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旧作1-1  作者: 智枝 理子
Ⅰ.女王国編
7/45

06

「なぁ、頼むよ、エルロック。魔法使い討伐は、お前の得意分野だろ?」

「俺は今、依頼を受ける気はない」

「黄昏の魔法使い、なんて仰々しい名前がついてるから誰も引き受けないだけで、実際はただの小悪党だ。すぐ片付くだろ」

「だから、なんども言わせるな」

 ポルトペスタの魔術師ギルド。

 大きな街には、冒険者ギルド、商人ギルド、職人ギルド、盗賊ギルド、そして魔術師ギルドがそろってる。

 ギルドとは、非政府組織。非政府団体。

 どこの国にも所属しないが、その存在は国や都市を動かせるだけの力を持っている集団。

 冒険者ギルドは、討伐依頼、探索依頼、仲間探しから、旅に便利な情報まで扱っている、旅人から市民まで、困ったことがあったら行く何でも屋。

 このギルドの大きな特徴は、犯罪を許さないこと。犯罪者を強く否定する団体のため、その信頼は厚い。故に、犯罪歴があるとギルドに加入できない。

 商人ギルドは、多くの商会、商人が所属し、物流を監視、非合法な取引の排除、通貨の監視を行っているギルド。

 最も古いギルドとして知られるこのギルドは、共通通貨の発行場所としても知られる。正しいレートに従って換金を行ってくれるのはこのギルドだ。

 職人ギルドは、鍛冶や木工、美術工芸まで、あらゆる技術者が集まるギルド。

 もともと商人ギルドに対抗して作られたギルドだが、今では商人ギルドとも強い繋がりを持っている。

 職人同士の技術の共有はもちろん、商品の品質に適した取引を商人に働きかけるなど、主に職人の地位向上に努めるギルドなので、一般にはあまりなじみがない。

 盗賊ギルドは、いわゆる犯罪者集団。

 一応、犯罪歴がなくても加入できるけれど。冒険者ギルドに持っていけない仕事を依頼するギルドだ。

 盗み、密輸、暗殺依頼と、冒険者ギルドとは違った意味で仕事の幅が広い。

 最も得意なのは情報収集。

 やっている仕事はほとんど犯罪だが、どの国も、そこには目をつぶっているのが現状だ。国にとっても汚い仕事を依頼できる恰好の相手なので、持ちつ持たれつ、存在を許しているのだろう。

 そして、魔術師ギルド。俺が所属しているこのギルドは、名前の通り錬金術師や魔法使いだけが所属できるギルドだ。表向きは魔法使い向けの仕事や、錬金術製品の依頼をする場所。

 実際は、非合法な魔法使いの監視。そもそも、このギルドは、精霊狩りが横行した時代につくられた。

 魔法使いは、精霊と契約して奇跡を起こす人間と言われているが、一般人には理解されないことが多く、その奇跡を悪魔的、と表現して忌み嫌う者は今でも多い。

 その為、非合法な魔法使いを監視し、討伐し、市民に貢献することで、魔法使いや錬金術師の地位の向上を目指すギルドだ。もちろん、精霊の保護もその活動内容にある。

 って言っても、要は、魔法使いが情報交換に使うただの閉鎖的なギルドなんだけど。

 昨日の手紙で思い出したのだ。俺に用事があるなら、手紙を魔術師ギルドを通じて送ってくれれば、ポルトペスタ辺りで確認するって言っていたのを。

 結局、何も届いてなかったから要件はもう終わってる。けど。

「連れを待たせてるんだから、もう行くぞ」

「待てよ、エルロック!」

 ギルドの会員じゃないと入れない奥の部屋から出る。…と、そこに居るはずのリリーの姿がない。

「リリー?」

 ここで待ってろって言ったのに。どこ行ったんだ?

「おい、エルロック」

 腕を掴まれて、部屋に引き戻される。

「なんだよ」

「頼むよ。騎士団が討伐するって騒いでるから、この国の魔法使いは嫌がるんだよ。依頼がうちに来て、もう五日も経ってる」

 騎士団の面目をつぶさないように、か?

「その騎士団は、キルナにすら行ってないじゃないか」

「近々、大きい商談があるからって、主力部隊はポルトペスタに駐留してるんだ。砦の部隊も周辺警備で大忙しさ」

「あ~、もう、わかったよ。引き受けりゃあいいんだろ」

 また、エイダとの賭けに負けたな。

 くそっ。

「黄昏の魔法使いが根城にしてるのは、」

「キルナの近くの古城だろ」

「良く知ってるな。でも、今はポルトペスタに来てるらしいんだ」

「特徴は」

 一枚の紙切れが差し出される。

「これが人相書きだ。金髪碧眼の男で、炎の魔法が得意らしい。後は、雷の魔法も使うって言ってたかな」

「どこが黄昏の魔法使いだよ」

 そいつは、雷の魔法なんて使わないだろ。

「お前はラングリオン出身だったな。会ったことあるのか?」

「さぁね」

 依頼受諾書にサインをして、部屋を出る。

 リリーはどこに行ったんだ?

