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10》大切なものへの差別

 咽かえるほどに濃厚な潮の香りが、鼻孔に喰いこむ。

 ザザッーと寄せては返す白波の音は穏やかで、昨日の出来事などなかったかのような気にしてくれる。だけど、眼前にいる《ファミリー》の一員の顔を見れば、そんな都合のいいことなんてありえないことを思い出させてくれる。

「ツキミ、こんなところまで呼び出して何のようだ? しかも、俺一人だけで来いなんて」

 ミュリアリ港湾。

 グルマタに点在する港の中で最も小さな港であり、停泊する船も少ない。昼時で腹ごしらえをしているのか、船員の姿も見受けられない。郊外から離れているため、内緒話をするのにはもってこいの場所と時間。停船する船が惑わないよう、細長い柱の上部には、灯が宿っている。

「失われていた記憶について、カナルに話があったからな」

「ああ。それについてエニスとも話し合ったんだけど、死神はもしかしたら《デバイサー》で、未だこの国に潜伏している可能性がある。それに、俺の考えでは死神は単独犯じゃないかもしれない」

「……なに? 単独犯じゃないだと?」

「ああ、そうだ。個人の力だけでグルマタの《デバイサー》全員の脳に干渉できるなんてことは、ちょっと考えづらいんだよなあ。独りの能力じゃなくて、複数の人間が結託し、能力を複合、強大にした結果が今の状況だと俺は考えている。もしかしたら組織ぐるみでこの一件を起こしているかもしれないから、慎重に調査した方がいい」

 エニスに相談したら、また《灰かぶりの銃弾》が実行犯だとか息巻くだろうから、口には出せなかった。

「……そっか。私もその可能性はあるかもしれないっていう考えはあったんだ。だから、もうちょっと近づいてくれないか。誰にも聞かれたくないんだ」

「あ、ああ」

 今の距離感でも十分内緒話をできると思うが、念には念を入れて、ということなのだろう。さらにツキミへと寄る。

「そう、もっとよって。もっともっと」

 肌と肌が触れそうな距離になっても、まだ近づいてくるように要請してくる。中腰になって、どんな小声であっても聴こえるように耳を突きだすようにする。そう、とツキミが満足げにぽつりと言葉を発すと、


「そうすれば、私の拳がもっと喰いこむから」


 ドンッ!! と大地を踏みしめる音と共に、とてつもなく疾い拳が襲い掛かってくる。ガキィン! と咄嗟に剣で防御したが、それでも勢いを殺し切れずに、足が地面から離れる。土煙を上げながら、手を地面に当て、摩擦しながらも停止する。

「なっ――。まさか、お前が――」

 《惨禍の死神》なのか。そもそも、《無心機》であるツキミが、今の今で精神感応系の能力者に支配されていたというのは考えづらい。他の《デバイサー》と比較すれば、脳を操作するような能力に耐性が強いはず。それなのに、ずっと何もかも忘れていたというのは不自然だ。攻撃をされるまでは疑いもしなかったが、そう考えると実行犯もしくは、共謀者という線もありえなくはない。

「……ガードされないために、近づいたのだがな」

「少し違和感があったからなあ。いつものお前だったら、近づいてきてなんて言わない。むしろ勝手に抱きついてくるような奴だ。だから念のために能力が発動できるよう、剣の鞘に手を触れておいたんだ。だけど、まさか本当に攻撃してくるなんてなあ」

「なるほど。それは私の失敗だったかな。でも―――次は失敗しない」

 からかうための一撃ではないのは、拳の威力と、覚悟の籠った言葉からも明白で。剣を構えるのには十分だった。

「私はあの時何もできなかった。ただ棒立ちになったまま、《ファミリー》が崩壊するのを眺めているだけだった。誰かを助けることも、傷つけることもできなかった。役立たずだった。でも、今度こそ私はこの国の《デバイサー》のためにできることをやってみせるさ」

「そして、今度は俺を相手に戦うって?」

「そう。一番危険なのはカナル、お前だから」

 攻撃の初動を感じさせない特異な足運びで肉薄してきたツキミを、剣で迎撃する。生身の躰とっても、ツキミは《無心機》だ。金属音と共に火花が散乱する。機械の躰は攻撃力と防御力が備わっていて、なんの制限もなく拳を振るえる。そこに躊躇などなくて、冷ややかな瞳から、本気で戦う覚悟が伝わってくる。

