02》鎧のバク
三年前に火山活動を休止したイーユ火山。その内部にできている天然の溶岩洞を、一人の男が周囲を警戒しながら奥へと進んでいく。この付近を探索するのは初めてではない。むしろ慣れたもので、羊皮紙の地図を持参せずとも、幾つにも分岐した道が目の前に広がっていても迷わなかった。
それでもカナルがしきりに眼球を動かすのは、最近異常なことが多発しているからだ。資源が採掘できるこのイーユ採掘場だけではない、グルマタ全土で《バク》関連の事件が報告されている。だからこそ、こうして単独で調査に赴いた。
今回は誰かに依頼されたわけではない。自発的に洞窟内を徘徊している。《ファミリー》からは考え過ぎだと一笑に付されたが、どうにも妙な胸騒ぎがする。思い過ごしならばそれでいい。しかし、このまま事態を放置していれば、いずれ後悔しそうな――
ガシャン、と金属が倒れるような音がする。
いや、金属が倒れた音ではなかった。それは、鎧の足音だった。
頭上に取り付けられているライトの人工的な明かりを反射するヘルムの中は、完全なる虚無。空洞の中は深淵で、人間が着込んでいるわけではない。鎧そのものが意志を持って歩み寄ってきている。
これが、《バク》。
調査対象がどこにいるのか眼を光らせていたが、わざわざあちらから来てくれるとは願ったり叶ったりだ。
鎧が所持している武器は、黒い長槍。
色が黒くとも錆びついているわけではなさそうで。むしろかなり鋭利。光沢のある得物をチラつかせて、どこか距離を測るようにして近づいてくる。もっと考えなしに突っ込んでくるかと思いきや、まるで人間を相手にしているかのようだ。やはり、最近の《バク》はどこかがおかしい。素手で相手できるほど、弱くはなさそうだ。
ならば、こちらも武器で応戦するとしよう。
背中に背負っていた剣を引き抜い――
ドン!! と《バク》が地面を蹴り上げると、黒槍の穂先が瞬時に肉薄していた。
「うおっ!」
歩行速度は緩慢で。しかも、鎧姿であるから鈍重な動きしかしない。そんな先入観を植え付けられていたカナルは反応速度が遅れた。鎧の《バク》は予備動作などほとんどなく。一足飛びに長距離を縮めてきた。
首を捩じらせるが、頬に鋭い痛みが奔る。顔を掠っただけで、そこまで痛みはない。カナルは首だけでなく、体全体を回転させる。その反動を生かし、鞘の中を走らせながら、鎧に向かって剣を振りぬく。
ギィィイン、と衝突音が洞穴内に轟く。痺れが腕を駆け抜け、そして悟ってしまった。鞘走りによる居合。さらに回転の力も剣に加えたことによって、いつも以上の威力が出たはず。それなのに、鎧は破壊されるどころか、表面をほんの少し削っただけだった。……これは……この《バク》は斬ることができない。
ショックで固まっているところに、石突きを水月に叩き込まれる。足を浮かせるが、剣は放すことなどできない。間を置かずに、黒槍の、今度は刃の部分が襲い掛かってきたからだ。剣で迎撃する。二回、三回、と火花を四散させる。だが、それが互角の戦いではないことは、戦っている本人が一番理解できている。
もちろん、こちらが圧倒的に不利だ。
槍と剣。所持している武器の段階でまず勝てない。しかし、問題なのはそこではない。致命的なのはあちらが、《バク》であるということ。
こちらは生身の人間で、そしてあちらは鎧姿。先刻確かめた通り、こちらの剣の刃は通用しないが、《バク》はこちらにダメージを与えることができる。
それに、あちらの槍捌きに対応できるのも限界だ。槍使いとの戦いに慣れていないというのもあるが、相手が《バク》のせいで動きが予測しづらい。生身の関節がないせいで、ありえない方向に腕が折れ曲がり、予期しない攻撃軌道線を描く。これでは万事休すといったところ。……いや、関節。そうか。それがあったか、と天啓が閃くと、カナルは連撃を繰り出す。
リーチが短い分、こちらの方が小回りは利く。連撃の中でフェイクを織り交ぜたが、本命は鎧の関節部分。黒槍を持っていた右腕と、それから左足を流れるようにして斬った。甲冑部分は鉄でできていて斬ることは難しい。できたとしても長期戦は明らかに不利。ならば、関節部分の強度の低いところを狙って、部分破壊すればいいだけの話。
ボトリ、と落下した腕と脚。ボボボ、とまるで消え入る前の蝋燭に灯る炎のように、ヘルムの間隙から見える闇が蠢く。それはまるで断末魔のようだった。そのまま。ぐらり、とバランスを失いながら《バク》は倒れ――
斬ったはずの腕が、黒槍を持ちながら襲い掛かってきた。
「なっ――にっ――ぃっ!!」