「なぁ、ここに居た黒髪の女の子を知らないか?」

「剣士の女の子かい?その子なら、二人組の男と出て行ったぜ」

「…は?」

 あの、馬鹿。

 急いで魔術師ギルドを出る。

「エイダ、どこだ」

『街の西側。郊外の、いわゆるスラムですね』

 そういうことは、早く言え。

 絶対、やばいことに巻き込まれてるだろ。

 あぁ、もう。

 間に合えよ。


 ※


 走って街の西地区へ。中心部から離れるにつれて、人通りが減っていく。

 スラム街は入り組んでいて、上手く進める道を探せない。

「くそっ、どこだ」

 そう、遠くない場所から、男の悲鳴が聞こえる。

「あっちか」

 面倒だ。

 風の魔法で空中を飛び、手近な塀を経由して屋根に上ると、悲鳴のした方に向かっていく。

 居た。

 …居たけど。

「リリー」

「あ、エル」

 リリーは、剣を鞘に納める。

 リリーの周囲には、男が十人ほど倒れている。魔法使いらしいローブを着た奴もいる。

 風の魔法で飛んで、リリーの傍に着地する。

「何やってるんだ」

「あの、用事があるって言われて。それで…。あの、殺してはいないと思う」

 俺が聞いてるのは、そういうことじゃない。

「いいか、知らない人間に勝手について行くな」

「え?」

 まるで子供に説教してるみたいだ。

「自分が危なかったって自覚ないのか?」

「あの…、怒ってる?」

「当たり前だ。なんで勝手に居なくなるんだよ。…とにかく、来い」

 リリーの腕を引いて歩き出す。こんなところにいつまでも居たら危険だ。

 …待てよ。

 立ち止まり、近くに倒れていた男の胸ぐらをつかむ。

「おい!」

 気を失ってる。

 気付け薬を出して、男にかける。

「う、うぅ」

「誰の命令だ」

「お前、誰だ?」

 短剣を首に突きつける。

「誰の命令だ」

「ひっ。…黄昏の魔法使いだ」

「どこに居る」

「し、知らない。俺たちは雇われて、」

「何のために?」

「そいつ、貴族の娘なんだろ。さらって来いって」

 男に眠りの魔法をかけ、立ち上がる。

 リリーの身分がばれてる?リリーの身分証を見せたのは、キルナの警備兵だけのはず。

「エル?」

 リリーの手を引いて、歩き出す。

 キルナの村は、黄昏の魔法使いと繋がっている?

 でも、俺が訪ねた三日前に襲われているって…。

 いや、何か取引をした?

 そういえば、あの村。女の姿が全然なかった。俺が見た女は、宿のメイドだけ。

 奪い去られた女たちを取り返した可能性もある…?

 …あいつ。リリーの情報を売ったのか。

 ってことは、黄昏の魔法使いがポルトペスタに来たのは、リリーを狙ってるから?

 上級市民って身分が、この国の人間にとって、どれだけ高貴な家柄を示すのかは知らないが。

 そんなのが従者も連れずに歩いてるなら、良いカモだろう。

「リリー。ちょっと仕事が入ったんだ。協力してくれないか?」

「もちろん良いよ。どんな仕事?」

「…そうだな」

 ついでに、リリーで遊んでみるかな。


 ※


「エル、だめだ、こんなの、恥ずかしい」

「うん。似合ってるな」

 プリンセスラインのふんわりと広がった、薄いオレンジ色のドレス。

 スカートの部分には、刺繍の細かい白のレースが巻いてある。

 恥ずかしいっていうのは、おそらく露出した首と肩のことだろう。

 ビスチェタイプのドレスなんだから仕方がない。

 髪を降ろしてるのも、すごく良い。

「お似合いですよ」

「素敵ですわ」

「あぁ。それにリボンでもつけてやってくれ。寒いならストールもいるな。帽子は、もう少し顔が見えるような奴がいい。すぐに仕上がるか?」

「あの、エル、」

「ええ、おまかせ下さい」

「さぁ、お嬢様、仕上げますよ」

 リリーを連れて、お針子たちが奥の部屋に戻る。

『素敵ですね。やっぱり女の子なのね』

『良いねぇ。かわいいねぇ』

『あれ、エルの趣味ー?』

『なんでそんなにドレスに詳しいのよ?』

「ん?一般常識だろ?」

『そうかしら。都会の男ってみんなそうなの?』

『ナターシャが正しいと思うぞ』

『ふふふ。エルは、女たらしだからねぇ』

「おい、どういう意味だ」

『なぁに?そのままの意味だよぅ?』

 誰か、反論しろよ。身に覚えがないぞ。


「さぁ、仕上がりましたよ」

 肩にストールを巻いて、リリーが出てくる。

 ドレスもリリーにぴったり直されているし、小ぶりな帽子も似合っている。

「あぁ。綺麗だな」

「…からかっているわけじゃ、ないんだよね?」

 リリーは顔を赤くして言う。

 仮にも、女王の娘なんだから、ドレスぐらい着たこと…、あるよな?

