20》記憶の改竄者
三年前の『グルマタの惨禍』。あの時カナルは《惨禍の死神》側について、《ファミリー》を裏切った。衝撃を受けたファミリーの誰もが、石のように固まっていた。その時に、カナルと敵対意志を明確にしたのは、アローンだけだった。
《惨禍の死神》に加担しただけでその反応だったのだ。カナルのことを《惨禍の死神》本人だと誤認しているアローンがとる行動といえば――戦闘行動しかない。
ズドォオオン!! と、地面を穿つのは、蛸の触手のような木の根。尖った先端がいとも容易く岩を砕く。くっ、と後ろに飛び上がった回避したカナルが先ほどまで立っていた場所が、深く陥没している。
フローラの能力は花粉。そしてアローンの能力は植物。そしてそのどちらも、虚空から物質を生み出す能力。二人の能力が、どこか類似しているのは双子だからかは分からない。
それにしても、フローラが誤解していたのが《惨禍の死神》の正体についてだったなんて。しかも、それがカナルだなんていったいどんな冗談なのか。
もしも、カナルが《惨禍の死神》だったとしたら……。三年前、ここには二人のカナルがいたことになる。分身能力なんて便利なものは持ち合わせていない。まさか、カナルが能力で表層意識の中の自分自身の姿を顕現化したとか言うつもりか。そんなことできていたら、もっと戦闘で多用するに決まっている。
「……何言ってるんだ。『メモリーダスト現象』では、確かに俺と、それから《惨禍の死神》が現れた。俺と彼女が同一人物だったはずがない」
「だから、彼女なんて奴はいねぇんだよ。あんなのは、お前が創造した幻想なんだよ。その偽の記憶の連なりがたまたまあの蟹の《バク》として形成されてたんじゃねぇーのか。いやいやいや。たまたまじゃねぇーのかもしれねぇーな」
蟹の《バク》だけじゃなく、鎧の《バク》もそうだ。最近、新種の《バク》が活発化し始めている。それについては、カナルもずっと前から警鐘を鳴らしていた。
「あんたの能力は人間の『想い』……つまりは『記憶』を抽出し、利用する能力だよな。それはつまり――」
「《バク》を作り出す能力ってことになるんじゃねぇーのか?」
蟹の《バク》が出現した時に、狙っていたのは誰だったのか。執拗にカナルのことを追い回していたのは、どういうことなのか。もしかして、自分という《バク》を生み出したものに、まるで渡り鳥が故郷に惹かれるように、カナルを求めていたのだとしたら。その想いが歪んで、蟹の《バク》が攻撃を仕掛けてきたのだとしたら、アローンの見解も一利あるかもしれない。
「最近出没する《バク》は異常なほどに強力な《バク》が多かった。あれは外部から何らかの干渉を受けた結果じゃねぇーのか」
「…………」
「お前があの蟹の《バク》を作ったんじゃないのかって訊いてんだよ!」
「そんなことできるわけがないだろ!」
あまりにも突飛な発言に言葉を失っていたが、襲い掛かってくる木の根を剣で受け流す。アローンが創造できるのは、木の根だけではない。木そのものや、蔦なども含まれる。だが、今は木の根や、蔦と小規模的な攻撃を繰り出す。
フローラはどっしりと腰を据えて動かずに、不可視の花粉で攻防を持続させるタイプ。それに比べてアローンの木の根は可視化できるため、避けやすい。だが、アローンはとにかくよく動く。体重が軽いせいか、動きがかなり俊敏。そのせいで、振っている剣が未だに当たらない。絶妙な位置を保ちながら、絶えず木の根をうねらせてくる。
「俺は《バク》を作ることなんてできないし、記憶を操作することもできない! それは俺が一番よく分かっている!」
身の潔白を証明することはできない。だが、カナル自身だけは絶対に違うと言い切れる。だって、カナルがそんな能力を持っている記憶なんてないのだから。