 こちらは、仲間と戦う覚悟なんてないというのに。

「あの時、カナルは洗脳されていた。だから裏切った。《ファミリー》のみんながそう勘違いしただろうけど、私は違うんだ。カナルは洗脳なんてされていなかった。いつだってカナルは後先考えずに行動する。自分が一番傷つく道へ突っ込む。そうじゃないか?」

 接近戦においては、ツキミの独壇場。

 カナルが横合いから剣を振ると、握っている手で内側から払う。剣を取りこぼすことはないが、軌道がずれ、速度が落ちる。その隙にツキミは一歩踏み込んでくと、払った手を瞬時にみぞへ鉄槌。無駄が全くない攻撃。剣より小回りが利く分、あちらの方が一手も二手も先んじる。

 カナルは呼気を乱しながら、嫌な予感がして顎を突き上げるようにして仰け反る。ボッ!! と、空気を切り裂く音。掠っただけで顎が外れたかと思った蹴りが視界の隅に映る。超接近戦で、あれだけ威力のある蹴り上げができるツキミにこれ以上好きかって攻撃させてはいけない。仰け反った反動を利用し、後方に躰を回転させて、こちらに分のある距離まで下がる。

「洗脳なんてされなくても、ああしてカナルは彼女を助けただろう。でも、それはとても危険なことで。記憶が戻った今も、私たちのことを裏切って、《惨禍の死神》に手を貸さないとも限らない。だから、事前に芽は摘み取らなきゃならないんだ」

 追いかけてくるツキミを眼前にしながら、逃げようとするがあちらの脚力はとんでもなく。このまま逃げ切れる自信がない。

「彼一人に全てを背負わせるなんて、卑怯な真似。もう私はしない。今の私には、カナルを傷つける覚悟ができている」

「……そうだな。俺はきっと時間が巻き戻ったとしても、またあいつを助ける。泣いている奴がいたら、誰であろうと助ける。そう思うことの何がいけないんだ」

「たとえ、助けようとした相手に殺されかけても?」

「それでも、だ」

 船の荷物であろう樽や木箱を能力で投擲する。普通に投げるよりも速度が速く、それに触れただけで物体を動かせる。だから、今少しでも攻撃の手を速めたい時にはうってつけの戦法だ。

 だが、ツキミは木箱等を殴打して、簡単に粉々にする。破壊された木箱の欠片を身に受けながら、カナルへ無理やり肉薄する。やはり、ツキミはこちらが安全地帯から物体を飛ばしてくるものだと思っていたらしい。その戦い方こそが接近戦に強みのあるツキミに対してセオリーだろう。でも、だからこそ裏をかく。中に入っていた香辛料や果実、それから砕け散った木屑を隠れ蓑にして近づくのも容易だった。

 剣を顔に向けて振るうが、腕で止められる。人間であろうと、《無心機》であろうと、顔に向かってくる攻撃は過剰に防御本能が働く。木屑と、それから剣。それらは全てフェイントで、これから行う三段階目の攻撃が本命だ。剣を振るった余力で腰を捩じって、凄まじい勢いの蹴りをツキミの胸に直撃させる。

 だが、ツキミは倒れない。倒れないどころか、蹴りを正面から受け止めて見せた。避けられないタイミングと見るや、受ける覚悟を決めていた。カナル浮いた片足を持つと、おかえしとばかりにツキミは蹴り上げる。

 腕を交差してガードしたにもかかわらず、頭上高く躰が浮き上がる。骨が折れたかもしれないぐらいに腕が痛む。あまりにも身体能力の差がありすぎる。しかも、ツキミは人間ではないのだ。足の底に穴がガコン、と二つ開く。するとそこから炎が火山のように噴き出す。

 ツキミは、空中に滞在していたカナルに突っ込む。突き出してきた拳を、拳で迎撃する。が、死角から襲い掛かってきた鎌のような足技には反応できなかった。加速装置で威力が高まった蹴りが、首筋を断絶するように喰いこむ。

「……カナルは……誰よりも優しいな。だからこそ――許せないんだ」

 ドゴォオオン!! と雷鳴のような轟音を立てて、地面に叩き付けられる。

「誰にでも優しいってことは、誰にでも優しくないってことなんだ。他人を差別しないってことは、他人に興味がないってことで。カナルは本当の意味で誰かを助けることなんてできない。他人を比較して、差別しなきゃ、何が大切かなんてわからないっていうのに」