下方の――視覚の死角。そして、心理的死角をつかれたカナルは、胸部を鮮血で染めた。《バク》は先端部分を赤く染めた黒槍を回す。柄がろっ骨の間隙に喰いこみ、カナルは横っ飛びに吹き飛ばされる。
切断したはずの腕、それから足の部分が合致する。斬れた痕跡などまるでなく、平然とした様子でこちらに向かって歩いてくる。この分だと、どこを攻撃したとしても、簡単に元通りになりそうだ。こんな異常な能力を持つ《バク》など、そうそうお目にかかれるものではない。
やはり、独りで洞窟深部まで来たのは間違いだった。複数人ならば、打撃を積み重ねていって鎧そのものを破壊すればいい。地道にダメージを蓄積する方法ならば、打破できるだろう。しかし、独りでは勝ち目がない。鎧は剣で斬れず、そして関節部分から刃をとおしても、すぐさま修復できる能力を持つ《バク》に対抗できる術などない。
だから――逃げるしかない。
カナルが吹っ飛ばされたその先にあったのは、木製のトロッコ。
主に資材の運搬のために設置されているものだから、人間一人の体重であってもビクともしない。素早く飛び乗ると、そのまま離脱することに成功する。坂道であることも相まって、かなりの速度が出る。時には引き際も肝心だ。別にあの《バク》の撃滅依頼があったのではない。あくまで今回の第一目的は調査。それは達せられた。《ファミリー》にこのことを報告して――
ガン、となにやら不穏な音が聴こえる。
トロッコの路線に石にでも乗っかっていて、それに直撃した音なのかと思ったが――違う。背後からの不吉極まりない音。いつの間にか、トロッコに鎖が結びつかれていた。頑丈そうで、太い鎖。
「あれ? こんなの……いつの間に? 鎖なんて……最初からあったかな?」
ガガガガガガガガ、と、そんな疑問の声など即座に打ち消す、まるで脳内を掻き毟るような摩擦音が響く。まさか――と思って目を凝らすと、そこには鎖を船舶のアンカーのようにくくりつけながら、引き摺られている鎧の姿があった。そのせいでトロッコが、路線から脱線しそうだ。
「こいつ、まだ追いかけてきてくるのか!?」
バゴォンッ!! と、《バク》の黒槍が振り下ろされたことによって、トロッコが破損する。このままでは全壊してしまう。そうなってしまったら、鎧の《バク》だけが生き残ることになる。
「くそっ! 落ちろっ!!」
剣を水平切りするが、ヘルムで受け止められる。トロッコに乗っているままでは、うまく力を乗せられない。
ズガガガガ、と耳をつんざく音が急に消えた。胴体部分を意図的に切り離したのか、それとも摩擦によって鎧が壊れたのか。どちらかは不明だが、上半身部分だけになった鎧が、またカナルに攻撃してくる。身軽になったせいで、黒槍の速度が先ほどよりも速い。こちらも応戦するが、猛攻を弾ききることができず、トロッコは半壊してしまう。
「だったらこれで――どうだ!!」
カナルは思い切ってトロッコを壊す。後ろに倒れながら、威力のある蹴りを入れた。鎧の《バク》――ではなく、トロッコに繋がっていた鎖の方を。木片に繋がっていた鎖もろともぶっ壊した。そのまま採掘場の闇の中へ《バク》は吸い込まれていくようにして消える。
ふぅ、と肩の荷を下ろして、充溢感に身を置いていると、規定通りの路線を進んでいたトロッコがガゴン、という車輪が外れたような不吉な音ともに、宙を舞った。破壊されすぎて、もうトロッコの強度はゼロに等しかったのだ。
「うおおおお!!」
中空に放り出されたカナルは、余計に転がることによって落下の衝撃を幾何か殺す。土埃まみれになりながら、なんとか回転が終わる。擦過傷で血が滲んだ腕を手で押さえる。うっ、と痛みを訴えながら、横目で完全に粉砕してしまったトロッコを見やる。破片と、それから《バク》の腕や足が点々と落ちている。しかも愛用していた剣まで、転がっていた。トロッコが脱線した時に手放してしまったようだ。
幸運にも、《バク》を倒せたようだ。こんなに強い《バク》がまだ洞穴内にうじゃうじゃいると思うと、帰り道はゾッとする。だが、ここからならば、出口は近いはずだ。上空から少しだけ光の帯が漏れている。正当なルートに拘らなければ。つまりは、壁をよじ登ればすぐに帰られるだろう。
手で壁を触ってみると、ごつごつとして手や足を引っ掛けられそうだ。が、登りきるには骨が折れそうだ。他に道があるとしても、引き返すしかない。それも傾斜のある坂道。トロッコの路線を辿って、それからまたかなりの距離を歩かなければならない。ここは発掘現場の奥で、道は完成していない。行き止まりだ。
剣を刺しながらだったら、壁伝いに登るのもそこまで苦ではないだろう。そう思考して、剣までの距離を縮めると、ガタガタガタ、と剣が独りでに動く。地震? そこまで深刻にならずに、手をさし伸ばすと――