「じゃあ、それを試してみるか。お前が変な小細工ができないように拘束したまま、誰かの記憶を操作できるかどうか。エニスでもツキミでも誰でもいい。俺が見ている前で、試してみればいいじゃねぇーか。できれば、お前が《惨禍の死神》で決定。できなかったら、それはそれでいいじゃねぇーか」
「……本気で言ってるのか? 俺が《ファミリー》にそんな残酷なことできるわけないだろ!!」
徐々に太さを増していく木の根を、縦に一刀両断する。
「アローンが何を言おうと、俺は絶対にあの死神じゃない!!」
「絶対に? それを言いきれる自信はどこからくる? 過去の記憶からか? だったらそれは間違いだらけだ。お前のその過去、そのものが偽物だったとしたら……? お前は自分の脳みそをいじったんじゃねぇーのか? お前はお前の記憶を差し替えたんだよ!!」
「それは……」
そんなこと言い出したら、何が真実で、何が偽物なのか。誰にも証明できない。
「いくら自分以外の人間の記憶をいじろうが、どうしてもボロがでてしまう。だから、お前は自分の記憶すら改竄してしまったんじゃねぇーのか!?」
アローンの考察を完全に否定する材料が見当たらない。それこそ、アローンの提案を呑めばそれでいい。《ファミリー》が嫌だというならば、それ以外の人間の記憶を操作すればいい。いや、そんなの問題じゃない。他人の心を自在に掌握するなんて非道なこと、カナルにはできない。仮定であっても想定すらしたくない。……だが、それならどうやって証明すればいい。
本当にカナルが記憶操作できるかどうかなんて、誰にも分からない。なまじ理屈が通っているから、全否定することもできない。そもそも誰かを操作したくないなんて人格者のような発想の仕方じたい、過去の自分によって、誘導されているのだとしたら。どんなことよりも優先して、自分の所業を暴かないために行動するように支配されているのだとしたら。
「俺が自分の記憶を――?」
グルマタを恐怖に陥れた張本人が自分だったとしたら。そして卑怯にもその罪から逃れるために、今の今まで自ら記憶を封じていたとしたら。……それは、無視していいことではない。だから――
「だから、なんだっていうんだ」
五股に別れた木の根がまるで巨大な手のような形をしながら突っ込んでくる。それを見ても、カナルは一歩も動かない。足に触れていた石畳を隆起させて、針のようにささくれだたせて防ぎきる。
「記憶の正誤なんて、どうだっていいだろ。だって、人の数だけ真実があるんだから。誰だって狭い視界でしか物事を捉えることができない。そして都合のいいように、事実を捻じ曲げてしまう」
能力があろうがなかろうが、人は記憶の改竄をする。いい部分だけを切り取る。記憶は美化される。でも、それは咎められることなのか。
「本当に大事なことは、記憶が正しいか正しくないかじゃない。自分がどの記憶が正しいと思ったかじゃないのか。どうしてその記憶を大切にしようとしたのか。どうして、覚えているのかが重要なんだ」
記憶を改竄したことが大事なのではなく、どうして改竄したのかを考えることこそが大事なことなんじゃないのか。その理由は。心の根源は一体なんだったのかを知るべきだ。
「アローン。お前はフローラと一緒で、あの泣いていた女なんていなかったことにしたいんだな。あの惨禍をなかったことにしたいんだな。見なかったことにしたいんだな。……でも、俺はやっぱりそんなことできないよ」
手を模った木の根が、二つになる。それどころか爆発的に増長していって、手どころの話じゃなくなる。ズズズ、と地下道を流れる水の全てを、木の根が吸い込んでいく。そして、それは巨大な巨人になっていく。
「傷ついた過去をなかったことになんてできない。助けられなかった無念を誤魔化したりなんてできない。俺は俺が正しいと思う記憶を信じる。だから――」
「いつか記憶になる『今』を、正しいと思う生き方をしたいんだ」
カナルの前に、木で創造された巨躯の『ゴーレム』が聳え立った。