 剣を杖替わりに立ち上がろうとするが、接近したツキミの拳によって吹き飛ばされる。抵抗するどころか、直立することさえもできない。

「カナルは戦闘中簡単に身を投げ出すことができる。でもそれは自分の命を粗末にするぐらい、大切なものがないってことだ。そんな人間は他の人間の命だって軽んじる。私たちのことを裏切った時みたいに。そんなボスに背中を任せることなんて、私にはできない」

 虫けらのように転がっているカナルに、止めを刺そうとしたツキミが足を止める。情に流されたからではない。

「……これは」

 がっちり、と。それこそ蟹の《バク》のハサミのように地面は、ツキミの脚を挟んでいた。ツキミの攻撃で、カナルが地面に陥没した時に能力で罠を仕掛けていた。獣が引っ掛かれば、ガチン、とギザギザした歯のような刃が噛み合うような罠をだ。


「大切なものなら――今、目の前にある」


 足枷のついたツキミの額に、思いっきりこちらも額をぶつける。ウッ、と意表を突かれたツキミが中途半端な拳を突き出してくる。が、それと交差するように、カナルは拳をツキミの頬にクリーンヒットさせる。

 ツキミよりも、先に。威力は増していて、ツキミは蹈鞴を踏んで、信じられないものを見るような瞳で凝視してくる。動揺したツキミが迫りかかってくるが、カナルは邪魔とばかりに剣を適当に投げる。

 武器など必要ない。ここから先は、《無人機》であるツキミに対して肉弾戦を挑む。なっ――と口を半開きしているツキミに殴りかかる。相手にならないことは百も承知だが、先ほどより拳に速度が乗っている。気持ちが乗れば、速度も乗る。身体もついてきてくれる。

「差別ならしている。自分の命よりも守りたいもののために、俺は俺を他人と差別している。それが俺にとっては大切なことなんだ」

 それでもやはり、気圧される。ツキミの方が肉弾戦において優れている。経験値もあちらの方が上。最初の当惑さえ霧散すれば、ツキミは地力を発揮できるのだ。だから――ブーメランのように戻ってくる剣には対応できない。調子が戻ってきたツキミは、自分の力を振るうのに必死なのだから。

「――ッ!」

 そのはずだったのに。

 ギィン――ツキミは、カナルの手元に戻ってくるはずだった剣を弾く。しかも、ほとんど振り返りもせずにだ。そうだ。ツキミは傍観していた。あの惨禍の時も。それから、蟹の《バク》との戦闘時も。傍観していたからこそ、カナルの戦闘スタイルというものを理解している。だから先を読まれてしまう。しかし、それはこちらも同じことだ。対処してくるのも計算の内で、動揺は最小限に抑えられた。

 弾いた時に生じた僅かな隙を狙って、ツキミに肉薄する。地面すれすれから、下からすくい上げるようにして掌底を放つ。ツキミを空へと打ち上げる。うっ――と顔を歪めるツキミへ、香辛料の入った樽を投擲する。中空にいるツキミは、そう簡単に方向転換も避けることもできない。肘や足裏から炎を噴射させるのも間に合わないタイミング。なのに――ツキミの手首が、ガコンと逆方向に折れる。と、空洞になっている腕から、ワイヤーが飛び出して柱に巻きつく。

「身動きできない状態から、ワイヤーを使って移動した――!!」

 だが、それは想定の範囲内のことで。カナルは半ば当てるのを諦めていた。そして、ツキミが避けてくれることに全てを賭けていた。ツキミの真横で、樽は四散する。しかし、中身は香辛料。樽に破片が当たっても、機械の躰を持つ《無心機》にはかすり傷すら残さない。

 カナルの能力は手に触れたものしか操れない。しかも、生身に対して能力を展開できないという、最大の弱点を知っているツキミはそれに対応した戦い方をしている。それ故にカナルは苦戦している。

 でも、だからこそ固定概念が生まれている。カナルの手に触れたものに注意するように頭ができあがっているのだ。

 生身では能力を伝導できない。だが、ツキミの躰が飛び出たワイヤーならどうだ。ツキミの躰に降りかかった香辛料ならばどうだ。樽に触れ、それから中身の香辛料から、ワイヤー。そして、接触している柱へと能力を次々に伝導させる。

「俺は絶対に《惨禍の死神》を探し出す。探し出して、そして今度こそ守り切ってみせる。そして、お前たち《ファミリー》もまとめて守って見せる」

 根元から折れた柱が、しまっ――と叫ぶツキミに叩き込まれる。

「それが、俺の覚悟だ」


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