「この鎧と剣はどういたします?」

「宿に届けておいてくれ」

「だめ、リュヌリアンは持って行かないで」

「…剣のことか?」

 リリーは頷く。

 仕方ない。俺が持っていくか。

「代金はさっきので足りるか?」

「えぇ。ブーツもサービスさせていただきますよ。お似合いの靴があったんですが、お嬢様がどうしても嫌だと申されまして」

 勿体ないな。足は見えないから仕方がないか。

「あぁ、うちのお嬢様は、お転婆なんだ」

 リリーが頬を膨らませる。

 本当に、可愛いんだから。

「エル、私にいったい何をさせたいの」

「お嬢様らしくしてほしいだけだよ」

 リリーの剣を肩に背負い、リリーに手を差し出す。

「さぁ、お姫様。お手をどうぞ」

 優雅なしぐさで、リリーは俺の手を取る。

「なんか、恥ずかしい…」

 店員が扉を開き、俺はリリーを連れて外に出る。

 高級洋裁店から出てきたリリーは、一気に街の人々の注目を集める。

「…恥ずかしいよ、エル。注目を集めるのは、好きじゃない」

「注目を集めるのが仕事だぜ」

「ドレスの裾、踏みそうだ」

「転びそうになったら助けてやる」

「本当に、これが、エルに協力することになるの?」

 まぁ、ここまでする必要はなかったけど。

 リリーの反応が面白いから、やりすぎたかな。

「ちゃんと説明しただろ?」

 スラムから、この店に来る間にリリーに説明したこと。

 黄昏の魔法使い討伐を受けたこと。

 リリーが狙われていること。

 リリーを囮にして、魔法使いをおびき出す作戦。

「それなら、エルも着替えた方がいいじゃないか」

「俺はいいんだよ。別に貴族じゃないんだから」

「納得がいかない」

「心配するな。後は、あそこのテラス席で、ゆっくりお茶でも飲んでればいいから」

 大きなカフェのテラスを指す。

「エルは、私を見せ物にしたいの?」

 さっきから、そう言ってるんだけど。

 これだけ目立っていれば、向こうから誘いに乗ってくれるだろう。

「嫌だ」

「じゃあ、どこに行く?」

 リリーはうなりながら、黙る。そして。

「宝石店。グラン・リューっていう宝石商が、石を売りにポルトペスタから来るんだ。そこに行きたい」

 城に通ってる宝石商?

「いいぜ」

 なんていうか。

 その辺の感覚は、貴族と一緒だよな。

 高級商店が並ぶ、この富裕地区にあるだろう。聞いてみるか。

「すまない、この辺りにグラン・リューの宝石店はないか?」

「グラン・リュー?…探している人のお店か知らないけれど、宝石店なら、この道をまっすぐ行って、二番目の角を左に曲がった場所にあるわ」

「そうか。助かる」

 通りすがりの夫人に礼を言って、リリーの手を取る。

「行こう」

 行きたいところ、あるんじゃないか。

「何か欲しいものでもあるのか?」

「欲しいわけじゃないけれど。門外不出の宝石があるらしい。城には、いくら言っても持ってきてくれないんだ」

「顔見知りか?」

「いや。直接顔を合わせることはないよ。品物だけ、城の者が運んでくる」

 部外者は本当に立ち入れないんだな。

 外に出られるのは、魔法使いだけ、だっけ?

「門外不出なら、そう簡単に見せてくれるとは限らないけどな。それとも、身分をばらすのか?」

「…それは、ちょっと」

 名乗ることのリスクの大きさは、身に染みてわかってるらしい。

「ま、行ってみるか」

 宝石店へリリーを連れて入る。

「いらっしゃいませ」

 店主らしい、老紳士が頭を下げる。

『いろんな魔法がかかっているな。無暗に触れないほうがいい』

 高価なものが多いから、安全策は取っているのだろう。

 店主のほかに、四人も人が居るとは思えないほど静かな店内を、リリーは一人で一通り見て、戻ってくる。

「どうした?」

「ここは、違うと思う」

「違うって?」

「グラン・リューの店じゃない」

「…グラン・リューのお客様ですか?」

 店主が口を開く。

 リリーは何か言いかけて、俺を見る。

「あぁ。直接会ったことはないが、王都でお嬢様が石を買われた相手だ」

「左様でございましたか。では、こちらへどうぞ」

 俺とリリーは顔を見合わせる。

 店主は、地下へと続く道を案内した。

「なんで、違うって言ったんだ?」

「あそこに置いてあるものは、どれも二級品以下だ」

 二級品以下じゃダメなのかよ。

「左様でございます。最近は、目利きをできるお方が少ないものですから、店頭には大事な商品を並べておりません。お嬢様でしたら、地下をご覧になる資格がおありです」

 地下に着くと、店主が灯りをつける。

「さぁ、どうぞご覧ください」

 中央に巨大な鉱石を配置した広い部屋。きらびやかな宝石もあれば、化石らしいくすんだ岩石も並ぶ。

「これが、門外不出の宝石…」

 リリーは嬉々として、鉱石に寄っていく。

「…ほら、見て、エル。宝石の中央に、卵があるの」

 人間の背丈ほどもある巨大な鉱石の内側に、鉱石に包まれるように卵が浮いている。

「本当だ。随分でかいな」

「うん。ドラゴンの卵だ」

「ドラゴンの卵?」

「それも、そうとう古いんだ。これは宝石であり、化石である。…それに、この模様。本来縦に入るはずのラインが、ここだけ渦巻いているだろう?特殊な状況下でしか、鉱石はこんな模様を描かないんだ」

 こんなに生き生きと喋るリリーは初めて見た。

「あの…、ごめんなさい。つい、興奮してしまって」

「好きなんだな」

「うん。…宝石や、化石。太古の記憶を持ったものたち。今、そのままの姿を見られるのは、奇跡みたいな出会いだから」

 リリーは、並んだ宝石や石を、一つ一つ丁寧に眺めていく。

「失礼ですが、リリーシア様では?」

「え?」

 リリーの名前を、知ってる?

