第1話 深い竹林の中で
「……………………ん、んん?」
眼前から降り注ぐ光を感じて、俺はゆっくりと瞼を持ち上げた。
いつの間にか寝てしまっていたみたいだ。眠気なんてちっとも感じていなかったはずなんだが……と考えているうち、今の状況の「異常さ」にだんだんと気がついていく。
「…………どこ、ここ?」
真上から降り注ぐ光は、見慣れた蛍光灯の無機質な明かりとはちがう、自然の恵みの象徴たる太陽。はっきりしてきた鼻孔をくすぐるのは、現代人ならむせ返りそうなくらいに濃い、草と土と、陽だまりのにおい。疑惑を感じつつも首をひねった先に見えるのは、古来から日本とともにあった植物の竹。それも数本なんて規模じゃない。数十本、場合によっては数百、数千はくだらないだろう。形容するのもおっくうなほどに、大量の竹に囲まれている。
――割とマジで、ここどこですか?
~幻想入り小説「東方永刻翔」~
第1話 深い竹林の中で
とりあえずは、状況の整理である。
現在、俺――「飛鷹恵」は、名も知らぬ竹林のど真ん中でぽつんと佇んでいる状態だ。寝っ転がったままだと何も進展が起きなさそうな気がしたので、とりあえず立つだけ立っておいた。意味はない。そもそも俺は、昼下がりの自室でグースカ寝こけていたはずである。それがどうやったらこんなところに出るんだ?
自宅は竹林の真上にあるわけもなく、普通に住宅地にたてられた一軒家だ。それに、仮に誰かのいたずらでここまで連れ出されたとしても、俺を起こさずにつれていけるか?連れてこれるとして、こんな場所は日本ひろしといえども存在すると聞いた覚えはない。
まぁ、この際なので起こってしまったことは置いておいて――本当は置いておいたらいけないんだろうけど、もうなんか考えるのがバカバカしくなったのでやめておく――、とにかくはここから何をするかだ。
地面の傾斜具合からして、山というほどではないが少しは坂になっているらしい。感覚的に考えれば、下っていけば少なくとも人がいる場所には着けるだろう。そう仮定したところで、ふと気づく。
……なんで俺、こんな冷静なんだ?
自分がびっくりするくらい冷静になっていることに関しては何も答えが出ないまま、歩き始めて数十分が経過した。この御時世、携帯もなしに現在時刻が何時かを把握できる人間なんていないだろう。
こんなことになるなら携帯をポケットに入れておくべきだったと、過ぎたことについてあれやこれやと考えていると、不意に体を何かで貫かれるかのような、冷たい気配を感じた。
「――――ッ!?」
とっさに周囲を見回すが、それらしき影はなにもみあたらない。確かに視線に射抜かれたような、そんな錯覚を感じたんだが――という疑問は、直後に訪れた大音響にかき消された。
俺からみて真後ろの位置に、「何か」が降り立ったのだ。いや、降り立ったというよりは墜落してきたとでもいえばいいのか。ともかく、そのぐらいのスピードで何かが落下してきた。その様子を、ひくりとも動けないまま凝視する。
舞い上がった枯葉と土煙がおさまったとき、改めてひどく後悔した。嫌な予感がしたならさっさと逃げればいいのに、どうして俺はこう鈍いのか。
「――――ゥゥゥウウルルルル」
そこにいたのは、どでかいオオカミのような何かだった。ただし体毛は不自然なほど黒々しく、暗闇のような体躯の中で光る赤い瞳が、闇から俺を見つめる異形のそれのように感じる。むき出しにされた鋭い歯が、ところどころ赤黒い色に染まっている。その歯は、正しく人を、生き物を、命を屠ってきた証であり、今から俺という名の灯を吹き消すために用意された風であった。
逃げないと。けたたましく警鈴を鳴らす頭に従い、威圧感から笑っていた足に喝を入れて、化け物から逃げるため走り出す。
現代人――その中でもいわゆるインドア派に分類されていたの体力は、悲しいほど少なかった。全力疾走を続けて数分もったのはある意味奇跡だろうか。
「ハァっ……ハァっ……」
息も切れ切れになりつつ、俺は振り返る。化け物はまだまだ余裕そうだ。というよりは、じわじわと近づいてこちらの精神的な体力を削りにかかっている、といったほうが正しいか。
「……あ、っづ!?」
そんなことを考えていると、木の根とも小石ともつかない物体にけつまづき、前のめりに思い切り転倒してしまった。幸い下が草なのでけがをするには至らなかったが、体力的にも気力的にも、すでに限界だ。どうしたものか、先ほどから意識が朦朧とする。乾いた呼吸を繰り返す俺に、化け物が影を落とした。赤い瞳が、嗤うように細められる。
唸り声。
腐臭。
粘液の音。
臭い。
動けない。
噛まれる。
食べられる。
――死ぬ?
殺される?
数瞬の思考の後、俺の目の前に広がっていたのは。
「……なんだ、ザコ妖怪か」
雪のように真っ白い髪と、血のように赤い炎をまとった女性が、化け物を消し飛ばす風景だった。
***
「……おーい、おーい。あんた、大丈夫ー?」
「――――っえ、あ、な……は、はいっ」
突然かけられた声に、びくりと硬直しつつ返事する。問いかけた本人はどこかおかしいところでもあったのか、けらけらと笑いながら俺をみる。
「そんなにビクビクしなくていい。私はあんたの味方だよ」
そう言って笑いに細まるのは、精巧な細工を施されたかのように美しい、真紅色の瞳。首を振るにあわせてふわり、ふわりと揺れる長い髪は、赤い瞳に対して雪のように真っ白だ。
ワイシャツのようなものにサスペンダーつきズボン――裾が広がっている形状からしてもんぺだろうか――という恰好だが、その端正な顔立ちと長い白髪のところどころにあしらわれた紅白のリボンが、女性であるということを主張している。先ほどまとっていた炎は雲散霧消しており、かわりに俺の目に飛び込むのは再びの竹林と、その少女のみだった。
「…………ありがとう、ございます」
「ああ、気にしなくていいよ。……ふぅん、みたとこ『外来人』みたいね」
少女の口から、ききなれない単語が飛び出てきた。聞いたところでは、その言葉は俺に向けられているものらしい。だが、その真意を測りかねたのならば質問は無意味である。なので、とりあえずは問いかけることにした。
「……外来人、って……な、に…………」
それと時を同じくして、俺の意識は間もなく途切れた。