣先を滑らせながら、そのまま突っ込むと、女の肩を足場にして前のめりに回転する。地面と天井が反対になっている視界の中、がら空きになっている背中に剣を振り上げる。――が、振り返りもせず、女は斧でそれを迎撃する。
くそっ、と毒づきながら、カナルは体を捻転させるようにして地面に着地する。正面に対峙した女に対し、袈裟切りするが、斧で止められる。上下左右斜め、あらゆる方向から斬撃を加えるが、そのことごとくを斧の刃や柄によって弾かれてしまう。
そこからは対等な攻防が続く。もしここで少しでも速度を緩めてしまったら、斧の威力に負けてしまう。速度が斧に乗れば、それだけ重さが加算される。だから、破壊力が増す前に、剣で斬りつける方法でしか斧の攻撃力を半減させることができない。
しかし、それでも一撃一撃が本当に重い。受けている腕の血管が張り裂けそうなほどだ。拮抗状態を続けられるのも時間の問題。時間が経つほどに鋭さが増している。こちらは肉体とともに精神も摩耗されているというのに。……どうする。相手は根っからの戦闘狂。戦いが長引けば長引くほど高揚し、強くなるタイプのようだ。やはり徒手空拳や能力を織り交ぜながら戦うか。だが、斧の連撃が嵐のように激しいせいで、足技が封じられている。足を上げた瞬間、そこを斬られてしまうだろう。能力を使用するにも、有効的な攻撃ができそうな適当な物質がない。なにかきっかけがないことには、手も足も出な――
ガキィィィン!! と、剣が真っ二つに折られる。
「――俺の――剣が――っ!!」
肉体でも精神でもない。先に限界がきたのは、剣だった。勝利を確信した女が、斧を横合いから振ってくる。死ぬ直前のせいか、感覚が鋭敏になって時間が遅く感じる。少しずつ斧が脇腹まで迫ってくる。
腕を滑り込ませて、上腕骨で受け止めるか。しかし、それでは戦いを持続するのが困難になってしまう。だったら――
空中に散らばっている剣の破片を握りしめるしかない。
ブシュッ、と血が散布されるが、構わず握りしめる。そのまま剣先を振り下ろすと、女の腕を貫通させる。そのおかげで軌道がわずかにずれ、斧の攻撃は急所を外れる。だがそれでも、グチュッと、肉を抉られた痛みは尋常ではない。意志とは関係なしに、ほぼ反射的に斧の接触部分とは逆方向に体が動く。ぐ……と苦痛の悲鳴を歯の間から漏らす。
体幹がずれた反動を利用し、威力のついた拳を横っ面に叩き込む。顔を歪ませながら、女は殺気の孕んだ瞳をギョロリと差し向ける。と、持っていた斧を泡立たせる。
ボコボコと不快な音を鼓膜にこびりつかせながら、斧が形状変化する。まるで泥のように斧が形を変えて、空いていた手に収まる。細くなったり、太くなったり、どんな形であろうとも瞬時に変幻自在。だから持ち替える予備動作もなく、斧が先刻とは反対方向から迫ってくる。カナルは、持っていた鞘を石畳に突き立てる。ズズズ、と鞘を引き摺りながらも、斧の想い一撃に耐えられるはずもない。鞘は簡単に斬れる。しかし、そうなることも予測できていた。一瞬だけでいい。こちらが女の腹部に蹴りを入れるまでに、簡易的な盾として時間が稼げればよかったのだ。
ドガッ、と蹴り飛ばされた女は、斧を持ち直して突っ込んでくる。折れた剣を拾って、こちらも負けじと地を蹴って相対する。だけど――
世界から音が消えた。
衝撃音が、まるでない。女の斧と、それからカナルの折れた剣は、横から割って入った男の拳銃によって受け止められていた。ありえない。あんな細い銃口で止められるほど、赤い女の斧の一撃は軽くはなかったはずだ。あの気性の荒い女が見知った顔だからといって、手加減するとは思えないし、なによりこちらは全力で突いた。物質操作能力で剣の動きを加速させていたというのに、完全に威力を無効化してしまっている。
こちらが全力で攻撃したことなどなかったかのようで。涼しい顔をしながら、赤い髪の女を咎めるような視線を送りつける。
「斬首刑を命じた憶えはないけど、僕の記憶違いかな?」
誰かと思えば、やはりこの男の差し金だったのか。
「まさか、斬首刑の代わりに、今から銃殺刑を執行するとか、そんな理不尽なことは言わないよなあ」
こんな芸当ができるのは、カナルが知る中でも一人しかない。
「《灰かぶりの銃弾》一番隊隊長。――ヴァルヴォルテ」