「私、エイトリ・グラン・リューと申します」

「あ、あの、ええと、」

 こいつが、城に出入りの宝石商、本人だったのか。

「あんた、リリーシアのこと知っているのか?」

「もちろん。女王陛下の四番目の姫君が旅立たれたと連絡を受けたのは、昨日のことです。きっと、私の店にいらっしゃると思っておりました」

「なんで名前を知ってる?リリーが話したのか?」

 女王の娘の名前は、国民に周知されていないはずだ。

「違う、私は一言も名前なんて言ってない。そういうのは禁止されてるんだ」

「城の者が言っていたのですよ。私との取引を楽しんでおられるのが、四番目の姫君であるリリーシア様だと」

 ニコニコと老紳士は応える。

 禁止されてるんじゃないのかよ。

 それとも、この爺さんが何か取引をして聞き出したのか。

「いつも、聡明なお手紙、楽しく読ませていただいておりました」

「いや、私みたいな若輩者に付き合ってくれて、いつも感謝していたよ」

 しかも、文通まで。案外、緩いんじゃないのか?あの城。

「リリーシア様に、贈り物があるのです。少々お待ちください」

 そう言って、グラン・リューは、地下のさらに奥にある部屋へ消えて行った。

「城の外にも知り合いがいるんだな」

「手紙のやり取りをしてくれていたのが、本当に外の人間だったなんて、初めて知った」

「どういうことだ?」

「だって、もしかしたら城の人間かもしれなかったから」

 まぁ、そういうことを思っても仕方ないだろうな。

 本人には絶対に会えないうえに、手紙の内容は検閲されているのだろうし。

「グラン・リューは、私の、宝石学と考古学の先生なんだ」

「教育だから、手紙のやり取りが許されていたのか?」

「たぶん。もともと、城に出入りの…、出入りって言い方は変だね、会わないから。そういう商人の一人だから」

「会えて良かったじゃないか」

 城の外の人間にとっても、城の中に居る人間に会えるのは修行の間だけってことだろうから。

「うん。ありがとう、エル」

「なんで?」

「こういう機会がないと、たぶん、来なかった」

 それは、手紙の相手が、どうせ外の人間じゃないとあきらめていたから?

「お待たせいたしました」

 グラン・リューが、小さな箱を持ってくる。

「こちらを」

 箱の中には、手のひらに乗るぐらいの、卵型の石。

「これは…、まさか、暁の虹石?」

リリーはそう言って宝石をを手に取ると、様々な角度から眺める。

「ええ。虹色の輝きを持つ虹石の最高峰。私が取り扱ったものの中で、もっとも貴重な石です」

 虹石とは、見る角度によって、見え方が変わる不思議な宝石だ。その光学現象を、イリデッセンスと呼ぶ。

 そしてこの宝石は、目線を変えると、中央付近に丸く浮いた気泡が太陽のように見え、朝陽を閉じ込めたような輝きを放っている。

「どうぞ、お納めください」

「え?」

 リリーは宝石を小箱に戻す。

「こんな大切なもの、私は受け取れない」

「いいえ、これはもう、リリーシア様のものなのです」

「…私は、修行中の身なんだ」

「それでは、ご帰還された暁に、お送りさせていただきましょう」

 リリーは頷く。

「もし、無事に修行が終わったら。その時に、ここに寄らせてもらうよ」

「かしこまりました。…しかし、せっかくお越しいただいたのに、何もお渡しできないというのは、宝石商として恥でございます。どうか、お好きなものをお選び下さい。それを贈り物といたしましょう」

