16》忘却の地下道
カナルはツキミと別れてから、少し足を引きずりながらアローンの元へ向かう。傷口から流れる血は、物体操作能力によって溢れ出ないようにしている。が、それでも、戦闘で喪失した体力までは戻らない。戦闘中は気を張っているため、能力で止血する余裕もないので貧血ぎみだ。
直立するのも辛くて、壁にもたれかかる。
ツキミにアローンが今どこにいるか質問したが、答えは分からないの一言だった。誰にも見つからないよう、宿泊施設から抜け出してカナルと密会したらしかったから動向を探るのは無理だったらしい。しかし、ツキミに訊くまでもなく、アローンが今どこにいるのかある程度の予想はできていた。それはツキミも同様だったらしく、二人とも同じ結論に至った。
「ちょっと、ちょっとなにやってるの?」
声のした方を振り返ると、エニスが駆けよってきた。怒ったような、心配したような表情をしている。方角から察するに、どうやら追いかけてきてくれたようだ。わざわざ走って探してくれていたのは、玉のような汗から大体見当がついてしまう。
「単独行動は控えてって言ったのに」
「しかたないだろ。お前はフローラと一緒にいると思ったから」
「フローラは常にアローンと一緒なんだから、あの子は単独とは言えないでしょ。だから、放置してもいいの」
「まあ、確かにあのフローラが孤独になることなんて、一瞬たりともないけどな」
フローラとアローンは血の繋がり以上の家族であり、誰であろうとその仲を引き裂くことができない。たとえそれが本人たちであろうとも、片時も離れることはできない。トイレで用を足す時であっても、身体を洗う時であっても常に一緒だ。仮に離れることができたとしてもしないだろう。彼らは依存よりもより深い関係なのだから。
「……その傷、どうしたの?」
「ああ。階段から転んでこけた」
咄嗟に嘯いてみたが、エニスはそう、と軽く受け流すと、
「……だったら、じっとして」
カナルの額に、自分の額を押し付けてきた。
「お……おい!」
「いいから、じっとしてってば」
両の手首をがっしりと握られてしまっては、逃げようがない。じっとしていると、傷口が熱を帯びる。蒸気のような気体がジュウウウ、と漂い始めて、削れていた肌が再生していく。
「私の能力は、自律型じゃない。相手の生命力を活性化させることによって、もともとあった自然治癒能力を高めるだけの能力。例えるなら、元々燃焼している火に、薪をくべるようなものなんだけどね。あの忌々しい《デバイサー》には劣るけど、私はこの能力が嫌いじゃないんだよね」
エニスが対抗心を燃やしている《デバイサー》の能力の方が、より速く傷を塞ぐことができる。それだけでなく、破れてしまった物体をも元通りにしてしまう。それでも――と、エニスは付け足す。
「この能力は、手を取り合うことの大切さを知れる能力だから」
手を取り合うというよりは、手を無理やり取っているのだが、確かにその通りだ。エニスの能力は肌接触していなければ、能力を作動させることはできないのだ。そうしなければ、自然治癒力に干渉することはできない。だから、相手が拒絶すれば、エニスの能力は全く意味をなさない。
「最低限の応急処置だけはしておいたから。ほんとうは完治するまで治癒したいところだけど。……そんな時間ないんだよね」
満身創痍でもエニスを振り切って進もうとするカナル。それを見て、なにやら言葉を交わさずとも察してくれたらしい。
「ああ。今すぐあそこに行かなきゃ。全てを思い出すために」
建物と建物の間の路地を進んでいくと、地下道への入り口がある。建物の影が重なっていて見づらいが、マンホールがあって。そこから地下へと進める。他にも経路は無数にあるが、ここからが一番目的地に近いし、なにより人目を避けることができる。
「入るぞ」
地下道に着地すると、そこには迷路のような水路が続いている。思えば『グルマタの惨禍』から三年も経つというのに、ここを訪れたことは一度もなかった。見渡しても、地下道は闇に包まれていて分かりづらいが、修繕されているようだ。まるで過去に起こったあの惨禍などなかったかのように、傷跡は残ってなどいない。
「もうすぐだな……。エニス、悪いけどここらへんで待っていてくれないか」
「なんで? 私も一緒に行くよ」
「いや、アローンとは一対二で話し合いたいんだ。ここに《灰かぶりの銃弾》が来るかもしれない。その時は時間稼ぎしてくれないか。戦わなくていいから」
「戦わなくてもいいって、私はあの人たちと心の底から戦いたいぐらいだから残ってもいいけど。本当に一人で大丈夫なの? フローラはともかくアローンには恨まれてるかもしれないのに……」
「大丈夫じゃない。けど、やっぱりアローンとはキッチリ話をつけないといけないんだと思う。これは、俺の問題だ。エニスやツキミには後でちゃんと話をするから、信じて待っていてくれ」
「……分かった。言ってもきかないのがカナルだもんね。付き合いが長いから、何を言っても無駄っていうのは、ちゃーんと分かってる。でも、なにかあったらすぐに呼びに来て。駆けつけるから」
「ああ」
それじゃあ、とカナルは独りきりになって、深淵へ進んでいく。
足取りは重く、嫌な汗が首の後ろにびっしりと吸い付く。
ドクン、ドクン、と心臓が早鐘を打って。
一際大きな心音が、骨を震わせると。ようやく目的地に着く。《惨禍の死神》が立っていたそこにいたのは、
「……フローラ」