触れてもいない剣が、肩に突き刺さる。
「…………え?」
ブシュッと肩口から血が噴き出す。地面に落ちていた剣は、ブンブンと投射されたように縦回転した。まるで剣が生き物で、感情を持っているかのように。剣が自分の意志で持ち主に反逆したように思えた。だが、そんなはずもない。剣を強引に抜き取って、遠方に投げ捨てる。
すると、剣が虚空に、ゆらりと浮く。
まるで透明人間に握られているような剣にこびりついた血は、引き寄せられるようにして中空を滑る。それを操っているものの元へと。
「まさかっ――まだ!?」
右手に黒槍。そして左手にカナルの剣を携えながら、散り散りになっていた鎧の各部が合体する。二刀流。それだけなら、まだ絶望の底は見える。しかし、復活した鎧の《バク》の周囲に砂鉄が舞い上がると、それが武器の形に固まる。二十、いや三十ほどの量の黒槍が、こちらに矛を向けている。
「……磁力……か……」
恐らく、磁力を操ることのできる能力を持つ《バク》だ。砂鉄を固めることによって、武器を生成することができる。斬られた関節部分も、磁力でくっつき修復していのか。それに地面の砂鉄と、足底の鉄の磁力を操作することによって高速移動を可能にしている。
鎧はひしゃげていて。少し動くだけで、悲鳴のようにギシギシと鳴っている。手負いの獣が一番手ごわいというが、まさにその通りのようで。壊れているからこそ、凄みを増している。
剣ですら有効打を浴びせられなかった。それが敵の手元にあって、こちらはもう丸腰だ。打ち付けられた総身は、満身創痍で。遠距離から黒槍の集中砲火を食らいそうなこの状況では、拳すら届きそうにない。
「もう無理かな……」
逃げ出すこともかなわない。鉄分を多く含む物質が多いこの採掘場では相手の独壇場。どう足掻いたところで、カナル一人の力じゃ到底太刀打ちできない。だから――
「心中するしかないよなあ」
無造作に転がっていた鉱物が、天蓋に向けて射出された。その一撃が脆い岩壁を穿ち、ガバッと光の雨を降らす。別に、《バク》が傷ついてしまったせいで、磁力を操る能力が暴発したわけではない。
これが、カナルの能力。
触れたものを操作することができる能力だ。
「生きるつもりで戦っても勝てないなんだったら、自分を殺すつもりで戦うしかないよなあ……」
逃避は生きることへの執着。それでも勝ち逃げできないのだったら、命そのものを囮として使う。このトロッコの終着点で、まさか人生そのものも終わらせることになるとは。だが、死中にしか活路は見出せなかった。心中という、最後の手段しか残されていなかった。
岩石群が視界一面に降り注ぐ。たとえ肉体に傷一つなくとも、それらを全弾躱すことなどできない。だから、諦めて、目を瞑って全部受け止める覚悟を決める。
ドゴォオオン!! と、ゴツゴツ固い天井部分が、カナルの全身を覆うようにして落石する。それだけでは終わらず、ダメ押しとばかりに他の瓦礫が何度も小さな隕石のように落ちてくる。破壊の限りを終えて、土煙が晴れるまでにそこまで時間がかからなかった。……だが――。
一際大きい岩壁が、ズズズと擦れる不協和音を響かすと、そこから下敷きになっていた奴が体を起こす。それは鎧の《バク》ではなく、カナルだった。
「少しぐらい傷つけてもあの《バク》には効かない。点の攻撃は通用しない。だったら、面で攻撃すればいい。それに気づけたのは……思いついたのはついさっきだけど、うまくいったみたいだな。あれだけの岩石で潰せば、あの頑丈な鎧だってぶっつぶれるしかないよなあ」
瓦礫が落下する直前。傍にあった岩に触れ、それが支えになるように動かした。それだけで防げる自信はなかったが、うまくいってよかった。少しでもタイミングが狂っていたら、《バク》と一緒になって岩石の下敷きになっていた。運がいい。そう思っていたのに――
ゴゴゴゴ、と異様な空気が漂う。というより、地面そのものが揺らいでいる。今度こそ、地震……。そう思いたいが、どうやらある意味もっと厄介なものらしい。イーユ採掘場はもともと活火山で、そして今は休止している。だが、今でも活動しているものがある。そういえば、ここは『あれ』が活発な危険地域だった。だからこそ、採掘場が中途半端に堀り起こされていて、放置しているのだった。気が付いたところで、もう――間に合わない。
ドォオオオン!! と、火山が噴火するかのように、間欠泉が噴き出す。
皮膚が一瞬で爛れてしまうような水蒸気で熱水を総身に受けたカナルは、まるで鉄の弾のように吹き飛んだ。