「そんな、悪いよ」

「いいえ。友情の証に。是非」

「…うん。わかった」

 リリーは、部屋の中を見て回る。

「なぁ、あんた。リリーのこと、どれぐらい知ってるんだ?」

「私が知っているのは、リリーシア様が十歳になられてからです。最初に興味をお持ちになられたのは、琥珀でしたね」

「そんな話しは聞いてない。女王の娘に与えられた使命とか、そういうやつ」

「使命、ですか。リリーシア様は、女王になる素質をお持ちの方なのです。素質がなければ、女王にはなれない」

「素質って?」

「身体的な能力、と聞いております」

 具体的には知らないか。

「女王になるのに、拒否権はないのか」

「おそらく、ないのでしょう。もしあるのならば、リリーシア様は学者になられたかったのでは?」

 学者?なんだか似合わないけれど。

「…宝石学や、考古学の?」

「そうです。リリーシア様は、自由に憧れておいででしたから」

 自由、か。

「これに決めた」

「流石、リリーシア様。お目が高い」

 リリーが選んできたのは、雫型の宝石が付いたペンダント。

「水の虹石で、雫型なんて珍しい。加工してあるの?」

「いいえ。その状態で発見された、珍しい形の石でございます」

「すごいな」

「えぇ。どうぞ、お持ちください」

 グラン・リューは、リリーにペンダントを付ける。

 リリーの胸元で、その宝石は、透明から薄い青へと、揺れるたびに輝きを変える。

「ありがとう。大切にするよ」

「とても良くお似合いですよ。さぁ、上までご案内しましょう」

 グラン・リューに続いて、階段を上る。

 外は、大分日が傾いていた。

「ささやかですが、夕食のご用意もさせていただきました。蝶陽亭というレストランです。こちらの馬車をお使いください」

「何から何まで、ありがとう」

「いいえ、リリーシア様に会えた喜びに勝るものはございません」

 リリーはドレスの裾を持って、優雅にお辞儀する。

「また、ここに来るよ」

「はい。いつでも、お待ちしております」

 リリーの手を取って、先に馬車に乗せる。

「そこのあなた」

「…俺か?」

「お名前は?」

「エルロック」

「エルロック様。どうか、リリーシア様を頼みます」

「頼むって言われても、三年経てば、リリーは…」

「素晴らしい宝石というのは、奪い合いなのです。ただ、力ずくで奪おうとしては、その宝石が壊れてしまうでしょう。ともすると、宝石を手に入れようと手を伸ばした者の腕さえも」

 リリーの話しか?

「…何か、方法があるのか」

「私ならば、先人の知恵を拝借します」

「そうだな。探すのが大変そうだけど」

「これを、あなたに」

 グラン・リューが出した手紙を受け取る。

 いつ書いたんだ?食事の予約にしろ、色々手の回る爺さんだ。

「では、精霊のご加護を」

 馬車に乗り込むと、馬車が走りだす。

 手紙を開くと、一枚の絵と、メモ紙。

 一番目ディーリシア・マリリス・ツァ・ブランシュ

 二番目アリシア・リウム・ヴィ・ブランシュ

 三番目ポリシア・ネモネ・ルゥ・ブランシュ

 四番目リリーシア・イリス・フェ・ブランシュ

 五番目メルリシア・ザレア・クォ・ブランシュ

 緑色の髪と黒い瞳の娘の絵。その裏には、一番目、失敗、消息不明と書かれている。

『……?』

 一番目の娘?失敗って、試練に失敗したってことか?

 リリーは四番目。

 もし、一年に一人ずつ修行に旅立つならば、一番目は帰っていないとおかしい?

 消息不明、って一体、何を指してる?

「何見てるの?」

 リリーに見えないように、手紙を折りたたむ。

「秘密だ」


 ※


 蝶陽亭。

 全室個室の高級レストラン。

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」

 リリーはともかく。

 正装でもなんでもない俺を通すって、あり得ないな。グラン・リューの紹介だからか?

 料理長がメニューの紹介をしていく。

 最後にコーヒーが飲めるなら、なんでもいいか。

 デザートは断ろう。

「ワインはいかがいたしましょう」

「ええと…」

 リリーには選べないだろうな。

「シェリーを」

「かしこまりました」

 ウェイターが、シェリーをグラスに注ぐ。

「御用がありましたらお申し付けください」

 そう言って、ウェイターが出ていく。

「なんだか、すごいところだね」

「個室だし、肩がこらなくて良いんじゃないか」

 リリーとグラスを合わせて、シェリーを飲む。

「本当は、もっと目立って欲しいけど」

「目立つことに意味があるの?」

「あるよ。向こうがリリーの居場所を把握してくれないと、捕まえてもらえないだろ」

「それなら、貧困区を歩いていた方が良かったんじゃ?私にこんな恰好させる意味、あった?」

 なんで、あんなことがあったのにスラムを一人で歩かせなきゃいけないんだ。

「あるよ」

 それに、ドレスを着せて正解。

「リリーはすごく綺麗だし、可愛い」

「えっ」

 可愛い。

 本当は、青を着せたかったな。

「か、からかわないで」

「からかってないよ」

 面白い。

 ころころ表情が変わって。

 身分はお姫様に違いないんだから、ドレスを着て守られてくれればいいのに。

「料理が冷めるぞ」

 料理は、できたてが一番美味い。

 魚とポテトのディルマリネは、グラシアルらしい前菜だ。

「流石、ポルトペスタの一等地にある宝石商のおすすめだ。うまいよ」

 リリーがようやく食べ始める。

「あ…、美味しい」

 機嫌、直ったな。


 ※


 食事を終えて、店を出る。

 仕掛けてくるなら、帰り道かな。

「リリー、ここで待ってろ」

「え?」

「その辺で馬車を拾ってくるから。その恰好で歩いて帰るわけにもいかないだろ?」

「うん。わかった」

 リリーを一人店の前に残して、通りを歩いて角を一つ曲がると、暗い場所を見つけて闇の魔法で姿を消す。

『エル、リリーに近づいてる男が居るわ』

 やっぱり、ずっと様子をうかがっていたのだろう。

『…馬車に入った』

 通りに戻り、店の前に居る馬車に向かって走る。

「入った、って。自分から乗って行ったのか?」

『もっと詳しく表現します?後ろから口をふさがれて、馬車に放り込まれたようですよ』

「…いや、詳しくなくて良い」

 馬車の後ろの飾りを掴み、足を乗せたところで、馬車が乱暴に走り出した。

「リリーは?」

『両手を縛られて、目と口を布で覆われています。…それほど、乱暴には扱われていませんよ。大事な人質だから、傷をつけてはいけない、と』

「そうか」

 良かった。

『面白いこと、言ってましたよ』

「ん?」

『武器を持ってなければ、こっちのものだって』

 昼間にリリーを襲った連中も混ざってるのか?

 リリーから武器を取り上げておいて正解だったな。

 馬車は街の繁華街を抜け、西の郊外へ向かって走る。郊外へ出て、しばらく走ったところで停車する。

「さぁ、お嬢さん。降りてくれ」

「手荒なことはしたくないんでね。大人しくしてくれよ」

 馬車の陰から様子をうかがう。男が五人。ずいぶん数が多いな。

「おい、馬車は遠くに捨ててこいよ」

 それに、御者か。この馬車も盗んだものなのだろう。

 馬車は、大きく回って、向きを変える。このまま街に向かって引き返すつもりだろう。

 御者に向かって、遅速性の眠りの魔法をかける。ゆっくり、眠くなって、朝まで起きないだろう。

 リリーを連れて行った集団を追う。

『エル、この先、罠があるぞ』

 仕掛けてあるだろうな。

「解除できるか?」

『避けて通った方が早いな。案内しよう』

 メラニーを顕現させ、メラニーの後を歩く。

 しばらく歩くと、小さな小屋が見えてきた。

 ここを根城にしているのか?それとも、ここは人質を置いておく小屋?

「お前ら、ボスを呼んで来い」

「わかった。…くれぐれも、手を出すなよ」

「わかってるって」

 男二人が、その場を離れる。

 残りの三人が、リリーを連れて小屋に入っていった。

「さてと」

 真空の魔法を体の周囲に張る。いつも通り、炎の魔法を込めた闇の玉を作って浮かせておき、メラニーの顕現を解く。

 そして、小屋の扉を開く。

「…なんだ?」

 そういえば、まだ闇の魔法で姿を消していたっけ。

 これぐらいの灯りなら、もう見えていてもおかしくはないんだけど。

 炎を、と思ったけれど。真空の魔法で相手を切り裂く。

「な。何が…」

 何が起こったかわからないまま、気を失った方が楽だろう。

 どさり、どさり、どさり、と男が三人倒れる音が聞こえるのを待って、真空の魔法を使うのをやめる。

『遅いよ、エル』

 イリス。

「悪かったな。大丈夫か?」

 床に座っているリリーの目隠しと、口をふさぐ布を外す。

 あ…。

「怖かった」

 泣きそうな顔。

「ごめん」

 そんなに、怖かったなんて。

 固く結ばれたリリーの腕の縄も解く。

「私、剣がないと…」

 あぁ、だから、リュヌリアンを手放したくないのか。

「剣がないと、ただの女の子、だって?」

 リリーは驚いた顔をする。

「私は、自分がただの女の子なんて…」

 女王の娘だから?

『エル、外に人が来た』

「大人しくしてな。これは渡しておくから」

 背負っていた剣を、リリーに渡す。

「私も戦う」

 さっきまでの泣きそうな顔はどこに行ったんだ。

「だめだ。お姫様に戦わせるなんて聞いたことがない」

 戦わせたくないから、ドレスを着せてるのに。

 リリーはちっともわかってない。

「すぐに終わらせるから、大人しく待ってろよ」

 リリーを小屋に残して、外に出る。

 視界に入る人影が、五人。

「お前が黄昏の魔法使い、か?」

 金髪碧眼の男の魔法使い。

「てめぇ、何者だ」

「…炎の魔法使いだ」

 言って、体の周囲に炎を巡らせる。

 周囲を明るく照らすほどの炎を生み出し、敵に向かって放つ。

 炎は渦を巻きながら、衝撃で数人を吹き飛ばす。

「お前も、炎の魔法が使えるんだろ」

 今度は炎の矢を浮かべて、何人かに向かって放つ。

 魔法使いから、炎の魔法、雷の魔法が飛んでくる。

 特に回避行動をとらなくても、魔法の一筋は闇の玉に当たり、残りは真空の防壁に阻まれて消えた。

 もちろん、闇の玉に当たったということは、中に込めていた炎の魔法が術者に向かって放たれている。

「馬鹿な、魔法を反射しただと?」

 反射じゃ、ないんだけどな。

「くそっ」

 魔法使いは炎を集め、火の玉を放つ。

 向かって来たそれを、風の魔法で霧散させつつ、火の玉を作って放つ。

 そして、俺に向かって剣を振り上げた男の腕を掴んで炎の魔法で包み、背後に来た男に闇の玉を当てて炎の魔法を発動させる。

 体の周りに炎を巡らせて、近距離に居る男たちを巻き込んで倒し、その炎を集めて炎の刃を作ると、魔法使いめがけて振り下ろす。

 絶叫。

 炎が消えた周囲を見渡すと、男が五人、倒れている。

「…これで全部か?」

『周囲にもう、人の気配はないな』

「そうか」

 杖で、地面に闇魔法の魔法陣を描く。

 そして、持っていたロープで縛り上げた男たちを、風の魔法を使って陣の上に運ぶ。

「エル?」

 リリーが小屋から顔をのぞかせる。

「あぁ、そういや、中にも居たな」

 中にいる男たちも同じようにロープで縛り上げ、魔法陣に運ぶ。

「何してるの?」

「逃げ出さないように、魔法をかけておくんだよ」

「魔法?」

 杖を取り出して、魔法陣に魔力を送る。

「宵闇の眷属よ、我は闇の精霊と契約する者也。汝の力持って、ここに永久の悪夢を」

 魔法陣が黒く光る。

「これは魔法陣。周囲の精霊の力を借りて、強力な魔法を仕掛けるんだ。これは闇の魔法。迎えが来るまで、眠っててもらうんだよ」

「迎え?」

 リリーの剣を背負って、リリーを抱える。

「わっ」

「こいつらを運ぶ手段がないからな」

「あの、歩けるよ」

 舗装された道でも転びそうって言ってたくせに?

「この恰好で、歩きにくい道を歩かせるわけにいかないだろ?せめて、舗装された場所まで抱えてやるよ」

「…重いよ」

「鎧着てないんだから、重いわけないだろ。いいから、ちゃんと掴まれ」

「…お姫様みたい」

「お姫様だろ?」

「…うん。それも、良いかな」

 リリー。

 こんなに可愛いお姫様なら、童話や恋物語にだって、登場できるよ。


 ※


 リリーを連れて騎士団の事務所へ行く。

「連絡は受けています。エルロックさんですね」

「ここが、あいつらのアジトだ。周辺のトラップを破壊して眠らせてきたけど、早めに回収しに行ってくれ」

 ポルトペスタの地図に、アジトの場所を示す。

「すぐに隊員を向かわせましょう。報酬は魔術師ギルドでお受け取りください。こちらにサインを」

 騎士団への引き渡し証にサインをする。

「失礼ですが。ラングリオンの方だから、この依頼をお受けになったのですか?」

「いや。違うよ」

「黄昏の魔法使いという名前は、ラングリオンにとっては英雄じゃないですか」

「公式には存在しない魔法使いだ」

「…そうでしたね。失礼いたしました」

 事務所を出て、リリーと宿に向かう。

「さっきの、どういうこと?」

「さっきのって?」

「公式には存在しないって」

 国の正式な歴史文書に存在しない事項、という意味だ。

「そうだな…。昔、ラングリオン王国と、その南にあるラ・セルメア共和国の間で、国境ラインを巡った戦争があったんだ。ラ・セルメア共和国がラングリオンの重要拠点だったオリファン砦を落とし、優勢になったと思われていた。…けれど、それから三日のうちに、戦争は、国境をローレライ川に定めて終結」

「…それの、どこに魔法使いが出てくるの?」

「そうだな。不思議だろ」

 リリーが、納得いかなそうな顔でこちらを見る。

「誰も何があったか知らないから、ラングリオンの英雄譚が作られたんだよ」

「架空の存在?」

「そういうこと。砦を一人で取り返し、国境ラインを約束させた人物、って」

「そうなんだ。読んでみたいな、その本」

 もともとは、吟遊詩人たちがこぞってネタにした話しだ。本にもなっているんだろう。


 ※


 あぁ、疲れた。

 一日中、あんな大剣背負って歩くのはきつい。たぶん、俺にあの剣は扱えないだろう。

 ベッドに倒れ込んだ俺を、リリーが引っ張る。

「ん?」

「エル、脱がしてほしい」

「は?」

「一人じゃ、脱げないんだ」

 そうだった。

 リリーの体に合うように作らせたドレス。

 形を調整する紐はすべて背中についている。一人で脱げるわけがないんだった。

 起き上がって、腰のリボンをほどき、背中の紐もほどいて、緩めていく。

「ドレスは苦手だ」

「綺麗だよ」

「…恥ずかしい」

 こちらからは顔が見えないが、耳まで赤いのがわかる。

 首や肩すら、ほんのり赤い。

 細い首、華奢な肩。

 …やばい。

 だって、ドレスの下に着るやつって、薄っぺらい絹の…。

 ドレスが、足元に落ちる。

「ありがとう…、エル?」

 後ろから、リリーを抱きしめる。

「無防備にも、程があるだろ」

 首筋から、耳へ。口を寄せながら、リリーの体のライン手でをなぞる。

「エル、」

 リリーの肩を抱いて正面を向かせると、そのままベッドに押し倒す。

「抵抗しろよ」

「抵抗?」

 何されるか、わかってないのか。

 こんなこと、するべきじゃない。

「思いっきり、蹴り上げて、殴る、とか」

 言いながら、リリーの頬に、露出した肩に、胸元に…、唇を這わせる。

「できない、よ」

「好きでもないやつに、こんなことされたいか?」

 もっと、触れたい。

「私は、エルのことが、好きだよ」

 今言ってるのは、そういう、好きじゃない。

 ダメだってわかっているのに。触れたい衝動を抑えられない。

「リリー」

 俺は、リリーのことが好きなのか?

 …だめだ。好きになんて。

「ん…」

 頬に触れて、リリーを見つめる。

 吸い込まれそうなほど、美しい、輝く漆黒の瞳を。

 そのまま、顔を近づける。

「だめ、」

 眩暈。

 …なんだ?この感じ?

 リリーから唇を離す。

「エル、だめ…」

 リリーは自分の顔を覆う。

「だめ…」

 泣いてる?

「リリー?」

「ごめんなさい」

 リリーから体を離す。

「…俺が悪かった」

 リリーに布団をかける。

 きっと。

 好きでもない相手と結ばれるなんて、後悔する。

 ベッドから離れようとする俺を、リリーの腕が掴む。

「行かないで」

 あぁ。人の気も知らないで。

「一緒に居てほしい」

 今、何されそうになったか、わかってないのか。

 ベッドに座り、リリーの頭を撫でる。

 最悪。何やってるんだ、俺。

「一緒に居るって、約束しただろ」

「…私が、どんな存在でも?」

「俺だって、またリリーを襲うかもしれない」

「それは、困る」

「…なら、お互いのリスクも承知の上だ」

 俺から言い出したんだから、俺から約束を違えることはできない。

 でも、こんなんじゃ、リリーに一切手を出さずにいられる自信がない。

 無防備すぎるだろ。もう少し抵抗しろよ。

 リリーが本気で抵抗すれば、俺の力じゃかなわないのはわかりきってるのに。

 なんで。抵抗しないんだ。

 リリーを抱けば、絶対に後悔する。

 この先一緒に居られなくなる。

 わかってるのに。

 あぁ。また、リリーが泣いてる。

 俺が泣かせた。

 泣かせたいなんて思ってないのに。

 本当に、何やってるんだ、俺は…。

 隣から、寝息が聞こえてきた。

 眠ったらしい。

 どうして、襲われそうになった直後に、その本人の前で眠れるんだよ。

 馬鹿。

 泣いて嫌がった癖に。

 リリーの目に溜まった涙を拭う。

 …そういえば。

 さっきの。

 リリーの唇に口づけたときの、あの感じは、なんだったんだ?

 ただの眩暈?

 いや、もっと、気が遠くなりそうな、あの感覚。

 昔、同じようなのを感じたことがある。

 砦で魔法を使った時。

 コントロールを離れた魔法に、魔力を全部持って行かれそうになった、あの時の感じに近い。

 …魔力を、持って行かれる?

 まさか?

 リリーに、魔力を持って行かれた?

「…イリス」

『なんだよ、大人しくしてやってたのに、リリーに何にもしないのか』

 実体があるなら、今すぐぶん殴ってやるのに。

「リリーは、魔力があれば魔法を使えるのか?」

『リリーは魔力をためることができないよ』

 そうだ。リリーは魔力がないから、魔法に強い耐性を持っている。リリー自身が魔力を貯蓄できない。

 それでも、魔法を使えるようになる方法がある。

 つまり、どこかに魔力を貯めておける?

 …リリーは言っていたじゃないか。イリスの力を引き出して、魔法を使うと。

「リリーが俺から奪った魔力は、お前に貯まるのか?お前の魔力を使って、リリーは魔法を使える?」

 でも、そもそも、精霊の魔力を契約者が使うなんて、できるのか?

『なんだよ、色々すっとばした答えだな。だいたいあってる。…けど、正解は半分』

 あぁ。聞くの忘れてたな。

 リリーが俺から魔力を奪ったのは、間違いないらしい。

「なんだよ、半分って」

『ボク自身が持つ潜在的な魔力は、リリーを助けるためにしか使わない』

 そう。上位契約者が、下位契約者を守る為に、魔力を使う。

 それは、イリスが上位契約者で、リリーが下位契約者であるならば当然のことだ。

 言葉を選ぼう。

「俺から奪った魔力を、お前に貯蓄して、リリーは魔法を使うんだな?」

『それも、半分正解』

 また、半分か。何が半分なんだ?

「俺から奪った魔力の半分?」

『正解だ』

 ようやく。ようやく一つ、正しい回答に辿り着けた。

「残りの半分は、イリスのものになる?」

『ぶっぶー。不正解』

 違うのか?

『エル、かなり良い線いってる』

「はいはい」

『なんだよ、まじめに答え合わせしてやってるだろ』

「…そうだな。礼を言うよ」

 イリスの側からすれば、俺の話しなんていくらでも無視できるはずだ。

 わざわざ聞いてくれることには、感謝しなくちゃいけない。

 リリーが魔力を得る方法。

 リリーは自然から魔力を得られない。

 得るのは、人間からのみ。しかも、その方法が…。

「あ…」

 そういえば、あの時。

 どうして今まで思い出さなかった?

 リリーが雪崩で死にかけて、トールの家に行った時も、そうだったじゃないか。

 あの時、イリスは、リリーに口づけろと言った。

 そして、リリーに大量の魔力を奪われた俺は、次の日の朝まで目覚めなかったんだ。

 聞いておくべきだった。あの時に。そうすれば、今まで悩むなんてこと…。

 ってことは。俺がリリーに魔力を渡せば、リリーの修業の目的は叶うのか?

 なんで、リリーはそうしない?いつでも奪えるから?

 それとも、一人の人間の魔力だけではいけない?

 わざわざ外に修行に出るってことは、城の中の人間が相手ではいけないんだろうけど…。

 まぁいい。これで一つ、謎が解けた。修行の目的は、人間から魔力を奪って集めること。

 そして、集めた魔力で魔法を使えるようになり、試練をクリアするのだ。

 じゃあ、集めた魔力の残り半分は、どこへ行くんだ?

 そういえば、魔力の集中で集めた魔力だって…。



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